で、参加者様はスポーティファイプレイリストやノートにまとめさせていただく予定でおります。
で、このポッキャトークテーマで好評だったのが、私が初めて企画した際に、やっぱりこういう質問があったりとか、トピックとか用意すると、
ああ助かります、こういうのって言っていただけるので、今回も困った時の話題リストみたいなのをね、まとめてありましたので、これに沿ってお話ししたいなと思っております。
それでは最後までお付き合いください。
はい、改めまして水城まことです。では早速私の中学生編をね、お話ししたいと思うんですけど、はい、学校生活編ということで。
私の中学はですね、実家から本当に歩いて10分ぐらい、小学生の時も10分ぐらいで着く近場だったんですけども、中学も近場にあったんで本当に助かりました。
近くてこうしたことはないですよね、本当。で別に友達と毎回一緒に登校みたいのはないですね。
中学の時ってみんなまだ成長期着てた人着てない人がいるから、学生が登芸校をしている様子で、
まだこの子は中学生入ったばっかりなのかなとか、体の成長を予想して大きめなサイズを買うわけじゃないですか。
スカートちょっと長いとか、ちょっとブカブカしてるなとか。
結果的に言うと私は成長期は中学生の間に着ていませんでした。
まあ、Cっていうのは中学3年生の最高から高校にかけては一応着たかな。
学校の校則や校風ですが、校則は一般的かな。
校風はですね、私が行く前の台の人たちが結構問題児が多かったらしくて、
私の小学校からは中学に上がる時に選択できるできないがあったんだったかな。
なんか地区的なもので慣れてる中学っぽいから、選択できたらこっちに行こうかなみたいなのを聞いた気がしますね。
それを理由に妹は私と違う中学の方に行きましたね。
制服はもちろん中学生はみんなセーラー服だと思うんですけど、
え、中学でブレザーってあるんですか?逆に。
小学生の時も制服だったんですけど、これってね、都会は違うらしいのでびっくりしちゃいましたよね。
で、小学生の時のやっぱ同級生が結構何人かは中学の時にいたから、心細いみたいのはなかったかな。
多分同じクラスに多分一人二人とかいたと思うんで、
そんなになんか最初はやっぱり違う学校に初めて小学校じゃない学校に行くから、
すごいやっぱ緊張バクバクっていう記憶はあるんですけど、
誰かはいたような記憶、安心してたようなイメージがありますね。
担任の先生はなんか男の人、部活の顧問の先生、担任の先生だったような気がするけど、
なんか小学生に比べると薄いというか、ぼやっとしてますね。
その先生が1年間だけだったかとかちょっとぼやっとしてる。
クラス何組はなぜか小学校を覚えてるのに、中学はね、記憶がないですね。
で、給食かお弁当で言うと、高校からお弁当だった記憶があるんで、多分中学はまだ給食だったと思います。
部活、委員会、生徒会ですけど、生徒会はもう1歳のお立ちですね。
委員会あんまり記憶ないですね。でも多分図書院は選んでいたと思う。
部活はですね、3年間ちゃんとしてました。ソフトテニス部です。
これね、誰も信じてもらえないんですよね。
高校の時とか短大とか大人になった時に、学生時代テニスしてましたとか言ったら、
え?いやいやいや、嘘?みたいな。なんかなぜか信じてもらえないんですよ。
ほんと見た目が地味だし、絶対美術部か吹奏楽部でしょみたいな感じで決めつけられることが多いんですよ。
絶対運動してなさそうに見えるらしいんですよ。
くぅー、ちゃんとソフトテニスしてましたよ、私も。
まぁソフトなんで、黄色い公式のボールじゃなくて、柔らかい空気を入れたりするタイプ。
公式のテニスボールよりやっぱり一回りは小さいし、軽いぷにぷにした感じ。
なので確かに全然違うと言えば違いますけど、逆にソフトをしてたから公式のテニスをするとすごい跳ねるから違和感があるんですよね。
思った以上の数倍跳ねてくるから。
まぁコートはよく砂利でやってたなぁ。砂のザッザッザッってなる。
砂利っていうか砂みたいなところでしたね。
公式ってテニスコートってね、ああいう緑のコートみたいな感じだったんで。
まぁ中学って最初部活って強制ですよね、大半が。
多分入らないといけないみたいな。
体験入部はもちろんしてて、多分私一人で体験入部したかな?
体験入部した記憶はあるんですけど、友達と一緒にしたかは記憶がない。
けど、その小学校の何か仲良い友達も一緒にテニスっていうのあったから、多分一緒に入ったと思うんですよ。
そこで多分誰もいなかったら入る勇気はない気がするんですよね。
強かったかって言われると、先輩はちょっと強かったのかな。
私たちの大の3年生になるとね、自分たちの大が上だから一番楽しい、好き勝手できる時間だったから一番楽しかった記憶はありますね。
先輩とかいらないし、鬱陶しいし、別にいらないですね。
後輩も別に可愛いと思ったこともないし、やたらと人数多かったんですけど、
生意気そうな後輩しかいなかった気がするな。
先輩も別に慕うみたいな。
なんかね、みんな先輩のことを何々先輩いいよねとか言うんですけど、超興味なかったですね。
優しくしてくれる分には、この先輩いい人だから好感度は高くなるかもなみたいなのありましたけど、
どの先輩好きとかは別に特にみたいな感じでしたね。
で、同じ部活内、確か12人ぐらいとかかな。
一番ちっちゃかったんですよね。
なんか3年間で全員に成長期とか来た人に追い抜かれて、一番私が部員でちっちゃかったんですよ。
でも中3の最後から高校の入学にかけての春休みにガンと伸びて、もうね半分以上は追い抜きました確か。
多分後ろから4番目ぐらいまでには身長伸びた気がします。
今ね、162.5です。
テニスね、運動なんでやっぱ最初はね、1年生は球拾いとか素振りとかね。
まあ別にそこまでつまんないと思ってないですけど、一番嫌なのはやっぱり雨の日とかのトレーニング。
だるい。だるすぎる。
雨だから外は使えないからひたすら中で走り回って、何週か廊下走って階段上がってみたいな、何セット何分みたいな。
だるすぎてめちゃくちゃ嫌いだった記憶はありますね、ほんと。
部活でペアを組むみたいのがあって、3年になった時に私がペア組む女子は、
当時ギャルっぽいじゃないけど、いわゆるスクールカーストの上の方に属する人だろうなみたいな感じだったんですけど、
だから最初は苦手タイプの人だったんですよ。
女の子で背が高くて、2人組でいつもいる背の高い女子2人っていう感じで、
今だとゆりって感じですね。ゆりゆりしてる感じ。
女の子と常に一緒にいて、くっついてる友達以上恋人未満じゃないかみたいな、そういう噂もされるくらいにも2人が仲がいいみたいな。
最終的にはね、すっかり仲はみんな良くなったと思うんですけど、
きっかけとしては私も、小学校から漫画をノートに書いたりして、中学のテニスに入った時も、
これいつから書いてたかは記憶ないですけど、自分たちの題を実際にみんな登場人物、少女漫画家して、
何育つか漫画とか書いてたんですよ。
そんな12人もさ、書き区別できるほど絵うまいわけでもないけど、
それをきっかけにみんなと仲良くなれたりとかもしてました。
みんな自分を出して出してみたいな感じでね、してた記憶がありますね。
あ、でもなんか1人、その子正直あんま好きじゃない子だったんですけど、
すごい歩き方すごい独特な子がいて、別にテニスそんな上手くないんですけど、
もう超負けず嫌いだから、私もそれなりに負けず嫌いでしたけど、
毎回ラケットぶん投げて、えーもうくそーとか言って、
超ラケット毎回地面に打ちつけるっていう人がいて、
わー今日も荒れてんなーみたいな感じの時があって、
その子、走り方めちゃくちゃ独特だったんですけど、
その子も遅いんですよ、走るのが。
私も全然走るの苦手だし、遅いんですけど、
ペアとかで走るとかだったかな。
なんかまことちゃんも足遅いよね、みたいな。
なんか当時思ってたなーみたいな、今思いました。
大変だったかな、そう思ってましたね。
で、私はその時はタイムリーにテニプリを知らなかったんですけど、
テニプリはやっぱみんな流行ってましたね。
当時、なんかエースを狙えのドラマを平成に復活したリメイクのドラマみたいのもやってたりしてたなー。
だからテニス割と人気みたいなところがあった気がします。
大会とかありましたよね、スコートと選手ユニフォームのやつ。
スカート履くやつとパンツスタイルで選べるみたいな。
私はやっぱスカートを履きたいんでスカートにしましたけど、ユニフォームね、黒でしたね。
で、メガネかけてたんですけど、
当時って日焼け止めとかめんどくさいからそんなことしてなかったり、
塗ったり塗らなかったりとか汗で取れたりとかも多分してて、
もうメガネかけてたんで、メガネ焼けですよね。パンダみたいに焼けちゃってて。
もう焼けちゃってたら逆に取れないみたいな感じで。
あとね、メガネは防御にもなるんですよ。
テニスボールが自分にバーンって当たってきた時に固めだったから助かったみたいな。
レンズがなかったら私の目怪我してたなみたいな時もね、たびたびあったんですけど。
ダブルスの時とかは一応後衛側にいましたね。
その子が入ってこれないような話をね、振って、
でもその子話しついていけなくなったので、
普通会話に入れないなって思ったら、
去っていくとか別のところに行くとかあるじゃないですか、
ずっと隣にいるんですよ。
しかも気配でわかる。
その子食べるのが給食遅かったんで、
私もその子となるべく関わらないように、
すぐ早食いして食べ終わったらもうダッシュして、
みんな仲良くタムロしているところあるんですよ、別のところとか。
もうそこ避難所としてうわーって走っていって、
もう逃げてたんですよね。
もうかくまって、みたいな感じで。
で、話してて、気配を察知すると、
もうなんかこう序章的な演出で言うと、
ハッって思ったら、後ろからドドドドドドドって、
その子がいつの間にか後ろにいるみたいな、
気配なくしているみたいな感じ。
ゾッとしてる感じ。
で、もうもちろん、もう嫌なんだよね、みたいな、
やっぱ友達に愚痴るわけですよ、その子がいない時に。
で、みんなやっぱ最初はわかんなくて、
え、そんなにあの子ってそういう感じなの?みたいなね。
優しい子とかも聞いてきて、
いやもうそうだよ、こんなこともこんなこともあって、とか言って、
あ、そんなんだ、ぐらいで聞いてた子がね。
私は1年でそんな嫌いなことは終わったんですけど、
2年と3年と2年執着されてる子がいて、
その子もね、被害に遭ってからやっぱ知るんですよ。
わかるーって言って、
まこっちゃんこんなにつらい思いしてたんだね、みたいなね。
自分がいざターゲットにされて、みたいなのがわかるわけですよ。
で、お昼休みとかは、
もう私はだからもう中学2年とかになったらもう、
ね、のんびりお昼を食べればいいんで関係ないですけど、
その子だから、昼休みにダッシュして追いかけられて逃げてるのを見て、
あーやっぱり執着されてるんだな、依存されて、みたいな。
かわいそうだな、私も1年前あれ被害あったな、みたいな他人事のようにね。
あーかわいそうだな、みたいな感じで見てたんですけど、
あとね、その子が好きだった男子が、
私が多分隣で話してる男子のことを好きになったみたいで、
普通にね、言ってきやがったんですよ。
〇〇くんのこと好きだから、二度と話さないで、みたいな。
今考えても、はーって。
その時はね、やっぱり、あー、うん、まあ、わかったとしか言えないじゃないですか。
今言われたら、は?
あー、なんであんたのために話しかけてくれた楽しいジャンプの話できる男子と話しちゃいけねえんだよ、
って感じなんですけど、
まあ当時はね、私も大人しかったんでね、
あー、うん、わかった、みたいな感じでしたけど、
とはいえね、まあ多少は喋りますけど、
なんでせっかく話しかけてくれる男子を避けなきゃいけないんだろう、
しかも好きなジャンプの話とかできるのに、っていうね、
まあちゃんと話してたと思いますけど、
途中にね、なんか男子から、たぶんペンをもらったんですけど、
なんかその嫌いな子が、私のペン盗んだでしょ、みたいに言われて、
は?みたいな。
いや盗んでないけど、これ男子の○○くんからもらったけど、みたいなのさ、
なんかめっちゃかんぐってきてさ、
っていうか普通に友達だったらそんな疑わなくね?みたいな。
友達に盗っと呼ばれするやつなんて、友達じゃねえよって感じなんですけど、
まあその時にはもう全然友達とも思ってませんでしたけど、
まあそういうこと言ってきてさ、
もう私はだから、いや犯人じゃないよっていう証拠を提示してね、
まあ確か事なきを言ったとは思うんですけど、
他にもね、なんかもうあからさまにやっぱしょっちゅう、
もう体は正直なんで避けたいから、避けてたら、
どういうことじゃ私のこと嫌いなんでしょ、みたいなね、
でもね、クラスの真ん中っていうか、男子とかもさ、見てる前とかで言うわけですよ、被害者ぶって。
はあ?みたいな。
いやまあ避けてるからね、そりゃ嫌いですよって。
今なら、え、うん、嫌いだけどって言えるだろうねって感じなんだけど、
当時は、え、いやいやいや、そんなことないよー、みたいな。
嫌いじゃないよー、かっこぼー、みたいな感じでね。
でも私がこんなのをいじめてるみたいじゃん、泣かせてるみたいじゃん、みたいになるじゃないですか。
もう、今このシーン思い浮かべると、
悪役例上系の漫画の私、悪女側じゃない?みたいな視点ですよね。
うん、いや本当にあいつが悪女だよ、みたいな。
ヒロインぶった悪女だよ、って感じでしたけど。
まあね、その子は本当に嫌いでしたね。
終始一緒になきゃいけないし、なんかね、やっぱ規制中なんですよね。
ああいうのって。
この子だったら大人しくて言うこと聞いてくれそうだなっていう目で私にね、話しかけてくるんでしょうね。
だからね、この前もあの久しぶりに、その嫌いな子のことをね、分かる同級生の子たちと話し合った時に、
うん、だからあの、自分の意見通してくれる子を狙ってたから、
そういう優しい子ばっかりに規制してたよね、みたいな。
だからなんか、その子から私たぶん嫌われてたと思う、みたいな。
自分の意見はっきり言うし、言うこと聞かないからって言ってて。
いやー、なるほどねって。
いや、私もその時に自分の意思はっきり言ってみたかったよね。
はい、はいって感じで。
やっぱ小学校の時もね、その嫌いな子と同じ学校だったけど、
6年間一緒に習ったことはなかったから、どういう子かも知らなかったわけですよ。
やっぱ大人しい子にね、数年は規制してたらしくて、こわーって思いました。
当時ね、親が離婚してて、
それもあって、お父さんの愛がないから、やっぱ男に執着してたのかな、みたいなね、
そういうのはね、今考えるとあるけど、
したこっちゃねーよ、んなことは。
被害者なんだよ、こしたら、っていう感じでしたけどね。
全然同情の1ミリもないですけど。
当時は妹の面倒とかも見なきゃいけないから、
私も妹いるけど、そんなことなかったけどね、っていう話。
男にも多分ね、確実に依存してくるめんどくさいメンヘラタイプの女なんじゃないかなって勝手に今は思ってます。
当然ね、やっぱ女子から嫌われるっていう感じですから、
ザ・少女漫画にありがちのヒロインのライバル的相手役でいるじゃないですか、そういう子。
そういうタイプだったなー、嫌いだったな、少女漫画のそのヒロインに対峙する、
なんかぶりっこして、なんかアザという感じのキャラ。
もうその子を思い浮かべる感じ、もう本当に嫌い。
まあその子もね、結局成人式中1で別れてからは、
もう一切当然接触はなかったんですが、成人式でだけね、会ったんですよ。
で、まあやっぱりね、想像通りに友達いなかったんで、私たちのグループに来ましたね。
あ、やっぱこいつ同棲の友達いなかったんだな。
まあでしょうねっていう、超わかりやすかったな。
まあ今いたとしたら、もう普通にね、もうはっきり言ってるでしょうねっていう感じですね。
1年間よく耐えて頑張ったなって、その時は思います。
うん、中学の人間関係そんくらいかな。
グループとか派閥ってほどの派閥、別に特にないかな。
今考えると青春してたわ。やっぱなんか部活してる時とか、やっぱ青春って感じはしますよね。
好きだった男の子とかはそんなじゃないかな。
まあそのジャンプとか一緒に話してた子はちょっと気になったかもしれないけど、
まあちょっと気になる男子ぐらいで別に好きとかまでは言ってないかも。
まだ流石にね、誰がどう付き合ったとか、そういう話はあんま聞かなかったかな。
恋愛話みたいなそんななかったかな。
それよりもやっぱもうね、リアル中二なんでその時はね、2次元にどっぷりのめり込んでいて、
中学からはハマったのは、やっぱナルトですね。
だからガチ恋、ガチ恋。
小学校の時はちょっと犬屋さんにガチ恋してたんですけど、中学になるとナルトにガチ恋しちゃって。
そうだね、連載の当時は、だからナルトはまだ少年時代なんで、12歳とかで、私13歳とかなんでね。
なんとかだってばよーみたいな喋りを。
毎回じゃないけど、なんか時玉入れて喋るみたいなね。
好きな人の口癖は映っちゃうみたいな感じね。
あいたたたたたたって感じですけど。
中二の黒歴史的なことを言うとね、まあナルト好きなんで忍者になりたいですから、
陰を結ぶ練習、ファンブックとかやるんですよ。
ナルトの世界での陰ってこう、ネウシトラウーみたいな、
エトンによって陰の結び方がこう説明してあるみたいな。
あれをね、いかに早くシュシュシュシュってやって、最後に術の名前を言うみたいなね。
やってました、やってました。
え、やったよね。
あの時は、あと鋼の錬金術師がね、一番最初のやつやってたんですよね。
あれもエトカッコよかったなーって。
少年漫画、少年ジャンプを読むようになったのもやっぱ中学校ですね。
だから、アイシールドとか、デスノートとか、ミスターフルスイングとか、テニプリとか、ボーゴゴとか、
あそこらへんが一番やっぱ面白かったなーって時期でしたね。
逆に少女漫画ほぼほぼ読んでなかったかも、あの時ってやっぱ。
みんなやっぱね、女子も少年漫画派が多かったんですよね。
少女漫画読んでる子もいたけど、私あんま借りなかったかもなー。
で、やっぱゲームは、ゲームキューブからプレステ2が出た時期だったかな。
で、私買った時はもうすでにプレステ2が巨大なあのでっかい本体じゃなくて、
もう小型の薄いやつになってた時を買ったのが初めてだったんで、
単純なアルバムの音楽とかっていうのはね、全くアーティストの興味なくて買ったことないんですよ、いまだに。
唯一ね、なんか違法かなんかで多分ね、親の友達かなんかが、
好きなアーティスト言ってくれたらCD作るよみたいに言って、
え、そんなCD作れるんだっていうので、なんかポルノグラフィティだけ言ったら作ってくれてたんで、
ポルノグラフィティの多分レッドとかなんか初代のアルバムだけは、
なんかもらって聴いてた記憶だけですね。
その頃は当然中学生ので携帯とか持ってないから、
その代わりみんなやっぱパソコンのメールアドレス、
Yahoo!とかOCNとかかな。
中学ぐらいからやっぱり深夜というか、結構夜遅くまで起きていて、
でも親の部屋にパソコンがあったんで、
12時前ぐらいになるとね、早く寝なさいみたいな感じでよく怒られていた気がします。
で、ホームページを当時作ってみたかったんですけど、
当然周りでそういうことをしてる人ってあんまりいなくて、
ホームページ作りたいんだけど知ってるって聞いて、
あ、知ってる知ってるってやり方わかるって言ってくれた子いたんですけど、
本当に何ですかね、無料ホームページ作成みたいな。
背景がただの白で、リンクが青文字で、初期カラーで、
違う、私が作りたいのはこういうのじゃないって言って。
でも試行錯誤して、独学で調べて、
HTMLのタグで自由自在にホームページをデザインするっていうあれをね、
中学生ながらに作ってたんですよね。
四苦八苦してた気がする。
で、自分のホームページ作成して、バーナーとか作って、
ランキング登録して、徐々に毎回更新していくとランキングが上がっていくっていう、
あれがね、楽しくて仕方なかったですね。
高みにいってる感じ。
もちろんジャンルナルトなんですけど、私は主にイラストサイトでしたね。
でも中学生だし、ペンタブとかそんな高くて買えないから、
ほんとちっちゃいビジネス用の、今ならサインを書くぐらいのちっちゃい、
あの画面で絵を描いてたんですよね。
ビジネスのペンタブですよ、あれ。
多分3000とか5000とかそんな感じ。
で、絵茶とかもしましたよね。
うん、絵茶、お絵かきチャット。
あと友達と2chのモナチャットっていうのをね、やってましたね。
女って思われたくないから、やっぱ2chの人って女を叩くイメージがあったから、
いや、あの男で撮ってたんですけど、普通にね、途中で、
いや絶対お前女だろみたいな感じでね、勘づかれてましたね。
毎日友達と中学の時夜チャットしてたなぁ。
で、あの頃はインターネット、私ずっとWindows98で、
でもこれ驚くことに短大映えるぐらいまでずっとWindows98で頑張り続けるんですよ。
みんなXPとか徐々に進化していくのに。
まあこの辺はね、過去の私の初期らへんの配信で、
インターネット時代についてちょっと語ってるところでもね、語ってますけど、
この時代は結構ね、フラッシュサイトとかもやってた頃でしたから、見てましたね。懐かしい。
小学校の時もそうですけど、中学も高校も比較的やっぱ内向的な性格のままですね。
やっぱ言いたいことは言えないと思うし、やっぱ人の周りを見てる感じのタイプだったかな。
反抗期はないですね。
まあいかに怒られないように人の周りを見てみたいなのはあったかな。
成長期がそのさっきも言った中3から高1にかけてで、周りの女子たちもやっぱ生理とか来るわけじゃないですか。
私は別になんかみんな痛いとか重いとか聞いてたし、別になりたくもないしって思ってたから、
ただね、つるんぺたんってちょっと貧乳はやだな、身長も欲しいなと思ってたから、
それは来てほしいなって思ってたけど、別に心配はしてなかったし、いつか来るものだと思ってたけど、
中3になっても成長期来ないから、心配症の母親が病院連れてって、
この子成長期まだなんですけど大丈夫ですかね、みたいな。生理も来てないんですけど、つって。
まあじゃあ、まあそうですね、遅い人もいますけど、みたいな感じだったけど、
とりあえずじゃあ女性ホルモンとか取ってみますか、みたいな。
薬を飲んでみたいな、女性ホルモン。
そしたらなんかもうね、一気に成長痛で関節痛みたいなのが来て、グググってこう一気に伸びて、
多分だから150ちょいだったのかな、わかんないですけど、一気に162くらいまで伸びたから、
最後に卒業式から別れて、次に高校の始まりくらいとかで会った時に、会った子たちがみんな、
えっ、縮んでいる、いや私が伸びたんだ、みたいなね、もう最高でしたね。
えっ、でかくなってる、みたいなことをさ言われて、もうめちゃくちゃ優越感でしたね。
今までだから、ちっちゃい、ちっちゃいって頭をポンポンしてきた子たちを、私は、
もう縮んだね、かわいいね、みたいな感じでね、どうやーって言って、みんなクッってなる、顔を見るみたいな。
後から来た復習みたいな感じですよ。
俺が大人っぽいと思っていた行動は別に、中学の時は特にないかな。
背伸びしてやってたこととか、別に早く大人になりたいとかもなかったかな。
なりたい職業はでも小学校の時とか、中学とかはやっぱ絵を描くのが好きだったから、
なんか単純にね、漫画家とかなんかその時はね、描いてたりとかしてたとは思います。
当時の自分に伝えたいことは、当時の自分に伝えたいこと、
その中1の嫌な子とは1年で関わらなくなるから、断れるなら頑張って断って、かな。
記憶があるまま今中1に戻れるなら、もう最初の接点からなくしてなかったことにしますね。
一番最初の友達になるきっかけみたいなところでズバーンって切って、
その子に嫌われとこうみたいなルートで平和ルートに行くと思います。
テニスとかも今ならもっとうまくいけるだろうし、
今の記憶がある状態だったら、もっとジャンプとかの知識あるからバリバリコミュニケーションよくいける気はするよね。
勉強もやっぱやり方がわかるから、当時よりたぶん授業もう1回やるならもっと良い成績は残せるでしょうね。
でもそこで進学校とか行きたくないしな。
そんな難しい、すごい勉強に力を入れてる高校ですみたいなところにも入りたくないし、別にいいかな。
ただ懐かしみたいっていう意味では戻ってもいいかもね。
あの時のあれがなかったら今の自分はないってもの。
でも部活には入っといてよかったかな、テニス部で。
っていう感じですね。
これが私の中学かな。
アニメイト初めて行ったの多分その時だった気がします。
ナルトのポスターとかナルトの靴とかジャンプだから豊富だからいっぱい買って、
壁中に貼って、夢の中にもキャラクターが出てきて最高だった記憶があります。
はい、エンディングに行く前にお便りが1つ届いてますので、そちらをお読みしてエンディングに移りたいと思います。
おしにじネームしろさん、ありがとうございます。
私の幼稚園時代から長くに続く、もう30年以上の付き合いになりますか。
リア友からお便りをいただきました。
ありがとうございます。
まことちゃんこんにちは。いつも楽しく拝聴しています。先日は久しぶりに会えて嬉しかったです。
今日は古くからの友人として、おしにじリスナーの皆さんにまことちゃんの魅力をお話ししたいと思い、久しぶりにお便りを送っています。
まず1つ目、私の一番古いまことちゃんの印象は絵が上手いです。
幼稚園の頃まことちゃんが描いている女の子の絵が上手すぎてびっくりしたことをよく覚えています。
こっそりまことちゃんの絵を真似て私も絵を描いていました。
えー幼稚園なんて鷹が知れている気がするけど。
2つ目、家に遊びに行くのが楽しい。
お互いおばあちゃんがいる環境でよく家を行き来していましたね。
水城家にはシルバニアファミリー、スーパーファミコン、ハムスターを飼っている時期もあり、私にとってはむっちゃパラダイスでした。
中学高校成人してからも遊びに行って、その時ハマっているゲームや漫画を見せてもらったり、
オタクにとってはパラダイス空間であることは今でも変わらないのかもしれませんね。
そうですね、うんうん、懐かしいね。
一緒にね、コトミゲームをしましたね。
夢小説を教えてくれたのはシロさんでしたね。
そして3つ目、大事なことをするのを忘れるくらいに話が楽しい。
中学生の時、毎日のようにオタク話に花を咲かせていた私たちですが、
受験直前になって、まこっちゃんが自分と違う高校を受験することを知りました。
しかも一途で、聞いてないと衝撃を受けたことを今でも私は忘れません。
ほぼ毎日話しているのに、そんな大事なことは聞いてなかったのかって思うくらい、
お互いオタク関係の話しかしていなかったのでしょう。
当時からそれくらい和術に長けていたことが考えられます。
いえいえ、今のポッドキャストにつながるトーク力もその頃から培われていたのかもしれません。
ただのね、オタクですね。ただのオタク。
長くなりましたが、リスナーの皆さんにまこっちゃんの魅力が伝わると嬉しいです。
50歳くらいになったら、2人で旅行とか行きたいなぁと思うのですが、どうですか?
これからも応援しています。
とのことで、ありがとうございます。
中学生のちょうどタイムリーな感じで届いたので、それも絡めてお手紙を読ませていただきました。
本編では、シロさん具体例の名前は出ていないかもしれませんが、学生時代の友人としての出来事は中に含まれていると思います。
シロさんとは幼稚園時代が一緒。小学生も中学生ももちろん一緒。
高校の時だけ、やっぱり彼女は頭がいいというのはわかっていたので、聞かずとも、
あ、多分違う高校に行くんだろうな、みたいなね、わかっていたんでしょうね。
で、短大の時は県外に行っちゃって、社会人に入っても、大学院とかも彼女は行っていたので、
その間しばらく会えない時期も、私もともとおしゃべり好きっぽかったから、
2、3時間ぐらいずっと電話で話してるみたいなこともしてました。
今はなんだかんだ、友人の中で一番、割と距離が近いところに住んでいるので、
50代と言わず、50代は遠いよ。まだうちら30代半ばだから、あと15年後は長いって。
近々サウナにも行って、温泉旅行とかだとね、県内なら私たちの家からそう遠くはないので、
行ける機会は少しあるんじゃないかな。
あんまり友達と旅行って、せいぜいユニバとかディズニーランドぐらいしか行ったことないから、
いつか行きたいね、2人でね。
いやー、その時は私どうしてるんだろうね。