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2025-11-21 17:30

第5203回 哲学雑談回宝くじのスクラッチ快感理由サウナとの共通点&分身はありうる

特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

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サマリー

このエピソードでは、自己の概念や分身の存在について考察され、車の存在論や意識の本質も探求されます。心臓の自動的な動きに関する哲学的な問題や、人生哲学における疑念と信念のバランスについても触れられます。宝くじのスクラッチでは、当たる期待感が快感に繋がる点が考察されます。また、筋トレやサウナなど、行為の結果を想定することで快感が生まれる様子が示されます。

自己と分身の哲学
では、哲学雑談回を始めていきたいと思います。まず一つ目の話ですが、分身ってありうるのか?
この後考えたこともないですけど、考えてみたら面白かったんで、話してみたいんですが。
最近、お話した通り、自分っていう概念ってすごい甘いなんですね。
そう思うんですよ。で、最近話してたのは、
例えば自分は、東京都民だと言えば、他者も含めた概念になるし、自分ってのが。
自分なんてのは、その時の関係性によっても、何と相対して、相対して、
自分をその、関係性の結び目とするかによっても変わってくるっていう意味で言うと、自分っていうのは曖昧なものであり、
これが自分なんてものはないわけですね。
ついでに話しちゃうと、以前ですね、車っていうのも単なる
いろんな部品が合わさったという現象に過ぎないと、実体なんかないって話したんですけど、
とは言っても、それ単なる認識論であり存在論としては、いやそこに車は
見て取れるんだからあるだろう、っていうふうにクラゲは
思ってたんですよ。もちろん実体はないとはいえ。 ただやっぱり車があるかどうかっていうことで言うとやっぱりないんですよね。
形っていうのもすごい哲学的な概念だけど、
こういう形のタイヤとかがついて、窓があって、
窓か、ドアがあって、
だから外界との境ですよね。 こういう形っていうのは。形を意識しているけれども、
それも人間が作った概念でしかない。 これが車だと認識してるだけ。
だから言わばまあ、宇宙なわけですよね。その車も。
宇宙の一部というか宇宙。だから
いやこうやって、 例えば自分でもそうですよ。
こうやって腕も足もあって、ここに一人の人間がいるだろう。
どう考えてもそう思うけれども、
ここに自分という人間がいる。
それは嘘でしかないわけですね。 そう思ってるだけ。そう人間の目に映ってるだけ。
だから幻想って言ってもいいぐらいのことなわけですよ。
便宜上、車がここにあるというふうに
人と会話する時も自分の認識でもそう思ってるだけであり、 やっぱり車なんてものはないわけですね。
実際は。 人間が車があるって言う場合、その実態を
含めでのある。 だけどまあそういう意味で言うと車なんか絶対ないんですね、そこには。
話戻りますけど、 自分というものは曖昧である。
ってことはですよ。
分身ですよね。例えば爪でもなんでもいいんだけど、髪の毛でも。 これ前の哲学会でも話しましたけど
爪も髪も、 今回詳しく話さないですけど、
切ったら自分じゃなくなるのかっていうのは、これも自分がそう認識してるだけ。 切る前が自分なのかどうかっていうのも自分が認識してるだけ。
爪は自分じゃないなーって感覚の人もいるだろうし、逆に髪は 切る前からあまり自分かどうかっていう感覚がないとか
言う人もいるだろうし。 逆に切った後も自分な感じがするっていう
場合もあるだろうし。 曖昧なもんです。だとすれば
この髪の毛とか 分身と言えないですかね。
意識と身体の関係
分身なんてそんなの、なんかフィクションの世界の話だろうと 思ってるかもしれない、思うと思うんですけど
まあそしてしかもそこにぬいぐるみに 意識を含むというか意識があると
まあこれも話した。まさに関係性の中に意識はあるんだと。 ぬいぐるみに意識があると思えた瞬間
その人の中での意識はある。これも 意識なんてものもそもそも現象でしかないわけだから
そうやって言ってしまっていいわけです。となれば この髪の毛に魂が宿ってるとか勝手にそう
定義づければ 分身として成り立ちますよね
この魂には自分の念が雇ってるみたいな かといってじゃあぬいぐるみになんか死者の念が雇ってるわ
それはただのオカルトでしかないと思うんですけど。 では次の話。昨日寝てる時
ほぼ寝ぼけながら 心臓の音聞いてね思ったんですよ
これももう最近話していることなんで 詳しくは今回話せないですけど人間の意識
なんていうのは 現象でしかない
とか行動っていうのは 意識がありきでの行動っていうよりは
意識が後から後付けでこういう行動をとったと認識しているだけであり 人間の体のなんていうのは
ロボットとそんな変わらないし他の 蚊とかハエと
それほど変わらなくて そのアルゴリズムの違いがあるだけでやはり
複雑にできてるんでしょうね相当 でも結局そういった
プログラミングされているような状態だからロボットとそんな変わらないわけですよ ものすごくオートマティックにできてるわけですね
っていう話をしてきましたが とはいえ自由意志がありそうな感じがする
これが人間生きてたら 誰でもある感覚だと思うんですけど
クラキもそうなんですけど 生きてる間はこんな
哲学的なこと言ってられないし だって自分は
自分を自分で操れないと思って生きる人はいませんからね そんなこと意識してたらもう感覚が変なりそうだし
でも思ったんですよ寝てる時心臓が勝手に動いてる 寝てても起きてても何してても動いてるわけですよ
なんか子供の頃違和感を持ったことないですかね なぜ心臓だけ
こんな勝手に動いてるのかなと 人間って意識しないと体を動かせないはずなのに
まあ腸だって あれですよね
自分の精神状態によって動きも変わるし姿勢によって変わったりするし 心臓は
一定の動きをしてるって意味では変わらない
まあでも心臓について考えたら奥が深いですねそういう意味じゃあ やっぱり
心の像って書くけども これによって心の状態変わるわけだし
緊張状態だとそうでない状態リラックス状態では心拍数も変わるわけだし 心の状態を反映してこれ自体は心だと言ってもいいかもしれない
そういう意味じゃあやっぱり 自分の意識と関係
意識によって状態は変わると思うし ただ今回の話は一応
一定の動いてるって意味では 絶対止まることはないわけであって
っていう風に考えたいんだけど まあ普段はそうやって考えてる心臓
常に動いてるなって考えてるけど逆にこっちが普通だと考えるとですよ 自分の意思で動かせてると思ってるものも
それは誤認であると単なる錯覚であると十分ありません だって人間って
明らかにもうオートマティックに心臓って 動いてるけど
人間はそういう風にできてると考えれば何ら違和感ないですよね
いやまあ普段は心臓だけ こうやってずっとね死ぬまで
動いてるってすごい違和感でしかないわけですよね よくよく考えてみると
人生哲学の問い
でも人間って
実際そういう風にできてるんでしょっていう風に 考えることもできるとも思いませんかね
では次の話 これ人生哲学に関することなんですけど
これからかっこたる考えって持つ必要があると思ってて ただ
ある程度疑う必要というのもあると思ってて
かっこたる考え 死ぬまで持っていれたらいいと思うけども これこだわりに強いかどうかに関わらず
人間って弱い気分ですから何かしら問題出ると思うんですよ クラケはどういう問題だったか覚えてないけど
例えば 自分に対する疑念が出てきたり
その考え一辺とではやれなくなったり だから日頃から疑問に応じても出てくるという意味では
他の情報に ある程度振り回されてみる必要はあると思うんですよ
ただですよ 人の考えに触れてみるとか
自分の根幹を揺るがすような考えにあえて 触れてみるとか
でもその根本的な考え方ってやっぱり変えちゃいけないと思うんですよね
じゃないと単にもうなんか周りの考えに流されて 自分の考えがよくわかんなくなったっていうだけの人になってしまうから
だから疑わせてもあるしでもやっぱり
何だろうなまぁ時には考え方がガラッと変わってしまってでも またその状態で
変わり続けるというよりも
一貫させるというかでもできるだけ以前の状態と根本は変わらないという状態が理想だと思うんですよね
快感の理由
ではすぐ次の話いきますが 何かのあの何かじゃない宝くじのスクラッチしてる時って
すごい快感ありますよねでもそれは 当たるかもしれないって言う
ことを見越しての何かその行為の意味ですよねそういう意味じゃ 何だろうなぁ
食事中なんか もしですよ
味がなかったら どんな食感良いものでも
美味しいと思わないはずなんですよ 味が
あるからこその
まあお互いが 相乗効果になっているというか
こういうものって結構あると思うんですよ
不思議ですよね スクラッチ自体
もしですよ宝くじじゃなかったら こんなことにその行為に快感を持つ人っていませんよね
でも髪を 切る時
あのさっぱり してる感じあれは何かでも
なんてハサミを入れてもらってるあの感覚が 快感につながるってのもあるし両方かもしれないし
爪を切るっていうのもまあ切った後を想像してでしょうね 切ること自体は別に
快感でなくても 笠蓋を剥がすってのも
剥がれた後 うまくいってるかのギャンブル
だから宝くじと同じ状態 あとは
筋トレが快感なんていうのは
筋トレした後の記憶が残ってるからとか あとでも
筋肉がついてるってことを想定してないと 苦痛でしかないですからね そんな耐えてることなんて
乳酸が溜まってるわけですからね だからドラマで
なんか辛い場面に遭遇しても結局その後 ハッピーな展開になることを
期待してのなんか じゃないと
ドラマを見るのやめますよね多分ね それを含めてのドラマの面白さなんでしょうねきっと
だからドラマ自体も全体的に 立ち込めるものであったとしても
その後に何かに人間について考えることができる だから人文学なんかそうですよね
読んでる間はずっと面白くないかもしれないし 読んだ後の爽快感とかを見越しての何か快感なのかもしれない
バンジージャンプなんかもそうですよね あんな高いところから低いところに飛ぶの どんなスリルが好きだといったって
やっぱり恐怖心でしかないですよ その後の爽快感を見越してのもな
サウナなんかもそうですね その後の整うっていう状態を想定して
だから慣れるまでは多分ね 爽快感でしかないと思ってしまうんですよ
そういう意味でいうと学校の授業ってもうただただ 爽快感でしかなかったですね最後
変化と流転
始まってから50分間の間 あと変化って恐ろしいなっていう話
なんですけど
これなかなか普段生きてて気づかないと思うんですけど最近ですね 食事のことで食物繊維取らないと難病に大きな問題が出るから
これ一番大事にしてたんだけど いつの間にか色々変化してたら忘れるんです だから人間って
変化の何が危ういかってその 何を危惧すべきかと考えると
変化している最中で大事なことを忘れてしまうことですよね 大事なことを忘れてもいいんだけど変化しなかったら問題ないんですよ
何でこれをやってるかって 元々の目的なんか忘れてもいいんだけども
てかそもそも忘れるようにできてるし いくらメモしてたってね全てメモできるわけじゃないんだから
その時の 一つ一つの行動のね
動機なんてメモしてられないんだから やっぱり変化を起こさないのが
理想だと思いませんかね次最後の話なんですけど ちょっと思ったことなんですけど人間って
この世界のものって 生まれたり
死んだりってそんなにやっぱり人間がそう考えてるだけで全てのものは流転していくわけですよね 空気だって何だって
川に流れていって蒸発して
また雲になって雨降っていって 全てのものは流転していくわけですよ他の
動物だって 土になり
っていう風にね 人間は死んで火葬になるかとか
まあまあでも同じことですよ まあそこら辺は置いとくとして
死んだら土になり また空気になりって
また他の生き物になりってなってくはずなんで って考えるべきだけど
生きてる死んでる生まれて心臓止まったら死んだと考えて だから逆に
何だろうなぁ ありもしないそれで魂で
輪廻転生するとか言うよりもそんな生きる死ぬなんて概念ない方が
この体も 流転していくんだっていう
風になって逆に生きる死ぬって概念が生まれることによって 流転していくって考えがなくなって
なんか不思議だなと思ってね 人間はこの生きる死ぬっていう概念によってその輪廻転生
していくって思ってるけど それでは明日っけ
17:30

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