トラウマと記憶の影響
トラウマについていろいろ考えさせられるんだけど、まずトラウマっていう場合は普通はね、交通事故にあったとか、スポーツしてるとき大きな事故にあったとか、だってことをまず気づくんだよね。
倉木みたいにこんな、しょっちゅうトラウマになってる人ってあんまりいないんだろうなと思ってね。じゃあトラウマじゃないかっていうとね、やっぱりね、トラウマなんですよね。これ言葉の問題ではなくて本当にトラウマなんですよ、これ。
でもじゃあPTSDなのかっていうと、先生によっては違うっていうかもしれないし、もっと大きなことドカンとあってね、そういうことをイメージする専門家もいるかもしれない。こんなしょっちゅうしょっちゅうなるようなものではないと、言う人もいるかもしれない。
でも倉木はPTSDだと思ってるし、なんらその交通事故にあった人とかとなんら変わんないことだと思ってるし、柔道かどうかっていう程度で言ってもかなりの柔道だと思ってるし、一つ一つの記憶も一生忘れるようなものではないし。
あとね、倉木はね、まあ運が悪いんだね。こういう風にね、エピソード記憶って言って物事を覚えてしまう。そういう記憶が、脳の部分がね、たぶん発達しすぎてしまってるんだよね、たぶんね。まあ運が悪いんですよ、とにかく。忘れられたらまあ、でも倉木の場合ね、忘れることができていたらなとは全く思わないんだよな、それが。
これ、あのトラウマがあること自体が問題じゃないから。そうやって人生損してきたこと自体が問題だと思ってるから。でも難しいんだけどね、人生に損するなんてのはね、ことなんてないし、そんなのは自分の解釈でしかないと思ってるし。
でもその一方でね、じゃあ人間お互い様だと迷惑かけられ、で、そういう風に捉えてはいけないこともわかってるんですよ。やっぱり厳粛にこれ、人と関わったらトラウマが増えてしまうってことは受け入れなきゃいけないし、予防線を張る必要があるし。
だから、倉木にとってはすごい厄介な概念なんですよね。トラウマ自体もそうだけど、トラウマっていう概念自体も厄介なものなんですよ。
あと、倉木はね、トラウマを作りやすい人っていうか、そういう状況になりやすい人っていうのは、まず人とずれてる人、個性的な人。それがいいか悪いか置いといて、まずとにかく個性的である。標準的でないってことですよね。だからね、ボーダーでないってことですよ。
で、何かつ、こいつに何言っても大丈夫だろっていうような、あまり弱弱しい感じはない人。なんか心がそんなに簡単に折れそうじゃない人。ずぶとそうな人。無神経そうな人。
で、3つ目の条件が、あまり気が強くない人。人間ってね、自分より弱い方にね、弱い方に、何か行くようになってるから、人から嫌なことされたら、今度は自分より弱い立場の人にそれを無意識にしてしまうっていう風にできてると思ってるから。
だから3つ条件は揃ってるからね。だからね、トラウマができやすいと思ってて。で、しかも記憶に残りやすいんですよね。
人間関係の影響
最近も思ったことありますよ。やっぱりね、こんなこと綺麗さっぱり忘れてっていう風にやらないで、やっぱり後からくよくよとそのことについて考えてしまうくらいやっぱり記憶に残ってしまってたなってね、思いますね。
まあ単純にそうしてなければよかったっていう話ではないと思ってるんだけど。そういう性分だったと思うしかないんだけど。
あと次の話ですけどね、やっぱり冷えこもり中は、やっぱり近所の人のトラウマが多くて、ただね、人と関わることってあんまりないから、直接に関わることは。洋館ぐらいだから。
で、同じ人と関わっててもね、覚えてる記憶するかどうかで言うと、そんなたくさんのことね、覚えれないですよ。やっぱり細かいこと。それよりも何か大きなこと、外であった方が覚える。
あ、でも今話してて思ったんだけど。やっぱり細かい違いがあると、クラキとね、親子喧嘩のエピソード散々今は撮ってきたんで、それ聞いてもらえれば分かると思うけど。
やっぱりね、お決まりのパターンっていうのがあって。だからこそクラキはね、それはそれでね、いろんな人といろんなトラウマができるっていうのもそうだけど、同じ人から同じことで何度もダメージをくらって、これはこれでね、辛いもんですよやっぱり。
また勝手になるから。まあそういう意味でどっちの方が辛かったかって、比較できないんだけど。それではしたっけ。