生きる欲望と変化
今回はですね、最近、諸法無我について考察していると、
やっぱり自分なんてものはないし、
そん時の状況で、全く別人になっている。
この体ね、一つの人格がありそうだけど、
芸能人なんか見てても、急に支配欲が強くなったり、環境によっても全然人格が変わってしまう。
今回そんな話なんですが、
例えば、東一で生きたくても生きれない人、
別に日本にもいるか、
もっと長く生きたいけど、若くして命が亡くなってしまう難病を抱えた人とかね。
難病治ったとしても、これも倉木はこういう人見てきたわけなんだけど、
したらまあ、数年経てばね、他の人と同じ価値観になるんですね。
それで別に命のありがたみなんてなくなるわけですよ。
ああ、今思い出したけど、前宗教入ってた時にみんな言ってました。
セミナーに行ったら願いが深くなるんだけど、
少し経てばもうそんなの忘れてしまうと。
それは何とか必死にだから忘れないようにしようとするんだけど、これが人間の差がなんですよ。
人間ってね、いとも簡単に変わってしまいますよ。
だからね、本当に生きたくて生きたくてしょうがない。
生きたくて生きたくてしょうがない。
そうやって生きる欲、生欲、生きるって書いて生欲があっても、
じゃあ生きれるってなったら、今度はね、つらいことがあったら、ああ、死にたいってなるわけですよ。
倉木なんかだとね、コロッと人変わって二次人格って自分で思ってるんだけど、
満腹と心理の変化
だから理想な状況になったらなったで、今度真反対なこと考えてるんですよ。
例えばなんだろうな、最近だと、あ、一昨日かな。
もう寒くてね、朝から。
もうストイックにやるのなんて一生できねえわ俺と思っていたんですけど、
もうその一時間ぐらいにはね、いやなんでもっとあと二時間ぐらい早くから起きてボットキャスト撮りたいじゃないかと、
ストイックな倉木が顔を出してきましたね。
これもどうもね、疑問というか、負に落ちないというか、
当たり前なんだけど、よくよく考えてみるとおかしいことなんだけど、
人間って食欲がありますよね。
これは一生ありますよ。
寝てる時でさえありますからね。
だって夢に出てくることないですか?
植物でいる人間にさえなんなきゃ食欲ってあると思うんだけど、
でもね、お腹いっぱいになったら、どうですかね。
どんな好きな食べ物でもね、もう一ヶ月はいいわってなりますよね。
やっぱり何回それを経験してもね、なるわけですよ。
また食べたくなるって分かってるのに。
今回はもういいわってなるんですよ。
だからね、洋館がいつもね、今回は違うんだと。
自分に比はないと言うんだけど。
これはちょっと異常事態だけど、
この人の中では同じことが起きてるんだろうね。
今回は違うんだと。
まあ食べ物だったら誰でもあるでしょう、こういうこと。
やっぱりお腹いっぱいになったら、もうこれもいいなってなっちゃうわけですよ。
ウニ丼であろうと、うなぎ、うなじゅうであろうと。
だからさっきの例で言うと、生きたい人も生きたいと思っても、
実際に病気が治ったりしたら、また考え変わるっていうのと同じで、
アフリカ人の子供で、ガシ住んでるの子にタラフク食べさせたら、
もうお腹いっぱいだってなりますよね。
あれだけ望んでいたのに。
そりゃそうですよ。
そりゃそうなんだけど、あれだけガシで死にそうで、
もうあれだったら20分も経てば全く変わるわけですよ。
特にね、催眠術なんか見てたらね、一瞬で人が変わるわけですよ。
それまで普通に辛いもの食べてた人が、歯を吐き出したり、
犬の真似してた人が我に飼えたり、ああいうの見てると、
うちらは幻想を見てる、自分の幻想を見てる。
やはり自分なんてものは、確立された自分なんてものは存在しないんだろうと、
こう思ってますね。
それではしたっけ。