今回は、亀井勝一郎さんの『大和古寺風物詩』
奈良大和の古寺巡礼を巡り、亀井が深く感じた名文を読むことで、
仏像や古寺をみる深みに連れて行ってもらえます。
もちろんそれは、仏教の深みに歩むことでもあります。
■本書は、青空文庫にあります。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001870/files/57496_60805.html
感想
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00:00
法輪寺ってあって、法隆寺と忠宮寺から、どれぐらいかな、あれ。 自転車で10分ぐらいとか、距離にあるんですよ。
そこの文章です。
忠宮寺から北へ山頂 前日の風光を眺めながら行くと 松の大樹の間にささやかな山門と山中の塔が見える 法隆寺の堂々たる居屋と その至り尽くせりの修理保存っぷりを見た目には この寺はあまりに痛々しい
混同も高堂も天井は破れ 壁は剥落し扉は傾いたまま 風雨雨風にさらされている 昼までもネズミが走り回っている
法隆寺のすぐ近くにあるだけ その大正が際立って 一層貧しく見えるのである
朽ち果てて惜しむべき建物ではないかもしれぬが しかしこの置き忘れられたような精情たる風情のゆえに 山と小路の中でも異彩を放っていると私は思うのだ
いかにも小路らしい小路である つまりあるがままなのだ
古寺の運命を如実に語っているような姿に私は心惹かれるのである って言うんです
いいですねぇ
いいですねぇ ちょっと続き思おうかなぁ
かつては法隆寺も東大寺も閣のごとくであったろう わずかに心ある人のみが後輩の後に佇み涙しつつ
王子の当時のってことで王子の僧侶を忍び廃して立ち去ったのであろう すべての古典に対する真の愛情は廃墟への干渉に始まる
世の中から忘れ去られて半ば埋もれたまま 後輩しているところへ赴き人知れずその生命を求める
そういう老苦と積量に耐えて初めて古典の復活はあるであろう 神社仏閣のみならず文献もまたそうだ
現在天肉留付している万葉集も今日のごとく整備されるまでにはどれほど先人の 孤独な老苦を言うまでもながろう
ほとんど一生をとして復興を図ったのだ 信仰が彼らを導いたのだ
03:01
我々は今 漢弁に入手できて読みやすくなっているのでついそういう先人の老苦を忘れがちだ
法隆寺にしても一切が整備保存され居心地の良い観光地となり 美術研究が容易にできるような現在になると
藍石農場に深く身を委ねることはますます難しい 仏像も宝物も道具も
今の我々はことごとく見物できる 配管料を払った当然の権利のように思って見物する
しかし後輩の法隆寺を通った訪れた 石実の人は昔の人は
一句の仏像さえ見ることができなかったのだ 道前に佇んで拝する以外のことはしなかったのである
しかも そういう人々の方が我々よりも帰って見るべきものを見ていたと言えないだろうか
藍石の城と心身とが後輩の家に潜む 苦温の命を一挙に監督したとは言えないだろうか
言っている 素晴らしい文章ですね
本当に僕がこの文章に出会えて幸福ですよ 法隆寺をこういうふうに見れるんだもん
本当にね法隆寺行きましたけどね 全然違いますよ法隆寺と
無実にされている姿でそれがね いいんだってこと言うんですよね
法隆寺だって東大寺だってかつてそうだったろうって
この最後の文章いいですね だから
今は我々は入管料払って当然の権利のように見ているけれども 昔の人は一句の仏像さえ見ることができなかったんだって
ただただ道の前に 廃れた道の前に佇んでいることしかできなかったって
でもそういう人たちの方が我々よりもかえって見るべきものを見ていたんじゃないかって
愛責の念と信心信じる心と
そういうものが 見るべきものを
見えたんじゃないんだろうかって 本当にそうなんだ
この文章から純さんの姿が浮かんでましたね
06:00
本当にそういうことですか
純さんの活動というかね 今行こうとしていることを表そうとしているもので
そういうことなんだろうな
何回も繰り返すけど こんなのやっぱり
亀井克一郎さんの言葉だから力を持ってるんだよね
僕こういうのを読んで 古事巡礼の文章を自分も書きたいなと思ったんだけどね
なんか違うなと思って
まあいいんだけど別に書いたら
でもその復興っていうかな 何て言うんだろうな
埋もれてしまって
時代に流されて 埋もれてしまうものの中にある
本当の美しさを
見せたかった先人たちが 法隆寺や
復興をして今があって見られる っていうことがあるから
そこに突き動かされている人たちと 私は純さんが重なって
そうだね
自分で文章を書くっていうことも 大事なんだけど
それはあくまで自分が自分のために やっている営みであって
本当はねこういうことを 復刻させることの方が大事な仕事なんだなと思ってるんですよ
今何と何を比較したんですか
ごめんなさい 僕もね書き手としてね
読んでいきたいってやっぱ思っていて 自分が文章をね
書くっていうことよりも こういう文章を読まれるべき文章を
復刻させる復活させるっていうことの方が 尊い仕事だなって感じてるんです
これ法隆寺いいですよ
法隆寺行くじゃないですか 人一人もいないんですよ
びっくりしたなぁ 本当に人一人いない
いや僕はね法隆寺でさえびっくりしましたよ 法隆寺でさえ土曜日に行って
これだけの人しかいないのかって 僕びっくりしましたけどね
でもね法隆寺行ったら人一人もいないんですよ
僕はまぁちょっとそこが嘆きでもありながら 喜びでもありましたけど
喜びっていうのはねその中入ってね 一人でずっと仏像を眺められるんですよ
09:00
いいですよ
本当に誰も来なかった だからもうずっといてました
そこにね配管料はあったなでもいるんだけど
もうその人も寝ちゃってたしね なんか一人なんですよ
もうねよかったなぁ 実に濃密な時間でね
いろいろ僕は書いてたんだけどそこで 本当はもうここにパソコン持ってきてね
僕もここにいろいろ文章書きたいなって思ったくらい もうダメだろうなぁと思ったから
スマホに書いてましたけど いいですよ
法隆寺って法隆寺でまた物語がいろいろあってね
あのー三重の塔ってねこれ 亀渇一郎が書いた文章の本当に2,3人後ぐらいにね
雷でね 燃えてしまったんですよ
そうなんだけど中に置いてあった仏像はね残ってるっていう すごい話なんだよなぁそれも
土地当時のね住職さんがね 三重の塔をもう一回再建させようと思って動いて
で建てたのがね三重亜津根一さんっていうあの法隆寺とかを 野宮大工さんがやってくれた
でね そのお金集めにね尽力してくださった人がね
この文学ラジオでも扱った甲田彩なんですよ 甲田彩さんってね
あのお父さん甲田羅藩でね 甲田羅藩って言ったらもう名詞の大文豪なんですよ
甲田羅藩の中にね 甲田羅藩が多分一番有名な本が五重の塔だと思うんだよな
僕もいつか扱いたいなぁと思いつつ扱ってないんですけどね その五重の塔の話があって
モデルになった五重の塔がねもう焼けてしまったんですよ っていうことがあって甲田彩さんはね
今回法隆寺が焼けてしまったってことに対して 動かずにいられなくって大変ご尽力くださってお金がたくさん集まって
無事再建できたっていうのもあるんですよ いいですよ
立派に立ってる 今確か再建して50年ぐらい経ったんじゃないかなぁ
ホームページに書かれてますね
そうそうそうそう 亀井勝一夫さんが法隆寺をね
12:03
自分のこの古事巡礼の初心としてるっていうね 原点としてるっていう
この廃れたところを見るっていうところにね
いいですね
これ最後の文章 古事巡礼の苦労とにはなりたくないものだって言ってます
法隆寺へ参るたび 念々寺が見世物式に整備され
もったいぶっている様を眺め またそれ故につい安易な気持ちで見物しがちな自分の帰り見て
私はことさら法隆寺の貧しい後輩を慕うのである 法隆寺も東大寺も明治維新の頃に比すれば確かに復活したと言えるかもしれない
しかし私にとって大事なのは 建造物の復活ではなく後輩の前にして涙した人の記念の復活なのである
私はこれを願いとしこれを初心としたいと思っているので つい普段に初心に帰ることを務めるのである
古事巡礼の苦労とにはなりたくないものだ 法隆寺を見ることがすなわち私に初心を思い出させるというわけである
いいですねー こう帰ってくださるともう法隆寺行きたくなりますね
法隆寺よりも法隆寺の方が行くべきところなんじゃないかって思っちゃいますね
法についてっていう文章があるんですよ これ薬師寺のところに収まってるけれども薬師寺の塔というよりかはもう塔全般
さっきの三重の塔もそうだし五重の塔もそうだし法隆寺には五重の塔もある 法隆寺の三重の塔もあるいろいろある
その塔についてなんだよね 塔について上田一郎さんがどう捉えているかって
ちょっとこれを見てみたい 読みますね
古事の風光の中でもとりわけ私の愛するのは塔の遠望である 塔を遠くから眺めることである
奈良から法隆寺行きのバスが出ていた頃はいつもそれに乗って出かけることにしていた
豊かな山と平原に揺られながら次々と現れてくる塔を 冒険するのがこの上もなく楽しかったからである
今は田園と化した平城郷跡を過ぎていくとまず薬師寺の塔と東の塔が見え始める
15:02
松林の緑の間にそそり立つその丹麗な姿が次第に近づいてくる有様は実に素晴らしく
ことへ来た喜びが深まるのであった また小泉のあたりを過ぎる時
遥かな丘陵の麓の森陰に北喜寺と法隆寺の三重の塔がくすんで見えやがて法隆寺の五重の塔が鮮やかな意揚をもって立ち現れる
情景にはいつも心が踊らされる なぜあのように深い喜びを塔は与えるのであろう
ああ塔が見える塔が見える そう思った時そのまで車を捨てて塔を目指してしまう
塔を目指し 真っ直ぐに歩いていくこれが古事巡礼の不正というものではなかろうかと思う
おそらく 古の人も
遥かに塔を望みながら誘われるごとく引き寄せられていったに違いない 塔には不思議な吸引力がある
童貞と歓喜を与えつつ嫌悪なしに我々を引き寄せるのだ その下にがらんがあり
諸々の身ぼとけがいます 朝夕多くの前男前女が祈願を捧げている
そういう息吹が炎のようにもつれ上がって静かに虚空へ立ち上る姿をそのままに結晶せしめたのが塔なのであろうか
いつの春だったか小泉のあたりでバスを降りて 安泰道に腰を下ろしながら
北起寺と法隣寺の塔を冒険した遠くから眺めたことがあったが 陽炎の中に二つの塔がかすかに揺れているのを見てこの感を不幸した
私は先にくだら観音を白炎の塔として仰いだことについて述べたが 大和平原遥かに塔を眺めるとき私にはそれらがことごとく菩薩律法に見えるのである
って言うんです ああたまんないなぁ
仏寺ってねいろんなものがあってね 塔っていうのはストーパーって言われて
その五十の塔も三十の塔もあれは仏砂利なんですよ 仏砂利っていうのは
砂利殿のことで 釈迦の遺骨が置いてあるんですよ
18:06
で塔は 塔と砂利殿っていうのは本当は同じで
共に和歌なんですよ
っていうふうに本を読んだり どこか訪れたパンフ読んでも書いてある
でもなんかそれってまあなんかこう知識として入るだけじゃない でもこの亀井克一郎さんの文章はさ
そうじゃないじゃない 自分がまず訪れてさ歩いてみて塔が見えてきて
ああ塔が見える塔が見えるって言って心躍ることを書いて そこに重ねているんですね自分と
古の人
でね 塔ってこう一番上がこうぐにょってなって伸びてる
で 確かにあれ見ると煙のように見えます
なんか
でその 陽炎の中に
揺れてる煙のように見えて
で久田良観音もね白縁の時に見て青い段のと重なって 塔が菩薩律相に見えてくるってそこまで言っちゃうんですよ
ふーん 新人深い人がさ
そこで日々祈願を捧げているから そういうものにも見える塔が
他はさ近藤もシャリデンとかも地面にしっかりついている でも塔だけは
ここに向かって祈りを捧げてるっていう
なんか実際の風景も 心象風景っていうのかなもうすごく豊かに届いてきましたね
なんか 足元ががらんがらんみたいなそういう描写もあったと思うんですけど
なんか 何て言うのかな
なんて言うんでしょう 結界のなんて言うんでしょうね 聖域みたいな
そういう もうなんか光ってさえ見えるみたいな
感じがすごい届いてきて
なんかそこにいるような心躍るっていうかなんて言うんだろうな
でもそれをちょっと離れたところから眺めて
21:03
胸が踊っているみたいな感じ
すごい しました
これ本当にいい文章です
自分が描き手として寄り所にしているっていうのは本当になんか
こういうところにあって 知識としてというよりかは本当に自分の体験として描いていて
この塔でさえも 中部宮司の庭でさえも
こういうふうに感じ取ってるって
これ持って故事巡礼したくなるって気持ち分かりますでしょ
居礼大吉さんがこれを持って自分はもう写真家だろうって
分かりますね
僕なんか関西住んでるからもう行きたい放題ですよ
本当ですね
神風宇宙さん東京からわざわざこれ何回も何回もね行ってますけど
もう僕なんか恵まれてて関西にいるから京都も奈良も行けて
本当これ全部読みたいぐらいの勢いなんですけど
この辺でちょっとやめとこうかなと思ってます
なんか改めてイリさん
今回使ってみてどうでしたか
なんか故事を巡礼することを通して
でも受け取ったのは
故事巡礼の先の
なんて言うんでしょうね
在り方というか
信仰心というか
なんていうのかな
全く自分というか自己
つい自我がいろんなお寺で言えば
立派に人が見えやすく
博物館のように整えるだけれども
批評家としても自我が隠して
比較の中で見ようとするんだけれども
事故が全体の事故が大事だよ
みたいなところを言ってくれてる感じがして
ちょっと言葉でパッと表すの難しいんですけど
そうなんだよね
24:01
でもなんかすごくこう
あらゆる角度から全体的に届けてもらったものを受け取った感じがあって
あれ扱ってたのは故事巡礼だよなって思うけど
なんか受け取ったものは
なんか言葉にはならないですけど
そういうものを受け取ったなって感覚があります
そうですよね
ちょっと悔しいんですけどね
言い表せなくて悔しいんですけど
でもじゅんさんが微笑み微笑のところで
なんだろうな後ろ姿無意識のところに
現れてるよっていうのを扱ってくれたから
こそなんかその辺が受け取れた感じもあって
なんか詩的にとか作為的にとかそういうものを全部
排除したところの無意識
もう人が意識できない後ろ姿のところに
その人その人というかな本質があるよみたいなところを
そこで扱ってくれたからそういうことだよねって
受け取れたし
なんかそういうものを前編から受け取りました
なんか最近ねある人と話した時に
美術芸術や文学っていうのを
あんまり好まないっていう人がいてね
それでいいんだけどね
でもねもったいないなと思ったのはね
なんかねその人が言うにね
なんか甘美なねものにね
なんかこう浸ってね
美しいって感じてるけどね
実際の人生はねもっとね苦しみがたくさんあってね
それと向き合わずしてね
甘美なものに浸ってるっていうことでね
それでいいのかと
そういうこと言ってるんですよその人は
だから僕はね文学とか芸術が嫌いなんだって言うんですよ
でもね僕それ全く違うと思っていて
文学と芸術こそがね
もっともね現実の苦しみをね表してるんですよ
苦しみだけじゃないんですよ本当は
現実の存在の世界の真相を
明かそうとしてくれてるんです
僕らが普段見逃しちゃうから
自分の思考性によっていろんなものを見逃しちゃうから
27:00
バイアスでかかっちゃってるから
それはすべて取っ払って
今存在の世界の真相ってものを
いろんな角度から表そうと苦心してくれてるのが
芸術であり文学なんですよ
だからね最も現実的なものなんですよ本当は
そして最もその現実の苦しみに寄り添っているものなんですよ
って僕は思ってるんですよ
でねそうじゃない文学芸術はたくさんありますよ
玉石効果ですからね
でもね本当に偉大な芸術や文学っていうのはね
最も世界の真相を表して
最も現実に寄り添ってくるものなんですよ
なんか
ラジオの途中でも
オセロの表と裏みたいな
感じたところがあったんですけど
今の話を聞いて
そうそうそうそうそれも受け取ったなって思い出して
ね 完美な方
なんかつい最初は完美な方で
見た目から入ったりとか表面的に入ったりするんだけど
その後ろにある善悪で言えば悪だし
ネガティブサイド影になる部分
なんかそこも含めて両方表現として
表現されてるんだなっていうのからが見えてくるっていうか
触れているうちに感じ取ってくると
表と裏で全体になるみたいな
なんかそういう感覚が全編を通してありました
ありがとうございます
じゃあまた次回
はいまた次回
ありがとうございました
ありがとうございました
28:54
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