永遠に生きることの考察
今回は、倉木はもし永遠に生きられたらどうするかという話なんですが
まず最初の話をしたいのが 倉木は今すぐにでもね、死ぬもんなら
まあそういうなんかドラえもんの なんかな道具で
いいのあったらもらいたいってことなんだけど もしね、永遠に生きれるとしたら
どうかそれはご勘弁くださいって言ったけど もしね、永遠に生きることになってしまったら
それはもうね、諦めますよ。もう そういうもんだと思って受けられますよ。受けられるのに多分
5、6年かかるけど まずね、永遠に生きれるとなったらね
時間の関係はだいぶ変わると思いますね 今言ったよね、5、6年一つのことで悩んでも
なんら問題ないわけですから 焦りみたいのはなくなるでしょうね
今まで1ヶ月で終わらせたことは多分2、3年かけると思います あとはね
多分そうなったら空腹 でも空腹って感覚はあんのかな、どうなんだろう
こんなタラレバー意味がないのは置いといて まあ食べていかなきゃいけないんだとしたら
生きていくためにって言うよりも空腹をなくすために食べるわけですね まあまあいいや
多分食事しなくても生きれるんだろうから 食事はしなくなるのかな
まあ 病気でなくなることもないわけだから
多分節制はしないと思いますね で、癌になることもないし
まあでも 痛みとかはあるんだろうなぁ
だからやなんですよ それもなくなれば別に永遠に生きていいけど
まあこれはちょっと現実的に考えすぎかもしれないけど どんな監禁されようが
ひどい目に遭うがね
ずっと生き続けるわけでしょ もうそれってもう
いろんな宗教とかいろんな
すごい地獄絵図とかあったりするんだろうけど
仏教でもまあ アシラとか畜生とか
そういった地獄のもう最も辛いことですよね
30年50年監禁されようと 拉致されようと そのまま生き続けなきゃいけないんだから
ものすごい境地になるだろうなぁ うーん
そうなったらね どんなに辛くても
生き続けることになるわけだから 最高の諦めの境地になるでしょうね
相当だからね リスクは
取らない人生になると思います今以上に それでもね
500年600年生きてたら 何が起こるかわかんないしね
まあ戦争に巻き込まれると思うし でも不死身なわけですよ
まあそうなったら痛いとかいう感覚ないのかな
あといくら自分の体を乱暴に扱おうと
生きれるわけですからね 不安なんてものはなくなるかなだから逆に
死の恐怖がないわけですからね そういう一体見てもやっぱりすごい境地になるんだろうな
なんか人生飽きるだろうね だからそうなると逆に苦しみがなくなって
死の恐怖もないとなると まあ自分を大切にする必要もないし
人生の変化と自己の探求
だって必ず生きれるんだから
最初遊びほうけて でも飽きてきて
逆に辛いことをしたりなんか旅に出るかもしれないですね
冒険家になるかもしれないし
だってもうそのレベルになったらもう 不安になっていられないからね
引きこもりになっててもしょうがないし 500年600年後どうなってるかわかんないんだから
もう変化が怖いとは思わないだろうね だって変化が怖いなんつってたら
100年後200年後のこの間に
変化なんてたくさんあるんだから そういう意味でも諦めの境地というかね
逆に500年600年あったら 好きなものはそのうちに何回か食べれるだろうし
なんかそういう欲もなくなるだろうし 猶予感覚がすごくなるかもしれないですね
でもそんなことに 気づいていけないと思って100年後また
だからそういうことを繰り返す いろんな自分の性格が繰り返される
でもニーチェの英語回帰っていう 考え方だと何か目標を達成したら
また次の目標が現れ 次の目標を達成したらまた次の目標は
まあニヒリズムに落ちるでしょうね でもやっぱり新たな境地に達するだろうし
まあ悟るだろうね 多分300年後には悟るかもしれないですね
でまたその300年後には 悪人になってるかもしれないし
でもやっぱりこのDNAは変わんないし
老けるってことは多分ないのかなないんだろうなぁ
いやわかんないけどね老け続けるかもしれないし 腰も曲がり続けるかもしれないし
それで永遠に生きるって言われたら
って考えてみたらゾッとしますね やっぱり症状病史があるからねいいんですよ
それではしたっけ