プライドの心理
今回は哲学雑談会になっております。早速ですが、プライドが高いって言うと、まさに何イメージを見せますかね。
プライドはまあ、発達障害の存在型っていうタイプがあるんですよ。まあ色々積極的とか、児童型とか。
ある中で存在型ってあって、自分が正しいと譲らない人。正しいと言って譲らない人。
これをイメージしますけどね。というかまあ、具体的にそういう人浮かび上がるわけですけど。
周りにいないですかね、そういう人。プライドが高いし、まあ自分が正しいといつも譲らない人。いないですかね。
今回は言葉のあやの話にはならないようにしたいんで、まずこれを話したいんですけど。
プライドって誇りとか自尊心とかジェフって意味だから、別に悪いことでも別にいいことでもどちらでもない。
どういう意味かっていうといいことですよ。自尊心なんか。
人間、自己肯定感とかね、いう意味と言い換えてもいいだろうし、別に全然悪いとかいいとかじゃないし、逆にいいことだと言っていいですよ。
なのにも関わらず、あの人はプライドを讃えないって言いますよね、ということはですよ。
まあそれはどういう意味かも大体わかりますよね、ということはですよ。
結局、単に自尊心があってもですよ。
それを自信があって誇り高い、気高い人だととるか、同じことなんですよ。
それかもしくは、同じように自尊心があるだけなのに、あの人はなんか嫌だとか。
結局もう単に好き嫌いで見てるんだけど、ただその自尊心があるところの周囲を見てその人がどうとか言ってるだけだと思うんですよね。
自尊心がある程度自体は同じでも、なんとなくこの人気に食わないってなったら、
まあそれはその人は嫌いだけど、あの人プライドが高いよねってなるし。
その人たちが悪いのは、まあこれしょうがないんだけど、生物である意地は。
なんとなくの雰囲気で好き嫌い、生理的に受け付けないとかね。
それで単純にプライドが高いよねとりあえず言ってしまってる場合、これもあるんですよね。
では次の話で、じゃあプライドが低い人ってどういう人かっていうと、これはいないんですよね、プライドが低い人。
これ面白いですよね。
プライドが高いと何か考えた瞬間、そんな人いないだろうと思ったんだけど。
自尊心が低い人、自己肯定感がない人はいるけど、ただこれについては言葉のあやの話なんで、
プライドが低いっていうのは言い方をしないんだなだけの話であって、自尊心が低いって言い方すればいいだけであって。
これについてはもうこれ以上研究しないですけど。
ただ一つ言えるのはプライドが高いって、本当にただの雰囲気の、
努力と同じで、黒木の努力って言葉も嫌いなんだけど、
本当に子供のあやってどうとでも取れるような概念でしかないんですね。
だけどあえて今回プライドって高いってどういうことだろうと取り上げてみたんですけど。
じゃあ逆にどうでしょう。自尊心が高い人。
嫌いだと思うことありますかね。
自尊心ありすぎてやですよね。だからプライドが高いっていうのは、
プライドが高い程度ならいいんですよ。異常に高いっていうことなんですよ。だからプライドが高いっていうのは多分ね。
自尊心がありすぎる状態。自尊心が高いのは別にいいんだけど。
ある程度あった方がいいと思うし。
っていうことはですよ。プライド、自尊心は、
あるかないかで人を好きになったり嫌いになったりあんまりしないってことですからね。
そんなの勝手だろうと思うんですよ。
だから、いやもちろんね、この人はプライド高いなと思うことはあるかもしれないけど、
さっき言ったようにその周囲で決めてしまってる。
なぜこう言えるかというとさっきから言ってるようにプライドっていうのはもう本当に曖昧な、
よくわからない概念だから、
プライドが高いから嫌いになるってことはあんまりないと思うんですよ。
これがクラキの持論ですね。では次の話。
目的の意義
何か物事を取り組むときに最初は目的を持つと思うんですよ。
でもしばらく経ったらそれは
元々の目的を思い出せないことがありますよね。あれなんでこれやってるんだっけって。
これアラルだと思うんですけど。でもよく考えてみたら人間ってそれ変化してるわけだし、
途中でいろいろ考え方も変わってるんだろうから、
もともとの目的を初心観徹できてないからって別にいいと思うんですよ、クラキはね。
それが人間だと思うし。
とはいえですよ。やっぱり初心観徹した方がいいだろうし、
もともとの目的を忘れてやってることは同じだとしてもですよ。
やってることもだいぶずれてる可能性もあり得るし、
やってることが同じであればまだいいけども、いろいろ変化しちゃって。
だから行動自体、やってること自体変化してもともとの目的が忘れてなければ多少の変化で済むかもしれないけど、
っていう場合ですね、やっぱり目的初心っていうのは時より思い出す必要があると思うし、
これ矛盾っていうかパラドックスですよね。
人間変化してるんだからもともとの目的なんか忘れてしまっててもいいけど、
その一方で、もともとの目的を忘れて成功し続けてるって、やっぱりおかしな話だし。
じゃあどう捉えればいいですかね。
これと関係ある話で、何かやり始める時って、はっきりした目標を持ちましょう。
これビジネス書いてるけども、はっきりとした目的意識を持ちましょうとか、
小学校とか、学校でも先生から言われそうだけども、親が子供に言うことはあるかなって。
こういう場合、ありありと目的を思い描く。
目的って自分で作るようなもんじゃないですからね。
だからありありと思い浮かべようが、
っていうか何だろう、そんな目的、
いや本当にとんでもない人間だったら、いないこともないと思うんだけど、
目的と行動が関係ずりだったらこんなことはしないと思うんですよ。
だいたいの目的、それをやる行動の目的ってわかってるだろうし、
いや中にはいますよ。今までクラッキーも結構驚いたことあるけど、
逆にクラッキーなんか目的が何かはっきりしようとしようとしすぎて、
別にそこまで根詰めて考えなくていいなってあるんだけど、
人によってはね、もうちょっと明確な目標を持った方がいいんじゃないのって人はいるけども、
何を言いたいかっていうと、大学の受験免許するときは、
だいたい理系とか決めて、国立とかどうかイメージ持ってやってればそんな明確にね、
ありありとビジョンを描いたり、理想像を描いたり、
イデアを描いたりってそんなことする必要ないわけですよね。
自分で単に後付けの理由っていうかね、
自分であえて作った目的、なんて目的じゃないわけですよ。
かといってですよ、
自分の内側を掘り下げて掘り下げて自分は、
何を果たすためにこれをやってるのかみたいな、
自分の内を掘り下げても、それはそれでね、見つかるものがないと思うんで、
無謀な挑戦だと思いますね。いくら探してもないですから。
まあでもあると信じてやってるし無理だろうし、
自分でそういう目的を勝手に作り上げるのもそれでおかしな話で。
目的なんて意識なんて持つ人ないと思うんですよ。
では次の話。
未来のトラウマ
まあだからちょっと話戻りますけどね。
自分の行動のね、やってる何に起因してこの行動してるかとか、
あんまり考えても意味ないと思っていいと思いますね。
人間食べて排泄して、
まあそれ以外はあんまり、
これ何のためにこれやってるかとか、
元々の動機は何だとかあんまり考えても意味ないかもしれないですね。
あとクラキは未来のトラウマっていうのも実際できると思ってて、
まあトラウマっていう概念がね、クラキのイメージでは、
もうこびりついて、考えたくないんだけど考えてしまう。
食事中ももうそのこと考えて食事がおいしくない感じてしまう。
これがクラキにとってのトラウマなんだけど。
クラキの学生時代だから未来のトラウマの方が多かったですよ。
ああ今日これやんなきゃいけないんだ、1週間後これやるんだ。
人間って想像力あるからね。過去も未来も。
想像したものに過ぎないから。
過去の記憶を想起するのも、未来の嫌なことを想起するのも同じことなんですよ。
トラウマとほぼほぼ同じ原理だと思うんですよね。
だからクラキは未来のトラウマもできると思うんですよ。
でもまあ過去のトラウマと同じことが未来に起きるから。
それですでに起きたことでもないのにトラウマになってしまう。
なんかデジャブもそうですけど。
人間ってなんか不思議な認知の仕方しますよね。
それではしたっけ。