幸せの概念の探求
まず幸せって概念はね、倉木はね、ちょっと、倉木の中ではね、かなりよくわかんないもので、ちょっと幸せって概念についてまず考えていきたいんですけど
まあ幸せと単なる快感?何が違いますかね?違うものでしょうかね?
まあ考えてもらったらわかると思うけど、快感ってのは、快感と違って幸せって言うと、何か自分では把握しきれない何か
幸せとはこういうものだなんて定義付けるものではない何かがあって、どこにあんのかわからないものがあって、
その幸せっていうものは何かっていう答えがね、どこかにあって、
で、何かそれを見つけなきゃいけないものみたいなイメージですよね。
単なる快感とは別の、もうちょっと深いものっていうイメージだと思うんですよ。
快不快とは別に、あるその他の動物との違いがあって、
何か特別なもの。他の動物の快感よりもっと次元が高いもの。
まあそういうイメージだと思うんですよ、幸せって言うと。
で、もちろんね、人によっては死後の世界に幸せを求める人なんているから。
だからね、さっき言ったように、幸せってもうよくわかんない概念だなって思うんですよ。
まあ、死後の世界の幸せとまでは言わなくても、
まあさっき言ったようにね、快感とはちょっと別物だっていう印象がありますよね。
単に快感が多くなれば幸せになれるかっていうと、そうではないって認識だと思うんですよ。
で、倉木が思うにはね、今話してて思った通り、
幸せって言うと、幸せとは別のものだと思うんですよ。
で、倉木が思うにはね、今話してて思ったんだけど、
人間は幸せをみんな求めてるだけだ。
ただね、もっと本音としては、そんなものを求めてもしょうないし、
そのね、でも幸せになりたい。
っていうね、うまくバランス取りながら、ゆるい動きながらね、
なんていうのか、言い換えると幸せを求めてるつもりになってる。
それで、そこに満足してる。
いい意味でね、満足してる。満足できてる。
これが幸せを求めてないとなれば、非常に生きにくくなるけど、
ちゃんと幸せを求めた中ででも、幸せなんていうのは、
ただの概念でしかなくて、っていうのもわかってる。
だからこそ、人間ってわざとこのわかりにくい幸せっていう概念、
だけども、それを求めてるんだなってね、今思いましたね。
で、一言で言うと、幸せ、定義なんてもうないですよ。
実際、この物理空間で起きてるのは、脳内物質、ドーパウミンとか出たり、
エンドルフィンが出たり、そういう快感物質が出るか出ないかで、
幸せがどうかなんて、さっき言った死後の世界のお話なんて、
幸せとその追求
もう咲いてるもんだけど、そんなのオカルトでしかなくて。
だからもう少し、ちょっと間違ってはいるけど、わかりやすく言うと、
幸せを求めることに幸せを感じてるっていうのかな。
あえて幸せっていうわけのわかんない概念を求めて、
それについて考えたりそれを追求していくのはね、
人間が幸せになろうとしたってそんなになれるもんじゃないけども、
でもそれについて考えていきたいっていう、求めてはいたいっていう。
でも求めたら単純にね、求めたら虚しくなるから。
なぜ虚しくなるかは、自分でもね、わかってる人が多いと思うんだけど、
人間の快感不快感ってね、バランスが取れるようにできてるんでしょ。
だからこれも本当に受け入りがたい、
暗きもね、普段からすごく意識するけどでも受け入りがたいことだけど、
今楽しければその分将来楽しくないわけですよ。
それは短期間で言っても長いスパンで言っても。
でも今苦しい思いをしたら、その分ちょっとしたことでも楽しく思えるわけですよ。
だからね、今高級寿司店でウニを食べたら、その後に食べる海鮮寿司のウニなんか食べれないわけで、
今海鮮寿司のウニ食べたら、1週間後食べる高級寿司のウニがものすごく美味しく感じるわけで。
これはね、普遍的なことですね、もうこれね。
多分人類が進化して1万年後もね、そんな感じだと思いますよ。
そこは変わんないと思うね。
まあ人間がこの地球にいる限りそれは変わんないんでしょ、きっと。
まあでもそんな単純なものだとは思いたくないから、
幸せっていうね、複雑な、よくわかんない概念を人間は考えるというか、求めるというか。
でそれに喜びを感じてるんでしょ、きっと。
でね、死後の世界に幸せを求める人なんているんだからね。
もうこうなってくるともうこじらせてるよね、だいぶね。
まあでも同じことなんですよ、死後の世界で幸せになれると思って
ドーパミンがたくさん出てれば今は快感なんだから。
まあ体内で起きてることってね、目の前にケーキがあろうと
死後の世界の幸せを求めていようと
来世の幸せを求めていようと、まあ体内で起きてることは同じなんですよ。
それを人間は複雑に考えてるだけで。
それではしたっけ。