では、哲学雑談回を始めていきたいと思います。まず一つ目の話ですが、分身ってありうるのか?
この後考えたこともないですけど、考えてみたら面白かったんで、話してみたいんですが。
最近、お話した通り、自分っていう概念ってすごい甘いなんですね。
そう思うんですよ。で、最近話してたのは、
例えば自分は、東京都民だと言えば、他者も含めた概念になるし、自分ってのが。
自分なんてのは、その時の関係性によっても、何と相対して、相対して、
自分をその、関係性の結び目とするかによっても変わってくるっていう意味で言うと、自分っていうのは曖昧なものであり、
これが自分なんてものはないわけですね。
ついでに話しちゃうと、以前ですね、車っていうのも単なる
いろんな部品が合わさったという現象に過ぎないと、実体なんかないって話したんですけど、
とは言っても、それ単なる認識論であり存在論としては、いやそこに車は
見て取れるんだからあるだろう、っていうふうにクラゲは
思ってたんですよ。もちろん実体はないとはいえ。 ただやっぱり車があるかどうかっていうことで言うとやっぱりないんですよね。
形っていうのもすごい哲学的な概念だけど、
こういう形のタイヤとかがついて、窓があって、
窓か、ドアがあって、
だから外界との境ですよね。 こういう形っていうのは。形を意識しているけれども、
それも人間が作った概念でしかない。 これが車だと認識してるだけ。
だから言わばまあ、宇宙なわけですよね。その車も。
宇宙の一部というか宇宙。だから
いやこうやって、 例えば自分でもそうですよ。
こうやって腕も足もあって、ここに一人の人間がいるだろう。
どう考えてもそう思うけれども、
ここに自分という人間がいる。
それは嘘でしかないわけですね。 そう思ってるだけ。そう人間の目に映ってるだけ。
だから幻想って言ってもいいぐらいのことなわけですよ。
便宜上、車がここにあるというふうに
人と会話する時も自分の認識でもそう思ってるだけであり、 やっぱり車なんてものはないわけですね。
実際は。 人間が車があるって言う場合、その実態を
含めでのある。 だけどまあそういう意味で言うと車なんか絶対ないんですね、そこには。
話戻りますけど、 自分というものは曖昧である。
ってことはですよ。
分身ですよね。例えば爪でもなんでもいいんだけど、髪の毛でも。 これ前の哲学会でも話しましたけど
爪も髪も、 今回詳しく話さないですけど、
切ったら自分じゃなくなるのかっていうのは、これも自分がそう認識してるだけ。 切る前が自分なのかどうかっていうのも自分が認識してるだけ。
爪は自分じゃないなーって感覚の人もいるだろうし、逆に髪は 切る前からあまり自分かどうかっていう感覚がないとか
言う人もいるだろうし。 逆に切った後も自分な感じがするっていう
場合もあるだろうし。 曖昧なもんです。だとすれば
この髪の毛とか 分身と言えないですかね。
分身なんてそんなの、なんかフィクションの世界の話だろうと 思ってるかもしれない、思うと思うんですけど
まあそしてしかもそこにぬいぐるみに 意識を含むというか意識があると
まあこれも話した。まさに関係性の中に意識はあるんだと。 ぬいぐるみに意識があると思えた瞬間
その人の中での意識はある。これも 意識なんてものもそもそも現象でしかないわけだから
そうやって言ってしまっていいわけです。となれば この髪の毛に魂が宿ってるとか勝手にそう
定義づければ 分身として成り立ちますよね
この魂には自分の念が雇ってるみたいな かといってじゃあぬいぐるみになんか死者の念が雇ってるわ
それはただのオカルトでしかないと思うんですけど。 では次の話。昨日寝てる時
ほぼ寝ぼけながら 心臓の音聞いてね思ったんですよ
これももう最近話していることなんで 詳しくは今回話せないですけど人間の意識
なんていうのは 現象でしかない
とか行動っていうのは 意識がありきでの行動っていうよりは
意識が後から後付けでこういう行動をとったと認識しているだけであり 人間の体のなんていうのは
ロボットとそんな変わらないし他の 蚊とかハエと
それほど変わらなくて そのアルゴリズムの違いがあるだけでやはり
複雑にできてるんでしょうね相当 でも結局そういった
プログラミングされているような状態だからロボットとそんな変わらないわけですよ ものすごくオートマティックにできてるわけですね
っていう話をしてきましたが とはいえ自由意志がありそうな感じがする
これが人間生きてたら 誰でもある感覚だと思うんですけど
クラキもそうなんですけど 生きてる間はこんな
哲学的なこと言ってられないし だって自分は
自分を自分で操れないと思って生きる人はいませんからね そんなこと意識してたらもう感覚が変なりそうだし
でも思ったんですよ寝てる時心臓が勝手に動いてる 寝てても起きてても何してても動いてるわけですよ
なんか子供の頃違和感を持ったことないですかね なぜ心臓だけ
こんな勝手に動いてるのかなと 人間って意識しないと体を動かせないはずなのに
まあ腸だって あれですよね
自分の精神状態によって動きも変わるし姿勢によって変わったりするし 心臓は
一定の動きをしてるって意味では変わらない
まあでも心臓について考えたら奥が深いですねそういう意味じゃあ やっぱり
心の像って書くけども これによって心の状態変わるわけだし
緊張状態だとそうでない状態リラックス状態では心拍数も変わるわけだし 心の状態を反映してこれ自体は心だと言ってもいいかもしれない
そういう意味じゃあやっぱり 自分の意識と関係
意識によって状態は変わると思うし ただ今回の話は一応
一定の動いてるって意味では 絶対止まることはないわけであって
っていう風に考えたいんだけど まあ普段はそうやって考えてる心臓
常に動いてるなって考えてるけど逆にこっちが普通だと考えるとですよ 自分の意思で動かせてると思ってるものも
それは誤認であると単なる錯覚であると十分ありません だって人間って
明らかにもうオートマティックに心臓って 動いてるけど
人間はそういう風にできてると考えれば何ら違和感ないですよね
いやまあ普段は心臓だけ こうやってずっとね死ぬまで
動いてるってすごい違和感でしかないわけですよね よくよく考えてみると