自分と周りの正解
倉木 凪です。
最近で人間は、何か正解があると思い込んでしまい、特に自信ない人は、あとは当たり障害とかパーソナリティ障害ある人なんかは、嘘だと思うんだけど、自分が不自分だと考えすぎてしまい、周りが正解だと考えてしまう。
それは多数派のものの場合も、はっきりすれば正解だと考えてしまう、なんて話をしたんですけど。
実際、倉木の場合には、どうなのかってことを話していきたいんですけど。
もちろん発達障害ってわかってからは、別に自分が不正解とかじゃないのに、ただ障害っていうだけの話なのに、もう完全にね、全てのことが普通じゃない、普通じゃないイコール不正解だ、っていうちょっと短絡した考えになってしまっていたんだけど。
発達障害って以前はどうだったかっていうと、ちょっとまた特殊なんだよな、宗教でね、自分を変革することが魂の成長に繋がるっていうことで。
だから、そもそも誰が正解かなんていう概念はなくて、とにかく自分の煩悩を変えることが大事、って考えたんですね。
だからね、修学旅行で友人とか同級生に尋ねてみたんですよ。何か問題があった場合、誰のせいだと思う?って。
そしたら半々だろって言ってね。ちょっと倉木はカルチャーショックを受けてしまったんだけど。宗教やってる人とやってない人の間の違いってこんなにあるのかと思ってね。
ちょっと理解できなかったんだけど。だからそういう概念がないからですよ。誰が正しいとかどうだとか。
宗教辞めてからは、いやこれも難しいんだよな、あるのが科学者が言ってたんだけど。
常識が悪いすぎる人ってね、非常に周りの道で腹立つみたいなんですよ。
常識があるのが正解ってわけじゃないんですよね。過ぎたら及ぼされかごと知ってるし。
ある程度が人間らしさもあって、まあでも本能的にも生きてる。
常識的で理性的だと周りが非常に腹立って見えてしまう。
だからそういう意味じゃね、倉木はある意味正解だけど、ある意味正しさを知りすぎて
正しすぎて間違えて、なんか文章自体は変だけど、正しすぎるから来る問題、周りが間違ってるようにしか見えない。
っていうのがありましたね。
であとね、学生時代もそうだけど、自分が、これうちの親の遺伝なのかな、
自分が正しいと思い込みすぎるか、もしくは他人が正しいと思い込んで、
正解のないバランス
例えば親友と関わってる時なんかそうだね。あと野球部のやつら。
それで、自分は全然できてないと思ってしまうか、いずれかなんですよ。
親友に対してもね、すごい意気地になってしまうこともあって、そういう時は喧嘩になってましたね。
あと洋館に対しては自分が正解だと思わなきゃ。
そこで負けを認めることが100回に1回でもあったとしてもね、
絶対それを認めてしまったらいけないとわかってるんで。
そういうことはないですね。完全に洋館がの間違いだといつもは。
実際そうだから。
でね、今回の話で一番話したかったのは問題は終わりなんですよ。
自分が完全に間違ってる、あるいは相手が間違ってる、そのバランスが大事なんですね。
でもそもそもどこにも正解なんてないよ。って考えればそれが理想ですけど。
自分が正解があると考えたら、その感受的になったらやっぱり自分が正解だと思い込みたくなりますよね。
あと発達障害って前に出会ってからはやっぱり自分が不正解だと考える時間があった時の方が多くなりましたね。
それも問題だし、発達障害の場合はもうね、自分が正解だぐらいに思ってた方がいいかもしれないね。
でも障害であることも理解して。
前話してたのは、だから周りが正解だと思い込みしてきてはいけないって話だったんだけど。
で、クラキは、うんそうだね。だから自分が正しいと思いすぎるのはやっぱり良くないんですよ。
その理由ですけどね。
あの、まず一つは後で悔しくなるから。
いや何も自分が間違ってたわけじゃないんだろうと。
でもね、その時には絶対気付かないんですよ。
絶対これ自分が相手に迷惑かけてしまったと思っちゃってるから。
あとね、休み中親友との関わりもそうです。
クラキはいつもね、別にお世話されてたわけじゃないけど、いつも助けられてたと思ったけど、逆に迷惑かけてしまったと思ったけど。
逆にクラキはすごい迷惑食らってたのかなとかね。見えない形で。
後になってから分かるんですね、こういうことって。
あと自分が正解だと思いすぎたりすると、何か問題があった時解決できないんですね。
それではしたっけ。