自己認識と才能
今回は哲学・哲学回を話していきたいと思います。
前回の続きになるんですが、
才能というか、
飛び抜けた才能があるにも関わらず、
それが発見されぬまま、
自分でもわからぬまま、そして
日の目を浴びずに死んでしまうのか、
また、根拠のない自信で自分は才能があると
優れてると思い込んで死んでいくのか、
どちらが幸せな人生かと考えると、
まあ、お方の人はこうしてだと思いますよね。
いや、皮肉なものでそういうことなんですよ。だから
自分の思い込み次第でね。
自分で天才だと思えるし。
だからこそそういう勘違いしちゃう人が
暗きの経験じゃ結構今までいましたよ。身近にも。
根拠のない自信が必要だと言え、
そういう人と関わっててあまりいい気分しないですよ。
それでもポジティブなセンスがあるっていうのはいいけど、
なんでこんなこの人自信持っちゃって、
特別感があるのかなって周りの人から見たら、
違和感ありますからね。
自己満足でしかないと思うし、本人はそれで幸せだろうし。
でもそれで人に嫌われたら、
それも残酷ですよね。
才能ないのに才能あると思って勘違いしちゃって。
そんな情けない話ないでしょ。それで孤立するって。
残酷ですね、これは。
とはいえ、だからこっちのほうが幸せなんだけど、
実際そうやって変な勘違いをやろうっていうのは、
僕一部なわけです。まるなわけですね。
でもそれもそうだし、自分が才能ないのに、
天才的な才能あるのに、
日の日は浴びないってこれ別にね、
全然こういう人いると思いますよ。
何度もそうだことあります。
だからまあ、本当に日の目浴びれてる人って、
たまたま運が良かっただけ。
その1000倍も、もっとかもしれないけど、
の人はちょっとしたこと。
全く同じような条件かもしれない。
でも単なるタイミングとか合わなかっただけで、
全く違う生活になってしまう。
それが現実なんだって何度も思ったことありますよ。
ということは世の中、
本来であればものすごく日の目浴びてる天才的な人って
命の尊さと生きる意味
山ほどいるわけですよ。
特にね、発達障害の事前なんか読んでるとね、
いやーちょっとしたことなんだよなと思ってね、
思ってしまいますね。
運なんですよ、やっぱりね。
では次。
次ですが、人間の命は動物の命より
尊いと思ってる人多いと思ってると思うんですが、
命にね、優劣なんてつけれないし、
どれが尊くてどれが尊くないかなんて
人間がね、飼えるなんて、命なんて
小さいものだと人間の英語で判断してるから
小さく見えるだけであって、
尊さなんてそんなに比較できるもんじゃないわけですよね。
だけど人間が勝手に、
人間、どっちかって言って哺乳類が一番尊くて、
この地球上で人間が最強であって、
勝手に決めつけてるだけなんですよね。
もっと言ってしまうと、
他の人間、生物以外のものとも
優劣つけれるわけじゃないのに、
生物は特別なものだと思っているわけですよね。
これと通じる話なんだけど、
人間はなぜ自分のことを特別だと思ってしまうのか。
でも日本人って都合がいいもんですね。
人といるときは随分、
自分なんてものを打ち消してしまって、
自意識なんて無い人が多いと思うんですよ。
そのくせ自分は特別だと思ってる。
すごい民族ですよね。
時には例外ものとなり、
自分を正当化したり、
自分は特別だと思って。
優劣感とはまた違うんだけど、
似たようなもんですよ。
でもこれは自分と他を分けて考える生き物だから、
しょうないんですよね。
次の話ですが、
毎日同じことを繰り返して、
人生何がいいんだと思う人もいるかもしれないですけど、
実は毎日同じことを繰り返せるのって、
ものすごい、
こんな切れ事に聞こえるかもしれないけど、
ものすごい、
実はその変化しないってこと。
で、すごいそれは難しいことであって、
いくら生物、オメオスタシスがあると、
これはものすごい、
実は奇跡的なものなんですよ。
ただの奇跡なだけかもしれないけど、
でも、
相当な支えとかがあって実は、
毎日同じようにできていると
クラキは実感しているんですよ。
でも毎日同じことを繰り返してどれだけ幸せかって、
味わいながら生きている人ってなかなかいないですよね。
それはそれで別に、
そんなことを味わいながら生きる必要はないと思うんだけど。
次の話ですが、
生物って生きることってすごいんだぞって、
なんていうのかな、これは難しいんだけど、
生物ですからね、すべての生物。
他の生物で言うと、もちろんそんな言語化できていないし、
生きる、
言ってみれば先祖本能みたいなこと、とにかく生きていたいで、
そんなこと考えているのかって言われたら、
違うんだけど、ただ、
生きることに積極的というか、
人間であれば生きることは素晴らしいんだという、
無意識にそういう感覚が本能的にあるわけですよ。
そういうふうに遺伝子に書き込まれているんですよね。
ということはですね、
人間なんでこんなつらいのにみんな生きているのか、
自分の周りの人、世間の人生きているのかって、
誰でも一度は思ったことがあると思うんですよ。
なんでみんなつらいのにこんな生きているのか、
自分はさておきなんでみんなこうやって生きているんだとは思うじゃないですか。
世間の人こんな色んなニュースあったりして苦労しているのに。
今言ったことが理由ですね。
生きることに積極的になるように、素晴らしいと思えるように、
インプットされているわけだから。
それだけのことなんですよ。
生きる意味があるからとか、
生きる意味を感じている。
生きる意味を感じないと人間は生きれないけども、
何か考えがあってとかじゃないわけですね。
逆に言うと、人間が生きる意味ってそれだけのことなんですよ。
素晴らしから普通にしていれば生きていられる。
疑問にもいると思うんですよ。
なんでこんな人生が意味ないと思いながら、
生きなきゃいけないのか、生きられるのか、
みんな思う人いると思うんですけど。
そういうふうにDNAに包まれている。
それだけのことなんですよ。
頭では生きている意味なんてない。
もう死にたいと思っていても、
こうやって生きていけるのはそういうことなんですね。
本能的には生きるのは素晴らしいと思っているから、
敵を作る心理
そっちが勝つんですよ、理性よりも。
では次ですが、なぜ人は敵を作るのか、
敵を作りたいと思うのかという話ですが、
その方が集団で結束しやすいというのもあるし、
あとはどうしても人を作りたくて作ってるというよりは、
そういう真理があるんですね。
人それぞれ価値観で違いますよね。
あるいは国籍も違う、
住んでいる場所の違いもあったりする。
都道府県同士でライバルシーしていることもあったりするわけですよ。
あとは出身校の違いとか。
こういったことがあるから、
どうしても縄張り意識ってありますからね、猿と同じように。
だから敵だとみなしてしまうわけですね。
あとは人を見下げることによって自分の自己肯定感を保つ、
存在を読み出すという意味もありますし、
どうしても敵、敵という言葉自体がね、
そういったニュアンスがついちゃうから、
あれだけど、どうしても相対するものとして存在してしまうんですね。
それでは、したっけ。