宇宙理解の限界
今回は、人間ごときがこの世界を理解するなんて、あるいは理解出来ていると思っているのは、とんだ勘違いだという、そんな話になっていますが、
倉木はいつも思うんですよ。
遠い宇宙に先には、他の銀河には生命体がいるかもしれないとか言うけども、そもそもあなたたち宇宙人の定義なんてわかってないだろうし、知能についてもろくにわかってないのに、
だからわかってないってことはわかってないですよね。ちょっとね、過信しすぎなんですよ、科学ってものは。倉木は科学はほとんど擬似科学だし、科学全体、自然科学ってものはオカルトでしかないと思ってるし。
あとたったこの100年ですよ。アインシュタインは100年前の人ですから。
まあ100年200年の、いくら普遍性があると科学者は言ったところで、このアインシュタインの定理でさえ現在怪しくなっている、この5年を読んでそれは言えないと思うし、いくら物理学だって。ただ単に抽象的なだけなんですよ。
普遍性なんてないし、だからね、何億光年先の違う銀河のことなんで、人間はそんな測り知ることはできないですから。太陽系の中のことはちょっとわかるかなぐらいの謙虚さが必要だと思うんですよ。
哲学者も言ってる通り、人間が見たこの世界と他の動物が見た世界では全く違うわけですし、だから人間ごときがこの世界を科学で理解したと思ったら大間違いだし。
暗黒物質についてはほとんどわかってないけど、ほとんどこの空間は暗黒物質で埋めてるとかいう話聞いてもね。
他の動物とか虫とかのほうがこの世界をより鋭敏な感覚を持って理解できてるんじゃないか。人間はただ頭でっかちに理解してるだけなんじゃないか。
なんて思うこともできるけど、まあ比較はできないですけどね。それぞれの理解の仕方なんだけど。まあでも人間の理解の仕方で理解してるだけでしかない。
だからこの世界を鋭じってる、この世界を理解できてると思ったら大間違いだし。
科学と宗教の関係
そもそも宇宙っていうの自体に人が作り出した概念で、その宇宙について研究してるだけですからね。
だから前びっくりしたんですよ。宇宙はどこまで広さがあるかっていうのは、あくまでも物理学という理論の中での話であるみたいな、まあよくわからなかったんだけど。
だから人間が把握できるものの範囲内での把握にとどまってるわけですよ、宇宙。その広さにおいてもそうだし、他のことも。
だから人間が都合よくこの世界を捉えるための手段でしかないとも言えなくもないかもしれない。
さっき研究を探してたとも言ったけどもね、科学はこの世界を、特に科学者はですね、この世界の真相真理を知れるなんてそんな大それってことを考えてるけど、
まあでもね、人間ごときだとかって言ったけど、人間ごときを特別視してしまうのは人間なんですよ。
改めて人間がね、なぜこの宇宙を理解できると、まあ理解できると思ってから科学が生まれたわけだ。
理解できるとなぜ思ってしまったのかと問われれば、まあ過信してるわけだし、世界というものを見くびってるし、自分たちの捉え方が絶対だと思ってるし、
まあ真相真理があると考えてる時点で間違いだし、真相真理があると思いたいんだろうね、そしてそれを発見できると思いたいし、
そこに向かうことが快感であるし、だから科学は、科学も宗教もなくならないんだろうね。
宗教なんかはもう本当に、よく宗教家っていうのは、自分の教義で人を救えるし、自分の理論で真相真理を追求できるようになってしまうんだけど、
自分の教義で人を救えるし、自分の理論で真相真理を追求できるばかりか、それ自体が真相真理だと思っちゃってる。
科学者よりももっと謙虚なあった方がいいかもしれないですね。謙虚なあったところで信者を救えるかっていうと、ある程度それくらいの自信が必要なのかもしれないけど。
それではしたっけ。