発達障害の自己認識
最近話したと思うんですけど、どっかのエピソードでね、発達障害の人は自分が不正解だと思いすぎなんですよ。
だから周りの人はみんな正解であると。
だから自分は正解に近づかなきゃいけないし、何か問題があったらそれは不正解である自分のせいだと考えてしまうんだけど、
あとはプラス問題なのが、正解ってものがあると思ってるあたりですよね。
これ難しいってことで、やっぱり普通ってのはあるんですよ。ボーダーってのはあって。
そこから離れぷらい離れるほど、普通でなければならないほど障害になってしまうのは間違いなくそうなんだけど。
ただ、生き方の正解があるかどうかというと、それに近づこうとしたところで、そんなものないですから。
で、発達障害は自分が間違ってると思いすぎてしまうんだけど、自分の周りみんなが健常者じゃないわけだし、スペクトラムなものですから。
だから発達障害もいるだろうし、それに近い人もいるし、別の障害の人もいるだろうし、単に頭がぶっ壊れてる人もいるだろうし、
性格がぶっ壊れてる人もいるだろうし、幼児虐待を受けてだいぶこじらせてる人もいるだろうし、
まあ極論だけど人がやめてしまって、なぜかしゃばにいるっていう人もいるかもしれないし、善かがある人もいるかもしれないし、
まあいろんな人がいるわけですよ。そのうちの発達障害という障害があるっていうだけで、自分には、自分にあって発達障害者には、
それぞれいろんなものを抱えて生きてるわけですよ。不倫してるかもしれないし、
友人から1000万借りて返してないかもしれないし、どっかから追われてるかもしれないし、金借りて、
物を盗んできたばっかりの人かもしれないし、周りの人って何してるかわかんないからね。
だからそんなに発達障害があるから自分は間違っていて、近づけなきゃいけないって考えなくていいんだけど、ただとはいえ、
あのクラキは発達障害は普通では、障害ではないだろう。
そういう馬鹿らしいこと言う人はね、アホだと思っていて、いや障害の概念っていうのは要は、
生活してて困るっていうね、だから便宜所、そういったもの、概念を作って、医療機関で何とかしましょうってもんだから。
いや普通だと捉えていいんだろう。そんなものは障害なんて、発達障害って障害名としてついてないだろうし、
サイコパス的な何かね、単にそういう性格であっているだけで終始してるはずだろうから。そういう考え方ってすごい馬鹿らしいと思うんだけど。
ですよね。だからね、自分が不正解だと思うのは間違いだけど、でもやっぱりボーダーから離れてやってるっていう点で問題はあると捉えるべきだし、
そもそも問題が、だから会社とかで、学校でうまくいかないといけないという問題がそもそもあって、それの原因として自分にどっか問題があるっていう、そういう問題ですね、今言ってるのは。
問題があると捉えるべきなんですよ。非常に矛盾ですよね。自分が不正解ではないけど、便宜上問題があると捉えるべきで。
だから便宜上、周りの人はいろんな人いるけど、周りが普通なんだと。
でもね、前回のエピソードで話したけど、果たし弱いの人が普通になろうとしたところで意味ないんですよ。
頭で理解して普通になろう、普通がわかってるだけの話だから。
でもクラキはね、あたし覚えてね、お医者さんにさえ理解してもらえないんだから。
特性を理解するっていう意味でも、無数に特性なんてあるから無理だし、自分の性格を知ってもらうなんて無理だし、どういう偏りがあるかなんて知ってもらうのは無理だし、
知ったところでそれに対してどう対応すればいいのかなんてわかんないだろうし。
だしその、なんていうかな、受け入れてくれる。寛大な心で見守ってくれるっていう意味でも、お医者さんでさえひどい対応されたしクラキは。
ダメだと思ってますから。
じゃあクラキさんどうすりゃいいんですかって言いたくなりますよね。
クラキがね、本当にそうやって、専門家にそうやって言いたいですよ本当に。
あのー、研究が進むのはまだいいけど、あの矛盾することをね、平気で言うのどうかと思うし、お医者さんたちは発達障害のことをあんたら理解する気ないのかと思うし、
学術的に理解できなくてももうちょっとさ、障害のある人たちなんだから優しい心で見守ろうとか思わないのかなと思うし、
っていう本音をちょっととろしてしまったんですけど、
話戻りますけど、便器状況、問題が大ありだと考えるのであれば、周りは問題はないと正解であると。
矛盾する理解の受容
正解とまでは言わないまでも、周りは正しいということになってしまうんですよね。
でもその正しさってね、
修行も異常って言いますけど、時間が経てば変わるし、集団が変われば変わるんですよ。だからね、
正しさが変わるから非常に苦労してきました。
学校なんか、そうじゃないですか。
学校ってね、集団いろいろありますよね。
クラブ活動、部活、クラス、委員会、生徒会。
クラスにはいろんなヒレリアルキーがあって、職員室には先生方がいて、そこそこで正解が変わってくるわけですよ。
そこに行くたんぶにね、正解変えられてね、私障害としては普通になろうなろうとして頑張ってるわけでしょ。
でもそこ行ったら、そこそこで正解が変わるから苦労しますよね。
で、クラキなんかは宗教に入ってたし、親の知る家とかにもあってたから、
全然そこによって正解が変わるわけですよ。
で、正解になろうとするわけですよ、私障害の人って。
クラキも例外でないんだけど。
でも何が何だかわからなくなりますよ、だからね。何が正解なのか。
だから今回言いたいのは、まずは自分が不正解だとは思わないこと。
みんな何か抱いてるんだから。
発達障害なんて便宜上人間が作った概念でしかないから。
どれが正解なんていうのは言えないし。
っていう話がまず一つ目で。
でも、発達障害ってやっぱり障害でもあると。
この矛盾は受け入れるしかないですね、だから。
矛盾してますよね。
矛盾してるって話で終わりたくないけど矛盾しちゃってるんですよ、でもそれは。
でもね、完璧主義な性格の人はね、ここで矛盾をなくそうとしちゃうけど、
もうこういうもんだと思ってね、諦めて。
まあ、場合によってあんまりそんなに正解は持とうとしすぎない。
自分は不正解だと思いすぎない。
でも大事だし、でも発達障害という概念も忘れてはいけない。
やっぱり、例えば発達障害は空気を見ないって言うけど、
まあみんなは空気を見てるんだろうし。
で、その中には発達障害の人が混ぜてたり、
偏常性だけど空気は読めないって言う人もいて、
でもそんなことはもう気にしないで、自分は空気は読めないんだと。
発達障害であると理解することが大事なんですよ、それらしたっけ。