なんだけど
まあこれの通りですね
人間という名前を与え 個人の名前を与えているだけで
それでこれは自分だと意識しているだけであり 別にそんな他特別できたものでもないし
あとは魚 なんかの一種でね
メスの臓器の一部になってしまうっていうある程度 繁殖期が終わってからなのかな
でこれもじゃあどこから自分なんだってなるわけでしょ だから自分なんて存在しないんですよ
で 諸法無我の説明するときに
仏教でもそういうふうに言われてるだけで 自分のね
なんていうのは存在しないと 一応諸法無我ってのは実態がないっていうことですね 本質は存在しないと
あと色足絶句っていう 仏教の考え方があるんですけど
別にこれだけは仏教信者なわけじゃないんだけど この色足絶句っていうのは
これもやっぱり 人間の奥に
てか人間ってものは 空であると その実態なんか何もないんで空っぽなんだっていうことですね
人間によって形作られている存在しているだけであり 実態なんかないということなんですよ
で仏教ではこういうふうに言ってるんだけども 仏陀が言ったことって諸行無常もそうなんだけど
もっと抽象的な意味ですからね 物理学とか でもその
諸法無我と同じように物事っていうのは 単体で存在してるんじゃなくて
影響し合ってるっていう 考え方があるんだけども
それと同じことなんですよ 抽象的なことなんですよ
だから 一人の人間に自分なんて存在しない
でも昨日見た記事だと表面的には な部分は
ちゃんと存在してるみたいな書き方なんだけど
特定の人間がどう残るのかの話じゃないんですよね 諸行無常も同じですよ
いずれ病気になるとか 家族がいなくなるとか
古くなるとか老いるとか そういう教えじゃないんですね 諸行無常ってのは
この物理空間にあるものは全て変化してるんだっていう教えがあって
だから人間が
死んでしまうとか 亡くなるとか そういうことじゃないんですね
繁栄してたものも いつから滅びるとか そういう教えじゃないんですね
あらゆるものは だってそんな仏陀は そんな人間の価値観によってね
価値観でそうやって捉えてるだけですから 栄養開いたとかどうだとか
もっと抽象的なことを言ってるわけですよ 仏陀は あらゆるものは変化し続けていると
この諸法無我も同じことなんですよ クラケアイも今まで言ってたのは
生物学的にこの自分なんて存在しない さっき言い忘れたけど
処方向かってのは因縁によって人間は存在している この世のものすべてのものは存在していると
因縁ってのはねすごいわかりにくい表現なんですよ 辞書で調べると
何かに働きかける力によってすべては存在していると
あとその条件ですよね周りにある条件 これが縁ですよね
まあでも簡単に言うと何かの起こりる原因
すべてのものは
その働きかける力 原因 ちょっとわかりにくいですよねこれじゃあね
なんとなくねその実態ってものはないんだってことを言い争うとしてるのはわかるんですけど
まあでもあらゆるもの変化してて 自分の中に実態もないといえば気持ちが落ち着かないですよね
一体
いつの自分が自分なのだってなっちゃいますよね でもやっぱり自分ってものがないとは
人間とても思えないからそうなっちゃうんだけど だから
今自分がこれが自分だと思っているのは スクショするのと同じで一瞬の自分を切り取って
まあこれは自分だということはできるけれども 1秒前の自分と今の自分は
まあ違うというかまあそもそもね自分なんて存在しないんですけど その発想自体がおかしいんですけどね
まあでも今1秒前の自分とは全く別物だと 考えてもいいと思います
でねここまで抽象的なことだと生活上あまり考えても意味ないようなことには気ぃするけど
いや案外そうだとも言えないんですよ人間ってね 死ぬっていうのはどういうことなのか
意識が完全になくなるってなんか考えづらいし この自分がね全くなくなるって考えづらいし
まあそういった時にこの処方向かって考え方が 大事になるんですね
仏教の教えとはいえブッダがいいってことだから本質なんですよ 魂があるっていう宗教 クラキアあいつは宗教もそうだけど
まあこれは相反するような考え方だと言ってもいいんじゃないかなどうなんだろう
うちは工夫でできてるというわけだから
輪廻転生しようないですよねてかそもそもあの世に行くこともないですねこれだと それとは別なのかなまあでもねいずれにせよ
人間ってのは ブッダの考えからすると
本質的に自分なんてのは 存在してないということですね
自分だと思ってる自分 表面的には
自分に見えてはいるんだけど 便宜上戸籍もあるし自分の名前もあるし自分に見えてるけど
朝起きたらこれが自分だと認識できるしね 目の前にいる人は親だと認識できるんだけど
本質的には自分なんて存在しないということですね 諸行無常について考えた時からも思ったんだけどやっぱり人間って
絶対的なもの安定なものを求めるわけだしだから
この諸行無常って神を信じる人間 そのおかしさを解いてるわけです
まあこれで神なんていないっていうのもわかりますし だって絶対的なものは存在
しないということですからね だからそういう
何からも影響を受けない もう
それだけで成り立ってる こういうようなもの
そういった実態なんかって存在しないって教えですから 諸行無常も諸法無我も
諸行無常について考える時からね
まあわかりやすく意味 実際違うんだけどわかりやすく考えると一秒前とは
何一つ同じものがない そこが大事なんですね一つだけでも何か変わらない部分があるかというと
一つもないわけです 自分の中のすべてが変わってしまってるわけです
いくら抽象的とはいえそれが事実なわけですから 変わらないように見えてるだけで実際は変わってるわけですね
人間でねこれだけは変わらない こういう考えは
いつまでたっても普遍的なことだ こういった
自分の性格は絶対 変わるものではない
性格自体は変わる変わらないわ 思わないかもしれないけど何かしらね
人間って安定したいですから絶対的なものを求めますから 何かしら固執している部分があると思うしだからブッダは
諦めなさいって言ったんですねそういうこだわりが 苦しみますよと