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2025-10-19 11:19

第4778回 ブッダの教えこんな簡単に説明がつく&ブッダは相対性理論をわかっていた❓

特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

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サマリー

このエピソードでは、時間や諸行無常、そしてブッダの教えについて考えています。特に、相対性理論との関連性や、観測者によって異なる事象の見え方について詳しく説明されています。

ブッダの教えと時間
今回は人生哲学トークなんですが、時間についてですね、主に。
まあそれと通ずるところがあるんだけど、諸行無常の話なんですが、まずその前にブッダが言った同じ諸法無我なんですけど
これまで2500年、いろんな仏教で、仏の思想についての、これを演技といったり、まあ
宗教間での対立があったり、たくさん仏教の修法ができたりしてるけど、ブッダの言ってる諸法無我って
倉木からしてみたらね、大げさな話に悟ってしまえば、あとはもう
倉木からしてみたらもう簡単なんだけど、まあこれを言葉で説明して
どうなのかわかんないけど、うまく伝わるものなのか。諸法無我
これは倉木の持論ですけど、庭で
もし、こんもりしちゃって盛り上がってても
でも、庭の土だと思います。でももしかしたら子供が
子供にとっては何かそこで、芸術作品じゃないけど何かを作っていて
子供にとっては意味があるかもしれない。でまあ哲学の
哲学書とか哲学の教科書とかにも載ってるんだろうけど、リンゴを見てね、人間は
ここに食べた経験とかから、これはこういう味がして
リンゴだと。そういう概念としてね、過去の記憶の
情報を交えながらそうやって理解しているわけですね。でも他の
動物からしてみたらね、リンゴもミカも同じかもしれない。
虫からしてみたらね、全く違うように見えているわけですね。
猿は
まあ 食べれるものぐらいにはわかるかもしれないけど
他の動物からしたらそもそも 冒頭出だした例えのように
そこに何かが 単体、まあ単体っていうか
そもそも物って存在って単体じゃないですから 人間が単体だと見えてるだけで
だから
これも大事なんですよ 処方無我っていうのは
いろんなお坊さんの話聞いてきましたけど 最近動画でね
非常に
どうなのかなと思っちゃうんだけど あの
これ別に深いことを言ってるわけでもなくて あるがままにむったのを言いたいこと
何かってことを考えたらね
単純なことなんですね
まあいろんな関係性の結び目だとか
因縁によってとかいろんなこと言われるんだけど 今言った
冒頭から話してる これがわかりやすいと思うんですよね リンゴなんかも
人間には単体で見えてるけども 要はそれを掴んで食べることもできるし
でも他の動物からしてみたら 自我ってものがないわけですから
自我と時間の概念
そこに何か物体が 切り離されて周りと
あるっていう認識さえしないかもしれない もう一度言いますよ
親からしてみたら庭 どれもどこも土があるだけ
子供からしてみたら もう名前もつけてるかもしれない そのこんもりとしたところ
擬人化さえしてるかもしれない この子供の中では
わけですよね でも人間がやってることって全てこういうことなんですよ
子供にとっては それは単体の何かであるかもしれないけど
実際はね
土ですよね 他の庭の
土とは何ら変わらない土なんですよ で実際こういうことなんですね
あの 最近もお話しました
人間というのは 宇宙の写し革味というか宇宙であって
宇宙は人間である とかまあこういうふうに言われるけど
宇宙の一部っていう意味ではない っていう説明しましたからこういうことなんですよ
人間はもう単体ではないし なんかね周りと
周りに支えられてみたいなこと言うお婆さんいるけど 周りとの関係性があるっていうのは
っていうとまあわかりづらいけども とにかくぶったが言いたかったのはこういうことなんですよ
周りから切り離された単体の 実体のある存在じゃなくて今言った庭の土と同じでね
えー 宇宙そのもの
さっき言ったこんもりとしたところも庭の 庭であって
庭の一部というか庭なんですよね では次の話ですか
ちょっとね矛盾を感じるんだけどもぶったは尊敬してますよ でもね
優位が独尊っていう言葉 未だにちょっとわかんないんだよなぁ
なんだかんだ矛盾してないかと思っちゃうんだけど まあでもぶったの言うことだから矛盾はしてないんですよね
ただぶったの言うことを 後世に伝えてきた人は矛盾してると思うんだけど
それをね都合よく合理化するために おかしな考えが分かり通ってあってんじゃないかと
なんでそう思うかというと定義がなんかおかしいんですよ 優位が独尊って調べてもらったらわかると思うんですけど
処方無垢とはちょっとかけ離れた考え方なんですよね
あとですね これだけの持論なんだけど
煩悩って ない方がいいように思われるかもしれないけど
ある程度あってもいいんじゃないかと思ってて あくまでも持論ですよ
別に偏っている考えだと思わなくてなんでかというと
ある程度幸せになりたいという欲がないと うつになるだろうし
あとですね 自我がある程度強くないと 周りに流されるわけですよ
ある程度自分というものはね 自我イコール自分というものを確立しているアイデンティティ
どうぞとられるのは間違いであって ただある程度その我が強かったり
自意識はなくてもいいけどある程度我がないと 周りに流されてしまうと思うんですけど
だからこうやって続世間で生きるには やっぱり自我って必要なんだろうな
あまり少ないと 生きづらいんだろうなと思いますね
あと最近自我イコール時間であるという話を聞きました 最初ね訳わかんねえなと思ったんだけど
時間というのは 最近話している通り
人間が作り出した概念でしかないんですよ
人間の体温これは概念ではないですよね でも時間って概念なんですよ
時計は概念じゃないけど時間は概念なんですね
だとすればこの時間ってものに対する感覚っていうのは
人間の自我がね
時間というものを感じているから
だから時間という概念もね
イコール自我である は納得できますよね
相対性理論と諸行無常
という単に共感を求める話でしたから では次ですが
これで最後の話になっちゃうんですけど
今度は諸行無常の話なんだけど 諸行無常っていうのは
じゃなかったら諸法無可ですね これも
っていうのはさっき言ったような関係性で成り立ってるって言ったけど
物理学の相対性理論っていうのは
すべて観測するものって
観測者から見てたものであると
実験というか人から見てたものごとすべて
例えば電車に乗ってる人は
隣で走ってる電車に乗ってる場合 止まって見えるだろうし
でも近くで風道にいる人は すごい速さで走ってるように見えるかもしれない
見えるだろうし
これは以前はね 地球は止まってるという考え方で
これとは全く掛け離れた考え方をしてたわけですよ
でも観測者によって見え方が違うんだということですね
以前は ああいいのかさっき
間違って地蔵説って言ってないかなと思って
だからつまり相対性理論の説明を聞いてるだけでもね
処方無我とは全く同じことだなと思うんですよね
科学かどうかの違いであって
ちなみに処業無常なんていうのは数学の不完全性定理とは全く同じことだし
つまりは処方無我とも同じ
だと思っていて そう考えると2500年前にね
2400年後のことを予知してたようで
だからその頃から この世界の本質
ことを わかっていた仏陀はやっぱり
すごいと思いますし わかりましたかね相対性理論っていうのは
その関係性でできてるんだと
単純に電車が走ってるかどうかだけじゃなくて
どうやって観測してるか そういった関係性でどういう観測ができるかが変わってくる
そういう教えですね それではしたっけ
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