絶対的なものの否定
倉木はある時から強くなったような気がして、精神的な忍耐力とかじゃなくて、もっと深い身で強くなった気がして。
それがいつからかっていう話をしていこうと思います。
早速ですが、結論から言ってしまうとね、
大体浪人中ですね。浪人2年目から3年目にかけてかな。
何があったかというとですね、まだ宗教もやめてなかったんだけど、
もうちょっと後かな。絶対なものはないということをね、なんとなく頭の中で理解し始めて。
でもね、何がきっかけか覚えてないんだけど、これを受け入れなきゃいけないなと、何か悟った時があったんですね。大げさに言うと。
でも最初はね、やっぱり完全なものを求めてしまうし、そんなの受け入れ難いですよ。
でもこの考え方を身につければというか、受け入れれば強く生きれるという確信はありました。
徐々に徐々にそういった考え方に変遷していって、断言できますね。以前とは全然違います。
以前は絶対的なものがあると信じてましたから。
だけどね、これは違うなとなり、宗教入ってたくせにね、他のものに絶対的なこと、また宗教にも絶対だと思ってるから矛盾があると。
それがストレスになるし、ストレスって言うと軽く感じるかもしれないけど、それでうつ病になってるんでね。
そういったものにも確かなものを求め、矛盾を感じるわけですよ、当然。
正しいという幻を何とか見ているつもりになりながらでも矛盾を感じて妥協することになる。
そういうことはなくなったわけですね。
皆さんも同じことですよ。絶対なんてものはないと受け止めることができたら、すごい強い生き方ができると思うんですよね。
っていうクラゲの提案なんですが。
相対性と不完全性
とてもとてもこれを人に強要するとかは勧める。今回勧めちゃってるけど、そういう気にはなれないけど。
何より最初つらいんでね。
逆に何かを信じていたいっていう人もいるだろうし、それでいいんだっていう人もいるだろうし。
ちなみに絶対の対義語って知ってますかね。絶対の対義語って相対なんだけど。相対理論とかの相対。
これは関係性で必ず物語は成り立ってると。
逆に絶対ってのは
絶対正しいとか使いますよね。絶対的な心理っていう場合、絶対っていうのは条件とかそういうものに左右されない。それ単体のものってことなんだけど。
これって最近話してるブッダの
性無我と共通してますよね。だからブッダはやっぱり不完全性定理を分かってたわけですよ。世の中には絶対なんてものはないってことはやっぱり分かってたんじゃないかなと思うんですよね。
絶対の反対と相対ですが
でもわかりづらいですよね。なかなか頭では全てのものは関係性によってできてる。
で、あれですね。
これ最後の話なんですが、絶対なものがないなんて。
これが本当だと言える真相主義なんてないなんて。そんなんで強く生きれるかと思うじゃないですか。
これが案外ね、
それを、まあ世の中の事実ですからねこれ。
もう証明されている事実ですからそれを
なかなか人間は受け止めれないですけど
っていうか、頭では分かっててもね、やっぱり一生
完全体を求めてしまうのが人間なのから。クラキもそうだし。
でもね、時よりそうやって世の中の事実を思い出す。
しかもその受け入れた上で
心底にしっかり落とし込んだ上で時より思い出す。
っていうのがすごい強い生き方になると思うんですよ。
どうでしょうかね。それでは明日っけ。