感謝と幸せの考察
では哲学回、始めていきたいと思います。
誰かに支えられたり、側にあったりして、生きたにもかかわらず、
人はなぜ一人で生きてきたと思ってしまうのか、という誰でも思ったことがある、という問いについてですが、
くらきは思うには、感謝というのは人間に備わっている感情ではないと思うんですね。
何とか手を合わせて感謝したつもりになっていたり、
食事前いただきます、食後はごちそうさまでした、ということで、
この人は感謝しているんだろうと周りから見てみえる、自分でもそれをやれば感謝していると思えるだけで、
感謝という感情ですね、それが生まれつき備わっているわけではないから、
どうしても自分一人で生きてきた、なんていう意識を持たなくても、
感謝を人から支えられていることを認識しているという意味でいうと、
どうしても一人で生きてきたと捉えてしまうんですよね。
では次。
でもこの長い旅路は、この体と頭で生きてきたわけですからね。
周りが変わっても。
それは自分一人で生きてきたような感覚になりますよね。
では次ですが、
幸せの概念について考えてみると、
もちろん例えばアイスを食べて、これも生活の中の小さな幸せというかもしれないけど、
ただ本当の幸せとは何かとか、幸せってどういう状態かって考える場合、
もうちょっと長いスパンのことですよね。
例えば結婚するとか、でも結婚したからといって幸せになると限らないとか、
まあそういう長いスパンのことを考えるときに幸せって使いますけど、
幸せっていう言葉にはそういう長い継続性が必要不可欠なわけだと思うんですが、
でも全てのもの、あるいは人間の感情って常に変化してるんで、
ずっと同じ状態が続いてる。
まあそう人間は誤解するかもしれないけど、そんなことはありえない。
だとすれば幸せなんてものは存在しないんじゃないでしょうかね。
もう一度言いますが継続性が不可欠ですから幸せにはね。
それを持って幸せというわけであって、一瞬快感が生まれても幸せとは言わないわけですよね。
最低半年はそれ続いてくれないと幸せだなと人間は実感しづらいけども、
常にそういう一つの状態が続いているということは、
そんな事象はこの世界にはないわけであって、
どうしてもだから誤魔化す必要が出てくるんですね。
幸せだと思い込む必要が出てきてしまうわけですね。
まあそれを幸せと言うんでしょうね、きっと。
エゴイズムと宗教
まあこの話を聞いてそれじゃあ幸せなんて求めるの馬鹿馬鹿しいと考えるのも一つの考え方かもしれないです。
では次。
天国に行きたいからとか悟って苦しみなんてものはなくしたいって、
これが最大のエゴイズムだと思ったことないですかね。
いやそういうことなんですよ結局宗教は。
どうしてもそういう部分が含まれてきてしまうんですね。
宗教っていうのはその人の癒すものであり救いの場であり、
そうしていく以上真実ばかり言ってられないし、
こういう部分は多分に含まれると思いますね。
だからまあブッダ以外でこの人は悟ったとか言われる人っていないですよね。
この人は必ずて下脱してるとか確実にこの人は天国に行ったとか、
まあそんな人いないですよね。
まあそれだから悟りを開こうとしたら、
もうそれはすなわち煩悩だからですね。
ブッダ自身言ってますからね。
もう生きてる限り欲というのはどうしても出てしまう。
まあだからブッダが悟ったっていうこと自体、
なんかまやかしのようにも聞こえるけど、
ただブッダ自身が悟ったと言ってるのであれば、
まあそれは悟りなのかなと思うんですけど。
では次。
ちょっと話戻るんですが、
まあ天国に行こうとすること自体、
あるいは悟ろうとすること自体が、
それはすなわち煩悩ではないかっていう格闘してる人はいると思うし、
まだいいですよ。
そんなことでも気づかない人がほとんどですからね。
では次。
他人を見下げることによって自分を肯定する。
これは一部の人じゃなくて、
人間はそういうふうにできてますよね。
できてるんですよ。
まあそれはしょうがないですよね。
ただですよ、
自分が見下されたからといって、
相手を批判する。
だからやっぱ譲っていいとして、
逆に、
人を見下して、
見下げて、それから、
それだけにとどまらず、
わざわざ相手を否定したり見下すようなことを言う。
そういう態度をとる。
いかがなものかなと思うし、
さっき言ったその道理をわかっていれば、
お互い様だろうと。
最低小学校3、4年ぐらいでわかるはずですけどね。
自分が馬鹿にされたら、
なんだってなって。
人を見下す態度は平気でとる。
理解できないですね。
では次。
欲と経済の関係
考えたことは誰でもあると思うんですけど、
欲がなかったら、
物欲も生じないし、金欲も生じない。
そしたら経済が発展しないわけですよね。
ってことはこの世の中、
どうなってるか想像してみてほしいんですよ。
欲だらけの人で生きてる。
現代人こんな当たり前のことに気づかないけど、
そういうことなんですよ。
それで欲がない人、
いますよ。いる人もいるけども、
ある程度いると思ったら、そんなのはお間違いですよね。
金欲がない人なんで、
山の中で生きてる人が中職か、
浮世離れしてる人がぐらいのもんで、
普通に教育を受けて、
普通に社会生活を送ってたら、
誰が煩悩だらけだろうと、
その人を咎めようが、
欲だらけなのが現代人なの。
気づかないようにしてるだけで、みんなそうですから。
じゃないと経済は発展しないわけですから。
大世界は何かの犠牲の上に成り立ってるんですよね。
そうやって欲を捨てることを捨ててしまったわけですね、現代人は。
それが苦しみの原因とも言えるかもしれないし、
でもしょうないですよ。
そうやって生きることはいらないんですからね。
社会がそうやって、経済なんて発展しなくてもいいからね。
もっと静かなものであろうとすることもできるだろうし。
次ですが、
親に感謝する。
命をいただいて感謝する。
これは悪いけど、太陽。
太陽ないと生物存在しないですからね。
これ言い出したら、
切れないかもしれないけど、ただ、
これ言い出したらキリがなければ、
食べ物に感謝するもおかしいだろうから、
キリがないということでもないかもしれない。
という意味では太陽に感謝するってね、
これ結構わかりやすいものじゃないですか、太陽。
子供でもわかりますよね、太陽なかったら。
生活していけないなとか。
太陽なかったら生物はどうなっていくかっていうのを
教えられますよね、子供の時から。
で、太陽に感謝しない。
おかしくないかなと思うんですよ。
で、あとはですね、
世間には、
どうやら神なんかいない。
まあまあ神が、
信じてる人の方が圧倒的に多いってのもわかるけど、
キリスト教の
信者の数が多いことからして、
欧米では、
まあいまだに多いですよね。
で、
日本人でも神を
いるかどうかわかんないっていう人が多いのかな、
あとは、いるっていう人も
結構いるわけですね。
ですし、クラケアの大観で言うと結構いますよ。
死後の世界を信じる人も結構います。
ほんとそれは理解できないんですよね。
神様、
いるかいないか証明できないって言うけど、
こういう人に限って絶対神の定義わかってないですし、
神の定義がわかってればですよ。
天智全能なものあるいは絶対的なもの
はいないと証明されてるし、
クラケアもブッダの
修行無常ってのは神がいないってことを言い表してるわけですし、
処方無我ってのは
魂なんてものはないってのを
言い表してるわけですから。
なんとなく日本人の仏教的な感覚があれば、
そんなことも察することはできると思うんですよ。
神様は
宗教に入って信じるはいいけども、
いるかどうか証明できないとかね、
なんでそう考える人がここまで多いのか、
全く理解できないんですよね。
多分ろくに考えたことが
ないけども、だから
なんだろうな、無宗教の
これ問題点ですよね。
だからそうやって
これで200年前の人が言ってるならいいですよ。
現代人が
実は科学が進むことによって
結構哲学も
宗教も進歩してるところもあるんですよ。
宗教家の多くはもう
神がいないことも
ってことについて
そういう論文もあるようですね。
これからどう考えていくのか。
これからAI化も進んでいく今ですよ。
そんなこと言ってられないですよね。
魂がいるかもしれないことは証明できないとか、
神もいるかもしれないとか。
そんなこと言ってる場合じゃないと思うんですよ。
なんで神がいてほしいことと
いるかもしれないことが
同一してしまうのか。
全く理解できないです。では次。
人間って永遠に生きたい。無限に生きたい。
生まれつき。
そういった感覚って
誰にでも備わっていて。
それではしたっけ。
最後の話。
途中でしたね。
それでですね。
輪廻転生を信じたり
普遍なものを求めたり
輪廻転生があるという
宗教ができたり
死後の世界は信じるのもそうだけど
神は永遠に
普遍的なもの存在する
私たちの意味では神という概念もそうだけど
これは
これについて
今ので説明つきますよね。
人間は
遺伝的に
永遠のものを求めてしまう
ようにできている。
だからそういうものを作り出したんだ。
ということに過ぎないですよね。
いるかどうか証明できないとか
言う人もいるけれども
何の根拠もないのに
そうやって
いるという
説明は
そういうものを求めているから
ということは
やはり単に人間が
そういうものを想像して
作り出したことに過ぎないってね
容易に
分かりますよね。
ちなみにアインシュタインは
人間の
神という概念は
何だっけな
人間の
愚かな部分の
詰めて詰め合わせた
産物であるみたいな名言があるんだけど
その通りだと思いますね。
弱さっていうニュアンス
を
どうとられるかにもよるけど
ある意味では弱い部分
の集大成と言えると思いますね。
それでは下っ気。