1. 拝啓、3000年の人類へ
  2. #32 ほんの少し優しくなりたい..
2022-09-12 21:18

#32 ほんの少し優しくなりたい人たち

今週のキーワード

アカデミー賞ビンタ事件/女性を守るために男性が手を出すのはありか?/彼の行動は彼女を1番馬鹿にしているのでは?/バイアス/手を出した側も差別している/こういう髪型もステキやろ?/足が臭いことも多様性/何を持って線引きするのか?/献金/題材によって線引きが難しい/世の中の人の自信を奪った罪/ウチの嫁、ステキだろ?/多様性を認めようぜは1番多様でないのでは?/そもそも多様である/「多様」というラベルを貼る/みんなが少しずつ違って認め合っている/ちょっとずつ優しくありたい/

西暦3000年の人類に向けて、日々感じたことをゆるく垂れ流している二人。果たして、未来に届けることができるのか。

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00:02
拝啓、3000年の人類へ。私はこう考えます。
ほんの少し優しくなりたい。
すでに古い話ではあるけれども、
ウィル・スミスの話、ウィル・スミスさんがアカデミー大賞で、
アカデミー賞の授与式の場で、司会者さんを叩いたと。
その理由としては、ウィル・スミスさんの奥さんが髪の毛がなくなるような病気で、
それを話のネタにされたというところに対して、
憤慨したというような話があったと思っていて、
これは日本でも世界でも話題になっていたと思っていて、
話題にするべき、素晴らしきテーマという言い方は良くないけれども、
テーマだなというふうに思いました。
だからそれはテーマにしたい。
2つ要素があるかなと思っていて、
まず1つ、わりと話題になったのは、
殴るのOKなのか、OKじゃないのかという話と、
暴力性ね。
あともう1つが、自分の奥さんを、
コミュニケーションの話だな。
自分の奥さんを馬鹿にされたことに対して、
旦那が手を出すみたいなところに対する、
正しいのか正しくないのかみたいな。
結構わりと海外で取り上げられたのはそっちの方が強いと思っていて、
男女差別をしているんじゃないかそもそもっていうのが、
アメリカでは多分強くて、
日本ではそこの要素もあるけど、
暴力が良いのか悪いのかじゃないか。
旦那が奥さんを守るのってかっこいいよねっていう意見と、
暴力反対という意見かな。
そうだね。
日本とアメリカで考え方が違う部分が諸に出ていたと思っていて、
日本って結構まだ旦那は外、女性は内みたいなのを
持っている世代で生きてきた方が多いというのもあるので、
女性を守るのが男性の役割みたいなことを言う方まだいると。
そういった方からすると、彼はよくやったという視点もできるものの、
わりと若い世代からすると、男性の女性っていうのは平等である。
つまり守られる存在じゃなくて、
自立した人に女性として扱ってあげるべきなのであれば、
男性が口を出すべきところではないという風な考え方が多く、
それは結構アメリカと近いってことだよね。
そんな中で僕が思ったのが、
03:03
これ僕の調べ不足で実はそこも全然話題になっているのかもしれないけど、
もう一つ別の観点で、
多様性についての議論ができる話だなという風に思っていて、
というのは、実はイルスミスさんがやった行動って、
彼女というか奥さんを一番、
言い方したら僕も戦いしたいけど、
一番バカにしているんじゃないかっていうところがちょっとあって、
っていうのは望んでいないこと、
髪の毛がなくなることを望んでいないことなのに、
そうなってしまっているからそれは悲しいことだっていう捉え方は間違いなくできる一方で、
例えば髪の毛がなくても美しいじゃないかっていうことに自信があれば、
そこに対しての意見に対してそんな起こることなかったんじゃないかって思っていて、
そこに対して起こることって、
自分が一番、
彼女がハゲていることにコンプレックスを持っているのって、
割とひどくないかと思って、
いわゆる髪の毛がないことが劣っているっていう思想があるからこそ、
そうなってしまっていると。
っていうのをちょっと考えてるけど、
それってどうかな。
もともとは髪の毛がないからこの映画に出れるんじゃないみたいな、
ボケみたいなのをしたんだよね。クリスロックさんが。
それにブチ切れたっていうところもあるんだけど、
そもそも髪がないことが悪でなければ、
それは起こったことにはならなかったのか。
例えば表現が違うところで、
主人公の方が日本人で、
奥さんが日本人だった時に、
お前日本人だからこうやって生きるんちゃうって言われるのと、
ほぼイコールになる可能性もあるわけだよね。
頭に髪の毛がないことは、
もし別におかしいことはないっていう可能性があればね。
だから彼がやったことは結局、
髪の毛がないということを、
もちろん病気でなっているっていう、
自分でやってることじゃない。
そこをアイデンティティとしないっていうのはもちろんあるにもしろ、
そういう髪の毛がないことは悪いことだっていう、
バイアスがあったっていうかな。
それがあったから手を出してしまったっていうところで言うと、
彼も実は差別に近いことをやってしまったんじゃないかと。
そう。
いうことだよね。
うんうんうん。確かに確かに。
その意見に対して、
そうやで、こういう髪型も素敵やろって返しをするのが、
06:03
一番かっこよかったんじゃないかって僕は思ってて。
それはめちゃうまい。
それに対して怒るって、
今の、
もしみんなに今の僕の考えっていうのがなかったとしたら、
今のこの考えをインプットした、インストールした上で、
今の話を考えてもらうと、
かなりひどいことをしているような、
僕はそういう意味でひどいことをしてしまった。
ミルスミスさんは。って思ってて、
彼女が髪の毛がないからこういう役をできるんじゃないかっていうのが、
馬鹿にした言い方だったっていうのはあるかもしれないけど、
一つの才能に対する評価っていう風に捉えた時に、
それに対して一人怒ってるやつみたいな。
っていう風になりうるやりとりだったんじゃないかなっていう。
多様性ってほんまに難しい話で、
それで言うと人が気にしてる嫌なところも全部メリットとして捉えたら、
素晴らしいことになるじゃないかっていう風にならないから、結局ね。
例えば今の話で難しいのが、
これもちょっとまた別に悪い意味で言ってるわけじゃないんですけど、
めっちゃ足が臭い人がいたとするよ。
それが映画の中で出てきて、
いい役みたいなのがあったとして、
それを例えば今回の例で、
めっちゃ足が臭い男性の人に、
お前もこれできんじゃんって言ったらこれは差別じゃん。
でも、
足が臭いっていうことで、
これも観点によっては多様性なわけですよね。
そうなってくると、どうなんでしょうというところだよね。
世間一般のマジョリティの人たちが、
いいと思ってるものじゃないものを言うと、
差別になっちゃうのかな。
なんかその辺ちょっと僕も今混乱はしてるんだけど、
例えば今の髪の毛が病気でっていうのもあるけど、
例えば病気で足が臭かった場合どうするっていう。
それだと差別なのか、それとも多様性なのかみたいな。
それはすごい本当に難しくて、
例えばそれが今回で言うところのメディアという立場に立った場合は、
マスの意見がその場を支配すると思って、
だから結局のところ僕はイルスミスさんの行動を
ひどいことなんじゃないかとは言ったが、
多くの人がそれに対して、
あ、バカにされてるねっていう捉え方をするのであれば、
それは侮辱やし、その足の臭い話も、
例えば僕とあっちゃんだけの話でさ、
僕らに信頼関係があって、
09:01
それで足臭いからお前嗅がせろよみたいなね、
コミュニケーションあるやん多分。
で、うわ臭えってなるっていうのは、
臭いっていう才能があったからこそそこにそういう楽しさが生まれた。
まあそうだね。
ってなると、それはこう悪いことじゃないっていう話になると思うんだけど、
じゃあ例えばそのコミュニケーションを人に見せたときに、
なんかそれに対してすごい負の感情を抱くというか、
っていう人が多いのであれば、
そしてそれを感じ取ったあっちゃん、
まあどっちが臭いやつかわからへんけど、僕かもしれんけど、
それが辛い思いになるのであれば、
それはこう良くないことやし、
じゃあそれを何を持ってせんびきするのかっていうのも結局できないからね。
なんかなんだろうな、
その時代の背景、背景じゃない、
法律が乗っとってっていう考え方になるのかもしれないですね、
その話は。
なんか人に、日本人だと人に迷惑かけるものは悪いものっていう観点があるから、
まあそれはそれでせんびきの人でできると思うんだけど、
なんかね、昔は、昔はっていうか変だな、
国によってはさ、法律が違うから、
例えばなんだろうな、献金?
お金をこう援助するっていうのもさ、
ある種、なんていうのかな、
その募集団の中でそれオッケーってされてれば大丈夫だけど、
ダメなときはダメみたいなのがあるわけで、
馬鹿にした行動っていう捉え方をするところがあるよね、
お前はなんかお金もらってるくらいしょぼいのかみたいな、
なんかね、っていう一方で、
お金を集められるくらいその人は本当にいいことを知るっていう捉え方もあるわけなんですけど、
そういう意味では、なんか題材によってせんびきが難しいっていうのもあるし、
何かその、絶対的な基準がない分難しくしてるよね、この問題は。
そうね、やっぱりマスであるっていうのが、対マスであるっていうのが本当に難しくて、
だからこそ、だからこそスターなのであれば、
マスを変えれるやん、ミル・スミスさんなら。
その一言で、確かに世の中の同じ病気の髪の毛が生えない男性女性、いろんな人が、
全員が救われる結果をもしかしたら埋めてたかもしれない。
けど、ミル・スミスさんが取った、それはすごく良くないことやから、
それに対して怒りを持つっていう行為自体が、
もう世の中にいる同じ病気の人全てに対する自信を失わせる行為というか、
に繋がったのであれば、その罪は割と大きいんじゃないかなと。
12:00
そうだね、守られるべき存在っていう認識というか、それを植えちゃったっていうのがあるよね。
自立して頑張ってる人たちにとって、この人たちは守るべきだとか、そういう、
いじったらあかんものですっていうのって、割と辛いことだと思ってて、
いや、そんなのネタにしてくれていいよとか、そうじゃない人にとってはそれは救いやったかもしれないけど、
そういう人にとっては、辛いことを植え付ける行動になったから、
だからそういう行動を取るのではなくて、
自分があの立場でそんなことできたんかって言われると全然それはできないと思うけど、
うちの嫁、素敵だろってそこで言えてて欲しかったなっていうのが、
僕があの事件に対して思ったことかなっていうところでした。
もう一個の話で僕が思ってたのは、
もちろん暴力を振るのは一番良くないよね。他人に危害を加える行為なのでそれは悪だと思っているが、
今回の話を見てる感じだと、ウィル・スミスさんだけが何かこう罪を持ってるみたいな可能性があったなっていうのは、
それはそれでおかしいなと思って、追放っていうか、10年間とか参加禁止みたいになったじゃん。
一方で、悪口なのか差別なのかわかんないけど、
そういうのを口にしたして笑うことをした人が許されるっていう前例になりかねないのではないかっていうところだよね。
喧嘩両成敗とまだいかないけれど、発端となった人も悪いことをしてるのに、
正しい形で罰せられてる感じがしないのかな。
極端な話、ヘイトスピーチまだいかないけれど、
そういう自分と違うものに対して見下すとか、そういうことをやってるのにそっちは何もしないっていうのは、
それはそれでおかしい話だなと思ってはいる。
そこの線引きもすごく難しいな。
まず、暴力は絶対ダメっていうのはあって、
暴力が拡大した結果人は死ぬので、
その観点でいうと、物理的な刃か精神的な刃とは違う。
それをこの後に言おうと思ってたけど、
しかしながら、精神的なダメージっていうのも人を殺すのでっていうのは思ってて、
前者は見えやすいけど後者は見えづらいから、
そこで前者だけ罰するっていうのは、そういう意味では確かに違うのかなと思うけど、
でもやっぱり叩くっていうのは、叩くのをオッケーにしたら、
やっぱり戦争オッケーだと全く同じ概念だと思うから、
だからやっぱりそれはダメです。
15:00
だからほんまに難しい。
精神的な刃の話を罰しすぎると、世の中からコメディーはなくなるよな。
人を傷つけないコメディーは増えてきてると思うよ、最近は。
まあまあ、そうね。
ただ、そうなってくると、因出ないじめとかあるじゃん。
そういう呼び方とかさ、名前とかそういうのやる精神的ないじめも世の中あって、
そういうのがちゃんと罰せられなくなるっていうのはあるよ。
でも多分世の中でそういうのもあるやんっていう、
要は人を傷つけない笑いもあるやんって言ってるけど、
それは割とないような気はしてて、
本質はほぼ全てが嘲笑な気がしてて、
嘲笑っていうのはあざ笑うっていう。
なんかバカにしてるというか。
そうそうそうそう。
なんやそんなのもできんのか、わははははみたいな感じ?
基本的に笑いって失敗とかそういうところから来る。
まあそうだね、ボケっていうぐらいだからね。
だから、それがより遠回しであるっていうだけで、
じゃあここまでダメっていう線引きがどんどん厳しくなれば、
ほんまに笑いっていうのはなくなると思うから、
一つ大きく暴力っていうところで線引きしたっていうのは明確やし、
仕方がないのかな。
現在のこの世における線引きとしては、
そこが正しかったのかなっていうふうに僕はちょっと思うかな。
だからまあ、そうね。
ちょっと似たような話でさせていただくと、
漫画とかのキャラクターで胸の大きいキャラクターとか、
最近広告とか新聞に載った話で、
なんか無理やり炎上させみたいな感じのもあるんですけど、
漫画はダメで人物の人間だったら同じポーズでもOKとか、
人物描いてあるけど背景描いた時は叩かれなかったみたいなところとか、
その辺もすごい線引きは曖昧な一方で、
さっき言ったように、じゃあ逆に現実で胸が大きい女性もいるわけだけど、
そういう女性が胸を張って生きる社会になるために、
別にその人たちがキャラクターとして出てきてもさ、
別にダメじゃないと思うんだけど、
なんでそういうキャラクターになった時には炎上するんだろうみたいなのが最近すごく思う。
なるほど。それも本当に考えるべき問題で、
僕が思う多様性っていうのが、
みんながちょっとずつ優しいことだと思ってて、
っていうのは、多様性を認めようとする行動を多様性を認めるだと思っている人って
割と多いと思ってて、
多様性認めようぜ、ダイバーシティーやろうぜっていう人って、
僕が思う中で一番多様じゃないと思ってて。
18:02
結局それって多様な人っていうラベルを張ってるもんね。
そう。だから要はそもそも多様であると。
多様であるっていうのは前提なのであって、
好転的なものではないと。
そうそう。だから多様性をやろうって言ってる時点で、
一番多様性を理解してないっていうこと。
多様なもののカテゴリーに無理やり押し付けようって。
そうそう。めちゃくちゃだから違和感がある発言で。
じゃあ本当に多様であるってどういうことなのかっていうと、
みんなが少しずつ違って、
その違うみんなをそれぞれが認め合っている。
それはすなわちみんながちょっとずつ柔らかい。
そしてちょっとずつ摩擦が起きるけど、
あ、摩擦起きるよなっていうだけの世界だと思ってて。
だから多様性がどうこうとかいう議論は割と、
結局ルール化しないと分かりづらいからやるっていうのは分かるけど、
本質的に多様性があるっていうのは、
みんながちょっとずつ優しいことだろうなって。
お前は○○でから○○だっていうのは本当になくて、
ちょっとどうだったか分かんないけど、
アンパンマンの世界みたいな感じで、
いろんな人間もいれば、あれでも妖精なのかな?
動物のキャラクターもいて、でも喧嘩もしなくて、
一つの人間として生きてるみたいな。
人間っていう種族というよりは、
みんな同じ場所に生きる住民っていう感じかな?
っていうのみたいな形で、
そもそも違いがあるのは当たり前なんだから、
そこはもう手を取り合って協力すり合えばよくねみたいなところだったりね。
わざわざ違う。
もちろん他の人より生きづらい場合ももちろんあるわけじゃないですか。
例えば身長がでかい人よりも小さい人の方が高いものを取れないとかさ。
そういうところはもちろん、
補助してあげる部分ももちろん必要だと思うんだよね。
生きやすいようにするためには。
ただ一方で過剰な保護というか、
そういうラベル付けをしてあげることが本当にその人にとって
いいのかどうかっていうのは考えないといけないよね。
そう思う。優しくありたいですね。
この話で一番言いたかったのは、
我々はラベルを張ることにこだわる。
何かを弱者と決めつけるところを明らかにするんじゃなくて、
もっと優しさをベースにした生き方にすべきというところかな。
言語化しなくて、言語化とか別にしなくてよくて、
ただ受け入れる。
21:01
少しずつ違うみんなを、少しずつみんなが受け入れ合う。
世の中でやってほしいです。
そうですね。
21:18

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