テセウスの船と意識
今回はセメウスの船、試行実験は哲学の話なんですが
これどこでもドアみたいなものは将来できたとして、どこでもドアと
少しちょっと違うんだけど、何が違うかというと
前回も説明しましたが、ある装置でその人の原子レベルまで
しっかり
スキャンして
体をバラバラにしてしまい、別のとこで、その装置で全く同じ人間を作ったら
これはその人と言えるのかという哲学の試行実験があるんだけど
倉木は思ったんですよ。前回はね
自分の意識がないんだから、これは別の人だろうって言ったけども
原子レベルまで全く同じ。もちろん記憶とか感覚全部同じ
でもそれで
この自我というのが、この自意識というのが、この自分ですよね
20年生きてた人は20年間、毎日寝てる間以外は
寝てる間でさえ少しはね、意識
ずっと自分は自分であるというこの意識はあるわけであって
でもその、黒みたいなその
もう一人の人間
別人ですよ、自分からしてみたら
まあ見た目形全部似てるけども性格も
この意識っていうのはこの今までのこの体にあるわけで、向こうにあるわけではない
向こうにはどういう意識があるのかわかんないけど
まあ想像はね、こんな装置絶対できないんじゃないかなって思ってしまうんだけど
でも理論上おかしなわけですよ、全く原子レベルの同じだったら
片方にはこの自分という意識がある
だからやっぱり
なんだかんだ最近
処方向かいの話で自分というものはないって言ってるけど
なんだかんだこうやって
痛み痒み苦しみ
感じてしまうだろうと
いう話はしたけどやっぱり
自分のこの意識あるんだけども
自分が思っているものとは違うのかなと思って
そもそもそんなもの存在しないのかと思って
何かしら勘違いしてるのは間違いないですよね
だからさっき見たような
2つのクローンの間で片方にだけ意識がある
おかしいだろうっていう
記憶と自我の探求
誤解が生まれるわけですよね
あとですね、脳科学的に言うとですね
セメンスの船ってこれ部品のすべてを
入れ替えたら元の船と同じなのかと言えるんだけど
これはねあんまり考えても意味ないような気してて
まあ名前の問題だろうって思うんだけど
まあそうだね
形状にフォーカスを当てるとまあ前と同じものだし
物質にショートに当てるとまあ別のもの
まあそれだけの話だろう
でも人間の場合はどうなんだと
同じことと言えば同じことだし
人間も3ヶ月も経てば細胞がすべて入れ替わるわけですよ
それを同じ人間と言えるのか
あるいは臓器移植とかしてって
腕も足も心臓も
どこまで変えたらその人間と言えるのか
多分前東洋のどっか変えた時点でこの意識
この自我はなくなるだろうし
僕だけは思ってる
前東洋のどっかの場所もある
あるいは前東洋を変えた時点で
プツンとこの意識が消えるような感覚だけど
別の意識になってしまう感覚だけども
その認識自体が何か間違ってるの気がするんですよね
それはさっきからお伝えしてる通りで
だからある意味
細胞がそう入れ替えをしたり
そうやって移植したら
あくまでも名前が変わんないだけで
でも細胞入れ替わったらね
でもその人らしさっていうのはなくなんないですよね
でもそう思ってるのは
人間がそう思ってるだけなのかもしれないし
だって全ての細胞が入れ替わるわけですから
なんでその人らしさってものがあるのかっていうと
記憶ですよね
その人自身
なぜ20年生きてたら20年
この身体
この精神はずっと変わらないと思ってるのか
というと
暗きがいつも話してる
自我ですよね
つまり記憶ですよ
それは考え方が変わらないっていうことでもあるし
友人は友人と認識できてる
過去の記憶もある
だからね
記憶喪失にあった人間っていうのは
まるで別人になると言ってもいいわけですよ
奥さんが誰かも忘れてる
今でやってきた習慣も忘れてる
で、完全な記憶
完全に記憶がなくなってるわけじゃないから
ある程度その人らしさもあるかもしれないけど
この記憶があるから
その人は
1年経っても2年経っても
変わらずその人なのかというと
記憶って間違いを起こすわけですね
一番よく科学的に言われてるのが
デパートで迷子になったこと
なかったとしても
親にそうやってあるあると刷り込まれてきたら
あったのではないかと思ってしまう
自分のただのトラウマ
がテレビで何回も同じ似た場面を見て
それが自分の記憶だとしても
そういうことがあるわけですね
記憶の間違いっていうのは
もう農家学ではよく言われることですね
最後諸法無我の話ですけど
ブッダが諸法無我を言うまでは
アートマンつまり魂ってものがあると思われてて
今でももちろん
魂という存在を唱える
そして輪廻転生があるという
魂は永遠であるという
唱える宗教はありますけど
今思ったんだけど
人間ってその
括弧たる何か変化しないものが欲しい
でも人間の体は少量分子でなくなることも
なくなるというか
心臓もいつでも持ってしまうし
人間は死んでしまうことも分かってる
そこででもこの自分
できれば家族とか
この家とか地域
少なくとも自分の
自分というかこの人間
というものだけは何か
体は変化するにせよ
何か変化しないものが欲しい
括弧たるものが欲しい
自分らしさなんかを求めるのもそういうことだと思います
存在意義というものを求めるときに
何か括弧たる自分というものが欲しい
他のものに影響を受けない何かが欲しい
だし少量分子では
何か変化しないものが欲しいと考えたときに
魂というものを生み出したんだろうねきっと
そういうことなんですよ結局
子供がただこねて
もらえるはずのないものいないはずのもの
例えばドラえもんくれーっつってるようなもんですよ
まあ無理がありますよね
でもこの世界にそういった変化しないものなんてのは
存在しないわけですね
この変天してるこの世界を人間は認知できないだけで
どういうことかというと
この体1秒1秒変化してるのを見てもわかりませんよね
大きな変化がないとわからないわけですね
それではしたっけ