変化への抵抗
昨日も話題がありました。
最近お伝えしているカレールーの話です。
将来的には、ご飯の量を増やしたり、トッピングの量を増やしたりしてもいいのかなと思っています。
たまにこういう話題があります。
そんなに固くなって、こうしなければいけないと決めないで。
将来、こうしてもいいかなと。
ちょっと気軽な気持ちで、こだわりすぎないでやればいいのかなと考えると、絶対うまくいかないんですよ。
それなら、やっぱり今からそうしていればいいだろうとなっちゃったり、
自分への甘えっていうのかな。
将来こういう風にできるしっていう甘えが出たり、色々問題があったはずなんだけど。
じゃあそういう時に、じゃあもう今からこうするって決めて、1年後も2年後もそうしますと。
そういう覚悟を持ってやろうとすると、もうそれは始めることができなくなってしまうんですよね。
じゃあどうすることもできないんじゃないかっていう風になってからは、今までどうしてたかは記憶ないんですけど。
ただね、一つ言えるのが、これも違うなと思ったこともあるんだけど、
今まで通り、とりあえず大きな変化を起こさないで、今まで通りの感じでやっていけば、
それよりは今既に計画してる通りにやれば、それなりにうまくいったっていう経験はあるんだけど。
だからね、これも言えるんだけど、はっきりこうしようと決めるのが合わないんですよね。
自然とそうなってるがクラギに合ってるんですよ。
さっき言った双鳥の方、どっちもそうですよね。
頭で考えてそうしてるんですよ。
でもちょっと変化について考えさせられることがあって、
ストーブいつも、食後2階のストーブ消してって言うんだけど、
今日はちょっと食事が遅くなるかもしれないから、食べ終わる時間が。
だからストーブついた時に食事中だけで行った方がいいなと思ったんですよ。
2階暑くなるのも嫌だし。
でもそう思った途端ね、やっぱりね、普段しないことだから、
意識そっちに行っちゃうんですよ。
で、これ別にミスっても大丈夫だと言い聞かせてもね、そうなんですよ。
もう変化を、いつもと違うことをするってなった瞬間、
大きな変化を起こすってなった瞬間も、
もうね、行動がぎこちなくなるんですよ。
で、これは別に大きな変化なんかじゃない。
大丈夫大丈夫って言い聞かせたりすると、またそこからどんどんね、連鎖して、
いもずる意識に問題が生じてくるんですよね。
で、1回でもそういう変化を起こそうとすると、
元に戻そうとすると、
やっぱり変化したままの方がいいんじゃないかと。
元に戻す、戻しても結局同じなんて分かってない。
だから1回変化を起こした時点でもうアウトなんですよ。
日常生活の影響
そういう変化を起こすっていうか、そういう意識をね、ちょっとでも持った瞬間ですよね。
迷い始めたぐらいじゃまだね、
迷うこと自体には時間がかかったとしても、
あれなんだけど、これ引きこもり中ね、ずっとさっきの1つ目の話もありますよ。
音楽のパルムリングをダウンロードした時も、フリルツの時も、
最初はね、この方法でやっていかなきゃいけないってなるんだけど、
隣人種人格の裏切りが現れて、何も別にね、
まあ将来、こういう風にするでもいいし、
ってなって、だいぶ頭も柔らかく考えれるようになったかと思ったら、
今はね、それでうまくいかない、こういうことが多々ありましたね。
さっきの2つ目の話は日常で多くてね、
ちょっと軽く考えてしまい、
今日はいつもと違ってこうだからこうしようみたいに、
ちょっと気軽にやること変えてしまうと、そっちに意識が全部生まれてね、
本当に変化に弱いんです。だからね、ちょっとした意識の変化に弱いんですよ。
あとこんなこともありました。以前ね、
これ旅行してる、旅行でね、
綿密な計画を立ててする人なんか多分そうだと思うんだけど、
クラキなんか全然そんなことじゃないのに、
ちょっと思ってたのと違って、
そっから行動する順番がね、変わったとかでもないんだけど、
色々とそっから派生する変化に
囚われてっていうことはありましたね。
例えば羊羹がちょっと帰ってくるの遅かった。
あれじゃあ、あれはどうかな、あれはどうかなといろいろ確認作業が始まるんですよ。
それでは明日っけ。