1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #235 【時間雑談】時間の目線..
2024-07-28 1:03:03

#235 【時間雑談】時間の目線と神の目線/「好奇心」って何?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

このポッドキャストでは、時間の視点と神の視点が話題になっています。人間と神の時間感覚の違いについて考察されており、人間とアリの時間感覚の違いも話題に上がります。また、好奇心の深さや理解が捉え方によって変わることや、自分の問題に囚われず興味を持ち続ける理由についても触れられています。

アインシュタインの時間解説
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回で時間編集料ということで、今回は雑談会いきたいと思います。
はい、お疲れ様でした。
はい、お疲れ様でした。どうでした?時間、今回もさ、テーマ切りということで時間をテーマにやっていったと思うんだけど、
どう、当初の見立てと台本を作ってみて、上手くいったというか、想定内だったことと想定外だったこととか、そういうのあると思うんだけど。
そうね、やっぱり途中で結構迷わせてしまったなっていうところの反省があって、ちょっとその時も言ったと思うんですけど、
最終的にはね、その前回、文化人類学と時間みたいな感じで、同じ人間、同じというか、人間っていうもの全員が時間っていうものを同じように捉えてるわけじゃなくて、
いろんな民族とかでも違うって話はしたかなと思うんですけど、そういうところで身近な時間っていうものが、物理学を通って遠くなってまた身近になるみたいな、
そういうものが前5回としてはできたかなって思うんだけど、それもなんだろうな、一応最初に思い描いてはいたんだけど、本当にできるかどうかわかんなかったし、
やっぱり物理のところで結構遠くに行っちゃったな、要は物理で考える時にも現在はないとか時間は無数にあるとかさ、過去も未来もないとかっていう話をした時の、
何だろうな、やっぱり伝わりにくさというか。
たしかにここはでも人によるんだろうね。たぶんその辺通ってる人からすれば、この話ね、エントロピーと時間確かにみたいな、たぶん人もいるんだろうなとは思うしね。
そうだね。
この辺は元々の物理との馴染み、あるなしの差みたいなのがあるのかもね。
あるかもしれない。
自分の場合は、そこがゼロベースだから余計早いとかで伝えるのに苦労した部分があったのかなと思う。
それで言うとさ、別に僕も専門家ではないし、なんだかんだ自分なりにそういう本を読んだりとかさ、相対性理論を何冊か本を読んだり、ニュートン、ニュートンって科学雑誌あるじゃないですか。
あれとかも定期的に相対性理論特集とかやったりするのよ。
それを読んで自分なりに理解しようとしてきたみたいな過去はあったから。
そういうのがない中でいきなりエントロピーがとか相対性理論がとか言われても、それは無理っていうかもうわからんよなっていうのは改めて思ったし。
確かに自分の感覚とすぐひも付きづらいというかね。
いや無理だね、無理。
でもそれも面白かったけどね。
でもそれがハヤトがどう考えてるとか、最終的にやっぱり物理は物理で置いておいてというか、そういう事実と言われるものがまずあったとしても、
人間はそう捉えてるよとか、僕たちはこう捉えてるよ、あの人たちはこう捉えてるよ、最後接着していただければ何とかついていけたのかなみたいな。
そこはね、言いたかったかなっていう。
思った以上に時間の話をしたっていうよりは、これは僕も途中から見えてきたんだけど、時間は時間でそうかもしれないけどやっぱ結局人間ってこう捉えてるよねとか、
物理的なレイヤーと人間が生きてるレイヤーってやっぱ違うよねっていう方に、ある種よくもあるかも戻ってきたというか、接続したなっていうのは思ってて。
それはね、逆に時間をテーマにしようっていう時には実は思ってなかった流れだったんで。
もうちょっとすんなり繋がると思ってたというか。
そうそうそう。何とか繋がるだろうって思ってた中で、いろいろ改めて本を読み直したりとか台本を作っていく中で、
実際そのノート時間っていう本をちょっとご紹介したと思うんですけど、その本自体が当時読んでた時は気づかなかったんだけれども、
アインシュタインはこんな風に言ってるけど、じゃあ我々人間はなんで時間っていうのを流れるようにしか捉えられないんだろうねみたいな。
っていうふうに問いを立ててたから、あそこって本当そうだよなというか共感するなみたいな。
なんか再発見があったんだよね。
はいはい。じゃあそこはやっぱり物理現象として時間はだいぶ解像度上がってきてるんだけれども、
多分人間がそこに追いついてないだったりとか、果たして本当に追いつくのかねとそこに。
そこはあえてもうちょっと人間の素朴な時間観みたいなものは尊重されてるというか、そこはそこみたいな感じがあるんだね。
ある意味専門家みたいな本を書いてる人からしてもあるんだね。
そこはもう観点の違いで、やっぱり時間っていうものをいかに重力とか光とかと同じようにある種物理的な実証として捉えるかっていうとやっぱり全然違くなるけど、
やっぱりそれが全部で人間が別に赤外線が見えませんとか、普通の人間にはそれを感知できませんとかっていうときに、
お前赤外線見えないなんてマジ終わってねえとかってならないわけじゃん。
まあそうだね。確かに全人類がそれを見える目までかけておいたほうがいいとかってなってないしね。
重力もミクロレベルではこうですよとかって言われるときに、そのミクロレベルのことを知らずに生きてるなんて馬鹿じゃね?とはやっぱりならないと思うんだよね。
それはもう人間の知覚外の話だから。
私それが全人類に何か応用されてるかというと、もちろんGPSみたいな恩恵を受けてるけど、
技術的にはね。
感覚レベルでとか、いわゆる道徳仁義レベルで何か影響を与えてるかというとまだ多分そうではないというか。
そうだね。そうはならないやっぱりある種人間が普通に生きてる間はね。
何かで進化なのか退化なのかが変わっていって、そこは変わるまではね。
そうだね、変わるまでは。300年後とかにはね、アインシャインの相対するのを知らないと常識人とは言われませんという世界が来るかもしれないけど。
普通に生き抜い師匠が出ますみたいな。
小学生レベルですみたいなさ。困るんでみたいな。
それかもしれないけど、今はそういう世の中じゃないとは思ってるんで。
もうちょっと僕らが普段生きる中でどうしたらもうちょっとやっぱり楽にというかね。
豊かに生きれるんだろうねとか、やっぱり健やかに生きれるんだろうねっていうような次元でやっぱり時間を捉えることと、
時間の本質、時間そのものを捉えるっていうことはちょっと分けてもいいかなってあるし良くも悪くも思えたのが、
自分の中でも改めて発見だったというか、やっぱり自分の興味関心がそこにあるんだなっていうのは思った感じですかね。
はいはいはい、なるほどなるほど。
いやでも面白かったね。
いわゆるさ、地球が動いてようと、空が動いてようと、生きてる我々には正直どっちでもいいのと同じような感覚だけど、
とはいえね、どっちが動いているのかは知っておくっていうのはありなのかなと。
人間目線と時間目線の違い
知識好奇心だったりとか、すでにね、ある程度一般教養として知っている人が多いとか、割と知っている人がいるよっていう意味では知っておいてもいい話だとは全然思うし、実は面白かったしね。
そうね。やっぱりね、実は次にミンデルさんという人を取り上げるよって話をしたと思うんですけれども、
そっちはそっちで、より物理的には捉えられない夢の世界とか、スピリチュアルみたいなことも入ってくるんだよね。
そうなっちゃうとやっぱり物理学的にもお手上げだし、普通の科学的な感覚からすると、そんなことを証明もできないしみたいな感じで、正直僕も半信半疑ではあるんだけど、
だからといってそれが一切あり得ないとか、それこそ地球は動いていたみたいな話もそうだし、時間もなかったっていう話もそうだけど、
明らかに僕らが感じている世界観とは違うとか、常識的ではありえないことでもやっぱり全然あり得てきたじゃないか、歴史的にはみたいな話。
っていうのは全然あるなと思ってて。
だからそれをある種簡単に信じすぎてもダメなんだけど、頭こなしに否定して、スピリチュアルとか言ってるのは妄想だとかさ、
そんなのは悪い奴に騙されてるだけで、全然自分の頭で考えてない奴の発想だとかっていうのもやっぱり違うよね。
やっぱりいい距離感とか適切な学び方があるんじゃないかななんて思ってるんで、
そこは実は僕の中では時間とかっていうテーマも、次取り上げようとしてるミンテルさんっていう人のテーマも実はちょっとつながってるというか、
だからこのタイミングで取り上げたいと思ったっていう感じなんだけど。
はいはいはい、なるほどなるほど。確かに科学史上主人というか、科学を突き詰めることと、あるいはスピリチュアルみたいなものを突き詰めることと、
なんか違いってなんだろうねみたいな話ね。
そうね、本当にそれはそう。
まあ違うんだけどね。とはいえ確かにそうだよね、さっきの例えばスピリチュアル的な風に感じるみたいな時にも、
その結論だったりとか、立ってる土台は同意できないかもしれないけれども、
その途中の思考過程とか、論理構造を組み立てばなんか天才的なものがあったとしたらそれは面白いだろうし、
その世界内では絶対に反論なんかできないだろうし、面白さはあるだろうね。そこを冷静に見ることができればね。
そうだね。だから本当にやっぱり冷静さがやっぱり大事っていう感じだよね、本当に。
時間目線と神の目線
なるほど。でもね、それでいうと、やっぱり今回物理の方、アインシュタインの話だったりとか、
そういうのは知識として今回初めて聞いたから、純粋に楽しませてもらったんだけど、
やっぱり面白いなと思ったのが、アウムス・ティヌスのところ。
で、後からこれってこうだったなと思ったことがあって、
アウムス・ティヌスの時に、その時間、人間目線の時間で、なんかついたての話してさ、
未来はわかんなくて、現在だけがちょっと見えて、過去はその蓄積としてなんとか理解できる、いう人間の目線と、
あと、さやとんが言ってくれたさ、時間目線見てみると、
そういうと時間は、人間に観測されるのを今か今かと待っているのが現在だったりとか、過去だって、
で、人間に観測された瞬間が現在、で、人間に観測された後が、観測されるのが未来か。
観測されるという未来に行くって感じだね。
行くみたいなさ。人間と逆じゃんみたいな話があって、なんだ時間目線みたいな話があったんだけど、
で、あと、はって思ったんだけど、その時間目線って、つまりこれ神の目線じゃんと思ってイコール。
なるほどね。
はいとってその感覚あった?なんか。
神の目線とまでは思わないけど、なんだろう、どういう感覚があるからして。
えっと、いわゆるね、ヒースト教的なというか世界観で、時間の目線イコール神の目線って考えると、
結構辻褄が合うな、矛盾がなくなるなと思って。
っていうのが、例えばその、人間目線でいうとさ、アルグスティン・スカイの時にも話したけれども、
神が世界を作りました。で、人間がいますっていう話をしたときに、
人間からすると、じゃあその世界ができる前は?みたいなことを想像しちゃう。
そうだね。
やっぱりその前が、ビッグバンの前が何かわかんないように、無なの?なんなの?みたいな。
ふうに思っちゃうじゃん、人間からすると。
それって過去の話だから。過去というか。
人間からしたらもう出来事だよね。もう既に起こったことだから。
で、神目線でいうと、例えばその、マイクラのようなさ、
バーっとした並列に、神様が今頑張って世界を作ってるわけよね。
で、これはイコール時間目線だとすると、人間にとってはどっち?未来?だよね。
で、神様にとっては過去だったり、今だったりするわけ。今、現在思考的に作ってます。
で、世界作りました。
そこに人間を置きまして、その世界に人間ポンって置いた瞬間が、人間にとっては現在を認識し始めるその瞬間。
そこが初めて神と人間を工作する瞬間で、人間にとっては神が世界を作ったという瞬間なんだけど。
で、人間にとってはそうすると、え、なんか世界あるけど、その前ってなんだったの?無なの?って人間は思ってるわけなんだけど、
神様からすると、いや何言ってんのと。頑張って今までこう作ってきたでしょと。
なるほどね。
見ろよと。ちゃんと土台から作ってきて、根草木もちゃんと植えて、雨も降るようにしたでしょと。海も作ったでしょと。
はいはいはい。
だけど人間はわかんないわけ。そこを作ったとこにポンって置かれたからわかんない。
なるほどね。
そう考えると、たとえビッグバンの前何もなかったみたいな、人間の感覚も理解できるんじゃできないし。
で、時間目線の、あとは世界作ったし、出来事も作ってあると。神様からすると。
人間がどうなるかというか、この世界がどうなっていくか、週末も、この世が終わるのも大体決まってるし、作ったからには大体太陽年数も決まってると。
なるほどね。
神様が書いてきてる世界で、人間からすると逆だから、わかんない世界。決まりきった未来が待ってるんだけど、
それはちょっとずつしか見えないから、現在として。
そうだね。
でも神様はわかりきってる。ただその人間がそれを把握していく未来はわかんないかもしれないっていう。
はいはいはいはい。
そこは面白いなと思って。
ごめんね。
なるほどね。
人間でいうとさ、よくアリの巣とかをさ、箱庭を作ってそこにアリを置くのと同じような感覚があるかなと思って。
ほうほうほうほう。
人間とアリの時間感覚
そうするとさ、人間が神様で、アリがさ、人間だとするとさ、なんかわかるじゃん?人間がバーって作ってそこにアリをポーンと置くと、
アリは、「あれ?なんか、なんだここ?」みたいな話になって、そこで生活していく。
だけどアリの寿命って1年ぐらいだから。
そうだね。
うん。で、人間からするともうなんかさ、アリが人間見たときに、なんか1年経ったけどこいつら全然変化してない。
俺たちはこんなにもう置いて死ぬのに、みたいなさ。
はいはいはい。
だからその時間間の違いみたいなものも、なんか人間は確か1年分歳とってるんだけど、
アリから見ると全く変わってない。不変。永遠に見える。
まあそうだね。はいはいはいはい。
で、この世界も全然1年ぐらいそんな変わってないから、
はいはい。
永遠にあるんじゃないかだったりとか、
せいぜい1,000年、2,000年ぐらいは全然持つんじゃないかみたいな。
はいはいはいはい。
なんかそういう時間間だったり、
うん。
なんかその、永遠感覚。
神の時間感覚と人間の時間感覚
なるほどね。
あとからなんかじわーっときて、面白いなって。
あー。なるほどね。面白いね。
いや、面白いなって思うと2つあって、1つは多分その兄貴をね、やっぱり、
人からじわーっときてこう、なんだろうな、ある種こう、
体で感じてくれたっていうところが面白いって嬉しいなって思ったのが1つあるんだけど、
うん。
もう1本は、僕は多分兄貴の夢の神目線だとちょっとモーン足りないなって思ったんだよね。
モーン足りない、はい。
モーン足りない。なんでかって言うと、
ちょっと安部先生の時にも言ったんだけど、
時間っていうものもさ、いわば神様が作りましたみたいな話をしたじゃない。
あー、そうだっけ。あ、それ忘れてた。
そう。神は永遠の存在で、時間っていうのは変化するから、
永遠ではない、要は変化するっていう風にもう線が引かれてたと思うんだよね。
神と人間の世界において。
なるほど、なるほど。
だから実は神様は、今ね、またマイクラの例で言ってくれたけど、
今さ、ポコポコ作ってたみたいな話をしたじゃない。
うんうんうん。
で、マイクラあんまり分からない方のためにちょっとすると、
マイクラフトってブロックみたいなやつを一個一個ポコポコ置いてって、
家を作ったりとか、木を作ったりとかいろんなことができるっていうゲームなんですけど、
実はこのゲームって、新しく世界を起動するみたいな瞬間があって、
その瞬間は世界の土台っていうのが一気にバーって立ち上がってくるんですよ。
でも最低限の地形とか山とか、どこにどんな海があるとかっていうのは、
立ち上げた瞬間に一気にバーって生成されるんだけど、
イメージその瞬間の方が神の想像なんだよね。
あー、なるほどね。
つまり一生懸命頑張って時間をあげて作ったりはしないのよ。
なぜなら永遠の中に生きてるから、変化しないの、神はね。
はいはいはい。
ただ神が世界をあれって言った瞬間に、世界がバーって立ち上がってくるみたいな。
はいはいはい。
っていうことなので、やっぱりその時間関係としては、永遠と有限って全然違うんだよね。
なるほどね。
ありが例えば人間を見て、永遠っぽく感じるっていうのって、
言ってもさ、100億年でも200億年でも有限は有限じゃない?
永遠っていうのは本当に、そもそも時間っていう感覚がないっていう話なので、
やっぱりありが人間に対して感じることと、人間が神に対して感じることを同じようには語れないんだよね、実は。
なるほどね。仮に人間が神様をこういうふうに、
ありが人間を見るように、全然寿命、ありがそこまで理解してないから永遠としか感じないんだけど、
人間がそういうふうに神を感じるとしたら、それはアウスティネス的に言うと間違いですよって話なんだよね。
間違い、そう。
でも人間の側から神を見てるから、きっと神様はとても長い寿命を持っているから、
人間なんかには及ばないぐらい、わからないぐらいのスピード感できてるんだろうとか言うと、
もう人間の感覚で神を捉えちゃってるんだよね、多分。
そうじゃなくて、永遠無限だ、神様は。
完全無欠だからっていうふうになっちゃうと、また全然多分変わってくるというか。
なるほど。定義がちょっと難しい言葉だけど、無限でもないって話だね。永遠だって話なんだね。
そうだね、無限って言うと有限っていうところが強いになっちゃうから、概念的に。
そうそうそうそう。
無限っていう概念すらこういう時期みたいな感じだよね。
はいはいはい、なるほど。
そっかそっか、じゃあ神様が作った時間目線はそんな感じかもしれないけれども、
やっぱり神は神でちょっと、何だろうな、次元がやっぱりさっきマイクラを例に出しちゃったから、
やっぱりマイクラそのものを作るプログラマーだったりとか、
前とも言った新しい世界を始めるとした時に、パーって世界ができる感覚。
ワンって一瞬で世界がシュッて出現するっていう瞬間。
本当にその前に何があったんだっていう感覚で、実は悲しいのかもしれないっていうぐらいのレベルの差があるっていう話なんだね。
そう、レベルの差がある。
だからやっぱり人間が及ばないものがやっぱりある、あるとなるのかないのかもしれないけど、
およびませんってことはね。
なるほどね。ごめんちょっと甘く見てたわ、神様。
いやそうですよ。たぶんね、ちょっと僕の今の理解がそれも正しいかっていうのはあると思うんだけど、
でもおそらくアグシンスが考えている永遠不変の神ってなると、やっぱりそのぐらい断絶がある。
なるほど。面白い。でもそうだよね。
確かに人間が例えば時間を空間的にしか理解できないとか考えると、
人間が神を理解するのも有限的な概念でしか理解できないから、
そうですそうです。
永遠を永遠の前に理解するってことは、たぶん人間には無理っていうか難しいんだろうね。
そうだね。よっぽど訓練積んだ人かな。ちょっと話外れるんだけど、
昔、11次元とかってよく言うじゃないですか、超紐理論とかでさ。
ごめん、知らないです。
知らないか。今さ、僕らは例えば3次元の世界で生きてるって言うじゃない?
で、例えばよく言われるのが4次元になると時間っていうのが加わって、
時間旅行ができるかもとかっていう意味で次元って言ったことあると思うんですけど、
ドラえもんのおかげで何とか4次元まで。
4次元ポケットみたいなね。
そう。っていうのと同じような感じで、今の宇宙の姿っていうのは、
実は11次元の紐っていうものが振動しているだけなんだって理論があって。
それ面白そう、それも。
ちょっとこれ詳しくは僕もちゃんとは言えないんで、
もしできる方いたらもう11次元とか超紐理論っていうので、
ぜひいろいろ見てくれてればと思うんですけれども。
なんかそれあらやすきみたいな話。
違う。
もう第8あらやすきっていうか。
第8あらやすきとは全然違うんだけれども、
いわゆるこの世の分子原子とかもっと言う素粒子とかっていうのも、
11次元のレベルで見ると全部一緒じゃねえかみたいな話があるらしくて。
まあまあそんな理論がありますよと。
ただ僕らはやっぱりその、11次元と言われても全然イメージできないわけよ。
なるほどね。
で、それをやってみましょうっていう本があって。
丁寧に4次元ってのはこうだよ、頭で考えとしたらこうだよ、
5次元ってもし図に起こそうとしたらこうだよねとかっていうのを説明しようとしてくれてる本があって読んだんだけど、
全然わかんないんだよね。
3次元に生きる我々とか僕みたいな人間にやっぱ想像できない。
多分それって、要はさ、1000って要は2次元なので、
例えばそうなんだろうな、それこそ本当にアリとかでもいいんだけど、
アリに宇宙を想像しようっていうのは一緒なのよ、それこそ。
やっぱもう無理なんだよね、自分の目線というか捉えてる世界っていうところからすると飛躍しすぎてて。
でもそれを数学的な訓練を積んだ人とか、そういう人もイメージできるらしいんだよね。
なるほど、はいはいはい。
多分神の話も一緒で、永遠っていうのは僕らはわかんないんだけど、
神のことをファクトで突き詰めまくって、永遠とは何かっていうことを想像できる人が多分いて、
そういう人たちが恐怖とか、そういう指導者、厳しそうな指導者とかあったんじゃないかなとか想像ができるよね。
なるほどなるほど。確かに気づいちゃう瞬間があるんだもんね。
あれが神の永遠かみたいなさ。
はいはいはいはい。
だからそういうのはね、なんか面白いなと思うし、
自分が全く想像できない世界を想像してる人がいるっていう、嫉妬?嫉妬?うらやましさ?みたいなのがあるよね。
そこはやっぱりうらやましさはなんだろうね。
うらやましい。
なるほどなるほど。
今日実はだいぶ20分くらい神の話とか一緒だけどさ。
ごめんごめん感想が無駄にごめんね。話が長いから申し訳ない。
いいと思う。やっぱり普段のテーマについて話してるけどなかなか兄貴の話聞けないからさ。
ごめんごめんまとまらない話で申し訳ない。
好奇心とアンテナの入り方
今日雑談何話そうかって言ってたときにさ、兄貴の中でやっぱり好奇心っていうのが一個テーマとしてあるよって話をしてたじゃない。
あーそうそうそうだね。
なんかその好奇心っていうのは今どんな感じで兄貴は捉えてるものなの?
あーどんな感じ。
たびたび雑談会的なとこでも似たような話はしてるんだけども、前提として自分には好奇心があるつもりでなかったみたいなところがスタートなんですけど。
時々言うよね。
今はね、プロレスみたいにとか、レースみたいに、その物事に興味を持つみたいなことを楽しみながらやってる最中なんだけども。
例えば起こり得るのが、最近俳句の話したじゃん。
今俳句楽しいから、うちの奥さんもハマってて、毎週単行本2冊ずつ買いながら楽しんでるのね。
今33巻まで来たから、映画の部分に追いついたんだけど、みたいな感じで楽しんでるんだけど、
例えば俳句で言うと、先日かな、この前バレーボールのナイションズリーグっていうのがあったの知ってる?
あれ国際試合だっけ?なんかすごい盛り上がってたよね。
それがやってるっていうのは、ユーネクストとかでライブ配信がありますみたいなので、なんとなく知ってたんだけど、
その試合を見てなかったんだよね。
なるほどね。
で、たまたま他の人と話してる時に、ナイションズリーグ見た?みたいな話があって、
で、その人も家族でみんな見てるみたいな人だったけど、
はいはい。
だから、俳句今好きなのに、そっち見てないんだみたいな話があって。
リアルのね、バレーボールの試合ね。
確かに。
しかもやっぱり、そういう時に映画で流れてたオレンジって主題歌が流れてたのかな?
なんか、かなり俳句とリアルのバレーボール業界って結構近くて、
そうだよね。
今の選手でもそれ見て好きな人ももちろんいるし、
で、俳句を見てリアルのバレーボールを応援するっていう人たちがめっちゃいるみたいな現象ももちろん起こってる中で、
自分は俳句が好きなの、今は好きなつもりで楽しんでるのに、
せっかくリアルでそういう楽しいイベントがあった時に、
それをあるって知ったのにスルーしたんだっていう現実がすごい面白くて。
なるほどね。
で、一方でやっぱり俳句が好きで普通に楽しんでるっていう人は見てるわけ。周りでも。
その現象はやっぱり面白いなって思うんだよね。
はいはいはい。
だからこれが月焼き場で、好奇心がない奴があるつもりに、
例えば何か趣味を持つとか楽しむことの限界を感じるし、
限界あったり、センスのなさを感じるし。
うんうん。
で、一方でやっぱそれをある程度先天的なものであれ後天的なものであれ、
はいはい。
日夜行からちゃんとやってきた人たちの好奇心の持ち方とかアンテナの入り方とか。
はいはいはい。
っていうのは、その積み重ねも全然違うんだろうなっていう深みも感じて、
すごい面白かったんだよね。
なるほどね。
俳句だけにしても、この前そのネイションズリーグが終わった後に、
はいはい。
テレビ番組でやってたんだよ。俳句とプロの選手がテレビで出てて、
なんだ、俳句特徴みたいな。それも知らなかったし。
はいはいはい。なるほどね。
だから本来なら俳句が好きっていうのだったらやっぱりその入り口にして、
リアルなバレーボールの試合も見るしとか、
そういう他のコンテンツがあるならそれも見て叱るべきじゃないか。
好奇心と捉え方
そうそうちゃんとアンテナを立てて、
はいはいはい。
そうそうちゃんと引っかかってそれを楽しむっていう回路があるべしっていうね。
はいはいはい。なるほどね。
そう。
それはわかるような気がする一方で、
でもさ、別にバレーボール漫画とリアルなバレーボールは別のものなわけじゃない。
別はね。
うん。そこをさ、あえて繋げる必要はないよねって思ったりもするんだよね。
うんうんうんうん。
だから別に、俳句が好きだからバレーを見なきゃいけないっていう風に直接繋がんないんじゃないか。
別に正直僕見てないし。
はいはいはいはい。
うんって思うんだけど、そこはどうなんだろう。
それでいうと、例えば自分の場合だと、
じゃあ俳句見てます。
はいはい。
じゃあ別のスポーツ漫画だったりとか、
別の、例えば自分が見逃してた面白い漫画があったんじゃないか。
もしくは今やってる、現在連載してる面白い漫画があるんじゃないか。
コンテンツがあるんじゃないか。
っていう風に別に言ってないわけ。
まあ確かにね、言ってないよね。
だから、俳句理論で言うと、
必ずしもリアルなスポーツに繋がらなくてもいいっていうのはその通りだと思うんだけど、
じゃあそこを手にして、そこをさらに深掘るとか、
聖地巡礼でもいいし。
そういうことか。
それかそこから、そうそうそう。
そこから何らしかにアンテナを立てて広がっていく感覚とか、
網を張っていく感覚っていうのが、こんなにも違うのかみたいな。
あー、なるほどね。
そうそう。
それで言うと、もうちょっと補足すると、
今自分は好奇心はないっていうのを自覚していて、
好奇心って何だろうなって思った時に、
たぶん自分はその好奇心というか、物事を楽しむことのインプットが
多分なさすぎるんだなっていうのも感じてる。
主派に言うと、主が全然足りてない状態。
そういうことね。
だから、もしかするとそういうリアルの方を楽しむとか、
あと別のコンテンツも楽しむみたいなのは、
主派に言うと派に近いのかもしれないけど、
だからそういう意味では純粋に楽しむとか浸るみたいなものは多分少なすぎる。
だとは思うんだけれども、
なるほどね。
好奇心はそうやって情勢されていくと思うんだけど、
その挙動の違いがね。
はいはいはい。
まあ確かにね。
それは今の話でわかるなと思っていて、
要は1個何かに増えた時に、
いわゆる関連情報とか関連領域っていうのは無数にブワーって広がっていくわけじゃない?
やっぱそこにアクセスするかどうかみたいな話は確かにあるなと思ってて、
なんか兄貴ってさ、
例えばウィキペディアあるじゃない?ネットの。
ウィキペディアを永遠リンクたどっていったら5時間経ってましたみたいなさ、
そういう経験ってある?
ないね。
ないか。
ない。
多分2、3個で止まっちゃうと思う。
なるほどね。
自分の問題に囚われた興味
だから時点とかもね、ずっと見てたとかそういうのもないし。
はいはいはい。
そういうのはあるかもね。
僕とかは割といわゆるネットサーフィン時代、
いろいろリンクをたどってみるとか、
ウィキペディアとかもさ、
陰謀論とかもめちゃめちゃ見ちゃうみたいなさ、
リンクで1800年代のイギリスの陰謀論がこれみたいなとかさ、
ジョンFケネディのなんちゃらがみたいなさ、
無駄に読んじゃったりするわけよ。
それは好奇心というかどうかはクリックしちゃうから、
それが好奇心というかどうかはわかんないけど、
1個の情報をもとに次々って言っちゃうみたいな感覚は、
やっぱりわかるというかあるのかもしれないよね。
なるほど。
例えば早いと言うと哲学が今そうだと思うんだけど、
そこにさっき言った通りさ、
とはいえ相対性理論の本を読んでたりとか、
さっきの長紐理論みたいなさ、
それを理解しようみたいな本も読んでるわけじゃん。
それって哲学ではないじゃん、現代の学問の言い分けからするとね。
そういう意味での広がりみたいなものが、
あるって意味では好奇心もグラデーションだとは思うんだけど、
あるように見えるんだよね。
そうだよね。
そこがやっぱり面白いんだよね。
網の好奇心の生むと、
これに対する、たぶんさっきハヤトが言ったように、
1つの何かに増えた時に自分が気になる部分って1つで違うんだよね。
たぶん同じ事象に増えた時にも、
リアルにいくのか、横展開するのか、
もっとコンテンツに深く深くはまっていくのか、
いろんなとこがあるんだけども、
自分には今はそれがなくて、ただただ浴びるように楽しむというか、
素直にプロレスにしても気になる試合があるというか、
あれだと配信サービスが入ってるから、
今こういうリングやってるから見て楽しむみたいな。
あー、なるほどね。
今2年目なのね。プロレスと自転車レースが2年目で、
やっと少し思ってた選手が、
こうなってこうなって、今回こうなったっていう感動に涙するみたいなことが少し出てきたの。
あー、あるんだ、そういうことね。
だから、もしかしてこういう、
例えばその1つの正実を見て感動して泣くとかとは、
また違った感覚の、この時間の積み重ねみたいな、
物での知見だったり経験、体験っていう感動ってものを今、
見返し始めてるのかなっていうのを客観的に感じてて、
やっぱこれもう5歳ぐらいから、
自我芽生え始めた頃からやってるような人と、
30後輩になってから無理矢理やってるようなやってるのは、
それ違うよなっていうのももちろんわかるんだけど、
だからこそ面白いなと思ってる。
はいはいはい。
まあそうだね、私さ、ちょっと思いついたことがあったから言いたいなと思う。
前の質問なんだけど、
何か兄貴ってさ、そういうプロレスとか自転車レースを見てる時って、
何だろうな、なんかどういう気持ちで見てるの?それを。
ほんとね。
ただ無心で見てる、今。
無心なんだね、なるほどね。
無心、そうだね。
だから前だと、何か情報で見ちゃうんだよね。
ここの運営団体って儲かってんのかなとか。
あーなるほどね。
どの選手があの人気があって、
はいはいはい。
とかどういう対立構造があったみたいな知識とか情報が入っちゃってたんだけど、
もちろん仕入れるんだけど、
もう割とそういうのは普通に仕入れながら、
まあそうだよね、一年目とかでそういうのをインプットして。
見てれば覚える部分もあるから、
頭から入らずに、
例えば見てると、この選手が人気ねとかっていうのはあるんだけど、
一旦そこは人気なんだっていうところに留めておいて、
実際に試合で自分がどう感じるかみたいな。
普段の選手の走りでどう感じるかみたいな、
感情優先にしてる。
なるほどね。
無理矢理。
それはいいよね。
無理矢理だけどってことだよね。
なんでそう思ったかっていうと、
好奇心の問題ってよりは何に自分がとらわれてるか、
どういう問題に自分がとらわれてるかの問題かもなって思っちゃったのよ。
これ結構マイナーで知らないと思うんですけど、
白名とみこちっていう漫画があって、
これ僕めちゃめちゃ好きなんですけど、
会話以外すると全然普通にみんな知ってるべきものなのかな?
全然知らないと思う。
漫画好きな人の中でも10人に1人くらいじゃないかな?
熱烈に好きな人が10人に1人だけ知ってるみたいな、
そういうイメージだと思う。
なるほどね。
全然有名ってのは多分ない。
めちゃめちゃいい漫画なんですけど、
しかもそこの脇役っていうのは、
サブキャラの人で、
鉄道が大好きで鉄道の社長さんになりましたっていう、
男の人がいるんだよね。大人なんだけど。
その人がいててめちゃめちゃ面白かったんだけど、
周囲の人から鉄道のことほんと好きだよねって言われるわけよ。
休日も乗ったことがない電車乗りに行きますとか、
自分の会社とは違う会社の鉄道を乗りに行って、
鉄道のことを学びに行きますみたいなことをやってて、
周囲から見たら鉄道大好き人間なわけよ。
そうだね。
その人がいてて、ちょっと違うかもって言ってて面白かったのが、
実は自分のことを知りたいのかもって言ってて、
えー、そうなの?
要は鉄道のことはなんでこんなに自分が好きなんだろうとか、
いつかは鉄道のことを好きじゃなくなるのかなとか、
そういうことをもしかしたら知りたいのかもみたいなことを言ってたのね。
それはすごいわかるというか、そういう人もいるだろうなって、
すごいスッと僕の中には振り持ちたんだけど、
別に僕も好奇心があるわけじゃないって思ってて、
好奇心の深さと異なる捉え方
結構周りからは読んでてすごいよねとか、
いろんなことにアンテナ立ってるとかって言われるんだけど、
で、兄貴もさっき鉄ワークじゃないけどね、
そういう物理学とかも言ってるって言ってくれたんだけど、
僕が一番根っこにあるのは、
なんで自分はこんなに息苦しいかなのよ。
常に言ってるけどね。
やっぱりそこをなんだ。
僕は常にその問題にとらわれているから、
自分の問題か世界の問題か、あれは両方かじゃない、そういう時に。
だから世界のことも知らなきゃいけないし、
自分のことも知らなきゃいけないっていう中で、
世界とはどうなってるんだっていうと、
物理学のこともやらなきゃいけないし、
宇宙のことも学ばなきゃいけないし、
社会のこともやらなきゃいけないし、
で、鉄ワークはたまたま社会と自分という両方を掛け合わせたことを
いろいろと解き明かしてくれてそうだから、
鉄ワークっていうことを深く掘っていくと、
なぜ自分はこんなにも生きづらい、
今はだいぶ生きやすくなってる、生きやすくなってるんだけれども、
当時思っていた、
なんとなくすごく生きづらいこの世の中の
というものの答えが分かるんじゃないかというか、
そこに向き合えるんじゃないかと思ってやってるだけなんだよね。
好奇心があるんじゃなくって、
たまたま囚われてる恋が広すぎたっていう話だと僕は思ってて、
さっきの話でいくと、
本当に好奇心を持ってとか、
バレーボール本当に面白いってやってる人もいると思うんだけど、
例えばだけど、
そもそもなぜ人は物事に熱中するのかってことを考えている人がいたとしたら、
なんでもいいわけじゃん。
なぜ人はチームでスポーツというものを通じて、
お互いの勝敗を競い合いながらもここまで本気でやれるのかっていうことに
興味がある人は、
何でも興味を持って見ちゃうんだと思うんだよね。
面白いね、なるほど。
好奇心っていうものの、
はたからんだ時には好奇心に見えるかもしれないし、
実際にそれを好奇心と呼んでもいいのかもしれないんだけれども、
その厳選が意外と何個か分類できそうだぞっていう話だね。
違いそうだぞと思っている。
さっきの鉄道の人も純粋に好きな人もいるかもしれないし、
さっきみたいに自分が何者か知りたいっていうのも、
もしかすると最初は純粋に好きだったかもしれないけど、
周波みたいなところに行って、
輪みたいなところに到達すると、
何でもそういう風な悟りみたいなところに
行き着いちゃうのかもしれないし、みたいなね。
結局は自分の問題じゃんって思う部分があって、
なんで鉄道っていうものにはこんな心が惹かれるのに、
例えば車には惹かれないんだろうって思った瞬間に、
結局それってさ、
なんで自分はそういうフィールドを持ってるんだっていう方に
目が向いたりするじゃない。
なるほど。
だからそこの捉え方次第なのかなって思ったりするんだよね。
逆に好奇心ありますって見えるけど、
実は外のトレンドを追ってるだけみたいな人もいると思ってて、
そういう人もそういう人で別に楽しいしいいんだとは思うんだけど、
僕個人の感覚からすると、
話してても物足りないって思っちゃうんだろうなって勝手に思ってる。
そこはバレるというか、
逆に相手からすると僕は物足りないのよ。
本当はもっといろんなことを知って楽しんで、一緒に楽しんでほしいのに、
好奇心の形
それって本当に面白いと思ってるのかって言われてすげえイラッとするみたいなさ。
それもタイプの違いだよね。
そこも確かに一つの、
ちゃんとトレンドを追い続けるって実はすごい大変だから、
そこを徹底してるってのが、一つの好奇心の形だね。
っていう風に、実は別れるんじゃないかなって思った。
何気の話を聞いて。
確かにそうだね。今のハヤトのは穴を埋めるような感覚だろうし、
埋まらない穴を埋める感覚だよね。
そうそう、本当にそう。
そういうとバタイオの当人的な話は、
それも別れるのかもしれないね。
埋まれ持ってなんか穴みたいなものを感じて埋めるようにやるっていうのか、
本当に純粋に、自分のよくわかんないけどめっちゃ好きみたいな、
めっちゃ熱中しちゃうみたいなのもあるのかもしれないね。
それはあると思うし、そこからいくと環境とか文化とか、
本当にいろんなものが影響してくるとは思うけど、
ただ単純に、
やっぱり自分のことがわかっている、
あるいは完全に自分を伏せ去らないと、
多分そういう当人的な消費とか、
本当に消費するために消費するみたいなことってやっぱりできないと思うんだよね。
兄貴みたいにさ、やっぱり頭で考えて楽しむっていうのはもちろんあると思うんだけど、
どこかの瞬間に自分が自転車を漕いでるぐらいの感じ、
もしなるとしたら、
それはすごい自転車レースハマって踏まれまくってますみたいな感じになるんだと思うんだよね。
だったりとかね、稼ぎがたとえば少ないのにフランス行っちゃったみたいな。
とにかくもう行っちゃったみたいな。
一気にチケット押さえちゃったみたいなさ、あるじゃん。
やっぱりそれがすごいというかなんだろうな、
羨ましいなって思うよね、そういうことができる人は。
それはハヤトの目線から見るとそこは一線超えてるというか、また違う感じなんだね。
違う感じ。
なんとなく自転車レース見てます、プロレス見てます、将棋も見てます、バレーも見てますとかって言われるよりは、
なんか一個突破して、やっぱりこれすごい好きなんですっていうのがちょっと羨ましいなとは思う。
感想の違い
そうなのね。当陣まで至った人っていうのは好奇心なのかな、それは。
どうなの、その範疇に収まるのかな。
難しいよね。好奇心って結構ポジティブなイメージあると思うんだけど。
うん、あるある。
あるよね。
どっちかっていうとそれをせざるを得ないとか、そこに自分の身をある種投げ出さざるを得ないみたいな、
もう結構焦燥感みたいなものもあると思うんだよね、正直。
そうだよね、なんか選択してるっていうよりはもう、そうだよね、そうせざるを得ない。
そうそうそう。
あ、面白いな。だから、ごめんね、背景ばっかりになるけどさ、
はいはい。
やっぱその天才みたい、バケモンみたいな人たちは普段練習を1から10やるところを、
はいはい。
要はAから順番Zやってみようみたいな、やっぱそれがあったときに、
第三者から見るとそれが好奇心とか、
あーそうだね。
ある意味楽しむじゃないけど、楽しむじゃないか、好奇心だよね、純粋な。
まあそうだね、あれもこれも試してみようみたいなね。
見えるんだけれども、本人たちから言わせるとふざけんなと。仕方ないんだよ、そうなっちゃうから、みたいな。
そうそうそうそう。
好奇心と呼んでくれるな、これを、もうそうなっちゃうんだよ、みたいなのもあるかもしれないって話だよね。
そうだね、そう。
なんだろうな、明確に問われるとそこをね。
そうそう、だからそれをある種、背景の中にボクトさんっていうね、スーパースターがいてさ、
楽しむというか、むしろそれが楽しい、やっぱ強くなることが楽しい、自分が自分を超えることが楽しいって思ってやってる人がいるわけだけど、
やっぱりそれもさ、最終的にはちゃんと考えるとかさ、ちゃんと再現性を出すっていう方向にいったじゃない。
変化と楽しみ
まあね、あの人はバランスがとれてるような気がして好きなんだけど。
そうそうそう、だからそういう意味でいくと、なんだろうな、どこかのタイミングで楽しいとかじゃなくてもやらざるを得ないからやるというか、
そういう領域を超えるみたいな話は多分あるんだと思うんだよね。
はいはい、わー、好奇心深いなー。
分類できるのかー、その源みたいなものだったりとか。
確かに、だしその発露の仕方も違うという話はね、確かに人によっては全然ね。
普段はね、そのこと考えずにさ、なんか楽しいよね、好きだよねって別にやってればいいと思うんだけどね。
その方が幸せだと思うんだけど。
はいはい、まあそうだよね、確かに感想、どこに楽しみを生み出すかみたいなのも、そこは個性も確かに出てきそうだし、
そうはね、違うコンテンツ見てても同じような楽しみ方というかしてるケースもあるだろうしね。
全然あると思う、そうそうそう。
わー、なるほど。
兄貴と一回なんか一緒に映画とか見に行きたいね、そういう意味では。
はいはいはいはい。
そうね、どこをさ、気になったかとか、何を感じたかとか話したら多分ね、すごい違いが、別にどっちが良いとか悪いとかじゃなくて、
あ、こんなに同じものを見て同じ2時間過ごしたはずなのに全然違うんだみたいなさ。
あー、それやってみようやってみよう、それ。
別に一緒じゃなくてもいいから、なんかあの。
まあ確かにね、別々一本ね、お題決めて。
同じのを見て。
あー、ありかもね。あれ、なんか見たって言ってなかったっけ、映画最近。
えーっとね。
ルックバック?あれ?
あー、ルックバックを見たね、うん。
はいはい。
じゃあ、早く見てくる。
そうねー、ちょっと。
あ、アマプラとかで見れるやつすごいなー。
あ、ちょっとじゃあ、次回ね、雑談とかでそういう話するように、ちょっと裏で見ておきましょうか、せっかくなんでね。
はいはい、まあお互いそうだね。これ、見たいけど見てなかったみたいなのもあれば。
ね、あ、そうそうそう。
うん。
はいはい。
ね。
とか、まあなんかね、もしあの皆さん、いや、だったらぜひこれを見てほしいみたいなのがもしあればね、そういうのもこう、いただけると。
僕と兄貴がそれを見て話すっていう、ちょっと誰とか分かんないけど。
そうね、黙ってそうね、オフでやってるよっていう。
やってるよっていうね。
はい、でもやっぱりね、あるよ、その、そのやっぱり認識の違いというかさ、まあ、この時間に関してもそうだけどやっぱり、
同じように時間を取られてると思いながらやっぱり全然違うとかって絶対あるからさ。
まあまあね、確かにその感想の違いはね、そうだね。
うん。
まあ、そうはね、今でも負けたなっていうか、思ったのは。
負け?
今のようなもう、今のような発想もさ、コーチの一つだと思うんだよね。
はい、あーなるほどね。
そうそう、だからなんか、そこを含めてね、その感想が違う。
だから自分の場合はさ、なんか映画見て感想述べよって言われたら何か言うのだけど、
自分からこの映画を見てこの感想を楽しむみたいなことってあんましてないよね。
はいはいはいはい、確かにね。
ルックバックとかも、たまたまそうはね、原作持ってたってだけだけど。
あーなるほどね。
まあでもあるよね、僕の場合はやっぱりこう、映画2時間見てその後2時間感想を言い合うみたいなやっぱり、そういうとこに楽しみを見出す人だから。
あー、はい。
今の話を言うとちょっと面白いなと思うのが、ごめんね、もう結構時間経ってるんだけど。
そうだね、はいはい。
今そのルックバックたまたま原作見てたから、たまたま見に行ったみたいな話があるんだけど。
これは全然すごいことでもなんでもないと思うんだけど、面白いと思うのが、
自分はこう、シーンがないとかってことが判明、判明というか、自覚させてもらったのが30歳ぐらいの時だったんだけど、
そこから何年かしてから、何かあった時に知らないってことが結構多かったんだけど、
はいはい。
最近たまたまそれ聞いたことあるとか、たまたま知ってる。
だからさっきのルックバックもたまたま原作読んでたまたま映画やってるの知ったからたまたま見に行ったみたいな話なんだけど、
そのたまたま知ってるみたいなのは、それ以前に比べると少し増えたかなっていう喜びはあるかな。
なるほどね、なるほどね。まあでもそれはあるよな。
なんかわかる?このたまたま知ってたみたいなの。わかんないか?
そういうのがね、ある人からはわかんないんだろうと思うんだけど。
そうね。僕はほら、やっぱり脱学問題も続いてたからさ。
でもでも、やっぱりそういうね、なんだろうな、やっぱり物事の意味が増えてくるよね。
昔は繋がらなかったことがやっぱり今は繋がるとか、実はこれ次回のテーマにもなってくるんだけど、
よくさ、いわゆるアップルの創業、スティーブ・ジョブズか、コネクティング・ドットじゃないけど、
やっぱり点と点が繋がるとか、後から増えるときにあそことあそこで増えてたなみたいなさ、
そういうことってやっぱり世の中に増えていく。これは結構意識的に増やせるんだなってやっぱり思うんだよね。
意識的に。あー、まあ、はいはいはい。
要は、そういうふうにちゃんとあんたを立たせ続けて生きてると、やっぱり増えてくる。
っていうのはあると思うんで、なんかそこがたぶん兄貴が、逆に言うと、
そのチャンネルが、ところが今開いてるってことなのかなーって聞いてたけどね。
うんうんうん。あー、確かになー。その布石みたいなものが確かに好奇心のその、確かになー。
そこが繋がる気がして面白いね、確かに。だから、自分の場合はその点がゼロだったのは、やっと3つぐらいできて、
やっと千一本繋がったわーいって感じだと思うんだけど、
たぶんちっちゃい頃からやってると、それが千個ぐらいあると、もう神経みたいなもので、
もう繋がる数は無限になっていくよみたいな話だもんね。
それはね、絶対あると思う。し、またよく言うじゃん、やっぱその達人は達人同士で理解し合うみたいなさ。
やっぱりこう、だから別に数の問題もそうだし、あれ一個の突き詰めると、
例えば全然違う強さ、例えば仮に柔道とドラムとかでもいいんだけど、やっぱり何か相通せるものがあるみたいなさ。
いやー、そうだね。点が多い物同士だったら絶対その間に1個点置けば繋がるものがありそうだもんね。
そうそうそうそう。ね。うん。やっぱりそういうのはね、絶対あるなーとは思うよね。
うん。
いやー、面白いわね。
まあそんな感じでね、その30代後半?40代間近にして。
そうそうそうそう。
ね、好奇心のチャンネルを開きかけてるお兄さんですけれども。
うん。
ね、遅すぎてびっくりするけどね。
いやー、でもそんなもんじゃないと言うとあれだけど別にね、人生遅いってことはないからさ。
うんうんうん。
ね。
うん。これからどうするってことですね。
まあそうだね。
うん。
でもね、そこはあるつもりで言ったっていうのが一番の罪で。
ああ、まあそうね。
さっきハヤトが言ったけど、そういう人を見るのが趣味みたいなところがあるから。
はいはいはい。
自分のそれを追体験してみたいなね。
なになになに。
意味があるんです。これが趣味っていうか、それ自体が趣味っていう。
ね。
うん。言ってもいいのかなとは思ってきた。
うんうんうんうん。
ね。はい、そんな感じでね、当然我々ね、届ける側も変わっていきますので、もう2年3年ぐらいやっぱりやり続けていけばね、
当然こう変わっていくと思うので、そういう変化もね、また楽しんでいただけると、僕らとしては嬉しいんじゃないかななんて思っておりますという感じはね。
こいつらレベルの低い話してんなーとかね。
そうそうそう。
まだそのレベルかよみたいなね。
そうそうそう。
だからさ、やっぱり所詮僕らはもう言うて30代40代、まあ30代じゃないですか。
うん。
やっぱりね、50代60代のリストの方もね、たくさん聞いていただいてるとは思うんだけども。
うん。
まあなんかね、あ、わしもそんな頃があったなーみたいなさ。
いやいやいやいや、それは自分を買いかぶりすぎでしょ。あの、もうあの15歳の人が、こいつらこんなレベル低い話してんのーみたいな。
あ、違う違う違う。だからさ、60歳ぐらいまで行くとさ、青い頃もあったなーみたいな感じでさ、ちょっと懐かしんでいただくみたいな、そういうのも多分あるじゃん。
うーん、まあね、あるよ。
そうそうそう。だからそのぐらい寛大な気持ちで聞いてほしいなってことですよ。
話題:時間の目線と神の目線
なるほどね。みんな50歳60歳の気持ちで、何歳の方でもそのぐらいの気持ちで聞いてくださいって。
そうそうそうそう。わしもあんな頃があったなーみたいな、うんむみたいな感じで聞いていただけてると、ありがたいなっていう話。
あ、オッケーオッケー、年齢問わずお願いします。
そうですね、年齢問わずね。そうですそうです。
確かにまだそのレベルなのかと。これやっとけってね、ぜひね、お指導ご連絡をお願いしたいね、ぜひ。
うんうんうん。というような感じでね、時間帰りというところも含めて雑談してきたんですけれども、
次回はですね、私にもお伝えしたミンデルさんという人を取り上げて、また全然違うテイストの話をお届けしたいなと思ってますんで、
よかったらね、またそちらもぜひ楽しんでいただけたら嬉しいなと思っているという感じですね。
はい、分かりました。ちょっとね、今回もダラダラというのを喋ってきちゃいましたけれども、
またね、次回から、今度は人、ミンデルさんということでやっていきたいと思いますので、引き続き楽しんでいきたいと思います。
では、次回もよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
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