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2025-02-10 36:25

#30 ゲスト・詩人 / 阿世賀 淳さん【読書のまにまに】

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詩人の阿世賀 淳さんをゲストに迎えて、トークセッション。12月に出版された第一詩集「まにまに」を中心にしながら、阿世賀 淳さんの人生とその時々に在った本たちについて話していきます。

 

【今回のゲスト】
詩人 / 阿世賀 淳さん

1989年兵庫県生まれ。
詩のワークショップ、朗読会、選書など行う。
古書好きが高じて、文学ラジオで古典の名文を紹介。
第一詩集「まにまに」

オフィシャルサイト:https://shijinnoitonami.com/
文学ラジオ:https://www.youtube.com/channel/UCcO7Z8EIEQjicIMTgbyhF7A

 

【登場した本】

第一詩集『まにまに』 阿世賀淳

『文学論』 ヴァレリー

『天文学と印刷 新たな世界像を求めて 図録』 印刷博物館

『世界はうつくしいと』 長田 弘

『預言者』 カリール・ジブラン

『カラマーゾフの兄弟』 ドストエフスキー

00:09
そっか。僕、あと、今の言葉も聞きながら思い返した詩、思い出した詩が一つあるんですけど。
好きがゆえに結構、この読書のまにまにの中でも時々出してる、大沙田博史さんの詩で、
世界は美しいとっていう詩集があるんですけど、これも世界は美しいとっていう詩のタイトルを取ってる詩集ですね。
この詩集の中に、賢い者よ教えてくださいっていう詩があって。
僕多分ね、あんまりカタカナで書かれた詩というものを読んだことあんまなくて、
大沙田博史さんの詩の中で、この賢い者よ教えてくださいっていう詩が、
パレードの中だと一番カタカナで表現されてる、なんじゃないかなって個人的には思ってる。
多分ほぼほぼ読ませてもらってる気がしてるので、大沙田博史さんの。
多分そうかなって思ってるぐらいなんですけど。
結構この内容と、このユーザーが書かれたものと繋がってるところも結構あるんじゃないかなみたいなことを。
じゃあちょっと3ページあるので長いので読んでみてもいいですか。
一応ぜひ。
いきますね。
賢い者よ教えてください。
冒険とは、一日一日と日を静かに過ごすことだ。
誰かがそう言ったのだ。
プラハのカフカだったと思う。
人はそれぞれの場所にいて、それぞれに世に知られていない鳥の冒険家のように生きねばならないと。
けれども、一日一日が冒険なら、人の一生の途方もない冒険には、一体どれだけ自分を支えられる言葉があれば足りるだろう。
夜、復刻ギュツラフ役聖書を開き、ヨアンネスの頼り喜びを読む。
北ドイツ生まれの先驚の人ギュツラフが、日本人の3人の遭難漂流民の助けを借りて、遠くシンガポールで美しい木版ですった一番古い日本語で書かれた聖書。
始まりに賢い者ござる。
この賢い者、極楽ともにござる。
この賢い者は極楽。
03:02
この賢い者とは言葉だ。
極楽が神だ。
福音が私たちにもたらすものは、頼り喜びである。
今日必要なのは、一日一日の静かな冒険のための言葉、祈る言葉だ。
人の中に命ある。
この命は人間の光。
この光は暗さの中に輝く。
だから賢い者よ、教えてください。
どうやって祈るかを、極楽を持たない者に。
という内容でございました。
いいですね。
めちゃくちゃいいですね。
そうなんか、今読んでみて思ったけど、僕がこれを思い返したのがそうだったわ。
って思って、何だろうな。
結構その聖書とかを引用してっていう作品がいくつかあるなと思ってたんですけど、
その中では僕結構この内容をかなり記憶してた感覚があって。
多分何かわからない、今あんまり言語化できない、世の中でできないですけど、
じゅんさんの作品を読ませてもらった、聞かせてもらったときに感じたもの。
この波打つ塾会の中で感じたものと、
小沢博史さんのこの詩の中で感じたことの何かつながりみたいなものが、
僕の中でなんとなかったのかもなって今感じたりしました。
いやー、すごいなー。
でもこの詩、何年ぶりに今見たかな。
3、4年ぶりぐらいな気がする。
こうやって思い返されるから、なんか面白いですね。
すごい良い詩を聞かせてもらったなー。
小沢博史さんすごいなー。
この詩とかって結構三分寄りというか、三分詩ってジャンルがあるんですけど、三分と詩の間みたいな。
三分詩ってジャンルがあるんだ。
いわゆる三分詩多いんですけど、
三分詩って三分寄りになるから、
詩の力が働きにくいようになりやすい気がしてるんです。
説明的にどんどんなっていくから、三分的に。
なのに、やっぱり詩の持ってる余白とか、
そういうものをすごいちゃんと保たれてて、むしろ強く働いてる感じがする。
06:06
すごいなー。
詩を書いてる人からするとそういうふうに感じたりするな。
ちなみに、今じゅんさんが言ってくれた詩の力っていう三文字がすごい気になっていて。
僕もそれをすごい感じるんですけど、
その詩の力って、
その三文字に表すと短いシンプルな言葉だけど、
結構いろんなものがたくさん中に入ってそうな言葉だなーみたいなことを今感じてて。
じゅんさんの中で詩の力って何?みたいな話をされてみたりすると、どんなことが出てきたりするんですか。
余白の力というか沈黙の力なんですけれども、
それは言葉を変えると、人間を超えたものの真理の言葉っていう感じがしてるんですよ。
人間を超えた真理の言葉。
難しいなー。
人間では語ることができないものがあると思ってきて、
そこの、人間では語ることができない領域の言葉を、詩が余白を通じて語ってくれてるという感じ。
へー。
あー、なるほどなー。
ちなみに今の聞きながら聞いてみたくなったんですけど、
直近の話というかずいぶん前の話になるかもしれないんですが、
じゅんさんがそういう詩の力を最初に感じたのっていつぐらいだったんですか。
それは読んでたときだから、たぶん子供の頃から感じてたんでしょうけど、
僕が記憶の限り、これですごく支えられたなっていうのは、
10年ぐらい前の25、6歳のときに、カリール・ジブランの「予言者」って本を読んでたときにすごい感動した記憶がありますね。
あー、カリール・ジブラン。
そう。
09:00
絵本ですか?
絵本です。
あ、絵本なのね。
僕たぶん詩集の中で一番好きなのはそれかもしれないですね。
そうなんだ。
レバノンの方なんですか?
そうなんですよ。
当時僕は罪の意識にすごい苦しんでたときがあって、
その中で罪と罰っていうところがあって、
罪とか罰ってものがどういうことなのかってことを、
哲学寄りでもあるんですよ。
あってくれてて、それ聞いたときになんか救われた感じがありましたね。
全然差し支えない範囲で全然いいんですけども、
その時期のじゅんさんが感じていたこと?
その背景というか、どんなことがじゅんさんに起きた時期だったんですか?
ちょっと待って。
あんまり人に言いたくないような内容で。
全然全然。それはそれは。
なんだけど、罪の意識に飲み込まれてて、
それを解き放ってくれた感じがあるんですよね。
へー。
一節読んでもいいですか?
ぜひ、手元にあるんですね。
いや、ないんですよ。取ってきていいですかね。
よいしょ。取ってきました。
ありがとうございます。
何ページだったかな。
調べたら、これ詳しく書いてくれてるかなって思って開いたらじゅんさんのノートだったんですよ。
え、嘘?本当に?
本当。
この予言者についてのね。
あー。
でもあれかな。俺、もしかしたら自分が好きなところを書いてるかもしれない。
久しぶりに読むな。
ぜひお願いします。
ちょっと待って。携帯のアラーム鳴って止めてきていいですか?
あ、待ちます。
すいません。
いえいえいえ。
読みますね。
12:01
これ途中なんですけど。
さらに私は言いたい。
たとえこれから話す言葉がどのようにあなた方の心に重くのしかかろうとも。
殺された者は、自分を殺した者に追い目のないわけではない。
奪われた者は、奪われたことに保我のないわけではない。
正しい者は、悪人の行いに関わりのないわけではない。
そして、手の清い者も罪人の技に触れなかったとは言えないのです。
誠に、罪のあるのはしばしば当の被害者。
そして、さらにしばしば罪を問われた者は、罪なく都がなしとみなされた者の代わりにその重荷を担う者。
っていう一節があるんです。
これが10年ぐらい前のジュンさんに入っていったんですね。
そうなんです。
たぶん僕ノートに書いたのはあれじゃないかな。
ちょっと記憶ないんですけど、ドイツ教会の話とか書いてたかもしれないなと思ってて。
え、なんだろう。
僕が見たのは、予言者と映画予言者に触れてっていう。
そうか、じゃあ違うな。
映画予言者はライオン・キングの監督によって触れてるんですよ。
単純にそれを見て、ライオン・キング僕大好きなんで見たくなったんですけど。
そうなんですよ。映画もいいんですよ、これ。
そっか、それ結構僕が話してたんだ。
ドイツ教会の関係で、安倍首相、元首相を殺した事件があったじゃないですか。
はい、ありましたね。
あの人も被害者じゃないですか。
だから、あことに罪あるのは、しばしば党の被害者っていうのはまさにそうだし、
さらにしばしば罪を問われた者は、罪なく都がなしとみなされた者の代わりに、
その重荷を担う者っていうのは、本当に誰もがあの立場になってもおかしくなかったのに、
あの人が担ってくれたっていうか。
そしてドイツ教会の問題を明るめにして変えていこうってことを作ってくれたっていう、
すごい大事な重荷を担ってくれた方なんだなーっていうふうなことを思ってて。
なるほどねー。
自分はその当時罪に意識があったから、
それで、この施設が作られた部分があったんですよね。
15:04
へー。
僕が人間を超えたつつ、これを友人に聞かれても、言われても、受け止めきれないかもしれないですよね。
本当に僕がもっとピアな人間だったら受け止めきれるんだと思う。
お前に何がわかるとかって言いたくなっちゃうと思うんですね、たぶん。
確かになー。
こういうものだと受け止めやすいと思うんですよね。
逆にもちろんその人が書いた言葉かもしれないけれども、
やっぱりそれがその人を超えた何かから来ている。
それを自分も人間という人格を超えているがゆえに受け取りやすいっていう。
そうなんですよ。
これあるかもなー、なるほどね。
これもさ、アレルジブランが言ってるというよりは、この詩って物語なんですよ。
ある賢者みたいな人が、いろんなことについて語ってくれてるんですね。
町の人が、「愛について教えてください。良かろう。罪と罰について教えてください。良かろう。」
これ今は罪と罰の話になってますね。
人間の営みについていろんなことについて語ってくれてて。
だからもはや架空のこの人が語ってくれてるから。
アレルジブランでもないというか。
確かにそうかもしれないですね。
この人にすげえ言われても、いやちげえから。
言いたくなることがありそうだな。
そう、「お前に俺の苦しみの何がわかるんだ?」つってね。
いやそうですね。人間のフィードバックの限界というか。
そうなんですよね。
自分でつかまわないといけない気がしてて、自分の求めてるのを。
だから死だけじゃないんですけど、いいんでしょうね。
今聞いてて、出てきた中で死とは関係ないんですけど、
今僕が座ってる家の席椅子の横の本棚を眺めながら、
今ふと、僕結構いろんな美術作品とか見に行くの好きなんですけど、
例えばその中に村方志向さんとか、木版画の方いますけど、
例えばそういった方のものとかって、なんで好きなんだっけって思ったときに、
すごい言語化がむずいなと思ってたんですけど、
まさに今じゅんさんが言ってくれた、その人を超えた何か。
18:00
その存在、何かしらの存在みたいなものを、その人を通してこの世に表出してくれてる感覚が、
ああいう方の作品を見たりするときにすごいあるなーみたいなことを思って。
村方志向さんとかは版画の方だし、そういった方だけじゃなくて他の、
今横にある画集とか見てるんですけど、沖縄の村方志向って言われてる方がいて、
中牧年さんっていう、この方今まだご存命なんですけど、
その人僕すごい好きで、その人のトークショーのために沖縄に行ったりとか。
すごい。
大尾理ちゃんがいるんですけど。
思い返したりしながら、沖縄の自然だったり歴史とかをその人を通して、作品に出してくれていて、
それを通して自分たちに何か、自然とか歴史とか、海や森が伝えようとしてくれてるみたいなものを感じたりしてるのかもしれないなーと思って。
そういったものを何かしら好きだったり、好ましく感じていたりするかもなーって、今のじゅんさんのことを聞きながら。
あーすごい、それありそうーみたいなことを思いながら聞きましたね。
いやーそうですよねー。
ちょっと同じような話、話させていいですか。
もちろんもちろん。
僕も生きている、僕基本的に古い人好きなんですけど、生きてる方だと、
黒沼貴敏さんっていう彫刻家の方がいらっしゃって。
もう一回いいですか。
黒沼貴敏さん。
黒沼さん、はいはい。
僕、初めて高級な美術品買ったのがこの人の作品の彫像なんですよ。
へー。
で、この方、インスタ見ると作品が見れるんですけれども、
もうね、ものすごい、なんか、聖なるものを宿した作品なんですよ。
へー。
それ見たときに、基本的には人間の顔をたくさん作ってくださってるんですけども、
はいはいはいはい。
人間ってなんでこんなに美しいんだって思って。
へー。
なんか、感動したんですよね。
そうなんだー。
そりゃやっぱね、人間、本当は身近な人間を見て美しいって感じれたらいいのに感じられなくて、出てなくて。
こういう彫刻を見たときに、彫刻が美しいってのもあるんですけど、
やっぱり人間が美しいってことを思い出させてくれたなーって思って。
へー。
ああ、そうなんだー。
多いのが芸術の力なんですね。
確かに。
なるほどねー。
今そういうのを聞いてみると、なんでしょうね、面白いなと思いますけど、
21:05
僕だと10年ぐらい前、10〜15年前とかって、すごい茶道やした時期だったりするんですけど、
今はもう離れちゃってはいるんですけど、
ある程度離れて以降も、時代が経つと、
あのときなんで茶道やしたんだっけみたいなことだったり、
茶道やした意味って何だったんだろうみたいなことの解釈って、
すごいいい意味でいろいろ書き換わっていくなみたいなことをやっていて。
一番最初はちっちゃいときだったんですけど、
ちっちゃいときは本当に和菓子がかわいくておいしいみたいな感じだったのが、
私はかっこいいみたいな、茶道かっこいいみたいな時期もあったし。
今の聞いてみたいですけど、やっぱり茶道も、
もちろんその器だったり、お花だったり、その空間、建物だったり、いろんなものがあの場所にありますけど、
それを作った人たちはもちろんあれど、
やっぱりそれを超えた何か、日本の昔からある何かがそこに眠っている、
栄養としてくれているっていうのを、多分その人たちもやったのかもしれないけれども、
勝手にそれが伝わっていくような仕組みとして茶道があったのかなーみたいな時期もあったり、
それにもしかしたら自分も関わることによって自分がそこで何かしら影響を受けて、
その感覚を次の世代に持っていこうとするために自分があの時期にすごくやったのかなーみたいなことを思ったりとか、
今聞きながらそういうふうな解釈とかもすごくありそうだなーみたいなことを思ったりもしましたね。
なるほどなー。面白いなー。
そっかー。
いやー、なんかあれだなー、それが一つの同じ茶道をやってるっていうことに対する意味付けがどんどん変わってきてるっていう。
僕もなんか今、詩を書く意味合いがやっぱり変わってないような変わっているような感じはしてて。
へー、そうなんだ。
やっぱり詩を出したいっていう気持ちとかは、
やっぱり一つ出せたからもう満たされたというか。
あーそうなんだ。
自分がなぜ詩を書かねばならないのかってことを、もう一段階問いかけられたような感じがするんですよ、今この出し終わったタイミングで。
へー。
新しい意味を求められてる感じがしてて。
ちなみにその10年前のこのカーリル・ジブラーンさんの表現者を読んだときのじゅんさんが今のじゅんさんを見たらなんて言いそうですか。
24:03
まさか自分で詩を書くとはって思うでしょうね、本当に。
あ、そうなんだ。
びっくりするだろうな。
あれ、じゅんさん何してるとき?
僕、公務員してましたね。
あ、そのときか。
市役所で働いてました。
あれ、大学出てすぐ市役所でした?
そうです。市役所です。
わー。
今住んでるあたり?近く?
痛みの市役所で勤めてました。
あ、そっかそっかそっか。
痛み空港がある。
そうだそうだ。
今神戸に住んでて。
はいはいはい。
あれ、いつまでいたんでしたっけ?
5年間いましたね、市役所に。
あー、そっか。
じゃあ予言者を見たときから、まだもうちょっといるんですね。
そうですね。
そっか。
確かにね、そのときに市役所にいて、市役所の仕事をしていて、
これをたまたま読んで、10年後に出してるなんて確かにそのときは思わなかった。
えー、ほんとに。
何かそういう、じゅんさんが今詩人として今生きているあたり、
その今のじゅんさんを作るに欠かせない詩だったり、
詩じゃなくても本でもいいんですけど、他にあったりするんですか?
難しいなー。
でも最近自分にとっての一冊は、もしかしたらこれかもしれないなっていうのは、
ドステフスキーのカラマーゾフの経代ですかね。
あー、そうなんだ。
去年読んでるって言ってましたね。
そうそう。一年かけて読みましたね。
ちょうどカリル・ジブラーンを10年前に読んだときに、罪と罰を読んだんですよ。
あー、なるほど。
そのときに罪と罰ってものすごい、同じなんですよ。
要は罪というものを僕は求めてたんですよ。罪とは何かってことを。
ものすごいそれでも救われた感覚があって、
そのときにカラマーゾフの経代を読んだんですよね。読み終わって次に。
再読で今回、10年ぶりに2回目を読んだんですけど、一年かけて。
これ、いいっすねー。
それ表現するの難しいかもしれないけど、どんなふうに読まれてるんですか?
たぶん僕は今、自分にとって大事なテーマって何なのかってことをもう一回問うてるんですよ、自分に。
27:03
それによって読む本が変わるし、書く作品も変わるしって思ってて。
カラマーゾフの経代になぜこれだけ惹かれてるのかって、
ここに何か自分のテーマがあるんじゃないかってちょっと思っていて。
それは何かっていうと、聖なるものってものを求めてる気がするんですね。
カラマーゾフの経代に出てくる人たちって、とても激しい人が多いんだけども、
聖なるものを開化してるんですよ。
開化すかたく。
急に変者みたいになっていったりとかするんですよ。
それが何か惹かれるんでしょうね、きっとね。
それで聖なるものという存在になること自体に惹かれるんですか。
そういうわけで、聖なるものを開化させるということに関心があるんだと思うんですね。
聖なるものを開化させることに。
なるほどね。
聖なるものを開化するってどういう感じなんだろう。
いやー、何かね。
21世紀っていうのが、時代の転換点にあるんだと思うふうに思っていて、
環境破壊の問題だったり、
一方でテクノロジーの進歩で核兵器みたいなものを未だに抱えてたりみたいなことで、
とても世界的な時代に入っていってるように思っていて、
そういうときに人間が聖なるものを宿すと何か変わるんじゃないかって、
どこかで思ってる。
カラマーズ部の兄弟の人たちも、
すごく自分の人生を破壊するような人が出てくるんだけれども、
急に何かある転換点で生まれ変わって、
人々に優しい慈悲深い人に変わっていくんですよ。
なるほどねー。
何があってなんでそうなったんだっていうのがあって、
すごい謎が残るんですけど。
でも何か大事なものがここにあるっていう感じがあるんでしょうね。
聖なるものと、
チュンさんが言ってくれている聖なるものと同じか近いか全く多いかわかんないんですけど、
今聞きながら思い出していたのがあれかもしれない。
僕の中では、去年がいつ行ったんだろう。
30:02
11月ぐらいかなとかに広島に久々に行ってたんですけど、
広島の平和資料館に久々に行ったりしたときに、
向こうの演奏、原爆のときの悲惨な状況だったりとか、
すごい資料館とか伝えてくれているし、
そのときに感じたこと、もちろんいろんなことを感じたりもしたけど、
ある意味今、ジュンさんが言ってくれた聖なるものみたいなところに、
なんか近しい感覚なのかわからんけど、
僕の解析だと、近しいものをあの場所に行ったとき、
およびそれを出た後に、喧嘩台でお祈りをしたときに、
何か感じたような気がしていて、今でもすごい覚えてるんですけど、
そこの資料館に出て、喧嘩台に数十人ぐらい人が並んでて、
本当に世界中のいろんな人たちがここに並んで、
一人一人お参りというか、頭下げながらお祈りをするというときに、
この喧嘩台の上に鳩が3羽いて、
その鳩がいろんな世界中の人たちが喧嘩してるのをずっと眺めてるみたいな、
シーンが僕の中ですごく記憶に残ってて、
それでふとした瞬間に一羽ずつ飛んでいった。
思い返したときに、なんかここに来てよかったなーって思ったし、
なんかこうやって誰かが見てくれてるんだなーとか。
その感覚って、今言ってくれてる世代のものに近しいような気もしないでもない、どうかなーって思ったり。
ほんとですねー。小説みたいな話ですね、今のねー。
ねー。
ほら、じゅんさんがまたいずれ出したりするんですか?
そうですね。出すと思います。
あ、それは出すイメージがあるんだ。
出すと思いますね。詩集とあと随筆も書いてるんで、随筆も出すと思います。
なるほど。
いやー、それ出すときには何年後だったりするんでしょうね。
ねーほんとに、なんか5年か10年先かもしれない。
そっかそっか。
いやー、なんだかんだいい感じの時間になってきたなーみたいなことを思っていまして。
あなたなんか今日話してみていかがでしたか。
そうですねー。
いやー、なんかそうですね。
33:05
一冊選ぶのって難しいんですけれども、自分に影響を与えたもの。
でも、カリル・ジブランの予言者とドステフスキーは、やっぱりそうだなって感じましたし、
北村さんの話聞いてても、やっぱり僕と北村さんの中で近しいものがあるんじゃないかなという気がして、
だから自ずとまにまにが共通したんだろうなーみたいなことも感じましたね。
そっかー、ありがとうございます。
そうですね、なかなか近しい感覚が一部でもないとまにまにのシンクロニシティはないと思うんですけど。
そっかー、ありがとうございます。
普段ゴリゴリガリガリのミーティングとかでは話せないような話をして嬉しかったなーみたいなことを今感じてます。
最後にゆんさんに一つ最後の質問をして終わっていけたらなーみたいなことを思ってるんですけど。
今日の話を踏まえてでもいいですし、踏まえなくても全然いいんですけど、
改めてじゅんさんが最近向き合っている問い、もしくはこれから向き合いたいと思っている問い、
みたいなものがあったらそれを聞かせてもらえたら嬉しいなーって思って。
すごいなー。
大理寺先生いかがですか。
なるほどなー。
わーそれいくつかある気がするんですけど、難しいなー。
どれかだよな、ちょっと待てよ。
大きいテーマは、さっき言ったように聖なるものを再活するってどういうことかってことなんですけれども、
ちょっと今年で言うと、
詩の力とか文学の力をもう一段加めたいと思っていて、
詩の力、文学の力がだんだん読まれなくなってきてきてる時代の中で、
どういう役割を果たせるのかってことは考えたいなと思ってるんですよ。
ああ、そうなの。
映画とかネットフリックスとかに多く、YouTubeとかに見られる時代の中で、
言葉だからこそ、持てる力って何かってこそを深めたいなと思っていて、
ある実感が僕の中ではもちろんあるので、それを分かち合えるようなイベントを今年からいくつかしていって、
一緒に考えていきたいなーと思っています。
なるほど。
ありがとうございます。
これを聞いているリスナーの皆さんも、その問いをそれぞれの中で漂わせてもらえたら嬉しいなと思って聞いてみました。
36:02
ありがとうございます。
じゃあ、というわけで、今日はこんなところで終わりにしていきましょうか。
はい、では今回お呼びしたのが、詩人のあせがじゅんさんでした。
じゅんさん、改めて今日もありがとうございました。
ありがとうございました。
36:25

コメント

おふたりの声を、朗読を、LISTENスタジオで直接聞くことができて大変うれしかったです。 目を閉じても、イヤホンとは違って音声に集中できなかったので、「読んでいる人を見ること」を楽しませていただいてました。ありがとうございました。 (ご連絡:概要欄でご紹介いただいている『預言者』 と『カラマーゾフの兄弟』も、『世界はうつくしいと』 に飛んでしまいます)

ナナさん、なんと!あの場にいらしたのですか!ご挨拶させていただきたかったです、、、ざんねん!泣   そうそう、あそこ結構外が騒がしかったので難しかったですよね。笑 今度、あの収録を特別版としてアップするつもりなので、ぜひまた聴いてください! そしてリンクのフィードバックもありがとうございます。 ほんとだ!と驚くとともに、そこ気づいていただけるの凄すぎる、、!と感激しました。 また引き続き聴いていただけると嬉しいです。今度はどこぞのイベントでおしゃべりさせてくださいませー^^

ナナ

ありがとうございます! いまLISTENを好きでいるのはUNKNOWNラジオが好きだったことが始まりで、UNKNOWNラジオを知ったのはUNKNOWNの宿が好きだったからで、新城さんのお姿を見ながら「文豪プラン」をぽちったことも何度か。「あの(半ズボンの)ひと」にお目にかかったり、お返事いただいたりする日がくるなんて。 リンク先に気づいたのはたまたまで、好きな番組とはいえ、いつも隅々まで見たり聴いたりしているわけではないのです… でも特別版は、YouTubeを無音で流しつつ(朗読のところは目を閉じて)こちらでしっかりと聴きます。というか聴いてしまうと思います笑

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