哲学雑談の開始
今回は哲学雑談会になっております。
また、商業無常と商務がかかる話なんですけど
以前、なんて話したかな、あの
いまだにね、自分ってものについて考えるんですけど
やっぱり、この身体、人間の身体
3ヶ月で、3ヶ月おきに
細胞は入れ替わるから
そういう意味じゃ、全く別物になってる
とも言えるけども、やっぱりDNAがあるわけだから
変化してもそれでも自分の特徴はある
とは言っても、DNA自体もほんの少しは変化してて
細胞はやっぱり変化してるんだ
とはいえ、やっぱりその他の人間の大きな変化に比べたら
細胞の入れ替わりがあったとしても
そんなものは小さな変化だとは言ったんですけど
ここは難しくてですね
そのブッダが言った商業無常に
小さいも大きいもないと思ってて
とにかく変化してることは
その事実が肝心なことであり
大きい小さいって言ったら人間がそう言ってるだけ
とはいえ
日常生活を送ってて
そもそもこの現実にそんな無理に
この教えを照らし合わせようとしなくてもいいんだけど
ただですね、やっぱり
どこまで話したかな
日常に照らし合わせてみても
商業無常とか
そもそもそれは難しいんだけど
変化の認識
ただですね、大きい変化
見て取りやすいし
よく言われるのが
これはブッダも言ってるけど小類分用紙
小類分用紙があって
あとは国が滅亡するとか
栄えてたものもなくなるとか
浮気だったものも
横ばいになり、いずれは
下がり気味になり
生きとして生きるもの全ては
命が途絶えて
こういう風に捉えられがちだけど
物を商業無常と言う場合が多くて
小さな変化なんてのは
分かりづらいからこそ
それを商業無常とあまり言わないわけですけど
ではブッダの教えは
全ての物は常に変化しているという教えなわけですよね
なおかつ衰えるなど
滅亡するなど死ぬなど
物は常に変化している
衰えるなど
滅亡するなど死ぬなど
そういうことを言っているわけじゃないですか
あくまでも変化をするということを
ブッダは言っているだけですね
でもそう考えると
今回の話で
言いたかったのは
人間って変化を
この世界はルテンしているということを
認識できないということを
この後話すんですけど
だからこそ
そういう大きなことだけ
変化といって
だからブッダの商業無常は
履き違えて捉える人が多いんだろうけど
商業無常はね
響きありとかもそうだと思うんですけど
一つの捉え方としてはいいんですけどね
別に大きなことを言っているわけじゃなくて
少し考えれば分かることではあると思うんですよ
ブッダの言おうとすることは
前置きはちょっと長くなっちゃったし
それからあれなんですけど
ここから本体なんですけど
人間って今言ったように
あらゆるものは常に変化しているわけだけど
大きな変化がないと分からないわけで
例えば人の感情の変化
人が急に怒りだしましたと
その人の脳内の中では
いろんな思いが駆け巡っていて
起こるまでの過程って
あるわけですね
心の動きっていうのはね
何かを感じ受け止めて考えてって
それは脳内で起きていることだから分からないわけです
あるいは雨が雪になるって
温度温室の徐々に徐々に変化した結果
しか見えないわけですね
こうやってあらゆるものが流転していると
認識できないのは人間なんですよ
言ってしまえば変化は
変化だと理解できないと言ってもいいかもしれないけど
だから雨には雪になったその一瞬しか
その一瞬を見て変化というわけですね
だから親戚の子が
1年に1回会ったら
急に変わったと思える
逆に家族は毎日会ってるから変化に気づかない
っていうのもそうだけどこれも考察してみたんですけど
だからずっと変化してるものは
いつまで経っても変化に気づけない
意識しても気づけない
こういうことなのかなと思うんですけど
さっき冒頭で話した話に繋がるわけですけど
さっきちょっと中途半端になっちゃったけど
やっぱりクラーキーの中では複雑な思いがあって
なかなかまだ整理つかない思いがあって
もちろん本質というか事実としては
全てのものは変化してるけどただ
さっき言ったように自分だって
結局あまり変わらない部分に関しては現実的
普通に日常生活を送ってる分では
やはりこんな自分ってものはないとはいえ
自分ってのは関係性できてるとはいえ
やっぱりDNAってものはあるし
日常生きてる分ではあんまり変わらない
っていう部分もあるんじゃないかなんて考えちゃうけども
ぶったも言ってる通りだし
今でも分かってはいたんですよ
小さな変化である大きな変化である
そんなものは関係ないんだと
大きさなんて関係ないとは分かったけど
そこが今言ってるように解釈が難しくて
なんだけども
今回お話ししたさっきの
雨が雪になるとき
雪になった瞬間だけ捉えることができる
でも実際は人間がそう捉えてるだけで
もう天候の変化っていうのは
人間の固執と変化
水面下ではものすごく行われてるわけで
そんな一瞬の出来事で変化してるわけじゃないわけですよ
同じように人の感情も一瞬で
一瞬で急に感情変わってるように見えるけど
そこまでの過程があるわけですよね
例えば旦那さん奥さんが急に離婚するついてきて
急になんだと思うかもしれないけど
そこまでの積もり積もった思いがあるわけですよ
病気なんかもそうですよね
急になんで引っかかったんだと思うかもしれないけど
それまでの長い積み重ねがあるわけですよ
小さい頃から
だとすれば人間が単に認識できないというだけですからね
単に小さいかどうかっていうんじゃなくて
水面下ではそれだけ小さくない変化が起きてるわけですから
だとすれば
クラキア今言ってるところの小さな変化
さっき言った細胞が3ヶ月で変わるとか
これも人間が認識しづらいだけであって
やっぱりこれも十分な変化なわけですよね
やっぱりこれも十分な変化なわけですよね
だとすれば3ヶ月経ったら
これもテセウスの船っていって
試行事件があって
これはやっぱり人間もやっぱりこれは
変化してないとも言えるかもしれないけども
十分変化してると言えるかもしれないですね
かもしれないっていう言い方は変な話なんですけど
捉え方の問題だから
あと単に認識できないだけとなれば
この世界も全てでも
実は
人間が小さな変化だとやっぱり感じてるだけであって
全ては同様に
変化してるわけですよね
例えば地球なんかもね
地球上にいる人間は分かんないけども
とんでもない速さで
時転・光転してるわけですよ
ものすごい御音が鳴ってるっていう話も聞いたことありますし
人間が諸行無常って言えば死ぬとか
病気になるとかしか分からないけども
人間は
実は変化してるんだけども
それを小さく見えてしまう、気づいていない
小さな変化に見えてしまう
そういういろんなパターンで
間違って認識してしまってるだけで
いわば錯覚ですよね、実際は
病気とか死ぬとかどんなことが起きてるのか
そういう状況で
人間が
いわば錯覚ですよね、実際は
病気とか死ぬのと同じように変化してるわけですよ、常に
だとすればやっぱり昨日の自分と今の自分
違うし、そもそも自分なんて
いないなって気になりますよね
昨日会ってたあの人、この人
表面上そんな変わんないように見えるけども
どう変わってるかなんて分かりません、それこそ
さっき言ったように
急に感情が変わってるように見えてもね
急に態度が変わってるように見えても
実はそれまでも十分変化してたわけですね
目に見てとれないだけで
ということは
特に問題なく何ら変わらない
平穏な日々を送ってると思ってても
実は
裏ではものすごく大きな変化が起きてるかもしんない
何も問題なくてもそんな時にも
裏では何か
国のどこかで
何か計画が練られてて
何か
大きな問題が起きるかもしれないとか
子供の時よく考えてたんですけど
でも変化ってものを分からないからこそ
仏陀の教えも理解して
分からないからこそ
仏陀の教えも理解しにくいわけです
2500年
だって何人が理解したんでしょうかね
あとはやっぱり固執してしまうけど人間は
自分は
永遠のものだと考えてしまったり
だから変化してることに気づいてないから
このまま変化しないと思っちゃうんでしょうね
いつまでも病気にならないと思ってしまうし
でも常に変化してるわけですよ
病気になったりすることもないわけですよね
それではした