幸福の定義と集中
倉木凪)です。
倉木ってね、こんな考え方するんですよ。
幸せ、自分が幸せかどうかって一生確認しないんだろうなと思って。
なんでかというと、自分が幸せかどうか、客観的に見てる時って幸せじゃないからなんですよ。
どういうことかというと、これ心理学の本に書いてあったんだけど、人間は集中、自分はしてるかな?
なんていうふうにね、我に書いて考えてる時って絶対集中してないんですよ。
例えば、ドラマ見てる時そうだ、わかりやすいかもしんない。
でも、没入してる時って、潜入と言ってもいいかもしんない。
してる時って、そんな客観的に慣れないんでしょう。
でも、これでドラマなんだよなって、我に書いる時ってのはもう絶対ドラマに集中なんかしてないじゃないですか。
そういうことなんですね。人間が集中してる時に自分が集中してるかなんて考える余地ないんですよ。
それと同じことなんですよね。自分が幸せな時、幸せの定義を置いといて、幸せの時に自分が幸せかなんて確認できないんですよね。
で、映画を見てる時が幸せの時だとしますよ。
で、映画を見てる最中ってね、そんな快感なんて出ないと思うんですよ。
もちろんね、主人公が壁を乗り越えたって言ったら、そういう意味では快感だろうけど、
それを言っては何か失敗してしまって問題が立ち上がったとしたら不快感ですよ。
でもそれを含めての快感なんだろうけど、
でも実際はね、見てる時なんて集中してしまってそんな快感なんて出てる、
集中してる時って感情なんて動かないからね。
だから人間にとって幸せな時間って別に、
実際は別にね、何て言うんだろう、快感なわけじゃなくて、
後から振り返ってあれが幸せだと自分が勝手に定義付けしてるだけなのかなってね。
集中と不安
そうとも言えなくはないなと思うんですけど。
あとね、結婚して幸せになりたいなとか、
新たな家で幸せになりたいなって思うじゃないですか。
でも自分がね、幸せかどうか確認できないって辛いとこですよね。
しかも後から振り返ってあれは幸せだったと思ってでも、
実際は集中しているから別にそんな快感物質とワードが出てるわけでもないってなればね、
何を持って幸せって言うかって考えどころですよね。
だからクラウキは幸せなんか求めない方がいいってそういうことなんですよ。
意味ないから。バカバカしいから。
幸せっていう概念自体がバカバカしいと思うものだと思ってるんですよ。
でもね、集中してる時のことで考えると分かりやすいんだけど、
やっぱり人間、何か資格を取りたい、受験合格したいってなったら、
なるべく集中したいじゃないですか。
で、不安になるじゃないですか。今集中本当にできてるのかなって。
でもそんなこと考えてる時点で集中できてないわけですよ。
今集中できてるかなーってことに集中してるわけだから。
同じですよね。人生生きてたらね、今幸せかなーなんて考えるわけですよ。
でも後から振り返ったところで分かんないし、
さっきの例えと同じように今幸せかなーって不安になったって何にも解決しないんですよね。
解決する方法なんてないんですよ。
だからね、幸せなんかを追い求めたらいいんですよ。
それでは明日っけ。