今回は、塔和子さんの詩集『日常』
ハンセン病であるために生まれた詩もありますが、
病にかかわらず、誰もが過ごすような何てことない日常の中に潜む大事なことを詩にしてくれています。日常をこのように受けとめられるとどれだけ豊かな人生になるのでしょうか。
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サマリー
今回のエピソードでは、詩集『日常』で知られる塔和子さんの作品が紹介されています。塔さんはハンセン病を患い、国立療養所で生活しながら詩を書いていました。彼女の詩は、病や差別といった過酷な経験にもかかわらず、日々の暮らしの中に潜む大切なことや、夫婦の深い愛情を描いています。特に、夫への献身的な愛情と、それに対する夫の無関心とも取れる反応の中に、言葉にならないほどの愛おしさが込められた「月出た杭」や、日常の些細な出来事を通して夫婦の絆や人生の豊かさを感じさせる「夫婦」「日常」といった詩が朗読され、その魅力が解説されました。これらの詩は、ハンセン病という文脈を知らなくても味わい深いですが、その背景を知ることでさらに深い感動を与えます。また、語り手自身も自身の詩集制作において塔さんの詩集の装丁から影響を受けたエピソードが語られました。日常の何気ない出来事を詩にすることで、人生が豊かになり、生きる実感を与えてくれるというメッセージが込められています。
塔和子さんの詩集『日常』の紹介
こんにちは。 こんにちは。
今日の本は、詩集ですと。
おー、久々ですね。 久しぶりに。
塔和子さんという方がいらっしゃって。 塔和子さん。
その方の、今日は日常っていう詩集を持ってきました。
塔和子さんって、2013年まで生きてたんで、
結構割と最近まで生きてた人なんですよ。
1929年に生まれて、2013年まで生きていらっしゃった方で。
で、ハンセン病を患って。
なんで、国立療養所で、香川の方のところで麻痺されて。
そこで詩を書いてっていう方ですね。
この方は、キリスト教会で洗礼を受けていて、
そういう宗教的な詩を書いている詩集もあれば、いろんなテーマで書かれているんですけれども、
命のこととか。
この日常っていう詩集は、本当に日常のことを書いているっていう詩集なんですよ。
僕、やっぱり日常を描いている詩が、結構好きで読んでた時期がありまして。
塔和子さんの詩集もなんで、よく読んでましたね。
自分が2020年に詩集を出した時とかも、あれも結構日常のものを書いていて、
結構こういう塔和子さんの影響とか受けてたと思います。
あの詩集も、まず形をどうするかっていうときに、いろいろ考えたときに、
塔和子さんの詩集って結構横に長いんですよ。本の形として。
この形が、やっぱりパッて開いたときに横に長くなってくるんで、詩としてはすごく扱いやすくて。
ページがまたいちゃうと、ちょっとまたリズムが変わっちゃうし。
なんかすごくね、自分の詩集の形をどうするかのときにもね、
塔和子さんのやつとかにすごく影響を受けて。
ちょっとそういう、僕にとってはとても勝手に親しみを覚えている方の詩集なんですけれども。
それを読んでいきたいと思ってます。
ハンセン病として、大きな試練を生きてきた人なんですけれども、
そういう病とか偏見とか、いろんな差別にあいながらって方なんですけれども、
僕、最初本読んだとき、そのこと知らなくて読んでたんですよ。
後になって知って。
知らなくてもすごく味わえる詩だし、
そういうハンセン病を生きてきたっていうことの文脈を入れて、また味合い深いっていう側面ももちろんあるんですけれども。
そういう詩でございますね。
じゃあ、ちょっとどうしようかな。
いくつか読んでいきましょうかね。
今日も。
じゃあ前の方から順番に読んでいきますね。
詩「月出た杭」の朗読と解説
まず一番最初は、
月出た杭っていう詩を読んでみます。
月出た杭。
私があなたになしうることは、
食事が終わったときの後始末をしてあげるくらいのこと。
食べるのも養便をするのもあなただ。
生も死も変わってあげられない。
夫。
この頑固で一途で愛しいもの。
私よりも先に死んだら、
私はその棺の中へも入りたいと思うもの。
しかし夫は夫の生を生き、
私は私の生を生きているだけだから、
どんな思いも思いだけで終わってしまう。
思ってもどうにもならないことを、
何にもならないことばかりなのに、
なぜ思うというひどく無意味な、
ひどく大切なことがあって、
苦しんだり楽しんだりするのか。
月出た杭のようにあなたのせいがあって。
目の見えないあなたのために、
目の代わりにちょっぴり手伝う。
そして私はあなたの意地や針の中まで、
あなたの生理や生死の淵まで、
いくら手を伸ばしても届かないところにいて、
蝉の羽のように被愛をすき通らせている。
最後の方がいいですね。
蝉の羽のように被愛をすき通らせている。
ちょっとすごいですね。
すごいですね。
すごいですね。
あまりこういうこと言いたくないですけど、
やっぱりこういうふうに、
最後、蝉の羽のように被愛をすき通らせている、
っていうところまで、
いくのが、
言語芸術の魅力だなと思ってて。
ずっとこの夫婦の関係、
そして本当の意味で、
人が一人で生きていけばならないっていう厳粛な、
それは孤独でもあり喜びでもある、
宿命でもあるっていう、
この生の宿命を最後、
蝉のような羽で出る。
被愛を、
蝉が全部かかってくれるね。
この被愛は、そしてなんか、
とても愛おしいもんですね。
すごいこう、
愛が赤い、
だなんですね、ご夫婦。
そうですね。
ハンセン病と療養所での生活について
今週は、
ほとんどふたすら夫婦の話なんですよ。
そうなんだ。
目が見えないんですか、ご主人。
そうなんですよ。
ハンセン病って、
皮膚が溶けていったり、
目が見えなくなったりとか、
するんですよね。
旦那さんもハンセン病とか。
そうそう。
ハンセン病の方って、
いろんな年目下の方で入られる方もいれば、
同家族さんみたいに、
10代とか、
20歳前後で入る方もいらっしゃって、
そういう方とかは、
園内で結婚されるってこともあって。
確立するような、
私ハンセン病について、
あまり詳しくないんですけど。
そうそう、ハンセン病は当時確立されてたんですよ。
なんていうんですか、
コロナのときにも、
ホテルに、
海外からって言ったら、
ホテルに何日か確立するみたいなことあったじゃないですか。
あれに、ちょっと近しいと言えば近しいと思うんですよ。
今となっては、
感染力もそこまでなかった。
正直コロナもそうでしたよね。
でもその当時は、
分かんないわけですよ、そういうのが。
だから、確立するということで。
家族と住んでた人は、
家族と引き離されてしまって、
っていうこともあるんだけれども、
でも、本人もね、
とはいえ、
自分がなぜか感染してしまって、
家族に移したいとも思ってないわけです。
だから、ある意味、
そこに行くことで、
家族にも周囲にも迷惑をかけないためにも、
そこに行くべきだって思いももちろんある。
ただ当時は、
まだやっぱり、
明治大正ぐらいですか、
昭和にかけて。
なので、
軍国主義が強くて、
そういうものがあると、
日本の国力が落ちてしまうから、
とにかく、
無来県運動って言って、
その県から、
来病って言いますけど、
もう本当に隔離させるってことを徹底して、
なくすっていうことをやって、
ちょっとそれが、
遠すぎて人権を侵害しているって、
ところまで行っちゃってたんですよ。
それは、
虚勢みたいなことをするとか、
子供を産ませないために。
妊娠しちゃってる人は、
無理やり卸させるっていうこととかね。
そういうことをやったりとか。
で、
しかもこういうものがだんだんだんだん、
そこまで感染力もなく、
治す特効薬も生まれてきたんだけれども、
偏見はやっぱり長く続いてしまって、
治っても、
やっぱりこの療養所で、
ずっと過ごして、
亡くなるって。
今もね、
療養所に暮らしている方いますね。
もう、
平均年齢今だと、
90ぐらいになってんじゃないですかね。
っていうね。
うん。
結構NHKとかでもたくさん、
ドキュメンタリーあります。
そうそう。
じゃあその、
療養所の中で、
暮らした夫婦の日常の、
そうですね。
っていうってことですね。
そうですね。
はい。
詩「夫婦」の朗読と解説
じゃあ、
次、
夫婦。
まんまですけれど。
夫婦。
私があんたと言うと、
そいつは、
おい、
と言う。
私とそいつの間には、
名前など、
さして重要ではない。
私は、
一日中、
メシになったそいつに、
あんたお茶飲む?
服着る?
顔洗う?
治療に行く?
と言い続け、
そいつのいいようになってあげる。
でもそいつは、
私の存在に気づいていない。
だから、
私がちょっとややこしそうなことを頼むと、
初めて私の存在に気づいたように、
後にしてくれ、
などと、
つっけんどうに言う。
けれども、
私はかまわず、
聞いてもらいたい自分の詩を読んだりして、
まあまあやなあと、
自尊心を傷つけられるようなことを言われ、
それでもこいつが、
このくらいのことを言うのだから、
まあよかったかなあと、
大いに割引して考える。
昼の部屋で、
安心しきったように、
大きな口を開けている。
そいつの顔を、
私も安心しきって、
ちらりと見る。
ていう詩です。
むしろいですね。
本当に、
本当に日常のことですね。
それを、
不満があると言えば、
不満がありますみたいな。
でも、
そこに愛しさがあると言えば、
愛しさがあるし、
ていう、
そういうのがすごく伝わってくれますね。
いいですね。
なんか日常にやっぱり潜んでいる、
大事なことに、
目を向けるために詩を書いている、
感じがしてきますね。
こういうのを読んでいると。
なんでもないことこそかみたいなね。
そうなんです。
詩「日常」の朗読と解説
ちょっと次も、
日常っていうものなんですけど、
読みますね。
日常。
私は料理が下手だから、
あまりしない。
大抵は、
縁から配食される食事だけで、
なんとか食べている。
私の胃よ。
私の夫の胃よ。
お前たちはそんな私に文句を言わず、
忠実に働いてくれる。
でも、
寂しいだろうな。
さして御馳走も入れてやらず、
変わったものも、
食べてやらないから。
それでも今日まで、
さしたる故障も起こさない夫の胃に、
私はあいつもごめんなさいと言っている。
でも夫の胃は、
いいよ配食された食事で十分だよと、
言っているように食べてくれる。
愛と理性の隙間で、
ちょっと寂しい現実が、
私の心を痛ませる。
いいですね。
いや、なんだろうな。
こういうのって、
些細なことなんだけども、
死にすると、
不思議な力を帯びますよね。
こういうのも、
死になるんだっていう感じもあるんですけども、もちろん。
でもこういう、
些細なことの、
日常の些細なことから、
愛とかが、
育まれてくるっていう感じも、
なんか起こしてくるというか。
だから、
些細なようで、
些細じゃない気もしてくるんですよね。
一つの世界観が、
死にすることで与えられるような感じがして、
食べることとか、
いいとか、
それをこなしてくれる相手のいいとか、
そういう世界観、
死によってそういう世界観になることで、
些細な日常が物語を見てくるというか、
そういう感じが、
愛に気づかせてくれる、
視点を与えてくれるみたいな、
感じはしました。
日常を描く詩の魅力と人生への影響
ちょっと、
9月もまた、
中学・高校で、
詩の授業というか、
する予定で、
私がね、
詩を書いてみようっていうのもやるんですけれども、
日常を書いてみましょうっていうことに、
やっぱりしようと思ってんですよ。
以前扱った、
吉野ひろしさんとかね、
よく電車のホームとか電車が同行とか、
本当に通勤途中のことを詩にしたりしてるし、
桃和子さんは日常の夫婦のことを書いてるし、
なんかこういうことがいいと思うんですよ、
と思ってね。
これ、
そうなんだよな、
これが詩にすると、
なんかちょっと力を見るんだよな、やっぱり。
これは不思議だよな。
人生が豊かになりますよね。
いや、そうですよね。
何気ない風景からね、
選ばれてくる。
力を持って進むことが。
なんか生の実感とかね、
感じますよね。
ね。
はい。
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