幻想としての未来
倉木は、人間って本当に幻想ばかり見てると思ってて
ブッダはこの世界は幻想だと言ったぐらいですからね。
だからそれこそ、諸法無可の通り、自分というのも幻想だし
自分という存在ということですね。
あとはですね、何かを思い描く、夢を思い描く、なんていうのも幻想なんですが
自分でもね、考えてもいいなかったことだけど
また新たな発見があったんで、これをお話ししていきたいんですけど
例えば、小学生が学校に行く場合
別に小学生ではなくてもいいんだけど、中学生でも大人でもいいんだけど
学校だったり会社に向かうとき
小学生であれば小学校に向かうとき
何だせる人を言いながら、どこどこ歩いてて
大体予想つきますよね
まさかね、学校に行く途中に猛獣に会うとか
学校で教師に叩かれるとか
そんなこと思いもしないですよね
学校で昨日までみんなと仲良くしてたのに急にいじめられるとか
これも人間の想像力によるもの、今回の話で言うと幻想でしかなくて
そういったものが常にあるから人間ってこうやって
精神的にそこまでぐらつかないでいけるのかなと思ったんですが
どうすればいいんだろうな
そういう想像を働かせるっていうのはね
夢を見るとか将来に対する計画を立てるとか
何かインスピレーションが必要な場合とか
あとは結婚生活をイメージしてみるとか
そういうことだと思いがちだけど
自分で意識してないんですよ
せずに人々は
今日はだいたいこういうふうになると
そういった見通しをつけるからこそ生きやすいし
そんなとっぴなね、まさか途中で盲人に会うんじゃないかなって
でもこれってね、なんだろうな
単なる予想とかじゃなくて
頭の中にそういうイメージがあるっていうことなんですよ
それってとりあえず昨日まで見てた世界の記憶でしかないですよね
実際は盲人が現れるかもしれないし
限界の意識
未だ見たことのない動物が現れるかもしれない
学校でいじめに会うかもしれない
今の例だとね
ちょっと単なる極論だろうと思うかもしれないけど
その通りなんですよ、その通りなんだけど
他の動物だったらね
こんな想像は働かせないからこそ
人間にとっては全てが初めてみたいなことなんですね
それだけ新鮮に感じられるけど
こんなにね、一つ一つのことが新鮮でないのって人間ぐらいですよ多分
だから他の動物がね
他の人にとって人間というのは
何もかも同じ道を通っていけない
同じ道を通っていくんじゃないか
と言われる人も多いですよ
どうせ同じ道を通っていけないと思ったら
他の人も同じ道を通っているときも近づいては
同じ道を通るというのは
不思議なもんですよね だからこそそうやって同じ道を取ろうとする
想像力があった方が いろんな不安のことが頭によぎって
そういうリスクを回避しそうじゃないですか 今回はそういう話なんですよ
本当に微々たるものですが微笑ですが 今までの経験から学校に行くということはこういうことなんだと
1時間目2時間目会って大体何時ぐらいで帰れてっていう そういう頭の中でイメージができてるから
そこまで不安にならないで生活できるんですね ということは
自分で勝手に自分の
限界を作ってるし今までの延長線上で 生きてしまってるっていうことでもなりますよね
よくビジネス書で書いてるけど そこと今は結びつきましたね
そういうことなんですよ だから自分で意識せずともしないで
クラウキもそんなことを考えてもいませんでした だって意識してないんだから
もし人間から想像力を取るのであれば
全てのことは初めての方となりに感じるわけですよ
予定調和でなくてもそうやって想像力を働かせながら 生きやすくしてるとですね
これはね全てのことについて間違いなくそう言いますね 見通しがつけられるものって全てそうだろうね
今回の話わかりました?初めての場合 例えば入学式
旅行先始めていく場合 やっぱり緊張しますよねそれだけねでも普段の生活はそうじゃない
っていうのは
実は人は そういったところでも幻想を見ているという話でした それではしたっけ