不安の錯覚
最近不安ってことについて話したんですが 不安なんて存在しないんだと。それについて
ちょっと別の視点でというか、まあちょっと改めてさらに踏み込んで話していきたいんですが 前はね
自分なんて存在しないんだ、違う心なんか存在しないんだから 不安なんてのも存在しないって話して
まあ動物なんかはね、そんな思い患ったりしないから 人間だから
なんだという 話もしましたが
いやいやそれにしてもでもね 人間でもあってもそれでもね
余計な気がしてならないんですよ 不安に思うこと
何が余計に感じてしまってるか、後で分かると思います
前回とはちょっと説明の仕方が違うんですがもちろん
やっぱりね 心なんかないと言って言われてもいい
それでも こうやって
不安を感じてますよと 言われてもそれでもなおね
強く言いたいんですが
不安なんかは 感じてると思ってるだけで
不安なんか感じてないんですね その証拠として
今こうやって話聞きながら不安に感じてる人っていないと思うんですよ絶対 っていうことはそれはつまり
後から振り返ってみてあれは不安だったなぁと 不安に感じてたなぁと思うことしかできないということですね
それで客観視した時にあれは不安だったと捉えているだけなんですよ 実際に不安だと感じてる時ってじゃあどういう状態かっていうと
後から振り返ってみて不安だと感じている時 その時どういうことかっていうと
例えば将来のことだったり 3週間後ある
ゴルフ大会のことで不安のことを考えている時 そのこと頭にゴルフ大会のことを
思い出したと思って頭に映像浮かんでる時って 不安に思うわけがないんですよ
で仏教のね瞑想なんかでも 探伝に集中させるとかいろんな集中の仕方ってあるんだけど
頭の中に何かね仏像を想像するなりそういう 想像するってことも実は集中なんですね
これは最近話しましたけど集中することはそれだけ
そういった不安とかそんな感じは出ませんからね ああそういえば今思い出したけど
結局 人を暮らしめてるのは
記憶だった話もしましたし さっきのも同じことですよねだから
後からやっぱり振り返って
あれは不安だったなんて思ってるだけなんですよ 問題の念味は記憶にあるわけですね
話戻りますけど だから何かを思い浮かべてあれが将来不安だなって思ってる状態って
その時点では不安に感じてないんですよ
じゃあいつ不快な感じになってるかっていうと その直後ですよもうこれもう瞬間的なことだから
あれなんだけど まあまあだからこそ勘違いしてしまうのはねその時に不安に感じている
未来のことを考えて思い出している時点では不安に感じてないんだけど これをしてしまったということ事実を見て
ああ今自分は
そうやって未来のことを考えてしまってたっていうことで不快に思ってその現象が この一連の現象をその人は不安に感じているとは
後から捉えているだけなんですよ だからまあ不快な感じを感じているのは事実なんだけど
でもねそれでもねやっぱり自分ではないんですよ 自分でものは存在しませんから
記憶と感情の関係
自分の心でもないんですね じゃあ誰なんだと誰が感じてるんだと言われば
答えはその時によって変わるとしか言えないんですけど 人間って修行無常ですからね
一瞬も同じ状態では ってことはありえないですから
なんか仏教臭くなったけど ブッダの言った言葉ですからこれ
紛れもなく
なんだっけなそれで
ああそれでもだから その不安にやっぱり実態なんかないししかも
今の一連の現象でしかない 現象を自分が不安だと捉えているだけなんですね
ということは対処法もわかりましたよね 未来のことを考えている時点ではいいんだけど
それでいちいち 動揺しなきゃいいわけですよ
で未来のことを考えてても不安 でも癖がついちゃったんだけど未来のことを考えている時点では
その未来はまだ来てませんね ゴルフ大会は3週間後なんですから
だから1回目の前の 例えば椅子に座って前の前に机があったら
今は自分は
こうやって座ってるんだと クラーキーも自然にそれをやってました
今自分はどこにいるのか何をしているのかわからなくなる時があるんですよ
未来に対する不安とかではないけど不安な感情でそういう時はね
今横になってるだけなんだ座ってるだけなんだって自覚するんですよ
まあでも共通しているのは もう空想の世界に入っちゃってるってことですね両者
共に だから現実に立ち返ることは大事ですね
まあでも難しいことなんだけど
未来のことを考えてしまった時に ことつはそれを取り上げないってことですね
では前回の続きでした それではしたっけ