原因と結果の認識
今回は、原因と結果についての話なんですが、人生哲学の話です。
まずですね、ちょっとどこから話していけばいいかと思うんだけど、
最近話している諸法無我なんていうのは、世の中は因縁でできている。これ辞書で調べてみたらね、
すべてのものがその、原因と結果っていう成り立ちでできている。
っていうことなんだけども、というよりは、
人間がこの世界を捉えるときに、原因と結果で捉えているというしかね、捉えることはできないと思ったんですけど、
でもね、これに関しては、珍しく倉木はね、人間だけのものじゃなくて、動物すべて全く共通していると思ってて、
なんでかというと、原価次義があるから。原価次義って、因果関係がないものを見すべてつけてしまう。
だから鳩に餌を与えたら全く同じ行動をするとか。
あとね、チンパンチンなんかもあるんですね。バナナを同じ場所に置いたときはね、毎回同じルーティンで取りに行くとかね。
もちろん人間もありますよね、原価次義。
これが重要なのは、全く因果関係のないものを見すべてつけてしまう。
だからね、もう本能的なんですよ。
あとは原因ってものがないと気分が悪いですよね。
だから、自然の中に神を作ったのも、天災でね、嵐が来たり、雨が何日もやまなかったり、逆に雨が降らなかったり。
自然に対する恐怖があるから、神ってものがこれの原因だということで説明をつかせる。
エピック版でうちができたのは、なぜなのかわかんない。
だから神が作ったのだとその原因を見定めようとする。
風邪をひいたら、とりあえず原因を探ってみる。
クラスで何か悪いことがあったら、犯人探しをする。
こういうふうに原因と結果を結びつけようとして、これはもうね、人類みんなそうですね。
ホモサピエンスであればみんなそうなんですよ。
動物もそうですね。
ただこれを死を残しとくには必要なんだけど、ただ人間ってやっぱり知性がありますからね。
鳩みたいにそんなおかしな因果関係ないことをする必要ないわけです。
でも幻化継ぎがよく働くこともあるわけですね。
たとえ因果関係ないとしても、精神的ないい状態を保つのにいい働きをすることもあるわけです。
でも時間なんていうのはもう人間が作り出した概念ですし、だから
ここの何かが未来の何かに影響を与えているっていうの自体も人間の捉え方なんだけども
もちろん動物的な感覚でもある。
さっきも言ったように他の動物も幻化継ぎはしますからね。
ただ風邪ひいた場合は何であろうとか考察するのは人間ならではでしょうね。
これによって問題が解決することもあれば、誤って捉えてしまうこともあるわけです。
場合によってはね、因果関係なんかないのに間違ったことが原因だと考えてあいつのせいだとか
シュートのせいでこうなったとか、親のせいでこうなったとか、間違ったところに原因を探したまま
そこに帰結してしまう。帰結して凝り固まって考え方があるという場合もあるわけですね。
まあまあでもしょうねえわけですよね。原因と結果を結びつけてしまうな。
今回言いたいのは、これ性格とかじゃなくて、もう本当に人間の根本の根本で無意識に原因と結果を結びつける
人間の思考の特異性
というふうにできてしまってる。これは自我が人間にあるからなんですよ。
そこまで他の動物はね、これの原因は何だとか考察することないわけですね。
目の前のことを生きることができるわけですよ。
で、そうやって原因と結果ってものが結ぶ。
その思考回路がないと。そんな人がもしいたらですよ。
たぶんね、話聞いてても何言ってるかわかんないだろうし。
なぜかというとロジカルじゃないから。ロジカルってことはそうやって
これが原因でこれが結果でっていう。それがもう根本にありますからね。
話すときってどんな世間話であろうと。
それぐらい、もう人間にとっても当たり前だし根本的な部分なんですね。
この原因と結果、すべてのものは原因があるという考え方。
宗教によってはね、キリスト教なんかだとちょっとまた違うんだけど、
日本民衆はまあ違うんですよね。
だからこそ、これは神からの啓示だっつって
突破をしもなく日本人からしてみたらね、感じるようなことを急にするわけですけど。
日本人はどんな出来事も原因があると思ってるから。
原因結果、原因結果の連続だから、急に突破をしもなく
新たなことを始めるなんととはないわけですね。
それでは、したっけ。