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2024-08-15 36:29

15 書道家 村松歩実さん② 〜機能と美〜

書道家、村松歩実(むらまつあゆみ)さん第2話。言語、または食としての機能と美しさの違いはなに?考えれば考えるほど深みにハマり・・・ ▼村松歩実さんのInstagram https://www.instagram.com/muramatsu_ritta_art/ ▼プロフィール https://wasabi-nomal.com/collections/ayumi_muramatsu

00:05
はい、ということで前回に引き続き、今回は村松歩実さんにお越しいただいております。
前回の最後、機能と美的な話で終わったと思うんですけど、その書道って文字じゃない。文字は
基本的に僕の中では、情報を伝えるための道具。 けど、かたやアートとしての存在をしている。
この境界線というか、違いって何やねんって思うんだけどっていう話なんですが。
じゃあ、今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
どういう問いがいいのかな。
まあ、今タクの話は僕もやっぱり感じるところがあって、文字以外でも別に美しくなくても、意味は果たしてるじゃん。
例えば、ご飯でも栄養バランス取れてれば、味どうでもいいじゃん、みたいなところが一方で機能としてあるんだけど、
僕らは機能じゃない、何か良さげなものっていうのに価値を感じていて、その辺は書道家として、クリエイター側としてはどんなふうに普段感じながら書を書いているのかっていうのを聞いてみたい。
機能としての書って、多分みんなやってきた習字、みんな好きでした?嫌いでした?
割と…
お話聞いてたら多分好き。
割と好きかもしれないです。
多分そう、機能としての書は習字っていう感じで、正解がある感じ?
こうじゃなきゃいけないとか、こうがいいよ、みたいな。
で、アート、美ってなると、もうそっから余白が生まれる?表現自由でいいよ、みたいな感じで。
でも書道って本当に昔からある文化なんで、宗派とかね、たくさんあって。
宗派はあるんだね。
先生がいて、流派があって。
宗派だと宗教になっちゃうね。
流派があって、本当に先生の膜から出ないようにっていうのがあります。
ちなみにあゆみは何流とか、何俗してるとか特には?
私はね、本当にそれが苦手で大学中退した身なんで。
あ、そうなんだ。
何もないです。
で、今は自分でやってる感じなんだ。
黒字っていう木を掘る書道の技法があるんですけど、お寺とかの上にあるやつ。木を掘ってあるやつ。
あれも書道の一部なんですよ。
あれ書道なんや。
あれ書道。
あれは、僕はもともとお寺のね、なんとかさんなんとか字みたいなのを書いてる、あれですよね。
あれです。
あれを見た時に、先に墨で字を書いて、で、周りを掘ってるんだという風に勝手に思い込んでたんですけど、そうじゃない?
03:00
あ、それであってます。
あってますね。
周りを掘っていくんだね、あれ。
周りを掘るか文字を掘る?
でも普通に看板としてだったら掘らんでもいいもんね。
掘らんでもいい。
だからそこにアートがあって、掘り方、掘った目の出方の美しさはそれぞれの先生にあるんですよ。
あ、そうなの?そこも見るんだ。
見たことなかった。
だから展示会、自分も出し見に行くと、この先生の生徒さんだってだんだんわかってくるんですよ。
そうなの?
掘った方ね。
掘った方。
方か。
書体ではなく。
掘った方。
面白い。ますます機能としては別にいらないもんね。
そう。
字は読めるからね。掘った方って言われてたもんね。
僕はそんなに書とか詳しくないので、すごいなっていつも思ってる。
なんとなく直感的に好きな書があって。
たまたま博物館で見かけた山岡哲収の書の前で、何書いてるかわかんないんだけど、ずっと釘付けになって見てしまったことがあるんですよね。
ただ、山岡哲収の書ってはっきり言って、むしろ機能が欠落しまくってる気がするんですよ。
機能。
興味ある方ググったらいっぱい出てくるので見てもらうといいんですが、山岡哲収という幕末の兼号ですよね。
禅もやってるような方。
あの方の書って筆順結構デタラメなんですよ。
原型留めてる字を僕はあまり見たことがなくて、読めって言われてもね、博物館とかだと下に活字ってね、翻訳みたいにして書いてありますよね。
あれ見てやっと読めるレベルなんですよね。
あの人って、僕の少ない知識いくと、機能と美のバランスって言ったら、機能を捨てて美にいってもはや字ではないのではないかと思うんだけど、字なんだよね、ちゃんと。
これ、こういうやつ。
そうですね。
確かに、四面。
難しいですよね。これだから草書って言って、一応読めるし、当時は機能を捨てた。
捨てたんですかね。
読めたはず。だから機能も捨てたし、でも本当のオリジナリティがあるから、書家として多分書かれてたのかな。
一度ね、僕は伊豆の朱禅寺のお寺にある付属の小さい博物館みたいなのがあって、そこに幸運超月の書っていうのがあって、
雲を耕し月を吊るっていう、これ仏教の総統宗の階層である道元禅師が書いた言葉を山本氏が書いたんですって。
06:05
めちゃくちゃかっこいいなこれと。これがうちのお店の掛け軸なりなんなりにあったらいいな、レプリカないのかな。ないんだと。
見つけられなかったんですよ。
たまたま知ってる方で、書道家ではないんだけど、もともと学校の先生なんかされてて、書が割とたしゃらな方がいらっしゃるので、
これって書けますかって言ったら、3日後ぐらいに、哲学はな、筆順の解読がわからんって。
確かに。
どういう書き順で書いたのかを読み解けないから、コピーができんって言われた。
そういう意味なんだ。
もうレプリカってわかってもいいんでって、そういう次元じゃないって言うから。
総書じゃないんですかって、総書っちゃ総書だけどなーみたいな。
あれ機能してたのかしら。
でも当時はきっとしてたはず。
でもお茶の席に飾るような掛け軸もね、時代が、これいつなんだろう。
幕末1800年代中頃の人じゃなかったかな。
今は残らなかったけど、金文字、ひらがなの元になったやつで、変態がなとかって、王道と外れた、違うバージョンみたいなのもあるので。
でもね、筆順はね、結構ね、その人で違ったりするので、読み解くの難しいかもね。
なんか、酔っ払わないと多分書けないよね。
何酔っ払わないとか。
ちょっと推薦入ってるよね。
推薦ね。
酔っ払わないと書けないと思う。
でもなんかね、読めたとしたならば、解書はいらないのでは?逆にっていう。
草書なら草書だけでよかったんじゃない?とか。
解書って俺のイメージで、次行書で草書で崩しが入って、もはや草書いったら基本読めないやつの方が多いんだけど。
別に草書だけでもよかったじゃん。書きやすさで言うなら。省略とかだったら筆記体でいいみたいな。
解書は解書で書くじゃない?しかも残ってるじゃん。
じゃあ読めてない人いるんじゃね?って思ったりもするし。
逆に草書なんかはもはやかっこよさで書いてないみたいな。
サラサラっと書いた方がかっこいいじゃんみたいな。
イメージですけど、解書というフォーマットがあって、ここから習うから、これに書いとけば誰でも読み解きが楽だよね。
リペラシー低くても使えるよねっていう解書があります。これに対して画数が多いと時間かかってしゃーないから、速記としての行書があります。
ここまではいいじゃん。草書って、あれ日本オリジナルなんだっけ草書って。
09:00
草書はどうなんだろう。
あれ中国とかにも草書あるのかな。
草書はあります。全然。
中国の昔の十二章とかって古典があるので、全然あります。
草書が行書の延長上のさらなる速記とも見れるんだけど、本当にこれはスピードを重視した結果なのだろうかっていうふうにもちょっと見えてくるんですよね。
一応NHK情報によると、行書が崩されて草書になったのではなく、中国の漢代、漢帝国時代の頃に礼書の速記、早書から成立した。
礼書はこれ別なんだ。
会議を奏って結構思われがちなんですけど、結構草書って独立してあって、日本だと諸説あるみたいにはなるんだけど、行書を走ったわけじゃないっていうのが。
だからね、行書の感覚で出順を追うと全然違ったりして。
草書を習ったときはパニックだったもん。どっからだったって、先生ってね。行書までやってたからさ、行書小学校かやって、草書やってみようかって。草書をやった瞬間に、今までの行書は何だったの?っていうぐらい違うじゃん。
そこあたりから急にアートに行く感じがしてきた、今話を聞いていて。
でも会場は何て言うんだろう、ビシビシ直線同士が合わさった図形がいっぱいね、中にね、明確にあるものだから、その先リティラシーとかもあったけど、誰もが書けることを目指して作られてて、草書が難しい理由って、やっぱ空間が自由だから、真似できない。
四角を書くほうが、まんまる書くほうより、たぶん楽なのがそれであって、草書をね、たぶんね、第一言語みたいなやつにしたら、全員が書けるわけじゃなくなってくるから、ちょっとたしなみっぽく感じるのもあると思う。
そうなんだ。
だから機能としては階書、読み間違えないとか、わかりやすい、誰もが書けるみたいな。
いや、起源が違うってのも知らなかったな。
そう。
同じ流れかと思ってたよ。
結構は違うよね。
違うね。
バランスの話を聞いてみたくて、
例えば階書でバランスを取ろうと思ったときに、四角にする三角にするっていうお手本あるじゃないですか、いわゆるおしゅう字の。
で、中心点、いわゆる重心って真ん中に置くんですか、だいたい。
12:04
漢字の。
漢字の、階書で漢字を書いた場合にですけど。
しゅう字だったら、文字がスクエアじゃなくてちょっと縦長が美しくて、重点を私は真ん中よりちょっと上に置く感じで書くんですよね。
なるほどね。
重点ってあんまり考えたことなかったかもしれない。
そうなんですね。
重心みたいなこと。
重心。
重さのここは真ん中だよみたいな感じ。
文字によるんですか。
文字による、まあまあそうか。形もね、姿形全く違うもんね、字によってね。
たぶん人間の体もそうなんだけど、バランス?足が長い方が美しいとか、火っていう感じ、炎の火があったときに、おへそ、スタイルがいい火を書いた方がちょっと美しいじゃん、単色より。そういうイメージで重心を考えちゃうと思う。
なるほどね。
なんかでも、なんとなくその重心点のイメージがちょっと見えてきて、武士の武なんかだと割とセンターが空間になりやすい字なんで、これ重心点ちょっと上の方に寄せてとか、左に寄ってとか、その分右の腹っていうのはね、羽を長めにとってバランス取るみたいな、そんなイメージを持って。
武との武。
そう武士との武。あれ結構ね、初めの頃苦戦するんですよみんな。
あれいい会話にもなりますもんね。難しいね。
そうなのやっぱり。
藤の字、武とって言ったら武士の武に草冠の藤っていう字ですけど、藤の方がバランスが楽なんですよね。画数は多いけど。
藤の草冠がかろうじて多分センターを取れるぐらいで、難しいですよね。センターが両方ない字だから。
センターがない字。
村松もその真ん中が空くでしょうね。
空くね。
田中さんとか山田さんとか、センターがあるうちの方が書きやすい。重心がわかりやすい。
確かにそうはじめると。
藤の武っていい会話にもできちゃうから。
藤の武ってよくわかんないもんね。
難しい。
作りがね。
それをなんかさ、四文字全部センターが空間だよね。
あのね、俺。
草冠に感謝。
本当だよね。
かろうじて太いという字が入るから、あの点がセンター取ってくれるけど。
太筆はわりとその評価はちゃんと取れたんだけど、細筆のね、自分の名前がね、いつも汚いって言われる。
一番実用的な。
縦書きで武藤卓郎って書くと、どうしてもバランスが途中で崩れていくのよ。
画数も多いもんね。
あれができなくていつまでも。
15:00
確かに。
本当に自分の名前苦手ってずっと思ってた。
卓郎が難しいね。卓が。
卓がわりと難しいですね。
結局台中中台みたいな感じでバランス取ってこないと、両端で取らないと横文字だったら、横書きだったらね。
縦書きだとね、本当に困る。縦書きは本当に迷う。未だにわからないもん。
でも漢字だから縦書きの方が取りやすいはずだと僕は思うけどね。
本当は。
縦の方がごまかせる。
横書きの時の方がマジで高さとか重心がバラバラになって怖いと思う。
あんま縦書きよく数学ばっかりやってたから横の方が書きやすいってなるかもしれない。単純に。
あとカードのサインめっちゃ書くから慣れた。
後でじゃあ二人の字を見たいですね。
怖いよ。
怖い怖い怖い。
本当に字汚いから。
バランスの話を振ったのはね、二つちょっと頭の中にイメージがあって、
一つは装飾のバランスどうするんだろう、空間大きくねっていうのと、
一つは僕ら料理で盛り付けをする時に、
例えばそうだな、煮物とかでギュッと固めて盛る時は、
フレンチなんかが分かりやすいですね、丸い筒状のものをポンと置くっていう、
まずこれでセンター決まるわけですよね。
それもお皿のセンターに置きますとかっていうのが割と王道にあって、
でも日本の美の中にど真ん中って気持ち悪いんですよ。
日本和食の中で盛り込みで、なんだろうね、シンメトリーって嫌うんですよね。
左右対称はね。
四角いお皿に例えば五つの違う料理を盛り込みますってなったら、
例えば対角線状にバッテリーに線を引いて、これをわざとずらして、
中心点を例えば左上のこの辺の中途半端に置いて、
ここめがけてバランス取っていくみたいなことをやるんですよね。
美しい。
これはもう実に日本的なアシンメトリーの美っていう感じじゃないですか。
そうしてどうやってバランス取ってるのかなっていうのがね、分かんないんですよ。
確かに。でもそれで言うとその機能として解消があって、
日本って日本独自でひらがなが生まれてるんですよね。
あれが多分、今おっしゃってた盛り付けとかシンメトリーを嫌うみたいなところで通ずるのかなと思って。
あんなふわふわしたものをあえて作るみたいな。
確かに。ふわふわしている。
ふわふわして。
ふわふわになったように見えていて、書としてはバランス取りづらくなってるんですよね。
取りづらい。
確かにひらがなは難しい。
だからね、盛り付けも真ん中っていうよりちょっと寄せたり、どっかを開けるようなイメージ。
ひらがなもそれが本当にふわふわしてて、そこの中は遊び?余白?性格?答えないよみたいなところが日本人っぽい。
18:09
ギュッてしたとこと、開いたとこと、わびさび的なあれなんだろうなみたいな感じで。
今、ひらがなの話を聞いてて思ったんだけど、このひらがなの形好きっていう一文字あげるとしたらどれ?
ちょっとこれリスナーさんにも聞いてみたいんだけど。
確かに。漢字ってよく聞きますけどひらがなでね。
ひらがなで?
すごい空間があるじゃないですか。
歯がもう左右に分離しかねないとかさ、結構癖出るなってのはにね。
に。
にとかすごい癖強く出るんですよね。いわゆるかきくけ子の子みたいに平行めに書く人と、すげえ鋭角に右側を書く人もいるし。
そういういろんなイメージを含めてて、空間だったりバランスだったりで、このひらがなが一番好きかもっていうのがあれば聞いてみたい。
でも私本当にひらがな愛してるんですよ。
そうなの?
もう全部のひらがなめでたいぐらい。
すごいすごい。
かわいいねみたいな。
でも多分草書と一緒で書き順間違うとあれって書けなくて、あとかもそうじゃん。書き順間違えたらあれになりたたなくて。
確かに。あれしかないもんね。
あえて言うなら、私は多分ム、ム、ム党のムもそうだし、私は村松のムでしょ。
なんかね、キュッてなった右下の感じと右上に開く感じ。
左下のギュッと右上の開く感じ。あれはね、すごい美しいなと思って。
ムってバランスむずくないっていうか。
子供の時は本当に書きづらくて嫌いだったんですけど、大人になってムを制したいと思って。
教えてほしい。すげえ使うのに、なんていうの、さっきタクも言ったけど、大人になるにつれてサインで、僕ひらがなでムとチャチャラってサインぽく書いてるんですよ。
それやったら元のバランスわかんなくなっちゃって。
そうね、大人になると実用性が求められるからね。
そうなんですよ、変にかくばった字になっちゃったりして、元のムのバランスなんだっけってなってます今。
なんですか、好きなひらがな、あえて言うなら。
あえて言うなら、でも最初にパッてできたやっぱムなんだよね。
それは多分自分の名前だからかなって今ずっと思ってたんだけど、
他のひらがなを思い浮かべても、意外とコとか好きかもしれない。
なんて言うんだろう、なんでって言われると、他のしっくりする漢字が好きっていう。
絶妙な斜めって思ったら、畠からしたら変な文化だよなって思う。
21:03
変だよね、コだけ見せたら本当に言葉としてよくわかんない。
よくわかんない、これでコって読むっていうのがね、お?ってなるよね。
確かに。
めちゃくちゃ使うのにね、コってね、言葉の中で。
確かに品質かもしれない。
品質だと思う、イとかコとか。
イとコなーって思いながら。
確かに。
めっちゃ出てくるけど、なんかこれが文字って認識すると不思議やなって思う。
イもいいねー。
イもいいねー。
なんか書いてるのも気持ちいいし、見るのも気持ちいい、単純に。
わかるわ。
よくあの、イラストレーターでさ、文字をタイプグラフィーみたいにちょっと並べて書いてる時に、コとイが割とこう、いじってて楽しいのよね。
位置がこう、ギュッと収まるみたいな。
シンプル。
シンプルでね、シンプルだけど難しいっていう感じが。
シンプルなの、比率?
うん。
すごい絶妙な比率で、イとコって存在してる。
する。
コ2本だけだしね。
そう。
角度と。
羽と止めみたいなね。
そう。
あれはでも筆で書きたくなる文字ですよね。
あー、そうだそうだそうだ。流れるようにね。
流れてどこで空間取るのか、繋ぐのか、切るのかとか。
ちょっと繋がってる時もあるしさ、ほんとにちょっとしか離れてないやつもあるしさ、見てると。
すごい絶妙なバランスで書くよね、みんなね。
でも想像するだけで本当に可愛い平仮名。
確かに。
本当に性格出るよね、文字。
そうやってね。
出る。
本当に個性なんだよね。
あれもさらさら、インスタのストーリーとか見てるとさ、たまに平仮名の縦書きで手紙のやつを、文字読めてないからあれなんだけど。
読めない。
なんて書いたんだろうなっていつも思ってるんだけどさ、さーって書いてるのを見てさ、よくあの速さであのバランス取れる。
いやまあ速くないとあの墨の量は無理なんだろうけど、けどあの迷いなくさーって書いてバランスを取れるのすごいなと思って。
ありがとうございます。
いやあれは見ててね、できた字も綺麗なんだけど書く、その出来上がりまでの映像がすごい綺麗だなっていつも思ってる。
でもこれはなんか手動は設定、映像とか書いてるとこ想像できるじゃん。
それがこうなって腕が動いて美しいみたいな。
でもね、その料理とかも、職人さんの手とか包丁の角度とかもっともっと私見たいと思うんだよね。
あれと一緒。
刻んでるだけだけどねと思ったり、そのなんかね特殊技能とかフグ引きますとか刃も切りますとかはあげたことがあるんだけど、野菜切ってるとこね、あげたことないよね。
特別だと思ってないからあるかもしれない。
でも体重の乗せ方とかさ、あると思うんだよね。結構見てるの好きで。
24:03
立ち方はみんな癖があったりとか、立ち方によって重心の位置変わるし、切るものによって重心変わるのは確かにある。
そうなんですよ。お刺身とかもさ、こう向けて重心を置いてるからこう切れるんだみたいな。手元だけ見てたらあんな綺麗にね、カットできない。
そうかもしれない。
確かにね、そうかも。
やっぱ僕は料理をやるので、ちょっと勉強の意味も含めて他の人が魚卸してる動画とか見ることがあるんですよ。
自分もできるんだけど、この人うめえな、こうやってやるんだっていう時に、ついうっかり包丁の乱れの少なさとか。
これ面白いよね。日本の、日本のなのかな、僕ら日本人が主に感じる美しさって、そぎ落としてそぎ落として洗練された一時乱れる無駄のない動きに美を感じるじゃん。
ヨーロッパ的なのが、っていう表現はいいかどうかわかんないですけど、パフォーマンスになった時ってくっつけてくるじゃん。
ちょっと包丁をくるっと回してみたりとか。
何もなければないほど見入ってしまうのはこれは何だろうなと。
そうだね。
書道もそうでしょ。僕も好きで、たまにyoutubeで流れてくる書道家さんの才辞を見てるんだけど、なんでこんなにぶれなくよどみなく綺麗な線が引けるんだろうと思いながら見てる。
迷いなし。
素敵だなあ、なりたいなあ。
二度書き禁止。
二度書きね。
よく言われたよね。
なんか乾くと二度書きはバレるよって。本当に?って思う時あるけど。
あれ書道の本家である中国は二度書きオッケーなんですよね確かね。
そうなんですか?
なんかどっかなんかで見たんですよ。
わざとなぞるような手法があるらしく。
なんかテレビのドキュメンタリーかなんかで、え、それありなんだと思ってびっくりしたんですよね。
そもそも二度書きがなんでダメなのっていう話で。
だって別に絵で考えるんだけど、二度塗りどこじゃないじゃん。めっちゃ塗るじゃん。
上から重ねて重ねてさ。
たぶんね、ちっちゃい時言われたのは、聖書って聖書をしたじゃん最後に。
で、聖書って今まで練習してきてこれがもう聖書です。
これでもう何、私の全部正解ですみたいな感じだから、一発書きっていうことに集中させる。
そういう精神的な集中も絶対あったと思う。
二度書きOKだったら、いいや別にピピピってなんかその筆で一本で書くっていうより、
絵に近くなるんだよね、それこそ。
練習してこの一枚でみたいなのめっちゃあったじゃん、聖書って。
あれの子供の時のドキドキとか精神集中力とか、あれのがね大事にされてたんじゃないかなって思う。
27:04
聖書はある意味自分の字のテストなんだね。テストだからやり直し効かないよってことか。
たぶん字の腕もそうだけど、なんとなく今言われてね、ちょっと思い出してきたのが、
あの心に来るプレッシャーというか負荷というか、なんかすげえ精神を試されてる感。
絶対聖書で一番いいのできない説ある。
なんか緊張したせいで手に変な力入って、横一本線が乱れる。
本当心の乱れがね。
確かに3枚ぐらいしか書けた記憶がある。毎回ね。5枚も書くと疲れたもん、聖書ってなるときに。
そうだよね、疲れるよね。
メインはそこでできたとしてもこれが一番だってやってみて、補足で失敗するとうわってなる。
今は覚えてる。めっちゃ気を抜きやすい名前。
今の話で似たような精神状態僕ね、毎年何回も食らってるんですよ。
大人になって。
大人になっても文字じゃないんですけど、鉄砂を引くときがそう。フグの薄作り。
だってフグの薄作りなんか切ってるんで、二度書きも何もないですよね。一発引いてアウトじゃないですか。
そうですよね。一直線、一本の線ですよね、あれってね。
そうです。
何回も入れ直さないよね。
乱れたらもう切れちゃってるんで、乱れたらちぎれるだけとか形が崩れるだけなので。
確かに、そうだ。
鉄砂は1枚のお皿に何十枚も引くわけですけど、僕ね、あんまり集中してるときは聞いてるポッドキャストの内容全く覚えてないですし。
入らなくなっちゃう。
入らなくなっちゃう。あとね、本気で集中しきってるとき、すげー長い時間無呼吸になってることが。
確かに無呼吸になってね。
何枚か引いたポッドキャストに、ってやるときある?
記憶ないときあるよね。
記憶ないときあるね、確かに。集中してるときはね。
呼吸はね、忘れちゃいますよね。
人間って呼吸忘れることあるんだなと。
忘れたことのない人の方が大半だと思うよ。
どっちかというと、本当多分職人あるあるだと思う。職人とかパフォーマンスじゃないけど、一瞬最大パフォーマンスを発揮しないといけない人たち。
究極に追い込まれてっていう。
そういう意味で、一発二度書きしないっていう道だよね。それこそなんとか道っていうのがある中の初動っていう感じがしますね。
でも二度書き本当に裏から見るとわかるんですよ。
そうなんだ。
美しくないって思う。バレるバレる。
やっぱそこは美しさをちゃんと求めてるところもあるんだね。
でも焼き物とかもさ、揚げ物もそうだけど、提供する直前にやるじゃん。
30:00
もちろん。あれも失敗できないじゃん。時間があるからさ。やり直してる時間がないときにこれ失敗したらやばいって思いながらいつもやってるけど。
確かにね。
本当に数十秒遅れたりするとやっぱちょっと焼きすぎたりとか、コケ目強すぎたりとか。
そういう時はハンシをグシャグシャっとするが如く、その焼きすぎたお魚はごめんねって横に置けてまた一からやるんだよね。
それだとめちゃくちゃ待たせちゃうからお客さんを。だからそうならないように神経は使ってるから、揚げ物中とかはわりとずっと意識してるよね。
秒数から煙から音からって。焼き物もそうだけど。
だいたい料理はわりと僕らも、僕もひとトリコ回りましたけどやっぱそうですよね。
でもやっぱそれのため、その瞬間のために日々訓練みたいなね。やっていく、手習いしてやっていく。
一発勝負ってやっぱりね、経験がものを言うもんね。
その点だとライブパフォーマンスって普段のあれに近い、人に見られてるか見られてないかぐらいの差だから、わりとすんなりいけたりした?
そうでもない?やっぱ人に見られると緊張。今緊張してるけど今もまだ。
緊張してると私が人前嫌いなんですよ。
へーと思いながら仕事いただいてやってみたら、めちゃくちゃ気持ちいいじゃんみたいな。
喋らないんだよあんまり。喋ったりはするの?
喋らない。
喋らないで黙々とやる?
そうでもね、一昨日のパフォーマンスでね、こういう思い出かけましたっておしゃべりしたらね、今度はおしゃべり30分やってくださいって言われて。
いいじゃないですか。30分。
そんなことあるんだなと思って。
いやでも聞きたいよね。せっかくそこでパフォーマンス見せていろいろできたら。
でもねパフォーマンスはさっきね、おっしゃってましたけど無駄な動きが必要。書道だってさ一発で二度書きなしで書いてたら、もう2分3分で終わっちゃうんですよね。
無駄な動きとか、何回か絵みたいなのを書くとか、そういうことをして、もう出来上がる正解を作っておいて書くんですよ。だからもう絵みたいな感じ。
なんか偶然の奇跡のアートを楽しむとかじゃない。もうこういうのを表現したいってやって、時間もきっちり測って練習してやるみたいな感じ。
時間を測って練習するんだあれ。
音楽合わせてオートハミして。エンターテイメントなんてそう。
そうなんだ。クリエーションとエンターテイメントをちょっと切り分けてやってる感じだね。
そうですよね。
長渕剛?
長渕剛、はい急に来ましたね。
33:02
最近網のやつばっか見てるから、そのパフォーマンスって流れてYouTube流れてきたんだろうね。
長渕剛の書を書いてるやつがあったんだけど、一発目から大振りすぎて筆だけ飛んでくって。
バパって落ちて、でもそれでも長渕剛は関係なくそのまま書き続けて、オラーって書くんだけど。
でもめちゃくちゃ書いてるように見えて、全体見るとめちゃくちゃ圧を感じる気持ちいいものが出来上がってるっていう、あの不思議。
だってもう墨の付け方すごいもんね。バシャンバシャン付けてガシャガシャやってるのにさ。
これも書道っちゃ書道か、まあそう書道だよねっていう。
そうなんかね、いろいろ多分、私は書道家って言ってるんですけど、書家っていう。
なんか明確な定義はないんですけど、私はそのね、ずっと続ける。
この道が続く日本の芸術文化で追求し続けるっていう意味でやっぱ書道家って言ってるんですけど、
それは自分の中でも探求も続くから、でもそういう表現の方、長渕剛さんとかもね、その思いがあって表現するツールとして書をたまたま使った。
で、なったら書。でも書が好きでずっとやって、自分の表現が書道の中で生まれてるっていうのが書道。
だからなんか絶妙な、書を使ったか、書道で生まれたかみたいな感じ。
旧道者というか、道を求め続けるみたいな。
そう。
確かにね。
書道の中でそうやっていくか、一つのツールとしてね、表現として墨筆を使ったかの違いかなって思う。
ああ、そういう違いか。確かに確かに。その違いは確かにありそうだね。
だからすごく単発、単発じゃないな、バーンって書いたあれが気持ちよさそうって伝わってくるのは、そういうことだと思う。
歌でも何でも表現し続けてて、書を使ったその瞬間だから。
そっか、表現者だから、そのツールが変わってるだけであって、その中に墨と筆というものが入ってきて、文字というものが入ってきて、っていうことなんだよね、きっとね。
そう思ってる。
なあ。
面白い。うわー、やべえ、なんかすげえ。
うわーって、ごめんなさい、僕今頭の中でいろんな妄想が広がりすぎて、ちょっとまとまりがつかなくなってきた。
いやー、ツッコミどころが多いわ。
ということで2回目はね、このあたりで終わりにして、ちょうどこのアートというか、書道とその書というか、その表現方法というところの話ができたので、次の回はこの美しさについて。
美とは何か。
美とは何か。
すごい遠きましたね。
ちょっとこのあたりを。
いいですね、やってみましょうか。
今度は食とね、食にも通じるものがいっぱいあるので、混ぜて話していけたらなと思っております。ということで第2回はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。
36:08
ありがとうございました。
36:29

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