神を信じる理由
倉木 凪です。
いやー、倉木はね、どうして世間の人は神様を信じるのか。
ずっとね、疑問なんですよ。かねてからの疑問なんですよ。
だって
ニーチがね、神が死んだって言ってから、ここまで科学技術が進んでね
伝道説が正しいとか、まあその頃から、そう言ってた頃からはだいぶ進んでるわけですよ。
で、数学と物理学で、数学で言う不完全性定理、物理学で言う不確実性定理とかはちょっと忘れたけど
いっつもね、ごっちゃになって、不確実性権利だったけな。
でね、もう証明されてるんですよ、神はいないって、絶対的な存在なんていないって。
すべてのものを脱ぐはず先に起こる。
あと、どんな正しい論理も必ず矛盾が生じてしまうと、どっかで。
そういう絶対的な存在なんて存在しないってね、証明されてるのに信じる人たちがいるんですよ。
で、この
あれ誰だっけな、不完全性定理
を発見した人だったか、哲学者だったか忘れたけど
神はいないって言っときながら
死ぬ間際に神はいるって言い出して、でもそれはね、単に統合主張性で
ちょっとそれでなんかね、まあそういうふうなことを言い始めた。
まあどういうことか言うまでもないですよね。
あとは、神ってのは人間の人知では分かり知れるものじゃないんだから
頭で考えているとかいないとか言っては意味ないって、いやそれじゃあ、じゃあ神の定義って何なんだって話でしょ。
それじゃあ神の定義とずれてるからもう神じゃないだろっていう話だし。
だし、いるとかいないとか考えても意味ないって、じゃあじゃあいるって言えない、それでなんでそっから
だから神はいるんだって訳がわかんない。その完全に短絡してるでしょそれ。
まあそういうね、ちょっと頭のヤバい人たちが
訳のわかんない論理で神はいるって言ったりすることもあるのかもしれないけど
人間の本能と信仰
まあいないって証明されてるわけですよ。でもね、宗教は絶対に人類からなくなるわけじゃないし
信じること自体はおかしいと思わないんですよ。でねー
カラオケは、分かりましたね、神様を信じる理由。あのねー
いやーこれ考えてから
思っといたんだけどやっぱり人間って弱いんですよね。でねー
神様がどうの以前に、クラキもね、オカルトなんか一切信じないで原価継ぎをするんですよ。
でね、これってねー
その 要は信仰心があるかとか
信じ向かいか、あとオカルト信じてるかとは全く関係ないんですよね。もう本能的なことなんですよ、原価継ぎって
でねー、今思ったけどだから神様を信じるってのもねー
割とねー 宗教的な感覚っていうよりも
なんかもっと本能的な言葉もあるかもしれないね
つまり神はもうどうでもいいんですよ、もうこのってくれたら。何か絶対的な存在を求めてしまうんですよね、だから
以前クラキは思ったのはね、だからね、例えばあるアーティストを
崇拝するとかね、これもそうですよ。まあアニメでもいい、アニメのキャラクターでもそういう人もいるでしょうね
だから絶対そういう存在ってね、求めてしまうんだなと思ってね。クラキもね
宗教辞めたけども
でもやっぱり何か崇拝してしまう、あるアーティストを崇拝してしまうっていうね、常にやっぱりそういう何かね絶対的なものを求めてしまう
それが だから人間がよく言いますよね、不十分な存在だから
どういう真理なのかわかんないけど、その完全なものを求めてしまう
でもね、まあそれだけじゃちょっとね、じゃあ神様がいるって信じる
のって正気の沙汰じゃないだろうって、まだちょっとそれは理解できてなかったんですよ
神みたいな存在を求めるのはわかるけど、神がいるって信じている
って言っていいですよ、それがね本気で、もう心の底からそう思っちゃってる人もいる
これはちょっとどうなんだと思ってたんですよ。でもね、まあ今日ここからが一番話したいことなんですけど
人間のね意識できる範囲ってね、本当に1%もクラキないと思ってるんですよ
で、意識できるとこではね
でも絶対的な存在、神なんていないんだなってわかってても
意識できないところで、まあやっぱりそういう本能的に神がいるんだから神を求めてしまう
だからクラキが例えば、原火継ぎなんかしたところで、そんなの無駄でしかないってわかっててもね
そうやって意識できる範囲って数えられてるから、生活のほとんどはやっぱり原火継ぎになってしまうんですよ
自分で気づかないんですね、これは単なる原火継ぎでしかないって
だから人間って、頭では神様になんていないってわかっても、結局生活の99%以上で
神となるような存在を求めて
で気づいたら、神となるような存在と神と
本人がどう思ってるか、信仰心があるかどうかは別にやっぱり同じことなんだろうね、きっとね
逆に言うと、自分はね、信心深くて神様を信じてると思っていても
結局他の人と同じことなんですよ、やってることは
もうちょっと今回の話こぼっちゃうなってたけども結局ね、だからね
どうしてね、もう神はいないって証明されてるのに
宗教と文化の違い
あと普通に考えたらわかると思うんですよ、くらきのエピソード聞いてもらってもわかると思うけど
まず神の定義なんてね
神の場合は、定義ははっきりしてるかもしれないけど
でも世間の人、よくわかってないよね、ほとんどの人はね
よくわかってないのプラス、もういないって証明されてるわけですよ
で、証明されてることもわかんないし、定義もよくわかんないし
だからいると思い、よくわかんないけどいると思っちゃってる
それで安心しちゃってるわけですよね
ずっと神だからおかしいと思っちゃったんだけど
それがね、自然なのだと思ったね
まあそれがっていうか、なんなんだ、その、だから
気づいたら、まあ気づいたらっていうか
だから気づけないわけですよね、もう
自分が神となるなんて、そういう絶対的なものを信じてしまう
まあそういう生き物なんですよ、弱い生き物なんですよ、だからね
頭ではそんなものないってわかってても
完全なものを求めてしまうわけですよね
さっきも言ったように、これでもだからと言って
じゃあ神様を信じるって、なんか短絡してるなと思うんだけどね
でもなんか今日はね、なんかちょっとわかった気がしたんだよな
どうやったって、その無意識にもう信じてしまうようなものだった、人間ってのは
あとは宗教をやってるかどうかな、話で
つまりそれをアーティストに向けるのか、あるいは宗教に入って
宗教本質に入るのかどうかであって、結局宗教的なことは誰もやってるんだなってことに
気づくわけですよ、文化が違いだ、人種が違いだ
国によってはそれがね、新人向かい国もあるだろうし
アフリカみたいな国もあれば
現代人の、先進国のほとんどは
結構その現実主義というか、だいぶ合理的な考え方をするわけだけど
そういえば話変わるけど、アメリカ人ってかなり合理主義なんだけど
でも宗教をやってる人は多いんですね
だからね、あんまり本気では信じてないんだと思いますね
だって本気で信じてたらあんな犯罪者数増えないもんね、だってね
みんな神様に見られてると思ったらあんなことしないと思う
地獄絵図とか見てね、恐怖におののくでしょうきっと
死後の世界で地獄に落ちると思ったら
でも日本人もそうだと思うよ、占いの良いとこだけ信じるってのと同じで
都合の良い時だけ神様信じて、悪い時だけ別に神様なんていないと思って
だって神様に見られてると思ったら悪いことしないでしょ
まあ占い程度の覚悟なんだろうな、きっと
とにかくそれとは別に
無意識のうちに神様を信じて神様的な存在を求めてしまう
それが人間なんだってことですね、それではしたっけ