やりたいことが見つからない理由
今回はですね、やりたいことが見つからないという人もいると思うんだけど
倉木はその最たる霊で、どうしてかちょっと考察しみながら話したいと思うんですけど
高校生の時は本当に悩んでました。
使命感に駆られて何か、それと同時にやりたいこと、何かを探したいんだけど
本当にこれが喜びを持ってやれる。人生これに捧げられる。
すべての時間をこれに捧げてもいいと思える。そんなものを探したけど
なんかポッと浮かんでは、まあ、しょぼん玉のようにバッと消えてしまう。
そんな感じでしたね、倉木の中ではね。これかなと思っても一瞬で消えてしまう。
やっぱりうちはね、別に親のせいにするつもりはないけど
幸福競争をしっかり、今言った話をしっかり
やっぱり教育というか家庭関係で問題があったんじゃないかと思ってますね。
というのもですね、倉木って褒められたことってほぼほぼないんですね。
やることなすことね、気出されてはいないけれども
それを伸ばそうとしてくれたり、もっと成長するように促してくれたり
してくれたことはないんですね。
やっぱり幼少期の頃は親の助けが必要ですよ。
例えば自分がね、一時太陽光パネルにハマってたんだけど
これでね、もし他のものを買って理科に興味を持てれば
もっとね、遠征になる道とかあったり
引きこもりにならなくて済んだかもしれない。
あるいはなんだろうな、今回の話は難しい話ですよね。
親のせいにするのもどうかと思うけれども
でも一つの視点として、この考えは大事だと思うんですよ。
なぜかというと社会の問題でもあるから
こういう若者がたくさん生まれるっていうのは
倉木はね、こうやって少しでも発信していかなきゃいけないですよ、やっぱり。
って考えると、男子として親のせいだと言わざるを得ないですね。
少しでもそうやって純活になってくれたり褒めてくれたりしていれば
自分がやりたいこととは何なのかわからない
なんていう歪な精神状態にはなんなくて済んだわけですよ。
本当に褒めてくれることとかね
じゃあこっちもやってみたらどうかとか、より興味を語るように促してくれたり
成長できるように助言をくれたり、一切ないですから。
意味関係ずって感じでした。
なぜか子供時代にね、これは好きなものだというものが
そういうものを見つける指針となるものがあれば
いいかと思うんですけど、現体験だったり。
だからね、もうちょっとなんかいろんな体験ができたらなと思いますね。
幅広いものに出会っておけばよかったなと思います。
あとやっぱり感性が豊かなほうがいいと思いますね。
そのほうが、これはやりたくない、これはやりたいものだって絞っていける。
あと友人で普段の性格もあるし、でもそもそも何をやりたいのかがわからない。
単に迷ってるだけじゃなくて。
っていう問題はありましたね。
でもやりたいことが見つからないっていうのは、人によってまた違うと思いますね。
興味あることはなくはなかったんですよ。
でもなんかもうぼーっと生きててね、自分何がやりたいのかわかりませんとか
真剣に悩んでるとしても、何が好きなのかわかりません。
これは自分のことは自分でわかってないのが問題だろうね。
さっきの前者のぼーっとしててっていうのは、
もう一時一時真剣に生きてみたらね、また変わると思うし。
それでは明日っけ。