ブッダの教えの誤解
今回はですね、自分がやったことは自分に帰ってくるとか
仏教であるようなそういう教え。 それは間違いですよってことを話していきたいんですが
なんかそんなことはざりません。なんかあれと忘れちゃった。 自分のやったことは
自分に帰結してしまうんだという 教えですがね
間違いって言ってしまうと
間違いっていう表現じゃなくて
ブッダが言ってることをね その前に、倉木はもうなんだけどブッダが
この世界の事実を言ってるんですよ そこまで正しいのかどうかは
倉木には言及する資格もないですし ただ事実を言ってるとは思ってるんですね
あるがままのことを言ってるって意味ですね でそれをね人類に質問をよくしたのが
仏教だと思っていて 自分に帰結するっていうのは
だから ブッダの言ってることを捻じ曲げてしまったなぁって感じはするんですけど
ブッダが言ってるのはね諸法無我で 全ては関係性でできていると
でブッダが言ったことはあくまでも 実質がないんだっていうことであって
自分がやったことはね
もちろん影響を与えてるっていうニュアンスもあるだろうし そのあらゆるものとのネットワークでつながってるっていう意味では
でもねー ブッダが言ってる意味での諸法無我だと
多分自分に帰ってきてることに 気づかないでしょうねきっとね
気づくレベルで何か悪いことがしたら悪いことが起きるみたいな だからそういうあのなんだあれ
どこの宗教とは言わないけど 悪いことをしてたら悪いことしたら神様が見てるから罰を下されますみたいな
それみたいなことですよね
子供だまーす あーやめろやめろ
子供に対して 教育としてはいいかもしれないけど
まあ言おうと撫でれば このロリ展開おかしいなってわかりますよね
なぜかというと良い悪いなんて人間の価値観で判断してるからですよ 良いことをすれば良いことが入ってきて悪いことすれば悪いことが入ってくる
やばいと思いませんかこの考え
ブッダの教えがねじ曲げられちゃってですね 百歩譲ってブッダ言ってる まあ自分がやったことが人に影響を与える
でもそれが返ってくる こう言ってしまうとねなんか
文化と考え方の違い
他国との輸入と輸出の関係で
似てて行ったり来たりみたいなイメージするけど そういうことじゃないですからね
世界とその影響を与えてあってるっていうのは
人間の頭でブッダの言うことを捉えたらそうなってしまうんでしょうかね あとはですね
よくブッダの真理とか言う人いるんだけどこれは宗教の捉え方で ブッダは真理なんかこの世界には
ないんだといった人ですから あと仏教はもう宗教だからね当然
輪廻転生いう宗教もあるしまあ全て
まあ来世のことは言ってるんだろうけど魂もあると ブッダは
死後の世界や
来世は ない まあ正確に言うと
特に研究してないんですね あとお弟子さんにはね
俺死んだら 何もなくなるから気にするなと
いうぐらいだからまあ死後の世界なんて信じてないわけですよ あとはまあこの日本の文化ですよね
諸法無我で自分なんていないんだから だから自分というものよりも
まあ集団を大事にする集団意識 自分は
その何々家という一 一家の中の一人だという意識
この集団の中にいる意識というものを欧米人に比べて強く持たされているとなんかは 別にブッダはね
そういうことで諸法無我を言ってるわけじゃないんですね まあ宗教といろんな文化といえば困ったもんですよ
でも履き違えてると言うが何だろうが文化ってそうやって形成されるものだから しょうがないんだけど
仏教の影響多分抜けてると言っていいですね でも人間がブッダの言うことを
言葉で捉えて 抗戦してるわけですからそれは勘違いも起きるけど
でももう少しなんかね探求する気持ちはなかったのかなと思うぐらい 本当に安易だなぁと思うこともあるけど諸行無常の捉え方だってね
あらゆるもの変化してると だから
才能がない人も伸びるかもしれないとか 諸法無我で自分がいないんだろうね
その人と比較することに囚われなくなるだろうとか
そういう教えじゃないんですね結果的にそうなることはあってもいいけど あと心の動きは
ブッダは言及してるわけですけどそれをね 川に例えてる人もいたりするんだけど
いやーそれも違うと思うんですよね 分かりやすいかもしれないけれども
あと さっきから言ってる諸法無我
関係性の結び目にあるとしたら 人間は一人では生きていけないだろう
単体では生きない存在でみんなに刺さられてるんだ こんなことをブッダは言いたいわけがないでしょ
みんなおかげで生きてます 一人で生きてないんだと
そんなの文化的な価値観でしかないじゃないですか
だしそれを言ったところで
絶対 ブッダの言ってる本質的なことは伝わらないですからね
自分は家族とか親戚に
支えられながら 生かして生かされてるんだっていう
ものすごく表面的な捉え方に留まってしまうから絶対そんな説明の仕方ではダメなはずなんです
断捨離とその本質
あと断捨離だってねブッダはどういうふうにしたかわかんないけど ものすごい深い意味があってただ単に物を減らせばいいってわけじゃないんですよね
そもそも仏教信者って 住職ってね
毎日同じ行動をとりますよね 同じように時間に起きて断捨離したらそれ変化だろうと思うんですけど
だからブッダの言ってる断捨離ってねもっと奥が深いんですよ 単に減らせばいいってもんじゃないんですね
結果的には 行動
不要な考えいろんなものを捨てるわけですけど あと欲を捨てなさいってことで
なんだかね ブッダは煩悩者としての欲を言ってるのにも変わらず
いわゆる好欲な人 いわゆる俗世間の中での好欲な
例えば なんだろうな
食欲旺盛するギルとか性欲がありすぎるとか
ブランドものには目がないとか なんかそんなことじゃないでしょうって思うんだけど
もっと本質的なことを言ってるんですね もっと根深い人間のね
問題について
ブッダは悟ってるわけですね
ブッダも弟子さんたちにね もっとね
なんていうか厳しく言うかあとはマニュアルで 徹底的に
と書きみたいにして ここはこういう意味ですよってちゃんと書いてくれればね
この2500年の間でもうちょっとネジ曲げられなくて済んだような気がするんですけど
感謝しなさいとか 食後にごちそうさまとか言うのも全部あれでしょ
諸法無我から来てるわけでしょきっと
感謝しなさいなんてことを言いたかったわけじゃないと思うんだよな
そこはもっと中立的だと思うんですよね
あとこれも日本の悪い文化だけど ワビサビっていうのもね中洋っていうところから来てんだろうけど
ブッダが言ってる中洋はそういう中途半端なことを推奨するようなもんではないんですけどね
まあこれは安易に捉えられているわけですよ 修行しないしてやっとわかるものが中洋だけど
そうですねまあいろいろありましたねどうでしたかねそれではしたけ