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#120 墓場こそ本当の幸福でありますまいか / 倉田百三『青春の息の痕』朗読解説その2
2026-08-22 16:03

#120 墓場こそ本当の幸福でありますまいか / 倉田百三『青春の息の痕』朗読解説その2

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今回は、倉田百三の手紙を集めた『青春の息の痕』

代表作である『出家とその弟子』が生み出される前後、彼が22歳から27歳の頃に友人と交わした手紙集。彼の小説や随筆もいいですが、手紙にこそ滲み出るありのままの姿があります。人は病を背負い、身内の死に嘆き、その中で育まれるものは何なのか。
一緒に味わいたいと思います。

感想

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00:00
じゃあちょっと、別の手紙読みましょうかね。
えーっとね、これもうほぼ後半なんですけれどね、読んでみますね。
ずいぶんご無沙汰しました。これ手紙の最初の部分からですね。
あ、この手紙ちょっと短いんで、最初から最後まで読みますけれども。
ずいぶんご無沙汰しました。あなたはこの頃はどうして暮らしていらっしゃいますか?
相変わらず日清に勉強していらっしゃることと思います。 何か書かれていられますか?
暑さが触りは致しませんか? 私はこの頃はだいぶん心良くなりましたから喜んでください。
けれどまだ読み書きも歩行もできません。 しかし危険な時期を通過したやや安らかな気持ちです。
苦しみも悲しみも忍び受ける 寂しい心地はいよいよ確かに私の貴重となっていきます。
その地に立ってしかも世界の様々の迷いを眺め しかし冷ややかに傍観するのではなくそれを人間の分として
寂しく受け取るような気持ちで見ている姿です。
私はやはり心の静けさというものが一番尊い幸福であるように思います。
そして死は永久安息を私たちに与えてくれるのではありますまいか。
私は死の願い憧れというような気持ちがしだしました。
墓場こそ私たちの求めている本当の幸福があるのではありますまいか。
私は自分の墓を生きているうちに立てその墓盛りとなっているような気持ちで
これから後の生涯それは必ず長くはありますまいを過ごすつもりです。
常に死を待つ心地でそして健康が許すなればそのような気持ちで芸術の仕事に携わりたいと思います。
この世の希望はことごとく私から去りました。
しかし私はもうそれを悲しみますまい。
昔から人生の無常から深き知恵に達した聖者たちの寂しき道を分け行こうと思います。
どうぞ私に変わらぬ静かな愛を終わりの日まで送ってください。
03:02
今日はやっと表記だけ私が書くことができました。
ではあります。
私はやはり心の静けさというものが一番尊い幸福であるように思います。
私は死の願い、憧れというような気持ちが知らしました。
墓場こそ私たちの求めている本当の幸福があるのではありますまいか。
と言うのです。
自らのこの境地に立ったからこそ、出家とその弟子で心乱のあの最後のシーンとか
ああいう風に描いていたのかとか思いますね。
これ一番最初に読んだ、私は人生を呪うことができません、という言葉ね。
ああいうところから入っていって、信仰が深まり始めていって、
いよいよこの時、死後に本当の幸福があるんじゃないんだろうか、という信仰にまで行っていると。
見送ったんだと思うんですよね。
だから、私たち一足取りに死後の世界を思うなんてこと、普通ならないじゃないですか。
そうだと思うんですよ。
その信仰の段階を踏まないと、そんなところまでいかないんだと思うんですよ。
私、そんなこと考えない、そんなことどうでもいいって思っているのは、やっぱり死に直面してないからなんだろうなって思いますね、こういうのを読むとね。
僕はこの手紙の中で、お姉さんが死んだ時の手紙が一番感動したんですけどね。
今日は読まないつもりでいて、読み上げるというよりかは、自分でじっくり読んだほうがいい気がしたんで、ちょっと扱わないんですけれどもね。
でもね、お姉さんの経験を僕は思い出したんですよ、これを読んだ時に。
それは、なんて書いたかっていうとね。
ちょっとだけ、お姉さんが亡くなった時の手紙を読むとね。
お姉さんが亡くなった後、またこれ、久保さんに当てている手紙なんですけど。
06:02
姉の30年の短い生涯は幸福なものとは言われませんけれど、今は安らかな国に観音様のようになっていることと信じます。
死は安らかな休息であろうというような、死の慰めというような感じが致します。
その人にとって、地上の生涯は苦しみと悲しみの連続であった。
人は憂くべき罰と負うべき重荷を果たして、今こそ安らかな時は来たという気がするのであろうと思います。
って書いてあるんですよ。
お姉さん、ちょっと前回、出家と遭遇死の時に話した気がするんだが、
亡くなる時に最後、苦しみから解き放たれて、清らかな顔で、生涯罰と言って亡くなっていったんだ。
のを見た時に、死は安らかなんだってことを直感として、体験として感じている。
で、姉の30年がこれほど苦しんだ30年だったら、死後は幸福であるに違いないって思うようになってきていると。
そういうこともあって、さっきの言葉が出てきてるんですよね。
自分の死の願い、憧れというような気持ちが出てきて。
墓はこそ、私たちの求めている本当の幸福ではないのか。
信仰の力ってすごいなぁって思う。
現代、信仰ないってよく言われるんですけれどもね。
僕もそういうふうに便宜上言うんだけれどもね。
本当はね、信仰がないとかあるなんてことはね、簡単に言えないんですよ。
なぜかっていうと、信仰は持とうと思って持てるものでもない。
意識して持てるものでもないんですよ。
どこどこの宗派に入るとかね、そういうことは確かに意思としてやるかもしれないけれども、
宗派に入ったからって言って信仰が深まるかどうかもわからないし、
09:01
宗派に入らずとも信仰が深まるっていうものでもあるから、今の時代がそうだしね。
だから、信仰っていうのは無意識というか魂で行われる営みだから、
自分が意思してどうこうできる問題じゃ本当はないんですよ。
これがやっぱり前回扱った出家とその弟子で、
信じると信じない疑うっていうものが結局葛藤していって、どんどん深まっていくっていうのは、
まさにそういうことで、言葉では、
私はもう寄降しましたとかって言ってるけれども、寄降しきれないものがその人の中にあるのは間違いないし、
信仰がないって言ってる人に信仰が得どってることを見ることはあるわけで、
だから本当は信仰がないなんてことは言えないんですよね、簡単にね。
なんですが、人間の本当に究極的な性を支えるものとして、
やっぱり信仰ってものがあるんだなぁって思ってね。
ここまで行く、ここまで死に本当に安らげがあるっていう、
言葉では聞いたことがあるし、頭では分かってる、聞いたことあるんだが、
本当にそういうふうに感じ始めた人が、こんなに身近に本当にいるのかってことに、
なんかちょっと衝撃がある。
すごいですね、すごい手紙ですね。
これは一応今日扱おうと思ってたのは以上でございます。
これ一応青空文庫で読めますね、ネットで上がってます。
そうなんですか。
もう著作権が切れてね。
なんで、読もうと思ったら読めますし、
あとはでも中古で買えますけどね、文庫本で出てるんでね。
何だろうな、私はなんか、
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じゅんさんが、小畑百相さんの手紙に、
身近にどんだけの信仰を持っている人がいたんだなって最後に言って、
衝撃を受けましたって話してくれたことが、
この手紙にそれだけ衝撃を受けるじゅんさんにも同じように、
小畑百相さんのような信仰の力があるんだなっていうのが一番衝撃を受けて。
なるほど、なるほど。
そうか。
僕は恵まれてるから、
ここまで深まってないんですけれども、
でもなんか惹かれるところがあるっていうのは、
なんかあるんでしょうね、やっぱりね。
この文学ラジオで扱ってるのってこういうことですからね。
ほとんどね。
でもなんかそれこそが、すごくいいなって思うし、
力だなって思うし、とても好きです。
そうですね。こういう本読むとやっぱすごく帰り見ることが多くて、
僕は妻と結婚したのは、
隣人愛として愛するって誓って結婚したんですよ。
つまり今までの僕だったら、
自分の価値観に合うかどうかとかっていうことで付き合う人を決めていたんだけれども、
僕の今の妻は、そういう点では合わないところがたくさんある。
だけれども、本当の愛はそうじゃないんじゃないかっていうことを思い始めて、
僕は目の前に現れたこの人を、
じゃあ愛そうと決めて結婚したんですね。
だけども、結局のところ、
自分の中にも孤独を紛らわせたいとか、
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結局愛することによって自分の何かを満たしたいっていう、
自分のエゴイズムの側面もやっぱあるんじゃないんだろうかって思うんですよ。
だから、まだまだ修行があるんだなっていうね。
そういうのもなんか感じますね、こういう本読むと。
聞けて嬉しいです。
終わりますか。
はい。
また次回。
また次回。
はい。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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