特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。
発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。
発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。
発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。
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サマリー
このエピソードでは、多様性を認めることが、自分にとって都合の悪い人や悪人を受け入れることを含むのかどうかを考察しています。また、集団意識が強い日本社会において、多様性と排他的な性質との矛盾を指摘しつつ、認めることの重要性について議論が行われています。
多様性の意味
今回はですね、多様性を認めるというのは、果たしてどういうことなのか、ちょっと深く考えていきたいんですけど、
いかにも、なんか小難しそうな話ですけど、そんな不毛な話もしたくないし、綺麗ごとも言いたくないですし、それはご安心ください。
では早速話していこうと思いますが、できらないあいつとか、悪人とか、自分にとって都合の悪い人、いますよね。
倉木のね、人生で出会ってきた人、大方まあこのどれかなんだけど、
まあ多様性を認めるということは、そういう人を認めるということなのか、って思うんだけど、まあそれ以前にですね、
倉木はこの言葉を見て思い浮かぶのが、まあ綺麗ごとだなっていうのと、
でもその一方では当たり前だろうっていう思い、現代人は人権を尊重するのが当たり前なんだから、
だし、まあ子供の時から言われるじゃないですか、人それぞれ違うんだとか、ある詩人の言葉を借りて、みんな違うのは良いことだとか、
まあそういった綺麗ごとを教えられるわけですよね。
その詩人の言葉自体綺麗ごとじゃないとしても、それを伝える側がね、都合よく捉えちゃってるから綺麗ごとになっちゃうわけですよ。
倉木の小3、小4の時の担任の先生もね、教室にバンってなんか貼って、
言いましたね、みんな違ってみんな良いって。
正しく理解できてるのかわかんないけど。
倉木もね、何度もこういう思いをしてきました。
自分では多様性、自分こそ理解できてる人、これに反対意見じゃない人いないと思ってたんだけど、
やっぱりですね、自分と違う人だったり、普通じゃない人見たら受け入れられないっていう自分があるんですよ。
だからこんな変わり者の倉木でさえ、世界の端っこにいるような倉木でさえね、
こうなんだからまあ普通の人は、まあ倉木みたいな変わり者のこと理解できないのもわからなくはないんですよね。
まあでもね、思いますよ、そういう時多様性をもっと認められる社会になったらって思うんだけど。
アメリカなんかで羨ましいなって思ったことは何度もありますよ。
20歳生涯、アスペルガー将軍なんか、アメリカだとね、逆に尊重されたり、
これ本当かわかんないけど、君アスペルガー将軍軍なのかって称賛されたり。
まあそこまでになればね。
でもそれはちょっとそこまで行くと過剰だから、逆に半信半疑になってしまうけど。
アメリカはね、多様性を認める国家だなと思いますけど、
まあ日本はね、集団意識が強いから、もう排他的ですからもう。
排他的じゃなくて、どうしてもこれはしょうないんですよね、生物学的に性質上も。
集団でまとまるには、例外者は除外していくっていう心の作用が生じてしまうのはしょうないんだけど。
まあクラゲは何度それで悲惨な目に遭ったかとかね。
だからあまり期待してないですね、多様性についてはね。
で、本題ですけど、の前に多様性の今回は定義ですけど、
確認してみると様々な種類や性質のものが存在すること、
またそれらが他者との関わりをうまく保つことで共存すること、
ダイバーシティという言葉もあるんですね。
様々な個性を組織に生かすこと、だから障害者とかっていう点でもそうなのかな、
あとはそれぞれの強みを生かす、それぞれの配置につかせて、
強みを生かせる配置につかせて、まあそういう考え方なんですよね。
これいい言葉ですね。
まあでもクラゲはね、障害性枠でアトラボとしてたけど、
ダメだったんで、あまりこういうの、やっぱりキレイごとにしか見えないんですけど。
悪と認めることの難しさ
ちなみにね、まあいろんな人がいる中で、
でもクラゲは普通の人っていうのはやっぱりいると思ってて、
普通なんてものはないっていう人いるけれども、
やっぱりボーダーラインっていうのがいて、
でもこの言葉の定義からして、でもみんな違うでしょっていうニュアンスなんだろうな、きっと。
だからお互いがお互いを認めましょうという、
あれなんだろうけど、でも日本人ができるかな、それ。
まあ本題ですけど、
まあ悪、まあ悪の定義は今回は置いといて、
悪人とまでいくったらちょっとあれだけど、まあ
それに近い人、人ずる人、
まあ認めるのかっていうと、
まあそれは極論でしかないような気がするから、
好きにしてくれって感じだけど、
まあこれも議論する上で大事なんだろうな。
連続体ですからね、そのグレイザーの人も。
でやっぱりね、悪の定義は置いとくとは言ったけど、
悪かどうかってなかなかわからない場合もあったりして、
枕木の意見ですけど、もう欠けでしょうね、そこはね。
だってこれを認めないって言ってしまったら、
相当多くの人を認めないことになってしまうし、
あと自分の都合でね、
悪かどうかって決めてしまうのは人間ですし、
あと自分に都合の悪い人、これをね認めろっていうのはちょっと無理があると思いますね。
これはすり替えてしまってる。
多様性を認めるってことだ。
もしそういう意味でも言ってるのであれば。
これはやっぱりね、人間だから、
自分にとって都合の悪い人、大嫌いな人は認める必要ないですよ、絶対。
ただその一方で、
まあ同じ集団でやっていくことをしたら、
違いがあることは認めなきゃいけない。
でも違いがあるから仲が悪くなったんだ。
だから仲良くしてこうは、
それこそ不毛だと思いますね。
無理にね、そんな多様性を受け入れて仲良くしてこうとするのはそれは、
非現実的だと思いますね。
皆さんはどうですかね。
こいつは、
こいつがあって周りの人かもしんないし、テレビに出てる人かもしんないし、
政治家かもしんないし、学者かもしんないし、分かんないけど、
こいつのことも認めろというのか、
っていうことも気になるかもしんないし、
あと、これがね都合よく使われて、
まあ悪も、
できれざるを得ない状況、
いえ、落とされるのはちょっとまずいことですよね。
そういう方便に使われるのはいかがなのかと思うけど、
だからまあ、
二等もない一等絵図なんでしょうね。
多様性を認めることによって問題もあるけども、
認めないとそれでクラキみたいに排除される人も出てくる。
ということなんだと思います。
それでは、したっけ。
08:29
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