再集結と「スマホ時代の哲学」への導入
みなさん、お久しぶりでございます。
やったー!なんかワクワクすんな。
ほんと、ほんと。
いつ以来なのかしら、あれは。
一ヶ月前ぐらいちゃいます。
一ヶ月経つ?
ちょうど一ヶ月ぐらい経つ。
お名残惜しい日々から。
そうそう。
そうか。
この回をやることになった経緯を私からお話しすると、
なんだっけ?もう一ヶ月も経つから忘れたね。
なんだっけ?私なんて声をかけました?
雑談しましょうっていう感じだった気がするんですけど。
そうそうそうそう。
あとスマホの哲学。
そうそうそう。
スマホ自体の哲学。
そうそうそうそう。
インザメガチャーチの読書会を4人でやった時に、
島さんが言ってた、
例えばライム木畑のホールデンとかね。
その時代スマホがなかった時代なら、
夜中中誰かにつながりたくて電話をかけまくってた、
そのホールデンの気持ちがわかるよねというか。
逆に言うとスマホがあったらあんだけ、
人を求めて夜中中電話するみたいなことないんじゃない?
みたいな話をしてて。
いやいやっていう感じだったんだよね、確か。
そうじゃない?
あの時代に比べたら私たちスマホでいつでも人とつながっているし、
誰とでも連絡をすぐに取り合える状態にもかかわらず、
なんでこんな寂しいんだろうねっていうのを、
インザメガチャーチに出てきている登場人物たちもそうだし、
我々もつながっているのに寂しいよねっていう話をしてたじゃん。
覚えてます?最後にも。
しかも私たち自身ですら帰るのがすごく寂しいとか言ってたじゃん。
覚えてます?
いやいいですよ、すごくいい飲み会。飲み会じゃないわ。
飲み会みたいなテンションで喋ってたじゃん、最後。
どっちから帰る?みたいな。
誰が帰る?みたいな。
部屋閉めてよ、みたいな。
いやいやいや、みたいな感じになってて。
なんでこんなに寂しいのかっていうことを、
私の中では持ち帰ったっていうか、そこは結論が出なかったわけ。
その読書会終わってから、たまたま私この
つまほ時代の哲学という本を買って積んでたんだけど、
なんかこの帯につながっているのに寂しいっていう言葉が書いてあったから、
あれと思って、私たちが今喋ってたことに答えが書いてあるのではないかっていう気がして、
パラパラパラってめくっていたら、
え、なんか私たちこんな話してたやんっていうことがめっちゃ書いてあったんで、
試しに、そうそうそうって思っててら、
シマさんとカフェでばったり会ったのよ。
これはすごいね。
しかもその日の次の日だっけ?
インザメガチャーチの読書会やって、
次の日シャリさんと一緒にイベント行って、
その次だ。
その次だからさらに。
そんなことあるっていう相方だったんだよね。
その時に私がこの本をねしまさんに言って、
私たちが2日前に話してたことをここに書いてあるよって言ったら、
シマさんが読みたいと思ってたって言ったんだよね確か。
それで、ゆかさんと富山さんにも聞いてみるって聞いたら、
いやもう読んでますって言って、
しかもゆかさんはさ、もうおすすめしてたんでしょ。
なんかの読書会でもってったんだよね、
まにまにかな。
でも読み直しましたよちゃんと。
本当に?
素晴らしいお忙しいのに。
それで、だからもう読書会って言うとさ、
順々に感想を喋ってみたいな感じになるけど、
いやいやそうじゃなく、
もう雑談、フリートークでいいんじゃないかなっていう感じがして、
っていう感じなんで、
今日はもうこの4人でベラベラ飲み会みたいに、
この本についていろいろ喋ろうかなと。
インザメガチャーチのアフタートークというか、
これとインザメガチャーチと住吾時代の哲学を両方読んで、
どうですかっていうのを聞きたいんだけど、
いいですかそんな感じで。
OK。
私からちょっと先に言わせていただくとですね、
私はここの中に、
なんで寂しいかの答えが書いてあるかなと思って読んだんですよ。
なんで私たちは要するにここにつながっているのに寂しい、
常時接続の世界を生き抜くためにって書いてあるから、
なんで私たちがこんなに寂しいのかっていう答えを求めて読んだわけ。
でも結局よく分からなかったんだよ。
要するに私たちは孤独が必要ですってことは言ってるわけじゃん。
自分との対話をする時間というのを孤独って、
谷川よしひろさんが言ってるわけでしょ。
私たちは一人きりの自己対話の時間に潜ろうとしたら、
スマホがピンって鳴ったり、SNS切りなったりして、
結局誰かがつながっている世界と切り離せないから、
一人きりになって潜る時間が取れてないから、
なんかどっちつかずでどこにいたらいいんだろうみたいな感じになってますよねって話をしてる?
寂しい前提で言ってるじゃん。
「つながっているのに寂しい」理由の探求
よく分からなかったわ。
じゃあなんでホールデンは寂しくて、私たちは今寂しいのかっていうところが分からなくて、
切れてる。
これ読んだけど書いてないじゃん。
こんなに苦戦張ったのに。
そこを3人に聞きたいわけですよ。
しもさんも3人に聞きたいこといっぱいあるよって言ってたじゃん。
しもさんはどうなん?
切れてる切れてる。
この距離で飛んでくるんですか?
切れてるよって。
友よ、どう思うんだよみたいな。
言ってみろよ。
寂しさってなんなんってことを一番考えた。
一番言いたかったのは寂しさとか、
この本の中では何かが足りないって。
何かが足りなさみたいな。
何かが足りないって何?
何が足りないの?っていうか何かが足りないって皆さん思いますか?
どうですか?っていう感じで。
それはじゃあ何なの?っていうところにやっぱり来たよね。
何かが足りないって何?
足りてますか?
問い私たちに投げたというわけや。
トムヤさんはどうですか?何か足りてないですか?
分からへん。
じゃあ寂しさの話していいですか?
いいですよいいですよ。
思ったのは、
繋がれるからこそ寂しいっていうのは何となく分かるなと思ってて。
なんでかって言ったら、
簡単に会えへん状態っていうのは、
寂しいが当然というか、
会えないことが繋がれないことが当然なので、
ある意味この寂しさを抱えながら孤独でいて、
いざ繋がれた時にそこがめっちゃ嬉しいみたいな状態だと思うんですけど、
常に繋がれる状態っていうのは、
デジタル的に物理的に繋がる、
スマホとかの画面上で繋がることはできるんだけど、
それは本当に身体を介したとか個人を介した繋がりかって言ったら、
それはそうでもないみたいな。
繋がれる頻度はめっちゃ増えたけど、
結局互いをやりとりしてるかって言ったら、
自分を見られてもない気もするし、
っていうところの寂しさみたいなところは、
世に増幅したんかなっていうふうにちょっと感じるのと、
その足りなさの部分に関しては、
やっぱり他者を見る機会がある意味孤独になれへんっていうところで、
もしこの地球上に自分一人だけやったら、
満ちてる状態だと逆に言ったら、
もう何も比較するものがないから、
もう俺っていう存在だけが完全であり、
それが既に満ちているという状態であると思うんですけど、
常時接続で常に他者を見ることができるっていう状態っていうのは、
常に不足を感じさせられる部分でもあるんかなと思うんですよ。
本来は不足、つまり足りてない状態ね。
他者と比較して自分は足りてない状態であるっていうことを、
せわしなく押し付けられる状態であると思ってて、
じゃあそのために孤独を楽しみましょうよっていうのが、
今回のスマホ哲学の本だったと思うんですけど、
じゃあその孤独を楽しむための余白の時間っていうのを、
でもそこにも耐えられへんから、
一人ぼっちっていうのが耐えられへんから、
結局はだるい快楽やったかな。
柔らかな渾水みたいな。
いろんな言い方で言ってた。
なんか感じでつながりに行ってまた不足を感じる。
つながりはなんとなく感じられるが不足も感じる。
だから結局は孤独であるみたいな感じかな。
みたいな気はしたけどな。
分かるんだけど不足を感じると、
さっきの島さんの問いとも関係ない。
何が不足なの?何が足りてないの?ってことでしょ。
何かが分からへんから困ってるんじゃないですか、みんなも。
そうなんだよね。
例えば楽しそうに旅行行ってる写真とか見て、
いいなと思うわけじゃないですか。知らんけど。
知らんけど。
本当にそれは何に自分がいいなと思ってるかっていうのは、
実は分かってない人の方が多いんじゃないかと思ってて、
旅行行ってることに羨ましいなと思ってんのか、
こうやって仲間に囲まれてるのがいいなと思ってんのか、
みんなが笑顔なことがいいなと思ってんのか、
海に行ってることがいいなと思ってんのか、
何かその自分が何に対してこれが好きだ、いいなと思ってんのかが、
多分ちょっとあやふやになってて、
その何かっていうのが自分自身でもつかめへんから、
みんな苦しいんちゃうかなと思ったりはする。
なるほど。
なるほど。だから島さんのさっき言った、
何が足りてないんですかっていう問いに対して、
富山さんは何が足りてないかが分かんないから苦しいんじゃないですか、
っていうことを言ってるわけだよね。ってこと?
極端に言ったら。
何が足りてないかを自分自身が認識できないから、
もやもやと、
そうね。
ってことよね、きっと。
そうそうそうそう。
じゃあ何を見ていいなって思うかは人それぞれ違うってことか。
まあいいなと思うというか、
何だろうね、別にいいなという、
あれでもないんですけどね、そんなぶっちゃけ。
なんかそれはさ、自分と比較して他者を見るんじゃなくて、
他者を他者として見ればいいと思う。
ああ、海行ったんだみたいな。
日記を見る感覚で、海行ったんだね、
ああ、ハワイ行ってたんだって言ってたんだ、
でいいと思うんですけど、
ああ、ハワイ行ってたんだ、
でもハワイに行けるような財産も友達も時間もない私っていう風に、
他者を通して私を見るから不足を感じると思う。
なるほど、なるほど。
だから他者を他者として、
ああ、島さんと偶然サジさんあったんだ、
俺も会いたかったなみたいな、
そこに何か差を自分で作るから、
どんどん不足を作っていくと思うんですよ。
なるほど。
だからさっきたった一人だったら不足を感じないって言ったのはそういうことか。
そうそうそう。
だからまあ本当にね、
人間という生物が自分一人であるという状態であればね、
多分何か差異を感じることは少ないんかなと思うんですけど。
なるほど。
ゆかさんちょっと喋ってみる?
孤独感と孤立感、そして結婚生活における寂しさ
でもなんかその話はよくわかって、
学生時代とか、
それこそ結婚できないとかって悩んでた時代に、
やっぱりSNSを見れば、
同年代の人たちはみんな結婚していって子供が生まれてて、
同級生の子供が小学生になってるみたいなのがやっぱりあって、
みんなやっぱりあなたはあなただよとかさ、
人は人だよって言うけど、
そんなわけなくないってやっぱり思っちゃってた時代があったからさ、
その話はすごいわかるなと思いますね。
ただなんかその、なんだろうな、
一場面しか結局切り取って見てないわけだから、
その人たちの何か裏抜くのがあるのかもしれないけど、
SNSってすごい綺麗なものだけを見てるようなところがあるから、
そこってすごい誤解を生むというか、
一側面だけのやりとりっていうのかな、
生まれちゃうんだなっていうのは感じてましたけどね。
なるほどね。
人の生活がチラッチラチラッチラ入ってくるっていうことが、
自分と比較して、あああっていうことか、
だから人との差のとこで思うってことか。
それになんかやっぱり孤独と向き合えへんから、
自分っていうものがほんまに何を欲してるかみたいなところとかが、
ちょっと見づらいんちゃうかなっていうのはちょっと思ってて、
自分がそこに向き合うのもなんかしんどいんかな、ちょっとわからんけど、
せやからそういうちょっと暇なときはつながりのほうに逃げ込むというか、
ちょっと孤独じゃない感は出るというかね、
SNSとかネット媒体を見ることで、
ちょっと紛らわせる、紛らわすことができるみたいなところはあるかも。
孤独ってしんどいんかな、しんどいか。
しんどいでしょ。
寂しいですか、みなさん。
私めちゃめちゃ寂しいよ。
私結構谷川先生のこの本読んでて、何か足りないとか寂しい、
なんか結構わからんかもっていう。
寂しくないよ。
あんまりわかんないっていうか、わかんなくはないけど、
うーんみたいな。
小宮さんも今の話だとあんまり孤独感じてなさそうね。
そうね。
本当に?
本当に?
でもね、孤独は感じてないかもなんですけど、
ちょっと孤立は感じるというか、
孤立?
ちょっとなんていうかな、これダメなところなんですけど、
ちょっと置いてかれてる感とかはすごく感じることはあって、
それこそさっきの佑角さんの話ではないんですけど、
周りがどんどん結婚したり子供を産んだりしたり、
あとは社会的にいろいろな活動をしているっていう風になっていくと、
あれなんか、俺は別に俺自身で楽しんでいたつもりだったが、
なんかどんどん離れていってるかもみたいな、
そういう孤立感みたいなものは感じたことはあって、
でもその時に、じゃあがむしゃらにってやるよりは、
俺の場合は逆に孤独に戻って、
ほんまにそれって俺のしたいことなのかなみたいな。
で、活動とかに関しては俺結構しんどいから、
そういうの別にしたくないかもみたいな。
で、結婚とか子供に関しては一人っきりで死ぬの寂しいなって思ったから、
それはしたいかもみたいな。
なんかそういうちょっとこう、
孤独に戻ることで逆にちょっとこう、
自分にとってちょっと、
自分がしたい選択みたいなのを見つめ直せたみたいなところがあるから、
なんかちょっとそこは分かれてるかもなって感じは。
なるほどね。
理想的じゃない?
この谷川先生言ってるようなことを実現して体現できてるってことだよね、結局。
いやいや、それはね、有料曲折がありますけどね。
まあね、まあね。
でもさ、だから孤立っていう言葉をさ、
私がすごい違和感あったのは、この本って孤立とか孤独をすごいポジティブな意味に言ってるでしょ?
でも今さ、富田さん言ったのは孤立感って言ったでしょ?
それって要するに置いてかれてる感って言ったじゃない?
だからちょっとしたマイナスっぽい意味で言ってるでしょ?
そうね。
孤立しなさいって言ってるじゃん、この人。
そう。
まあ、だからそういう意味では逆に巻き込まれてるんですよね、僕たちってね。
ほんまは。
繋がらんでもいいっていう状態にも関わらず、ある意味繋がりなさいというか、
繋がりの中に巻き込まれてる感はちょっとあって、
むしろどんどん繋がりに行くというよりは、
どんどん一人になる方向に時間を作らなければ、
むしろ孤独になったり孤立することがマイナスになる。逆に言えば。
繋がりを求めれば求めるほど、孤立孤独がマイナスになっていくけれど、
孤立孤独を求めれば求めるほどに、それはポジティブに変わっていくのかもしれない。
勇気が出ないよね、でもそれは。
勇気ね。そう、勇気大事。
勇気大事。
ちょっと待って、しばさんはそこまで寂しさを感じないんでしょ?
あんまり感じないか。
で、富山さんもそうでもないって言ったじゃん。孤立感はあるけど、自分なりに。
そうね。
ゆかさんはどうなの?ゆかさんは新婚さんに聞くっていうのもなんか、
寂しいですか?寂しくないよね、今も。
寂しい。
寂しい?ほんとに?
寂しいですよ。
どのあたりが寂しいんですか?
えー、なんだろうな。
いやでもなんか、夫婦として考えた時に、こう、なんだろうな、
夫が出世した時とかさ、自分は多分一生平だろうなと思いながらやってるけど、
夫が出世した時にはなんか置いてかれるかもしれないとかさ、
とか、なんか私は家のことをやってればまあいいかとか、
なんかその自分の中の納得と、
その、ただこう一連託奨しましょうって思って結婚した人が、
なんかこうちょっと外の世界にたくさん居場所を持ってしまうっていう、
って考えた時に、
あ、なんかこう、家が一番じゃなくなるかもしれないみたいな、
こう、自分の優先順位が低くなるかもしれないみたいな、
こう、逆になんか怖さみたいなとこなのかなとか、
だからなんかその新婚当初は、
夫の帰りが毎日遅すぎて喧嘩になったりとか、
コミュニケーションが取れなくて、
いやなんか私は孤独かもしれない、
結婚しながら孤独かもしれないみたいな、
一つ屋根の下なのに寂しいみたいなのは確かに感じてたような気がする。
なるほど。
それは物理的に一緒にいらんない時間が発生してたからってことでしょ?
一緒にいるときは寂しくないんでしょ、別に。
いやでも、結局、仕事のメールが入りますとか、
電話がかかってきますとか、
なんかこれだけ終わらせなきゃいけないみたいなのを家でやってると、
本で書いてあったような感じで、
自分と一緒にいるのにどこかと繋がってるっていうか、
分かる分かると思いながら。
なるほどね。
なんか可愛いよね、そんなこと。
ちょっとやめてください、そういうの。
一緒にいるのに、私と一緒にいるのにとか言いたい。
その感覚ないよ、もうなくなったらすごくうらやましい。
やめてやめて。
不公平感、不公平感。
不公平感ね。
アンバランスね。
アンバランスさなのよ。
内なる「穴」と寂しさの言語化
何がどうアンバランスなわけ?
自分ばっかり使ってるとかさ。
でもそしたら、ゆかさんに何か電話とかさ、
ちょっと待ってねって言ったらさ、
それでもう不公平感消えるっていうかさ。
そうではないわけね。
感じるんだよね。
感じるんだよね。
実際のやった数を並べても、
結局感じてる重さとか比重っていうのは人によって変わるっていうか、
私はこれぐらいで孤立感を感じる。
私は全く感じないっていうパターンもやっぱあるから、
右方を叩いたら左方を叩いていいみたいなことを繰り返してても、
実はそれは比重があんま取れてなくて、
本当はやらないといけないのは、
ゆか子さんはどういうことに関して孤立感を感じるんだいっていうことを対話して、
それだったら僕はこうするよっていうことをやり取りしていくのが、
コンマっていうか、いいコミュニケーションなんかなと思ったりもするから。
ゆかさん、私が思ってるのは、
誰か、他者がいての寂しさじゃん、今の話って全部が。
私、生まれたときはずっと寂しいんですよね。
誰かといっても。
何て言ったらいいんだろう。
誰かがいるから寂しさがどうとかじゃなくて、
ずっとここに穴が開いてる状態なんですよ。
だからそういうのは違う。
みんなそうじゃないってことなんだね。
この穴をどうすればいいのって思いながらも、
生きてきてるっていう。
ホールでの寂しさと同じかなとか思ったわけ、私は。
誰と電話して、誰と会って。
逆にサギーさん、ちょっと一回、
サギーさんが、その寂しさって何ですかっていうのを、
ちょっと自分で喋ってみてもらっていい?
聞きたい。
え、どういうこと?どういうこと?
言語化できないよね。
私の寂しさっていうのはこういう。
言語化できないのって。
ずっと穴が開いてるんだもん、ここに。
その寂しさはこういう時に薄まるとかそういうのはない?
何だろう。
薄まったことないんだよな。
分かってもらえないとかそういうこと?
例えば私、独身の時とかだったら、
例えば彼氏ができれば生まれるのかなと思うじゃん。
彼氏ができました、まだ寂しい。
一緒にいるのにふっとした時に、
うわ、来たってなって、
空洞が来る。
うわーってなって、
結婚すれば生まれるのかなと思って結婚してみた。
それでもやっぱり、うわーって来るこの空洞が。
子供育てたら生まれるのかなと思ったけど、
結局子供育てながらもまたこの空洞が来るわけ。
この空洞は一体何なんだろうっていうのが、
分かんないっていう感じで。
みんながそうなのかなって、
私子供を呼んで、
あ、語話サービス、私だけじゃないんだと思ったんだけど、
みんなそんなに空洞ないの?
いや、あるんですよ。
なんか分かる気がするんやけどな。
もうちょっと頑張って言語クリスマス。
すごい気になるね。
忘れる時ってのはどういう時なんですか?逆に。
やっぱこう喋ってたら忘れるね。
ちょっと沈黙とかの時にってこと?
ズームが終わった時点でものすごい空洞が来る。
だからそれかなと思ったら常時接続って、
結局接続されてる状態が。
オフになるからね。
思ったのがスマホとか見てて、
朝とか起きて、
あ、起きたってなるじゃん。
まずSNSとか見るの。
インスタとかXとかバーって見て。
夜とか寝る前にSNSとか。
気づくとインスタとかガーって見てて。
それでやっぱこんなにSNSばっか見てて、
もう1時間経ってるわと思って消すじゃん。
そうするとめっちゃ寂しいってなる。
何この一人ぼっち。
すごい寂しいみたいになるの。
見てる時は寂しくないんだ。
そう。だから気を紛らわしてるって言ってるじゃん。
この人が。
吉らしいって言ったっけ?
吉らしいみたいなね。
吉らしい?
そんなの書いてあったよね。
悲惨時。
悲惨時?吉らしいみたいな感じだったよね。
だから、
まさにそれじゃないかなと思った。
気持ちを紛らわせてるんだよね、スマホで。
本当はここに空洞があるのに。
っていう感じなんだよねと思ったの。
寂しさを愛おしむという新たな視点
どうなんやろうかを。
全員ある気はするけどな。
僕もあるよ、それ。
あるんじゃないかな。
あるし、
それを埋めるために、
やっぱ若い頃とかは散々しましょう。
それこそ、
散々、
いろいろ埋める方法を探し求めて。
なんでやろうな。
何がちょっと変わったのかちょっと分からへんな。
何が変わったのかちょっと分からへんけど、
確かに前よりは寂しい。
ひどい寂しさはないって感じ。
むしろ寂しさが愛おしいって感じだもん、今。
なにそれ。
なんかいい表現。
いい表現。
もう一回言って寂しさが愛おしい。
寂しく感じる瞬間が
俺めっちゃ好きなんですよ、逆に今。
どういう時寂しく感じるんですか?
なんて言ったらいいんかな。
これ、ちょっと俺も言語が逆に難しいんですけど、
二つパターンあって、
一つはこの前みたいに、
すっげー楽しかった時間とか、
もっと話したいとか、
この人たちだったらもっと分かってもらえるかもっていう時間が、
ここまでですよっていう時に、
また会いたいなーとか、また話したいなーって思える寂しさっていうのが、
すごく嬉しいんですよね、まずは。
もっとこういうふうに、
逆に繋がりたいと思えたっていうのが、
すごくまず一つ嬉しいのと、
逆に誰にも分かってもらえない部分が、
ある種自分らしさの部分でもあるなっていうふうに、
最近思うところがあって。
勉強したい。
本当?
昔はそれが分かってもらいたすぎて、
なんかすごい逆に苦しかったんやけど、
ここは分かってくれないよねっていうのが、
最近めちゃくちゃ嬉しいんです、逆に。
本当?
そう、なんかそこがすごい寂しく感じる。
こんだけ喋っても、
ここが伝わらんっていうのが、
すごくもどかしさもあるんやけども、
寂しいんだけど、
それが自分なんだっていうのをより感じるというか、
自分にしか分からへん感覚みたいなのが、
より嬉しいみたいなところがあったりするんですよ。
なんでだろう。
分かり合えなさが嬉しいってことか。
分かり合えなさが、
何でもかんでも、
友谷さんのこと分かるよ。
その気持ちめっちゃ分かる。
それ全部分かる。
もうあなたのことすべて分かるって言われたら、
逆に怖いっていうか。
それはそうよね。
それは実際的に嘘っていうのもあるし、
全部が仮に分かられたら嫌なんですよ。
それは自分でも分かってない。
正直自分でも分かってない。
自分でも自分のことが分かってないし、
私にもあなたのことで分からんことがある、
こっちにも分からんことがあるっていう状態が、
すごい最近は嬉しいんです。
なんかその、
キレへんというか、
そういうのをちょっと楽しめる。
愛おしくなってきた。
本当に楽しめるとかじゃなくて、
最近キュンなんですよ。
今俺寂しいって思ったみたいな。
それが嬉しいんだ。
愛おしいんだ、それが。
自分もまだまだ可愛いところがあるなって思う。
嫌な言い方ですけど、
こういうとこあるんやみたいな。
分かるね。
分かる。
分かり合えないってこと?
孤独って友谷さん言ったみたいに、
みんなあるんだと思うんだよね。
それをすごい辛いっていう風なものだと思うか、
肯定してあげられるかっていう感じかなってちょっと思って。
自分で?
別にまあ寂しいよねっていうか、
寂しくて当然だよねみたいな。
多分寂しさはあるんだよ。
何したって自分は。
人間は絶対一人だから、
諦めみたいな、
いい意味で諦めてるってのもあるかも私は。
人間は絶対みんな一人ぼっちだし、
分かり合えるわけないと思ってるんですよ。
それは分かりすぎる。
MBTIタイプ別に見る孤独との向き合い方
人間何周目やろ。
分かり合えないのに、
わーわー喋ってんのがめっちゃ素晴らしいと思ってるのね。
だから私もこの4人も話してて面白いけど、
絶対もうみんな全然違う考え持ってるし、
私がいくら喋っても100は分かってもらえないと思ってるのね。
でもそれでいいし、
そんなに分かんないのに、
なんかああじゃないこうじゃないって、
わーわー喋ったり仲良くなりたいとかってする人間、
えーなんかかわいい、
それこそかわいい。
神の視点だよそれ。
人間超えちゃってるよ。
でも若い時は確かに20代とか、
学生高校中学生高校生とか、
若い時はやっぱすごく誰か分かって寂しいって気持ちはすごくあった気がする。
すごく友達といないと、
みんな私のいないとこで友達と仲良くしてると、
なんか私あそこに入ってないみたいな、
なんか寂しさとか焦りみたいなのはあったと。
でもなんか大人になったのかね、
寂しくて寂しいよね空みたいな。
そこで言ったな逆に。
ていうかさ、
寂しさを撫でられるのは自分しかいないんですよ。
自分の寂しさを撫でられるのは。
誰にも分かってもらえへんから。
分かってもらえないというのが前提で、
分かってもらおうとすることはもちろんするんやけど、
真の真の100%まで寂しさを分かち合うことはやっぱできんから、
その寂しさを撫でてあげられるのが自分しかいないっていうこの状況が、
なんかすごいいいんですよね個人的には。
ここは撫でてっていうのはたまにします。
俺こういうことが今日あってさ、
マジめっちゃ傷ついたんだよねっていう撫でてもらい方はできるんだけど、
本当の本当の本当のここの部分は結局自分でしか撫でることができないと思ったときに、
やっぱそれはあえて孤独になって、
なんかちょっと自分をケアするというか見つめ直すというか、
っていう時間が好きやなぁ、欲しいなぁっていう感じが。
なるほど。
分かるよ、分かるよ。
あのさ、あのさ、あのさ、
MVPって言いながらさ、たぶん私以外の3人同じだと思うよ。
どうかな。
ちなみにゆかさんと島さん同じだよね確か。
えーそうなんや。
私あの紫のやつ。
建築家じゃなかった?
そうそうそうそう。
ゆかさん。
同じなんだよ。
僕違うよ。
なに島屋さんは。
僕IWGPみたいなやつなんだっけ。
IWGP。
池袋ウエスト系とか。
IWGPだよ。
なんだっけなんだっけ。
予言者?予言者?
予言者。
予言者。
なんかそういうのあります?
予言者とか?
定床者みたいなのないかな。
なんかそんなのあったかな。定床者かも。
何かあったような気がする。
どういう人?定床者っていうのは。
いや分かんないっす。あんま全然覚えてなくて。
そうなんだ。
INFJだって。
あ、ちょっと近いね。
定床者?
近いね。
どんな人?どんな人?
やって言ってみて。
内向直感感情判断。なんだ?
物事の本質や他者の感情を敏感に察知し、世界をより良くしたいという強い使命を持っています。
適度化。
人の心を支えるカウンセラーや教師、または自身の価値観や意味を深く表現できるライターやデザイナーなどのクリエイティブな職種が向いています。
確かに。
合ってるね。
合ってる合ってる。
サリーさんは何なんですか?
私、ENFPなんですけど、私だけがEじゃん。私だけがEなのよ。
ごめんごめん。EとかIとか分からへん。
そうかそうか。
あ、Eが外向きか。
そうそうそう。
エクスターナルね。
エクスターナルっていうことなの?そうなの?
だから、私、この3人と喋ってると、私と同じEの人いないなって思うんだよ。
どんな時?
どっか。
だから寂しさを撫でられないんですよ、Eの人たちは。
外に向かないといけない。
それなんて人?
ENFPと言うんだけど、日本語で言うと運動家っていうやつなんですけど。
ちょっと読んでみますと、好奇心旺盛で社交的かつ情熱的な性格で、自由な発想力と高いコミュニケーション能力で人々を惹きつけるムードメーカー。
一方で飽きっぽく感情の起伏が激しい一面もあります。っていうのが私なのね。
タリーさんぽい。
でしょ?
ぽいぽい。
この人たちは多分、寂しさをめでるっていうことはできないと思うな。
というか他者でごまかすしかないんかな。
慣れてもらうかね。
そう。で、共感力が高く他人の気持ちに寄り添うのが得意って書いてあって、
あとは誰とでもすぐに打ち解けって会話の中心になることが多い。
だからやっぱり、人と繋がったりとか調和したりとかっていうことにすごい喜びを感じるから、
そこのシナプスというか、そこが切れた瞬間に一人ぼっちになっちゃうじゃん。
それがもう耐えられないわけよ。
だから逆に言ったらやっぱそれがエネルギーになってるわけよね。
だから一人になれへんからこそ、誰かと繋がりたいっていうのがエネルギーになるから、
どんどん他者と繋がっていけるんですよね、きっと。
そうそうそうそう。
だから気づくとコミュニティを作っちゃってるみたいな感じになる。
でもあれはね、そういう意味ではさ、
愛系の僕たちっていうのは、もしかしたら一人になることが重大になってて、
サリーさんみたいなEの人たちっていうのは、繋がることで重大になるかもしれないね、そういう意味では。
そうなの。だから繋がってないと寂しいでしょ。だから寂しくなっちゃうのよ。
なるほど。
だから寂しさをめでるとか、すごくうらやましいっていうかできない、そういうことが。
もうできない、そういうことが。だから本当にないものねだりっていうかさ。
日記と身体感覚による自己ケア
いいね。すごい。この全然違うさがすごい、やっぱいいね。
確かに。
すごいね、わからなさすぎておもろいって感じがする。
そうそうそうそう。
ふうふうふう。
あ、そう。
わからん。
だけど私が相性がいいのはこの人たちなんだよ。愛の人たちなんだよ。
へー、そうなんですね。
自分と同じEの人たちと喋ってると、なんかもう俺が俺がっていうか、
お祭り騒ぎになっちゃうっていうかさ。
私がなんか言っても、うーんって聞いて、それってそういうこと?って言ってくれる人たちじゃん、この3人って。
まだ愛に巻き込むっていうかね、内向きの方向に巻き込むところあるからね。
結局サリーさんはどう考えてるんですかとかね、いろいろ聞いたけど、あえて内に向かってるっていう。
そうそうそうそう。
言語化がすごく上手じゃん、この人たちって。
だからそれってやっぱり、自分の中でいろいろ掘ってるっていうか耕してる畑が豊かな人たちじゃん。
自分の中の畑が。
だから私みたいに外みたいな人たちが、何か言うとひゅーっと受け止めて、畑で耕したものをこういうこと?って言ってくれる人たちなのかなと思ったりもしたりして。
素晴らしいよね。素晴らしいと思います。
いやー幸せだな、私はと思うな。だからこういう人と繋がれてよかったなと思うけど。
なのに寂しいわけだ。
寂しいよ、みんなだから。
そうなんだね。
寂しさをめでるってのはどうやるんですか?スイカを育てるとか書いてあったけどさ。
エヴァ。
エヴァ。
エヴァに初めてのどうやればいいか。
どうやったら目立ってるんですか?寂しいとき。
寂しいときは何をしてるんですか?皆さんは。
まず寂しいと感じるところがちょっと。
でも直近で言うとユカゴさんが寂しいって感じるって言ってるから。
ユカゴさん、何してんの?寂しいとき。
日記書いてる。
文章。
会話じゃない?
えー、そういうことか。
なんかほら、自分自身といられないとかって書いてあったじゃん。
結局寂しい。自分と二人なんだってみたいな話があって。
自分と話ができればその寂しさっていうのは多分進まるっていうか。
あれなんですよ。話だよね、今ね。
だからサリーさんも自分という他者と一緒におればいいんじゃない?
そうなんだよね。
外交的な。
ジャーナリングとか日記を書くとか私もやるんだよ。
で、バーって書くんだけど書いてるうちにやっぱりどんどん外にバーンていうの。
もう書かれてるから誰か聞いてんなっちゃう。
何て言ったらいいんだろう。ここで完結しないの。
書いてるんだけど、もう書いてるうちにスタイルで喋ろうってなったりとか。
書いてるうちにちょっとLINEするぞとかもう誰かってなっちゃうんだよね。
すごいでも羨ましいけどなぁ、私からしたら。
私本当に自分自身で完結しちゃうっていうか。
なんでこう考えてんだろう。それはこうでこうでこうだなこうだ。
なるほどみたいな感じで自分で完結しちゃいがちだから。
人の話が入ってきにくいっていうか。
みんなに言いたいとかさ、あなたと外に言いたいみたいなのって羨ましいなって感じあります。
でも谷川先生はそういう生き方を提唱してるじゃないですか、そういう生き方を。
自分と対話して自分の中にもう一人いて、その時間が要するに必要だってこれからの時代はって言ってるでしょ。
私耳が痛かったもんもう。羨ましい私はだから。
日記書いてさ、ゆかさん日記を書いたらもうパタって閉じるじゃん。
そして書く前と書いた後って何か心の変化があるわけ?なんか満たされたっていうかさ。
結構日記書く時になんでこう思ったのかみたいなのを書くようにはしてて。
なんで寂しいと思ったんだろうとか、なんで今日怒っちゃったんだろうとかみたいな。
解決はしないけど、解決はしないしそのまま気持ちとしては残ってるけど、
それこそさっき吉島さん言ってた諦めじゃないけど折り合いというか、
なんか今日はこれでしたみたいな感じで、なんか納得するようなとこはあるのかな。
なるほど。
なんかこうやっぱり人に言うためにって人に言う用の言葉が必要で、
これをサリーさんに聞いてほしいと思った時に、
サリーさんに伝えるための言葉を準備しなくてはいけなくて、
でも自分と自分で対話しましょうってなった時に、
それはもう自分の中にある言葉だけで完結できるから、
なんかそんなに難しい作業でもない気はするかな。
なるほどね。
そうするとその孤独を感じた時に、
自分の感情を言葉にする、自分だけにしか分からないような言葉、
落とし込むことで落ち着くってことだよね、きっと。
なんか客観的に見直せるじゃないけど、
自分を慣れるというか、
ああそうだったんだね、そう感じたんだよね、みたいなのを
ああそうなんです、そう感じたんです、みたいなのをタッチボールしてるような感じ。
すごい羨ましい。
自分の中にいろんな自分がいてっていう話が書いてあるけど、
文人みたいな考えが書いてあって、
この時の私とか、この人と戦してた時の私とか、
ああいう時の私みたいなのを、
またそこの他の私がそうだねって言ってるような感じもあるのかなと思って。
なるほどね。
文人ね。
別に頑張ろうと思ってそれをやってるわけじゃないんだもんね。
それが自然にできてるってことだもんね、みんなはね。
ゆかさんもみんなね、それぞれ。
自分一人で考えなきゃ、みたいな感じで。
誰にも頼らないで、そういうんじゃなく。
思い込んでるね、さゆりさん。思い込んでる。
自然にしてるとこうバーって外に開いていっちゃうから、
意識してガーって閉じないといけない。
でも逆にさゆりさんって他者に喋る時に、
結構出せてる感じはするんですか?
出せてる。
私のそこのそこまで。
うん。
こんなんいいんちゃう?
そう思わない、だって。
私なんか出せてると思うんだよな。
人とすごい太いパイプでドーンって繋がる感じなんですよ。
すごいよ、それ。
そんなに似せなくていいんじゃない?って思ってるかもしれないけどさ。
そうしないと抱えきれないんだね、自分が。
多分違うかな。どうだと思う?
それはそれでいいんじゃない?多分僕たちは小出しにしかできひんというか、
ちょっとずつちょっとずつ自分を分け渡してって、
ここまでなら渡せるかも、ここまでなら渡せるかもみたいなことをちょっと繰り返し、
でもここからはちょっと伝われへんなっていうのを持ち帰り、
また会った時にもうちょっと渡してみてみたいなことをずっと繰り返してるの。
なるほどね。めっちゃうなずいてる。
2人ともうなずいてる。
そうなのか。
だからそれって結局前提として100%分かり合えないからっていうことでしょ?
で、分かってるからってことだよね。
それが前提になってるからってことでしょ?さっき島さんも言ったけど。
そうだね。
人と自分は100%分かり合えることはないから、
分かり合えそうなところからちょっと小差しにしてるってこと?
様子見てるってこと?
うーん、なんか難しいな。
でもやっぱ喋ることで、一人で書くだけではなく、
喋ることでやっぱり別に解釈されてくこともあったりするから、
個人的には喋ることも結構好きなんですよ、やっぱり。
うん、それは。さっきユカさんが自分に分かる言葉、
自分自身に分かる言葉はこうなんだけど、
サリさんに伝えようと思ったらサリさんに伝えるような言葉にするみたいなことを言ったじゃない?
それすっごい分かると思って。
それが結構大変なんですよ、やっぱり。
伝えようって思うと、どう言ったら伝わるかなって、
ちょっと翻訳し直すところがあるから、
疲れてきてやめるみたいなのもあるかも。
そんな深い意味で。
確かに。でも、そういう意味では、
畜人体のある人がめっちゃ好き、相手としては。
もうなんつーんかな、こういうなんつーんかーとか、
あーとかうーとか、言ってる時間を楽しめる相手の方が、
個人的にはめちゃめちゃ好きで。
分かりすぎる。
要は何?っていうのをずっと求められると結構しんどいんですよ。
確かにね、それはそうだよね。
そう、だから、こうじゃない、寂しいんやけど、
寂しさとまたちょっとちゃうねんなーみたいなことを、
ひたすら自分の内容みたいなのをひたすら聞いて、
こうじゃない、あーじゃないみたいな、
ちょっとしたパスをくれて、いやそれに近いねんけどみたいなことを、
ひたすらそういうわからなさを楽しむじゃないな、
楽しむというか、おもろがるみたいなところが、
できるといいなと思ってて。
そういう意味でインザメガチャーチのときの話だけど、
やっぱり今セバしないから、
どうしても仕事の密度も上がってきてるし、
じゃあ自分のあーでもない、こうでもないっていうのはちょっと置いといて、
とりあえず社会に要請された言葉を準備して伝えるみたいなことが、
やっぱり多くなってきてるからこそ、
じゃあ自分のこういうあーでもない、こうでもないを
喋る場がなくなってるから寂しさを感じてる部分もあるんですよ、僕はね。
なるほど。
「クッキーの型」でくり抜けない感情を大切にする
そういう意味ではこういう読書会とか、こういう雑談の場っていうのは、
そういうあーでもない、こうでもないを出してもいいっすよねっていう場やから、
っていうのもある。
それは多いね。
本当そうだよね。
雑談が起きるってことだよね。
日記が流行ってるのも結局あーでもない、こうでもない言葉をみんな吐きたいし、
みんな聞き、実は聞きたいというか、
どうやらねっていうのを見たいと思うんですね。
僕はそのSNSの人の写真を見て、
いいなと思う、なんともいいなと思う、思う、思う、すごいいいねって思うんやけど、
いいねっていうぐらいで、
羨ましいとかにならへんのは、
そのきれいな写真のこの前後には絶対に苦しみがあって、
その人も抱えてるものがあると思ってるから、
それはただの写真の一部であるという観念があるんですよ。
そればっかりが連続してこの人にあるわけではなくて、
この写真のここには絶対それなりのその人なりの苦しみとか寂しさが必ずあって、
それは自分と抱えてるものと差はないというか、
それぞれあるはずやから、
今日は楽しかったんだね、いいねっていう感じの感じしかない。
さっきゆかさんも言ってたよね。
同じこと言ってたよね、それね。
みんなきれいなところをやっぱり切り取るからね。
自分もそうやっちゃうし、
あんまりきれいなところを公共の電波にさらけ出すっていうところがある。
楽しいこととか幸せなことだったら、
差し支えないでしょみたいな気持ちになって、
やっぱり外に出すっていうところで気にするなと思う。
本当はみんながそのSNSには乗らない、
ここの部分がみんなにもあるんかってことが多分すごい気になってて、
それが日記では読めるから、
日記文学っていうのが再発見されてるんかなと思う。
ちょっとだけ思うので。
確かに。
日記もどうなの?
人に読まれるかもしれないって思うと、
そこの部分って書けなくない?
どう?
ゆかさんとか、
富山さんも日記書いて出してるんだけど。
今も書いてますよ。
本当に?
それって読まれる前提で書いてるでしょ?
世に出す前提。
でも最近は、
読まれない日記を書こうと思って、
こっちにしてます。
だからうんことかクソとかめちゃくちゃ書いてます。
うんことかクソ。
悪口ってこと?
悪口っていうか、
本当に出たもんまず書く。
本当に速記みたいな感じ。
文章になってない。
まずバーって出して、
なんかめっちゃムカつくみたいなとかね。
クソがーとか書いて、
でも俺がこう思ったのもこうこうこうなんかも、
それこそゆかくさんと一緒なんやけど、
そういう風に、
思考って思うと考えるっていう文字で出てきてると思うんですけど、
まず思い浮かんだものを僕は書いて、
それでなんていうのかな、
はっきりした感情的なもの、
を吐き出した後に、
まあまあちょっと落ち着いて、
じゃあなんでそう感じたんかなみたいなことを、
次考えるみたいなことを、
やってることが多いかな。
なるほど。
それスマホでやってんだじゃん。
ずっと僕スマホでバーって。
へー。
なるほど。
じゃあそっか。
じゃあそれ世には出さないんですね?
いや世に出してもいい。
全然出す。
それが出てもおもろいなって思う。
あとで自分で読み返しても何書いたか全く覚えてないんで、
へーっていう感じで読めるんでしょ。
それこそ僕さっき日記ちょっと読み返したんですけど、
むちゃくちゃ寂しくて死にそうみたいなこと書いてる日記の日もあったわ、
そういえば3月ぐらいに。
へー。
だから本当にサリエスに全く共感できるわけではなくて、
ある日突然、
めっちゃ一人かもみたいな時はあるんですよ、やっぱり僕も。
でもそういうのは消化する手段として、
日記を書いたりするという手段があるんかなっていうぐらいですかね。
消化する手段なんだ。
じゃあ日記を書くとやっぱ、さっき福岡さんも言ったけど、
それである程度は、
寂しくて死にそうな状態から脱することができるってことでしょ?
でもね最近僕が好きなのは、
ある意味答えを出しすぎないっていうことも結構楽しんでるというか、
言葉は言葉でしかないっていうところをちょっと最近、
それこそまた諦めが少しあるんですけど、
今感じてるこれは、
寂しさとも言えるが寂しさではないんじゃないかみたいな、
ちょっとぼんやり思うところがあって、
一応寂しいとは文章では書いてるんだけど、
本当にそうかっていうのは、
それは俺が納得したくてそう言ってる可能性もあるんですよ。
これは寂しいってことにしとけば、
とりあえず納得できるみたいな感じで落ち着けてるパターンもあるから、
あえてちょっともやもやのまま残すっていうことも最近はしてて、
一番大事にしてるのは、
言葉にすることも大事なんだけど、
今俺の身体反応というか、
今この胸がどうなってるかとか、
怒りで手が痺れてるとか、
そういうことのほうがすごく最近は好きかも。
観察してるってことか、自分の。
結局言葉って後付けだから、
感情によって生まれる感情の反応であったりすると、
身体反応のほうが正直っていうか、
観察してるんかな、だから。
俯瞰してるってこと?
むしろちょっと主観してる。
主観してるんだ。
ある意味。
日記って客観で書けるんですよ。
俺はこの時こう思ったんじゃないか、みたいなこと客観できるんですけど、
主観をしてる、その時は。
今すっげー胸が燃えます、息苦しいとか、
そういうのを主観してみて、
それこそそれをそこに置いといて、
後から言葉付けとかするけれど、
ある意味息苦しくなったとかだけ置いとくとかね、
すごいその後気だるくなってとか、
それだけ置いといて、そこに意味付けをあえてしないみたいなことも、
最近はちょっと好きっていう。
「諦める」ことの意味と孤独との付き合い方
それ振り返ってそこに答え合わせとかはせずにってことでしょ?
振り返らないみたいなことも。
振り返らないと置いとく。
ただその時のお前を置いておくみたいな。
それで何か良いことがあるんですか?
それをすると何か良いことが?
良いことがあるっていうか、逆に僕3,4年くらい日記書いてるけど、
言葉にすぎてんなと思ったんですよね。
感情?
そう。
めっちゃ柴さん反応してる。
もう死ぬほど分かる。
ほんと?
怒ってる怒りとか悲しみとか書くけど、
それほんまに悲しいっていうのは、
悲しいという言葉に俺が当てはめてるだけやんかみたいな。
なるほどね。
悲しいという言葉を俺は知ってるから悲しいってことは使っただけで、
悲しいよりももっと何かっていうのがあるんですよ、自分の中で。
その時に、
すごい目頭熱くなるけど、涙は出えへんかった、でも鼻はめっちゃ赤かったとか、
分からんけどね、そういうことだけを残しておけば、
それはどういう反復かだけが残って、
悲しかっただけでは済ましたくないみたいな時もちょっとあるっていうか。
難しいね、身体感覚を言語化するのって難しくないですか?
だって悲しいって言っちゃった方が手っ取り早いわけじゃないですか。
そうそうそうそう。
それでだから、
どうやるの?
ほんとに淡々と書くだけ。
でもぶっちゃけそれ確かにめんどいから。
めんどいよ。
めんどいから本当に思ったことを次々書くっていうのを最近はやっておいてます。
今日は悲しいことがあったみたいなことはもう全然書いてなくて、
今日はこういうことがあった、こうこうな時にこういうことがあってこうこうした、
この時にこういうことがあってこうこうこうだったみたいな。
で後から疲れがドーンときたみたいなことだけをめっちゃ書いて、
それは悔しかったとか悲しかったとかそういう言葉で締めないみたいな感じですかね。
なるほどね。
ちょっと日記を読み合う回やりたいね。
あずいけどクソガとか書いてるから。
でもゆかさんも書いてるでしょクソガとか。
私も二重日記なので、
見せる用とね。
自分で書いたやつをから見せれる分だけ出してるから、
クソガって書いてるよ。
クソガって書いてるのはじゃああんまりにもクソガだと削ってことか。
だってあのほら、
職場の社内プリンをしてる人たちの事情は読む人たちにあんまり関係ない。
そうだよねそうだよね。
私が迷惑こむったって時は気にするけど、
なんかそいつらムカつくみたいなやつは、
あんまり出してない。
なるほどね、そりゃそうだよねそりゃそうだよね。
しばさんも日記書いてます?
いや書かないっすね。
あ、そう。
自分との単位。
SNSもそもそもやんないし、日記も書かないね。
そう言われてみると。
自己対話っていうか、
自分の感情を整理したりとかさ、
そういうのってどうやってるの?
そうだな。
よっぽどなんかもやもやした時は、
ちょっと文章にすることはあるけど、
日記っていうのはしなくて、
なんか、
書き出し、
なんて言うんだろう。
感情がすっごい頭に来たとか、
めっちゃ嫌な気分になったっていう時に、
嫌な気分みたいになってるのかな。
なぜこの気分が起こって、
それはどうやったら解決されるのか、
みたいなことを私はすぐに考えちゃうんですよ。
そう考えちゃって。
だから書くとすれば、
まず何があってこういう気持ちを感じたので、
それを解消するためには、
Aやん、こう。
Bやん、こう。
解決するためみたいな感じになっちゃう、
すべてが。
あんまり気持ちをバーンみたいなのって、
あんまりないかも。
疲れるから。
論理的に考えちゃうってことか。
自己対話と「クッキーの生地」の重要性
そうですね。
ロジカルシンキングをしようって、
過度になりすぎちゃう癖はある。
てか、ネクスト行動をちゃんと取りたいんですよね。
だから島さんは。
どういうこと?
一つの感情に縛られずに、
次の行動、私は何をしたらいいんだっていうのを、
したい、たぶん。
ちょっと目的とかがね、
たぶんそれぞれもしかしたら、
同じ内向でも、
自分の感情に、
しっかり意味をつけたいって人もおれば、
じゃあそのまま観察したいって人もおれば、
じゃあ次の行動を取れるように、
振り返っておきたいみたいなパターンもあるし。
これは問題だから解決しなきゃっていう、
考えになっちゃうんですよ。
これ私の癖なんですけど。
でもさっき島さんが言ってたように、
言語化。
私もすごく言語化したがる人間なんですけど、
やっぱり言語化しすぎるとよくないなって、
すごい思ってて、この何年か。
言語化した瞬間に、
言語化できなかった部分が、
ボロってなくなっちゃう。
なかったことになる。
めっちゃわかる。え、こわ。
ね。ね。
ほんまそれ。
なくなっちゃって、
だから後から読んでも、
言語化した部分の、
私のイメージ的には、
クッキーの生地みたいなのがある。
え、こわい、ちょっと待って。
え、こわいこわい。
ね。ね。ね。
こわいこわい。
めっちゃこわいこわいこわい。
どうぞ。
言おうと思った?
だから、星の形に、
何の形なんだろうと思った時に、
星型にバーンってするじゃん。
そうすると、あ、星の形だったんだねって終わりじゃん。
でも本当は、
星じゃなくなったこの側の、
このここのところがあるじゃん生地が。
ここがさ、
ここが無事いなかったことになっちゃうじゃん。
だからそれよくないなーってすごいなんか思って、
言語化しすぎるのちょっと気をつけようって私は思ったんですよ。
わ、こわ。
こわ。
同じことだ。
さっき話で聞いてても、
友谷さんがちょっと、
え、私友谷さんか思って笑ってた。
あ、ほんと?
ちょっと寂しさひとつ減ったわ。
なんかその、
ほんとに?すごい。
僕も、
僕はクマさんの方なんですけど、
うんうん。
僕も同じね、クッキーの生地をすごい考えてて、
クッキーってある型の、
くり抜いたその、
余った部分が捨てられるじゃないですか。
うんうんうん。
で僕、
昔に、
そう、
あの言葉ってそうやって型で、
くり抜いて、
ここに感じてたこれを捨てちゃう行動やなって、
僕も思ったんですよ。
え、まじ?
同じこと考えてたんだ。
同じ。
だから僕はクマさんやったけどね。
うん。
うんうん。
ここがなくなるなって思ったときに、
ここをできるだけ覆うように、
無限したいなと思った。
いろんな言葉で言いたい。
いろんな、
どうせ言葉にするんやったら、
うんうんうん。
もっともやもやして言いたいって感じだった。
最近は。
うんうんうん。
このクッキーの余すことなく、
この生地を使い切るぞみたいな。
うんうんうん。
実際は使い切れないんですけど正直。
どっか絶対余んないんやけど、
うん。
あのただ、
もう悲しいっていう型で、
ポーンってくり取られるのは嫌なんですよ。
なるほど。
分かる分かる。
だからめっちゃ喋りたい。
だからこうやって喋りたくなる。
そうか。
その側のここの部分を、
とにかくもう対話をすることで、
うん。
こう分かり合いたいみたいなことか。
そう。
だからそれ寂しいんだねって言われて、
型でまず取られるやん。
うんうんうん。
いや、そうなんやけど、
っていうここを今から喋れますねって感じ。
なるほど。
そうそうそうそう。
なるほど。
えーそういうことか。
やっぱやっぱ、
今の時代にだいぶ逆行してるなーって思って、
やっぱりパッと、
これは何でですか。
こうだからです。
ってパッと答えを出すっていうのがやっぱり流行りというか、
もう今そうじゃない?
ファスト教養みたいな。
そうねそうね。
だってどんどんやっぱ、
コスパ悪いみたいな感じになっていく。
うんうん。
やっぱ現在そういうのなんか置いてかれてる。
どんどん置いてかれてる感じがするよね。
なんかそういう。
そうねそうね。
まあこれもあったけどね。
このモヤモヤと。
うん。
パッと言い表せないこととかさ。
なんか大事かなーって気はしてんのかも。
最近余計。
豊かだねーすごく。
内面がすごく豊かな人たちなんだよ。
そうなのかなー。
そうだと思う。
だってゆかさんの日記とか私読んでて、
いや私こんな日記書けないっていつも思ってる。
そうねそうね。
豊かだ。
内面が豊か。
だからゆかさんのクッキーの型はすごくこう、
なんとも見たことない形してるじゃないですか。
みたいな。
こんなに内面を言語化する時に、
小説を読むことと他者との補完関係
こういう風に形に出せるっていうのはすごいなと思うよね。
だから今の話聞いてても、
島さんも富屋さんもそうなわけじゃん。
悲しいって言葉には収まらないものが、
私はあるっていう認識がそもそもあるわけでしょ。
そこが知りたいんだよ。
そう、だからさっきサリーさんが言ってた、
私はずっとこっから穴が開いてるよ。
寂しいんだよ。
って言ってる。
その寂しさっていう型の外側が僕たちは目として。
そうだね。
そういうことなんだね。
だからそれって何ですかってずっと聞いてるのは、
多分そこを知りたい。
そういうことなんだ。
だから豊かな人たちにとってはそうなんだよ。
型のここをって言うんだけど、
私はもう寂しいって言ったら寂しいって、
ここしかわかんない。
でっかい縁だと思うね、さっき。
でっかい縁で繋がってるもんね。
そうそう。
そこに言葉があることがわかんないっていうか、
分かりやすい形じゃないと、
多分わかんないんだね、きっとね。
でも逆に小説とか読んで、
いろいろなことを感じていってるわけじゃないですか。
そうそう。
私の感じてたこれってこういうことなのかもみたいな、
それに近しい言葉とかなかったのか。
あるある。
だからやっぱり小説を読む楽しみっていうのはそこなんだよね。
自分がモヤモヤとしてて形にならなかったものに、
ズバーンってこう、
これでしょ?みたいなことを言ってくれる。
川上彦さんとかはまさにそうで。
あ、なるほどね。
もう、うわーっていうこう、
ボヤーとしてたものに、
輪郭をつけてくれるっていうか、
だからなんで私が小説を読むか、
なんで本を読むかっていう答えはそれなんだよね。
うんうんうん。
その自分のわけわかんない感情が、
形にして見せてくれるのは小説しかないって思ってる。
あれも、もちろんこのお三方としゃべると、
わーって思うときもいっぱいあるよ。
こないだのその、
インザメガチャーチとかね、
普段も読書会でいろいろご一緒させていただきますけど、
なんか、こういうことだよねっていうのを、
すごいバーンって言ってくれるじゃないですか。
そういう人に私はすごい信頼を寄せるというか、
わかるわかるーとかだけじゃないじゃん。
まあでもその、ある意味おぎにゃんやっぱりはね、
サリーさんは外に連れ出してくれるし、
俺たちは逆に言ったら、
サリーさんの言葉をつけてあげることが、
もしかしたらできるかもしれないし、
なんかそういうので補完し合ってる感じがあるよね。
なるほどね。それは確かにそうかもしれないね。
だから楽しいんだよね。しゃべるっていう。
そうね。
それが尊いわ。
そう。
いいこと言いますね。
そういう作業はめっちゃ大事やわ。マジで。
そう。そう。
そう思う。
祭りの後の寂しさと、拭いきれない孤独
寂しさはさ、
私さっき友達さんが2種類あったって言ってたじゃん。
1個目の寂しさは、
寂しさの話にまた戻ると、
みんなで楽しい時間を共有した後に、
ぽっかり、祭りの後みたいな寂しさ。
うんうんうん。
それはさ、別に私はなんか、
前回の時も友達さんは、
それはいいと思うって言ってたじゃん。
そうそうそう。俺は好き。
そうでしょ。
なんかみんなとワイワイした後の、
祭りの後のこう、空虚さというか静寂?
それをこう、あ、楽しかった。
ちょっと味わえるというかさ、それは。
だからそれは別に問題ない気がする。
うん。
ただその、
ここの空洞というのはまたちょっと別の寂しさじゃない?
そうね。だから、その、
その前にめっちゃ、
あ、俺めっちゃ孤独かもっていう絶望に陥った1日ね。
その日々1日があって、
その時はなんかやっぱり、
すごい不安になりましたね、なんか。
うん。
なんか具体的な出来事があってそうなった?
いや、別にないんですよ。なんか、
うーん、まあ、
僕ね、日記を書いてるからこそ分かるけど、
疲れてる人が寝れてない、
睡眠時間が短くなるとどんどん、
普通にマイナスになっていくから、
そういう傾向があるというのは自分では分かってるんで、
それもたまたまそういう1日だったんですけれど、
でもなんか、
圧倒的に拭いきれへん。
あるものを数えて、
例えば奥さんおるやんとか、
こうやって友人もいるやんみたいなことを数えても、
でもどこの誰にも、
分かってもらえないどころか、
引き上げてもらえない孤独みたいなものが、
どうしても先行して、
どうしようもなく孤独かもみたいな、
瞬間に陥ることはやっぱりあって、
それはすごく嫌な寂しさ。
まあ、嫌な寂しさっていうか、
でもなんか、
自分はちょっと楽観的なところもあるから、
それもそれとしてそういう日だなみたいなので、
ポンと置いとける感じはあるんですけど、
置いといてそのままもうナスがまま来て、
次の日割と元気。
割と元気ね。
寝たら良くなったみたいな。
なるほどね。
孤独との付き合い方っていうか、
それも人それぞれだよね。
孤独との向き合い方:誤魔化さない勇気とコンプレックス
そういう時に寝ればっていう、
1回自分で対処法が分かればね。
それこそまた最近大切にしてることですけど、
誤魔化さないっていうのも結構大事にしてて、
むっちゃ孤独やわってなった日も、
例えば誰かに電話するとか、
それで誤魔化すことはできたと思うんですけど、
それに巻き込むのも嫌やったのもあるし、
久々に来たこれみたいな。
でもそいつを捕まえて、
お前なんやみたいな、
ちょっと待て待てみたいな、
ちょっと逃げんなってみたいな。
孤独逃げんなよ、おいおい。
マグロが、マグロ。
落ち着けた落ち着けた。
お前なんやみたいなのを、
やるのが最近めっちゃ好き。
だからさっき寂しさを撫でるって言ったのがそれ?
とかそういう感じかな。
寂しさを撫でれるのは自分だけって言ったじゃん。
いろんな感情とか反発心みたいなのが生まれた時に、
すげえ、俺感情動いたわみたいなのが嬉しいんですよ最近。
すごいそれ。
ポンって跳ねたみたいなのを、
ピョンって恋をキャッチするみたいに捕まえて、
なんか分からんけどね。
すごいなそれ。
その、かわいはやわさんのコンプレックスっていう本を読んだんですけど、
誰にでもコンプレックスっていうのはあるんですけどね。
でもそのコンプレックスっていうのは、
いろんなものが衝突して複雑だよ、複雑性って意味なんですけど、
そもそもコンプレックスって。
誰かの劣等感とかではなくて、
複雑すぎて正体のつかめないものっていうのがコンプレックスなんですけど、
自分の心っていうものは、
自分で意識できる自分っていうものと、
意識できないコンプレックスっていうものを足したものが心だよ、
みたいな感じで書かれてて、
自分で意識できる部分っていうのは、
自分でこういう人間だよなって思える部分なんですけど、
最近楽しんでるのは要はコンプレックスの部分なんですよ。
コンプレックスの部分っていうのは、
何でもない他人が楽しく喋ってるのを見て、
嫌な気持ちになったり、
寂しい気持ちになったりすることもあるじゃないですか。
それが実はコンプレックスだったりするわけ。
つまり、
なんで俺はこの時の状況で寂しいって思ったんやろうとか、
なんで今孤独をめっちゃ感じてるんやろうみたいな、
そこに自分が抱えてるコンプレックスみたいなのがあって、
要はコンプレックスを捕まえてるものだから、
なんで俺は意識できる自分以外の部分が見つかった、
みたいな感覚なんですよ。
怖いよね。
それを見るの怖くないですか、そこに。
どうなんやろ。めっちゃ好きかも最近。
ほんと?
だって自分のコンプレックスに注目するってことでしょ。
できれば目を逸らしたくなるよね。
ずっと逸らし続けてるのはコンプレックスだと思う。
ある意味で。
逸らし続けてるからこそコンプレックスであり続けるっていうところもあると思う。
ある意味。
そうね、克服してないわけだからね。
知識もできてないからね。
だからこそ何かそういう何かにピクンって反応した時っていうのは、
もしかすると自分の思いがけない部分が反応してる時なのかもっていうのが、
自分の中ではちょっとあって、
それをとつかまえにいくっていうか、感じかな最近は。
さっきゆかさんが日記で起こったこととかあったら、
それ私なんで起こったんだろうって言って掘っていくっていうか、
そういうこと書いて言ってたじゃん。
それと同じことでしょ結局。
みたいなことじゃないの。
マイナスの感情が出た時に、
私はなんでここで負の感情が出たのかっていうことを分析して掘っていくっていう、
そういうことかな。
分析。
それはコンプレックスみたいなことだよね結局。
そういうことじゃないのかもしれない。
友田さんが言ってることを日記で実践してるってことなのかなと思った。
でもそんなことできない私は。
なんで?
怖いじゃないそんなこと。
自分の負の感情を掘っていったら死ぬかもしれないじゃん。
という感じだ。
死ぬかもしれないけど怖い。
すごい気になる。
なんでだろう。
自己受容と「嫌い」の感情
自分のことが嫌になるでしょ。
嫌じゃならないですよ。
自分のことなんて基本みんな嫌じゃないの。
本当?
僕は嫌じゃない。
好きとも言わへんけど嫌いではない感じかな。
結局自分のことなんて嫌で当然だろうみたいな。
本当に?
嫌って当然だけど、
自分に失望するみたいなこと。
こんな私やだみたいな。
怖いな。
もう自分がそんな大したもんじゃないだろうっていうか。
それもある。
でも自分なんて嫌いなもんじゃないのみんな。
悪い意味じゃなく。
分かるよ。
僕はどうせ自分でしかないやったら、
どうせだったら好きでいいよって感じ。
嫌いではない。
どうせ自分でしかおれへんから。
だって自分っていうものまでを嫌いになったら、
嫌いな人とおらなあかんよっていう感じするんで。
それから嫌いまではいかへんって感じ。
好きでもない。
好きとまではいかへん。
ゆうかさんはどう?
好きですか?嫌いですか?
昔はなんでこれで生まれてきましたかみたいな感じはあったけど、
思ってるもので生きていくしかないんだなっていうのを。
経年だよね。
結局生まれも選べないし、親も選べないし、
仲間も選べないし、
そう考えたらガチャで生まれてきただけだって思って、
そこで自分が生きていくのに、
自分を確立させるのに何したらいいんだろうって
いろいろ考えた感じはあったかな。
何だろうな。
昔とは考え方が変わってきたかもしれない。
10代、20代よりは30代になって、
周りを大事にするにはまず自分からみたいなところを感じるようになったかもしれないかな。
面白い。
別にネガティブじゃないんですよ、全然。
岡山さんも言ってるニュアンスはね。
本当に私のこと嫌い、生きてたくない、みたいなことじゃなくて、
普通に嫌いだし、
でも嫌い、
普通に嫌いだし、
普通に嫌いだし、みたいな。
そんな自分もいていいよな、みたいな。
それ自体を肯定してるってことですよね。
そうだね。
それを否定しないってことですよね。
本物だと思って。
やっぱり思春期の時とかは、自分が嫌いなのは苦しかったかも。
なんで私はこんな人間なんだろうっていうのを死ぬほど考えすぎて、
逆に自分のこと嫌いすぎて逆に好きかも、みたいな。
そんなに考えないよ。
嫌いな人のことを考えるってやっぱりめっちゃ好きっていうかさ、実際は。
そうだね。
めっちゃ気になってるってことやもんね。
執着してるってことね。
諦めきれへんねんな、やっぱ。
だからそこに近づけば近づくほど近づけへんから、
嫌いっていう感情で抑えつけようとしたり、遠ざけようとするのかなと思うんで。
嫌い嫌いは好きのうち。
その言葉だっけ。
嫌いよ嫌いよは、みたいな。
好きなのと嫌いじゃない、みたいなのがあるよね。
そういったら別にその負の感情とかが出てきたとしても、
別にそれを否定することもなく、
なんでそういうふうに思ったのかなっていうのを素直に向き合って掘り下げていけるってことだよね。
最初がこのスタンスだから。
否定はいらないんちゃいますか、自分のことに関しては。
自分が感じたことに関しては。
否定しようもないってあると。
そう、思っちゃいけないとか、無理なんて否定できるものではないはずやのに、
こんなことを感じたらいけない、こんな負の自分はいてはならないっていうふうに否定するから苦しくなっていく。
それは絶対に同居しないといけないはずなものだから、
本当はどっちかといえばめでたり、まあしゃあないなと思えた方がいいのかもしれないところに、
こんな私ではダメだ、こんな感情を感じたらダメだ、こんなコンプレックスを持ってたらあかんっていうふうに抑えつけをするから、
よりそれが蓋を外した時に結構しんどくなるっていうのはあるかも。
「諦める」ことの語源と自己肯定
サリーさんは自分は結構好きがち?
私は大好きなんですよ。
いいね、めっちゃいいね。
好きすぎて自分が。だから嫌な感情とか出てきたら、がっかりするんだよね、自分に対して。
なんなの?私なのに。
それを掘り下げていくというより、否定はしないけど、がっかりするっていうのはあるかもしれない。
でも本番のポジティブでそれをカバーできてたらいい気もするけど、
まあまあそんなこと言うなよみたいなポジティブさで自分のことをフォローできたらね、否定とかではなくて。
コンプレックスだからいつまでも目を逸らし続けて前にグワーっていくから成長はしないんじゃない?
こういうところを直さなきゃとか、こういう悪いところがあるからなんでなんだろう、
じゃあもうちょっとこう改善しようとか思わないで、それはそれとにかく。
でもそれはサギさん、改善しなくてもいいからなんですよ、きっとサギさんは。
そういう壁というか、そういう状況にならずに上手くいっている状況だと思うから。
いや、そんなことないよ。いやいや、そんなことないんだって、もうやらかしてばっかりなんですよ、本当に私は。
でもそれは、そう言いながらやらかしている自分も好きなんですよ。好きというか、やらかしている自分も自分だっていう、それこそいい明るさがあるから、それはそれでいいんじゃないですか。
一向に深まらないよね、だから。浅いままただ前に前に行くだけっていうか。
でもそれはそれでいい強さというか、なんか僕は言葉を持ってへんかった時はすごい苦しかったんですよね。
だから自分の語彙だけで自分のことを見つめ直そうとしても、感情だけが暴れるだけでこれ何やみたいな、それこそ褒め方がわからへん感じだったからすごく苦しかったけど、
ある意味本を読む、いろんな言葉を知ることで、これってそういうことやったんかもっていうふうにどんどん言葉をつけていけるようになったから、ちょっとなだめ方も少しわかってきたというところはあると思うんですよ。
でも僕、会社、僕の会社全然周りの人本読んでなくて、全然本の話をできる人いないんですけど、でも人間的に素晴らしい人たくさんおるし、
ぶっちゃけそういう言葉づけをせんくても、人と人同士のつながりでしっかり学ぶ人は学ぶし、成長する人は成長するから、そこを逆にサリーさんは劣等感というか、
そういうそれを深めない自分は悪いんじゃないかとか、そういうふうには別に思わんでもいいんかなっていう、それで十分いけてるっていうことなのかなと思う。
今さらどうにもならないとは思ったけどさ。
私もだから諦めなんだね、それはそれで。
確かに確かに。
もう開き直りというか。しょうがないよね、だって。
諦めるは明らかにするからね、本当に。
そういうことなんだ。
そう。明るくする。諦めるの語源だから。
それこそ。
なるほどね。