あるあるの概念について
哲学雑談会、始めていこうと思います。
今回は、あるあるということについて、クラキモア、ハッターチョーガーについてとか、
以前アメリカについて、1年前くらいだけど話してましたね、スペインあるあるとか。
でも思ったんですけどね、まずこの話からしていきたいんですが、
あるあるネタって芸人さんが話すこと多いですよね、ネタでね。
あとはXであるある、これもでも笑いを取る場合でも、
共感できる喜びってのもありますよね。
クラキの場合はね、ハッターチョーガーあるあるは別に笑い取ろうなんてしてないですよ。
言ってみれば啓蒙ですよね。
だし、ハッターチョーガーある人は、
まあこれ共感できるよねっていう、そういう話ですね。
単に共感できるよねっていう、別にそれで面白がってもらおうとかじゃなくて、
まあそれはそれでいいんだけど。
ということはですよ、あるあるって笑いなんか取らなくていいし、
そういった類のものもあると思うんですよ。
だからなんて言うんだろう。
表面的にはそれぞれ違うけども、やっぱり何か引っかかる部分があるんですよね、あるあるって。
クラキも実際あるあるのエピソードってね、
視聴回数多いんですよね、やっぱり。
それで不思議に思いました。
クラキ自身もあるあるってあったら気になるけども、
そんなにあるあるっていうことによる魅力ってあるかなと思って、
あるあるだから引っかかるのって何でだろうと思ってね、考えたことあるんですけど。
世間ではよく言いますよね、
あなたの言う普通とは何ですかとか、普通なんてそもそもないでしょうとか、
多様性を認めましょうとか。
その一方で多くの人はあるあるってものがそもそもあると思っちゃってるし、
あるあるに惹かれるわけですよね。
今話してて思ったけどやっぱり矛盾してますよね、それね。
あるあるあるあるだろうと思いますよね。
そこで、いや多様性ってものがあるわけであってなんて自論かましてくる人なんていないですよね。
あるあるってものがある、つまり共通認識があることって結構あるんだっていう前提で聞きますよね、あるあるってのは。
でもあるあるって奥が深いなと思うんだけど、夜に空見てたら星見えるよねって言ったって、
だからなんだってなりますよね。
ああ確かにっていう感覚は必要なのかと思いますね。
言われてみたらああ確かにあるあるだってもうすでに知ってることであれば、
ああそれはあるあるだよねってなんないでしょう。
でも、でもすでに知ってることではあるわけですよね。
じゃないと、なんだろう、あああるあるだよねっていう感動っていうよりは衝撃というか驚きというか、
その感情の方が大きいだろうし。
信号、なぜか自分が通ろうとした時にいつも赤になるんだよね。
心理学的な視点からの考察
これはまあ、確かにってなりますよね。
ちょっと今思いついたことなんだけど。
まあそういうなんか心理学的に言うことができる何かそういう人間の心理があるんでしょうね。
何だろうまあ今のことに限って言うと、
まあ実際はそんなことはない。
そう感じてるだけ。
だからつまり自分だけなのかなこれと思ってることが、
ああそういうことなのか。
他の人もそうなのかと思う発見。
ただねこればかりじゃないんですね、あるある。
ただどうだろう。
まああるあるなのはわかっていたし、
っていう場合もあるかな。
いややっぱりないかな。
主婦は1円単位で気にする。
気にして買い物行く。
これじゃあ何の感動もないですよね。
いやあるあるってめちゃくちゃ奥が深いなと思うし面白いなと思いますね。
でもさっき言った信号の事例なんかも、
でもみんなそうなんだろうなってのはわかるからあるあるで、
って言って話してる時に、
ああそうそうこれもこれもってなるんですよね。
だからみんな共通認識なのは前提なんだけどでも、
何か自分だけかもしれないという思いもあるっていうことなのかな。
ちなみにあくだけ発達障害についてあるある話す時は、
これってやっぱり自分だけかもしれないなっていう思いと、
でも他の発達障害の人も、
やっぱり同じような特性が、
なんていうんだろう、
自然的にもう出てくるものではないなのか、
共通する部分はあるのではないかっていう信じてやってる部分と、
あるんですね。
やっぱりあるあるネタを話す人ってみんなそういう含みはあると思いますよね、多少はね。
まあみんな共通してるけどでも、
みんな自分だけだと思ってね、あるいは、
これって一部の人だけの可能性もなきしもあらずだよなという、
その絶妙なラインなんですよね、あるあるっていうのはね、たぶん。
そう考えるとあるあるにそもそも本質なんてあるのかっていう気持ちできますね。
もうちょっとなんか相対的な感じもするし、なんか変化するとも思うんですよ。
発達障害とその影響
それはだからつまり聞く人によっても、
これはあるあるだろうって思う人もいれば、
あるあるだけでも自分は違うっていう人もいれば、
あるあるではないっていう人もいれば、
あるあるだとは思わないけどでも自分はそうだっていう人もいる。
まあそれはそうだと言われれば確かにそうなんだけど、
ただですね、
自分は違うんだけどでもあるあるなのもわかる。
なんかそういった人がことも結構あることに
このあるあるの妙がある気がするんですよ。
でもあるあるって話す側も面白がって、
共有したくて話しますし、
クラゲの場合は啓蒙として、
いい場合が多いけどただね、
ステレオタイプで見てしまう。危険性もはらんでるわけですね。
というか受け手が、ああそういうことなんだと、
ステレオタイプで捉えてしまう。
これは発達障害。
あるある話してるときはね、
それは常に意識はしてますね。
そのことについては。
これはあるあるというかそもそも、
病気にしろ障害にしろ、
ある程度こういうものだと、
示す必要があるわけです、専門家はね。
ただその一方で人それぞれ違うということも知らせなきゃね。
かといって人それぞれ違うんだから、
この障害に定義がないとか言っちゃうと、
それはそれで問題があって。
だからステレオタイプに見られてしまう、
捉えてしまうという側面があるのはどうしても
いたしかたないと思うんですよね。
発達障害について話すときそういうことはないんだけど、
物によってはあるある。
当事者で、それは違うよとか、
そういうふうに見られたくないとか、
それは分かってはいるけど、
いちいちそれを研究されたくないよという人もいると思うんですよ。
あるあるって怖いものでもあるんですよね。
あるあるだと決めつけること自体が問題である場合もあるだろうし、
でもこれが面白さを生んだり、発見を生んだり、感動を生んだり、
不思議なものですよね。
妙が多い概念というか、だと思うんですけど。
あらのわし、面白いところって実際見たわけでもないのに、
作れてしまうほど、例えば東大に行ったわけでもなければ、
そんな人赤門の中で見たわけでもないけど、
あ、違う、赤門っていうか、こんな東大生見たことないっていう場合でも、
東大生は意外と筋トレする人が多いとか言ったら、
確かに努力家だし、なんとなく分かるってなるし。
今ちょっと2点ありましたね、まず。
そんな人見たわけじゃないけども、なんとなく分かるっていう、
面白さと、発見と、
え、そうなのかっていう驚きと、
驚きとは言っても、なんとなく分かる気がする。
あ、違うか、いいのか、見たことはないっていう点と、
確かに考えてみれば、
あれなくもないな、あるあるな気がするなっていう2点ですね。
あとはなんだろう、東大生は帽子かぶりがち。
帽子をかくかぶりがち。
これも実際見たことないけど、
それがあるあるだと言われれば、実際どうなのか置いといて、
なんか共感できちゃう、共感というか、
そうだよそうだよって、分かる気がする。
これ面白いところが、
帽子をかぶるってこのこと自体は、
実際どうかは置いといて、
でも言わんとしていることは分かるぞっていう、
それもあるあるになるわけですよね。
例えばスーパーで、主婦は早歩きになるとか、
実際それを認識したことはないけど、
なんとなく言わんとしていることは分かる。
単に例えで早歩きになるって言ってるっていうよりは、
なんかイメージがつくというか、
あるあるってだから奥が深いというかね。
奥が深いと思うんですよね。
ではそんなところで、お疲れ様でした。
番組登録お願いします。
それでは明日っけ。