今回は、吉野弘さんの『詩集 陽を浴びて』。
吉野さんは、日常の些細なことを詩にしてくれています。
こういう作品を読むと、日常をより丁寧に、より慈しんで過ごせる感覚になっていきます。
サマリー
ポッドキャストでは、多摩市や池野平に関する詩が解説されています。特に、故人である詩人村野志郎への思いと、彼が描いた自然や季節の変化について触れられています。このエピソードでは、吉野弘の詩「陽を浴びて」が朗読され、その内容や感情の解釈が議論されています。特に、桜の木と寂しい娘の姿が象徴する儚さや苦難の感情が強調されています。
多摩市への思い
そしたらね、次はね、多摩市の多摩。東京の多摩ってありますよね。そこの多摩ですね。
なんかね、これ30編中2編だけ、亡くなった詩人仲間のことを描いている作品があって、
で、この多摩って作品も村野志郎さんっていう詩人仲間がね、亡くなってから描かれている、その人を思って描いている詩になります。
はい、なんでちょっと今までとまた黄色が少しだけ違いますけれども、読んでいきたいと思います。
あとあれだな、これちょっと先に言っとくと、私は武蔵野の西郊に、西郊ってあるんだけどこれ西の郊外って意味ですね。
武蔵野の西の郊外にって意味ですね。
ちょっと音だけだとつかみにくいと思うんで。
じゃあ読んでいきます。
多摩、今は亡き村野志郎さんが、ある詩の中で書いておられる。
ベーコンを食べて太るのよ。
という声を聞き、胸が悪くなって目が覚めると、
ベーコンを食べての切り違いだったと。
待って、笑っちゃった。
これ面白すぎるな、ちょっと。
ベーコンを食べて太るのよって聞こえたんだけど、実はベーコンを食べて太るのよって。
ちょっと死ぬすぎる間違いだな。
おもろすぎるこれ。
ちょっといきますね。
ちょっともう一回。
胸が悪くなって目が覚めると、
ベーコンを食べての切り違いだったと。
村野さんはもうベーコンを食べる必要もないレーコンになって、
ふるさと多摩の給料などを徘徊しておられるのだろうか。
村野さんの出生地は今の府中市。
当時の東京府北多摩郡多摩村。
幼少年期を過ごしたその土地を村野さんはこんなふうに改装しておられる。
私は武蔵野の最高に何代となく続いた古い商屋に生まれました。
数多くの古墳をいただいた低い給料は多摩川のほとりから起こり、
白い砂原や赤い崖を露出させたりして、
北方の樽や松の雑木林の中に消えています。
うんぬん。
小学校は多摩小学校だった。
さて次に私の聞き違い。
ある日、「多摩市に住んでいらっしゃる方からのリクエストです。」
というアナウンサーの声。
多摩市に住んでいらっしゃるとわかるまでのめまいの一、二秒。
この時から後、多摩市は、そして多摩の名のある山川その他すべては、
多摩市という名の透明なカプセルに入っており、
時折、懐かしけなめくばつを送ってくるのだ。
頼りない文明に棲む、頼りない一詩人に、
って言って終わります。
かわいい。めっちゃかわいい。
いいですね。
多摩市からウインクされてるのね、かわいい。
むしろいなぁ。
えぇ、すごーい。お茶目ですね、なんか書き方。
こういうちょっと日常のクスッとしてしまうのも、死にしちゃうんすね。
ねえ。
ちょっとすごいやっぱ好きになっちゃう、この吉野さん。
いっしょね。
なんか集めちゃうのがあります、じゅんさんが。
いや、ほんとにいいなぁ。
なんかすごい、ほんとに力んでない、ほんとに。
作品も。
軽さがすごくいいですね、なんか。
もうこの死に至ってはちょっとわらかしにいっている。
うん、いいですね。
いいですね。
じゃあ次いこうかな。
池野平の描写
そしたらね、池野平かな。
池野平っていう作品。
池野平ってあれなのかな、なんかそういう地名なのかな。
ね、なんかありそう。
読んでみます。
池野平。
高原の。
ちょっと待って、これあれだな。
これもちょっと先に言っておきたいんだが、枯茅?
枯茅軍団のってあるんですけど、
枯茅って枯れた茅のことで、
茅ってあれね、ススみたいなやつのことですね。
だから枯れたススみたいなものがたくさんある枯茅軍団って言ってるんですけどね。
ちょっとそれだけすみません、先に。
字が伝わらないと思って。
伝えしつつもう一回読んでいきます。
高原の遅い春、雪は山頂近くにひいたが、
池の面にひれ伏した枯茅軍団の刀折れや尽きた姿は、
ひと冬の雪の重量を語る、雪の下敷きになっていた漢木たちは、
しかしおもむろに立ち上がる、寒風にいたぶられていた木々の枝は、
暖かい日差しに軽口をたたいている、
方針から十一へと急速に動く今、
銭湯を切って水場上の軍隊が一斉に純白の帆を張る、
高原を夏へ一気に牽引するかのように、という作品になっています。
どういうふうに描くかみたいな。
絵を描いているようですね。
しかも雪の下まで、雪で覆われちゃうものの下まで丁寧に描いているというか。
春の訪れを、これが妖精たちの仕業のようにあちこちに妖精たちが仕事しているかのような感じに、
なんていうのかな。
季節が、自然界があちこちで春自宅をしてるみたいな風な情景が浮かぶというか。
すごい。
どうことなく勇気もらう感じもあるっていうかね。
勇気っていう、それは自分の中の人生の冬みたいなものから立ち上がって春に向かっていこうってすることを感じさせてくれるような。
本当に絵みたいだな。
逆に言うと、絵もこういうふうに、絵が語ってるメッセージっていうか言葉を書いてみるっていうね。
僕たちはらさんと往復書館の企画を一年間やり続けて、毎回写真送ってもらってそれに死を添えるんですけど。
あの写真本当に見事なんですよね。
余白が、本当に詩みたいな写真ばっかりで。
うわー、みたいな、すぐ言葉は出てこないですけど、物語ってる感覚がすごい伝わってきて。
幸せですね。写真家さんも、栃原さんもだから、じゅんさんに読み解いてもらうというかなんて言うんだろうな。
筆を加えてもらうというか、写真の中に入っていってもらうというかね。
めっちゃ幸せな体験だと思うな。
なんかいろんな方向性があるの、それも。
こんな風に語ってくれてる気もするし、もしかしたらこんな風にも語ってくれてる気もするって。
だから、なんかね、一つの写真からたくさん詩が生まれてくるんだよね、本当はね。
それのうち、これにしようとって、なんかやってるんですけど。
だから、そうなんだよな、豊かなんだよな。
めっちゃ面白いことしてますね、さっきの日記にしろ、復書館にしろ。
なんていうか、やっぱ詩人たる人生を歩んでるじゅんさん、めっちゃ素敵ですよ。
本当ですか、本当っすね。
見て言ってる、それこそ、妙高人じゃないけど。
知って言ってます、詩人を。
いやでも、今回ちょっと吉野さんから、より息を吸うように書いていいんだなってことをちょっとね、学んでます、本当に。
だし、本当に、やっぱみんな、なんかこういう風に、こういう風な日記とか書けると素敵だよなーって。
別にみんなが書けなくてもいいんですけど、なんかそういうのも、なんかやりたいなーと思っちゃいますね、やっぱり。
なんか勇気ももらえますね、学校されるっていうか。
やりたいなー、もうちょっと詩の講座とか、なんか増やしていきたいなー、そういうのが。
いいじゃないですか、増やしたい。
ね、ちょっとこれ読んで、一週間に書いてきてもらって、また一週間後に再開させてもらって。
最高、それ。
読んでみるっていうね、そういう企画やりたいっすね。
めっちゃいいじゃないですか、めっちゃ楽しい、それ。豊かになる、心が。
毎日書けなくてもいいんでね。だから2週間後とかでもいいのかもしれない。
うんうん、ね。
10ページっていうかね、10個ぐらいはなんか、一回分がたまりそう。
うん、でも一回に一回でもいいし、だったら。
それいい。
それいいっすね。
あー、ちょっと戻りますか。
えーと、そしたら、うん。
列車の情景
列車がって、ちょっと次の先に行こう。列車が。
うん。
あー、これもいいんだなー、これ。
列車が、行けますね。
列車が、高原の駅のホームに滑り込むと、
レール沿いの桜並木は、花の森だった。
見惚れて、歓声を漏らす乗客もいた。
思いを遂げる時は、狂おしいほどに花の咲き満ちた桜の木の姿のようでありたい。
乗客の中の一人の寂しい娘が、そう思った。
列車は静かに動き出した。
っていう作品なんですよ。
えー、なんだこれは。
一人の寂しい娘が。
そう思った。
誰?
ジョニー。
怖いね。
すーごいぞ、これ。
ここの寂しい娘っていうのは、吉野さんが誰を思ってというよりかは、
これは本当は、読者なりに思う人を浮かべる方がいいんですけれども。
でもこれ、ちょっとやっぱり柿亭の吉野さんに意識向けちゃうと、
これすごいなぁ。
そう言ったんじゃなくて、
そう思ったって。
もう一回読んでもらっていいですか。
もう一回ね。
列車が高原の駅のホームに滑り込むと、
レール沿いの桜並木は花の森だった。
見惚れて、歓声を漏らす乗客もいた。
思いを遂げる時は、苦しいほどに、
花の咲き満ちた桜の木の姿のようでありたい。
乗客の中の一人の寂しい娘がそう思った。
列車は静かに動き出した。
えー、すごい。
れちゆんさんはどういう感覚になりますか。
この字を読み終わった時、今。
そうですね。
いや、ちょっといろいろあるって。
ちょっとその、僕は詩人として柿亭の方に行くと、
この一人の寂しい娘がそう言ったじゃなくて、
そう思ったってところに、
まずこの、詩人が恋にならない声を、
思いを受け止めているっていう、
それが詩になるっていうことを、
だと思っていて、
まずそこがすごいって思って、
で、列車は静かに動き出したって最後に書くと、
なんかその人生が、
その望みに向かって動き出してる感じもしてくるから、
すごいって。
柿亭としてはまずそう思うんですけど、
でもこれなんだろうな、
普通に読み手として読むと、
なんか、娘がこんなことを思うのかっていう娘は、
なんかあるですね。
どう考えてもなんか、
何か苦難を背負っている娘のようにしか思えないっていうか。
思いを遂げるでしたっけ。
うん。
なんかね、
なんかすっごくこう、
もの寂しい気持ちっていうか、
儚さみたいな感じ。
なんか満開な桜はやがて散るみたいなことが、
その先に待ち受けてるみたいな感じもするし、
なんかそれがすごく、
なんだろうな、儚さみたいなものをくすぐってくるっていうか。
だから乗客は歓喜してるのに、
なんだろうこの、なんていうのかな。
なんかやがて散る方に私はなんか意識が持ってかれちゃって。
そうなんだよな。
いや僕もそうなんですよ。
だから苦難のようなことを感じてたんですけど、
これでも別にそういう読み方じゃないこともできるか、
ポジティブななんかもあるか普通に。
自分のなんか夢が、
夢を達成したっていうかなんかこう、
晴れ舞台に、
なんだろう、
いやでもちょっとでも、
寂しい娘って言ってるからな。
そっか、その寂しい娘にやっぱり持ってかれるのか。
かも。
そう、儚さの方に行きますよね。
なんかこう、なんていうのかな。
綺麗に澄んだ水面にポタンって一滴の、
なんていうか、陰りっていうかね、
なんか日ごりみたいな、なんていうのかな。
一滴の木銃が垂れたみたいな感覚っていうか。
なんかそういう感じがあるんだよな。
ありますね。
そういうところも含めて、
これ、いろんな撮り方があっていいし、
それぐらい余白の、やっぱり強い作品なんですね。
いや、これはすごいぞ。
作品の深い意味
これわずか何行だろう、これ。
2、4、6、8、12行の詩ですからね。
すごいな。
ね。
天才ですね、ほんと。
でもこれこんなに。
これの絵なんてすごい。
ね。
これほんとでもね、息を吸うかのごとく描いてるとね、
生まれてきますよ、多分こういうのね。
そうなんだ。
うん、そうだと思います、ほんと。
この作品だけ見るとこんなの描けないって思っちゃうんですけどね。
吉野さんも自分でびっくりしてんじゃないかな、勝手に想像するに。
吉野さん、魂の、みたいな、魂の、みたいなこと描いてる傍らでこんなのに出てくるんだよ。
ほんとだ、ビールね、飲みながらね。
そっかー、いいなー。
なんかね、ほんとこういう、なんていうのかな、近所にいそうなおじさんな感じもするんですよね。
ぐらい身近にいそうなのに。
え?みたいな、動き揺るってくるみたいな感じね。
そうなんですよね。
いや、妙高人の残したことは、もうちょっとだからこういう感じなんでしょうね。
これのちょっとその信仰の混じった歌を残してくれてるというか。
ほんと、なんか自分と決して無関係でないっていうか、
あの、地続きの世界にある、なんていうのかな。
うん、純木な、なんて言うんでしょうね、光みたいな感じ。
いや、いいのシェアしてくれますね、じゅんさん。
いやいやいや、いやもうこれほとんど、ね、ほんとにね。
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