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2025-09-30 15:38

第4530回 簡単哲学雑談回諸法無我を世間の人は履き違えている&ブッダは死後そして神を実は否定しているのです🧨🧨🧨

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

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サマリー

このエピソードでは、諸法無我の概念に関する誤解や理解の仕方が議論されており、仏教における自己の存在の不在や物事の本質が実際には存在しないという視点が紹介されています。また、表面的なものと本質的なものの違いについて考え、自己についての認識を深めることが課題として提起されています。さらに、「諸法無我」と「神」の存在についても考察されており、ブッダの視点から自己の実態の不在や絶対的なものを求めることの無意味さが語られています。

諸法無我の考察
今回はですね
諸法無我、 でもそんな難しい哲学の話ではないんですが
ちょっとこれについて最近考えているので話していきたいんですが 諸法無我とか商業無常ですね
別に宗教的な話になるわけでもないんですけど これはね勘違いして捉えている人多いです。多すぎだと思いますね
人間万事作業我慢に引き続きそういう話になってしまうんですが まず、倉木は
自分なんて存在しないと思ってるんですよ でもいつも倉木が言ってるのはね、生物学的な観点からですね、例えば
アメーバってね、じゃあ何が自分だって話じゃないですか 大惨い生物とかいろいろいるけど
じゃあどこからどこまで自分なのかと あとはね
顔が一つで体が 体が一つで顔が二つの
まあ人間以外でもそういうことはあり得るんだけど こういった事象をどうたられるのか
これを一人の人間とするのか二人の人間とするのか どこから自分でどこから自分じゃないのか
このような答えが出ないんですよ なぜ答えが出ないかというと自分というのはただの概念でしかなくて自分なんてのは
存在しないからですね 生物学的にはだからね
有識者は何て言うかわかんないけど もう間違いなく生物学的には人間、人間ってのは
自分ってのは存在しないわけですね そもそも他の動物はね自分なんてものを意識しないだろうし人間だけなんですよね
なんで人間が自分を自分と意識するかというと それは国がね
税金払ってるもらうために戸籍状 戸籍を与えて
でそうやって名前つけて あちなみにね有為名論っていう
考え方があってこれはどういうことかというと それぞれ
答えはね
名前があるからまあそれは 一般的な概念としてとられるけど実際は
名前は名前だけのものであって
実際それは別々のものであるってこれ別に 倉木にとっては当たり前なんですけどね
だって人間がそうやって頭の中で 抽象化させて共通のものであると思っているだけで
さらに言うとね 生物って言い方してるけど
近所の人と 倉木と
まあ別に親でもいいけど 共通した一種のものだと思ってるけど
別に何が同じなわけでも何が違うわけでもなくて それぞれの答えで生きてるという
存在しているというだけなんですよ どうしてこれは有為名論
本質の不存在
なんだけど
まあこれの通りですね
人間という名前を与え 個人の名前を与えているだけで
それでこれは自分だと意識しているだけであり 別にそんな他特別できたものでもないし
あとは魚 なんかの一種でね
メスの臓器の一部になってしまうっていうある程度 繁殖期が終わってからなのかな
でこれもじゃあどこから自分なんだってなるわけでしょ だから自分なんて存在しないんですよ
で 諸法無我の説明するときに
仏教でもそういうふうに言われてるだけで 自分のね
なんていうのは存在しないと 一応諸法無我ってのは実態がないっていうことですね 本質は存在しないと
あと色足絶句っていう 仏教の考え方があるんですけど
別にこれだけは仏教信者なわけじゃないんだけど この色足絶句っていうのは
これもやっぱり 人間の奥に
てか人間ってものは 空であると その実態なんか何もないんで空っぽなんだっていうことですね
人間によって形作られている存在しているだけであり 実態なんかないということなんですよ
で仏教ではこういうふうに言ってるんだけども 仏陀が言ったことって諸行無常もそうなんだけど
もっと抽象的な意味ですからね 物理学とか でもその
諸法無我と同じように物事っていうのは 単体で存在してるんじゃなくて
影響し合ってるっていう 考え方があるんだけども
それと同じことなんですよ 抽象的なことなんですよ
だから 一人の人間に自分なんて存在しない
でも昨日見た記事だと表面的には な部分は
ちゃんと存在してるみたいな書き方なんだけど
特定の人間がどう残るのかの話じゃないんですよね 諸行無常も同じですよ
いずれ病気になるとか 家族がいなくなるとか
古くなるとか老いるとか そういう教えじゃないんですね 諸行無常ってのは
この物理空間にあるものは全て変化してるんだっていう教えがあって
だから人間が
死んでしまうとか 亡くなるとか そういうことじゃないんですね
繁栄してたものも いつから滅びるとか そういう教えじゃないんですね
あらゆるものは だってそんな仏陀は そんな人間の価値観によってね
価値観でそうやって捉えてるだけですから 栄養開いたとかどうだとか
もっと抽象的なことを言ってるわけですよ 仏陀は あらゆるものは変化し続けていると
この諸法無我も同じことなんですよ クラケアイも今まで言ってたのは
生物学的にこの自分なんて存在しない さっき言い忘れたけど
人間の存在と誤解
例えば腕足目鼻これがあるのが一人の人間だって言ったら手とか腕がない人
どう説明するんだってなりますよね
これは生物学的な意味では我々はないっていうこと 諸法無我 同じ我々はないっていうふうに書くんだけども
これ物理空間にあるマクロノムのミクロノムのすべてがね
そして
まあまあいいんですね だから物理空間にある見えるもの見えないものすべてが
実体は存在しないということなんですよ
だから昨日その記事見ててもね 服なんか買ったり
カバンなんかあったらそれは自分のものだと 思ってるけども
そういうわけじゃないみたいな いやーそれもねー
例えとしてもおかしいですよやっぱり そういう教えじゃないですこれは
でまあ抽象的なことであるから頭では絶対分かりっこないんだけど ただ一つはっきりしてるし分かるのは
生物学的な意味でも 自分なんて存在しないしもっと抽象的な意味で
別に抽象的なんていう言葉はいらなかったですあの 実体なんかないってことですね
これは諸法無我も諸行無常も同じことです 実体はないってことは本質なんかないということです
でも人間ってね 表面的な部分と
もっと奥の 奥深くと
ある自分と もっと奥には本質的な
普遍的な自分
があると思って安心してますよね
そう考えると安心感があるから 気持ちが安定するからそうやって考えるんだけど
だから表面的などこ変わっても 本質的なところが変わんないから
大丈夫なんだとか 思ってますよねでも本質なんて存在しないということなんですよ
どんなに深く深く掘り下げても そんなものはどこにも見当たらないってことなんですね
なんだかんだその 本質っていうのはねあると思い込んじゃうんですよね人間って
だから魂とかっていう概念が生み出されちゃうんです だから
この体がなくなっても 何か残るんじゃないか
子孫を残せば何とかなるんじゃないか お墓を残せば何とかなるんじゃないか
自分が
弟子に あるいは会社に
教えてきたことはその後継がれていくんじゃないか と思ってるけども実際は
そんな本質なんてものはないわけですから
そんなことはあり得ないってことですね
ついでに話しちゃうと
自己の実態の不在
処方向かってのは因縁によって人間は存在している この世のものすべてのものは存在していると
因縁ってのはねすごいわかりにくい表現なんですよ 辞書で調べると
何かに働きかける力によってすべては存在していると
あとその条件ですよね周りにある条件 これが縁ですよね
まあでも簡単に言うと何かの起こりる原因
すべてのものは
その働きかける力 原因 ちょっとわかりにくいですよねこれじゃあね
なんとなくねその実態ってものはないんだってことを言い争うとしてるのはわかるんですけど
まあでもあらゆるもの変化してて 自分の中に実態もないといえば気持ちが落ち着かないですよね
一体
いつの自分が自分なのだってなっちゃいますよね でもやっぱり自分ってものがないとは
人間とても思えないからそうなっちゃうんだけど だから
今自分がこれが自分だと思っているのは スクショするのと同じで一瞬の自分を切り取って
まあこれは自分だということはできるけれども 1秒前の自分と今の自分は
まあ違うというかまあそもそもね自分なんて存在しないんですけど その発想自体がおかしいんですけどね
まあでも今1秒前の自分とは全く別物だと 考えてもいいと思います
でねここまで抽象的なことだと生活上あまり考えても意味ないようなことには気ぃするけど
いや案外そうだとも言えないんですよ人間ってね 死ぬっていうのはどういうことなのか
意識が完全になくなるってなんか考えづらいし この自分がね全くなくなるって考えづらいし
まあそういった時にこの処方向かって考え方が 大事になるんですね
仏教の教えとはいえブッダがいいってことだから本質なんですよ 魂があるっていう宗教 クラキアあいつは宗教もそうだけど
まあこれは相反するような考え方だと言ってもいいんじゃないかなどうなんだろう
うちは工夫でできてるというわけだから
輪廻転生しようないですよねてかそもそもあの世に行くこともないですねこれだと それとは別なのかなまあでもねいずれにせよ
人間ってのは ブッダの考えからすると
本質的に自分なんてのは 存在してないということですね
自分だと思ってる自分 表面的には
自分に見えてはいるんだけど 便宜上戸籍もあるし自分の名前もあるし自分に見えてるけど
朝起きたらこれが自分だと認識できるしね 目の前にいる人は親だと認識できるんだけど
本質的には自分なんて存在しないということですね 諸行無常について考えた時からも思ったんだけどやっぱり人間って
絶対的なもの安定なものを求めるわけだしだから
この諸行無常って神を信じる人間 そのおかしさを解いてるわけです
まあこれで神なんていないっていうのもわかりますし だって絶対的なものは存在
しないということですからね だからそういう
何からも影響を受けない もう
それだけで成り立ってる こういうようなもの
そういった実態なんかって存在しないって教えですから 諸行無常も諸法無我も
諸行無常について考える時からね
まあわかりやすく意味 実際違うんだけどわかりやすく考えると一秒前とは
何一つ同じものがない そこが大事なんですね一つだけでも何か変わらない部分があるかというと
一つもないわけです 自分の中のすべてが変わってしまってるわけです
いくら抽象的とはいえそれが事実なわけですから 変わらないように見えてるだけで実際は変わってるわけですね
人間でねこれだけは変わらない こういう考えは
いつまでたっても普遍的なことだ こういった
自分の性格は絶対 変わるものではない
性格自体は変わる変わらないわ 思わないかもしれないけど何かしらね
人間って安定したいですから絶対的なものを求めますから 何かしら固執している部分があると思うしだからブッダは
諦めなさいって言ったんですねそういうこだわりが 苦しみますよと
絶対的なものの無意味さ
なぜかというと諸行無常だから それではしたっけ
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