2025-07-16 20:01

その5『地獄の食卓にはとても長い箸が置いてある』

■エピソードのあらすじ



■話していること

地獄に置いてある長いテーブル/上しか持てない1mのお箸/この話の結論を人生でできるか?/「それでええやん」の心/負の循環/否定癖がついてないか/「あかんあかん」を指摘してもらえる人間か/「ありがとう」は難しい/初デートで口臭を指摘できるか/言ってあげる愛情があるか/giveから始める/3割バッターがすごい/死ぬときに後悔するのは「やらなかったこと」/自分の失敗談は人への笑い話


■番組について

中小企業経営に長年携わってきた「ほぼ70のおっちゃん」川田が、「ほぼ30のフリーランス」駒井へ、経営にまつわる60個の話をあれこれ送る、老若混合型ビジネス系ポッドキャスト番組。

■出演者

川田隆司(ナンバー2道場 代表)

駒井 涼(KOMA ひとり代理店)

■ナンバー2道場について

川田が主宰する経営塾「ナンバー2道場」の詳細は、

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サマリー

今回のエピソードでは、地獄に落ちた人々が直面する「長い箸」の話を通じて、他者を助け合うことの重要性を考えています。また、自己中心的な考えから脱却することの難しさや、人間関係におけるコミュニケーションの課題にも触れています。このエピソードでは、愛情を持って他人に注意を促すことの大切さが語られています。特に、長期的な視点から他者に与えることの重要性や、失敗を恐れずに新しい経験を受け入れる姿勢が強調されています。

地獄の食卓の教訓
みなさん、こんにちは。フリーランスデザイナーのこまいです。
はい、こんにちは。ナンバー2道場代表、河童です。
ナンバー2道場ポッドキャスト、この番組は、中小企業経営に長年携わってきたほぼ70である河童のおっちゃんが、ほぼ30であるフリーランスの私、こまいへ、経営にまつわる60個の話を、あれこれ本音で時にコンプライアンスの道もそれつつ送る老若今後型ビジネス系ポッドキャスト番組です。
はい、よろしくお願いします。第5回目でございます。
慣れてきました?どうですか?
ドキドキしております。
ほんまですか?そんな、あえてわざわざそんな言い方して。
でも初めてですもんね、ポッドキャストというものを配信するのも。
そうですよね。最初聞いた時に、ポッドなんかキャスターなんか一体なんなんかな?
それぐらいのものです。
はい、そうですね。
いやでも、なかなかこう、僕いくつかポッドキャスト聞いてますけど、どうなんですかね、この70、ほぼ70のおっちゃんが出てるポッドキャストってあんまりないと思いますよ。
なるほど。
珍しいと思います?
そうですね。僕の同級生はみんなの年金と病気の話しかしませんからね。
それはそれで聞いときたい気もするけど、ほぼ32ではちょっとまだ早いかな。
いやほんま参考になる話ばっかりを今この過去3回4回で聞かせてもらってますが、これまだまだね、60個の話。
はい。
はい、ではそれでは今回のテーマに参りましょう。
No.2道場60の経典より本日のテーマは、その5、地獄の食卓にはとても長い箸が置いてあると。
なんですかこれは?
これはね、とても有名な話なんですよ。
そうですか、はい。
私が言い出したことではなくて、法話っていうかね、法事とかで和尚さんが来て、お経を読んだ後に皆さんこういうお話をご存じでしょうかっていうのは結構有名な話なんですね。
お説教の中でよくある話。
これがね、またとてもいい話なんでね、ちょっとこれはさせていただきたいんですけど。
ぜひぜひお願いします。
天国とか地獄とか言いますけども、この話としては、残念な生き方をした人が地獄へ落ちたと。
うん、閻魔様にそっちに行きなさいって言われた。
そうそう。長いテーブルが置いてあると。机ですね。
机が幅が1メートルの机が延々と長いのがあると。
はいはい。
両側に罪人というかね、座らされていると。
その自分の前にご飯がお茶碗に寄せてあると。
お腹はずっと減っているわけですよ、地獄に落ちてから。
で、食べようと思うと約1メートルの長い箸が置いてあるんですね。
相互扶助の難しさ
おお、長さが1メートル。
1メートル。それしか使っちゃダメよと。
しかもそのお箸は上の方しか持てない構造になっていると。
で、そのご飯を食べようとすると、1メートルの長さのお箸でご飯をつまもうとすると、手の長さから考えて無理なんですよね。
そうですね。今何とか想像つきました。目の前のお茶碗を1メートルではようやく使えないと。
使えないと。
これね、どうすべきなのかというと、答えだけ簡単に言っちゃうと、自分の向かい側に座っている人のご飯をつまんで、それを相手の口に入れてあげると。
すると相手も今度は自分の置いてある前のご飯をつまんで私の口に入れてもらうと。
これが何か分かりますか?っていうような誤説っぽいですね。
はいはい。なんか今そこまで聞いて、聞いたことあるなとなりました。
でもね、この有名な話なんですけど、これ自体が先ほど言っている循環の思想とか、お送りの思想と全く一緒なんですよ。
確かに確かに。
これはね、答え今言いましたから簡単なんですよ。話を聞くと、それはそうですよねと。話はできる、理解できる、頭では。
今僕そこです。
じゃああなたは現実社会でそれができますか?
さあ、実を伴うかということですね。
何回前から言いましたけど、おばあちゃんの満員電車の話。あれと一緒で、頭で分かっていることと行動は別なんですね、人って。
どうなると、自分自身ができないこと、これをすればいい?社会のためにやればいい?人のためにやればいい?
分かるけど、俺が今お腹減っているから、俺を先に食べさせろ。いやいや、相手も減っている。相手も自分を食べさせてほしい。いや、俺が先や。お前が先や。いつまでもできない。
で、第二はガシ死んじゃうと。お腹がずっと減るから。
地獄に落とされたような人たちは、駆け引き的な感覚になってますよね、きっと。
今俺が食べさせたとて、ほんまにあいつ、もしかしたら箸使わんと自分の分食うでもあるんちゃうか、みたいな。
そう思ってしまいますね。たぶん地獄に落ちているか、自分が地獄か天国か知りませんが、
ちょっとはそれを余儀って、なんかあげるねーとかって思ってても、ほんまにあげるかはちょっと怪しいかもしれない。
個人セッションの中で相談に来る方とかにこの話をした。例えば、よく言う会社の上司とそれが合わない、同僚とそれが合わない。
って思ったときに、相手が悪い、相手の国語が悪いっていうスタートにすると、今で言うとご飯を先にあげないわけですね。
あげへんなー、あいつ悪いって知ってるっていう人に、あーんしたくないなー。
でもよく手を離したら楽になるよっていうのは同じことで、相手が悪いっていう領域から一歩表出るんですね。
向こうには向こうの事情があったんかしらと。それはそれでいいやんと。先にご飯食べますかと相手に与える。
で、ひょっとしたら相手はそのまま、あーごちそうさんいっていなくなるかもしれません。じゃあそれでええやんと。
ええやんの心がいるのか。
でもひょっとしたらそれは自分の心が生み出した妄想かも、幻想かもしれない。向こうだってそうしてくれたら嬉しいからって、そうしてくれる可能性もあったのに、
あいつはきっとしてくれないから俺もしてやらない!っていう負の連鎖ですよね。
負の循環の方か。
コミュニケーションの重要性
これはね、素直な気持ちっていうかね、謙虚にあったりとか素直であったりとかっていうところが欠け落ちてるとそうなるんですよね。
なりそうやなあ。なりそう。
これは結局受け入れるとか、手を離すとかってよく似てるんですけど、例えばこういうことで悩んでいます。
じゃあこうすれば。例えばアドバイスをするじゃないですか。それはね、やってみたんですけどね。
じゃあこんな方法は、それはあまりやりたくないですよねと。
もう耳痛い人いっぱいいるんちゃうかな。俺もそうやるし、なんかやってみたんですけどとかって言ってもらうもんな。
結構多いんで、これね本人がそれを自分の特性として言ってることに知らない場合が多いんですよ。ただただ会話をしてるだけ。
無意識でもうさらっと言ってるだけ。
なのに相手の提案とかを否定してる。否定の癖のある人がいる。
多そう、多そう。
そういう人は居酒屋で見てもみんな離れますけどね結局は。
確かにな、面白くないもんな。そういう人と喋ってても。
だからその否定癖があることをどうやって気が付かすとか。
例えばですね、悪気がないからいいのかっていう話ですね。
じゃあ一緒に誰かゴルフ行きましたと。
まあ普段は仲いいけども、なんかそういうこと言う癖のある人が居てるじゃないですか。
じゃあパチンと打ちましたと。
悪気はないんですよ。
あかんあかんあかんあかん。
打った本人が一番あかんってわかってるからそれいらないよね。
言わんでいいやん。
でも社会生活ではわざわざそんなこと言わないですよね。
相手とのトラブルが嫌だから。
なんでそんなこと言うねんと心の中で思うけども、
そのことをわざわざ言うことのメリットはないと。
そうですね。
で、前も言いましたけど愛の裏側は無関心。
その人が大切な友達だと思うんであれば、
これはちょっと言いにくいから言うけど、
俺が失敗したときにあかんあかんってそれいらんよねと。
気分悪いと。
俺だったらいいけども、自分そのくせ方法でやっとったら友達おらへんなんでと。
それを抑えする。
今さっきの上と下で手を伸ばして手をつかむってあるじゃないですか。
はい、前回の話のグライダーの話でありました。
それと一緒で、それを言ってもらえる人間性かどうかが大事なんです。
言ってもらえるような人間か。
そう。
そうやな。
だからうっかり言ってしまってる心の癖。
悪気はないと。
彼は悪気はないけども、これをやってると彼の損だよね。
でも大事な友達やから。
これは勇気を持って、愛を持ってお伝えしようと。
そうすると、その中で2つのバージョンがあるんですよ。
え、俺そんなの言うた?
例えば、下手やったから下手。あかんからあかんと思ったんだけど。
って言う人もいるし、
あ、そういうこと言うてたか。
無意識やったわと。
無意識してなくてパッと言ってしまったらごめんなと。
もっといいのは、要はそれ言いにくいの言うてくれてありがとうって。
この3つの反応で、次からそいつに扱い変わるわけですよ。
そうですね。最後の一言が難しいな。
素直さは必要なんだろうなって聞きながらずっと思ってて、
素直な人だからこそ、ある種裏を返しても天然のを含めて、
素直だから、あかんと言ってしまう。
けど言われても、あそっかごめんって言える素直さ。
プラス音の言ってくれてありがとうってかなり難しいですね。
超ハイレベルですよね。
めちゃくちゃ難しい。
ということは逆なことが起きたとき自分ができるかですよ。
そうですね。そこも考えなあかんですね。
例えばこまちゃんが若いときに、高校ぐらいでしょうかな。
好きな女の子ができたと。初めてのデート。
うわー、えいこちゃんとデートができるわーい!って行きました。
会いました。
えいこちゃん、今日どこ行く?って言ったときに、
うん、私遊園地がいいわって言ったんやけど、
その口からとてもきつい口臭がしたとします。
うわー、歯磨いてないの?みたいな。
そのときに、「それ言えますか?」って言ったんですよ。
あー、めちゃくちゃリアルな。
その話だけで初デートってなったら言えへんなあ。
ですよね。
言えないなあ。
ここは我慢しちゃおう。
愛情の大切さ
初デートやし、傷つけちゃいけない。
本人は悪気はない。
では3回目のデート、5回目のデートで、えいこちゃんがすげーえこやと。
確かにもう1回えこやなと。
ただ、このきつい口臭だけはやばいぞと。
そのときにどのタイミングで言えます?
これ、むずいなあ。
でも、3回目のやっと深い話というか、
こちらの話だけじゃなくなってきたなあぐらいのときに、
自分が長くこの人と付き合いたいなあと思ったときには、
何か言いを決して、どういう形かでわかんないですけど言うかなと思いますね。
ですよね。
それはやっぱ愛情じゃないですか。
この方は他で注意されないけど、他でもきっと思われてる。
そう、そこ。
自分はいいとか悪いとかじゃなくて、僕だけじゃないから。
さっきのゴルフの人も絶対他で言いちそうやなあみたいな。
それを考えたとしたらそこが愛情なのか。
そうですね。
そこのとこ、だから言い方としてはね、
えこちゃん口臭きついわ、この辺から傷つくから、
方法は考えないとダメですよね。
例えば自分自身が、きのう僕餃子と焼肉やってん、
ちょっとごめんなあと言いながら、
ミントかなんかをえこちゃんも食べると。
これを習慣づけるとかね。
言わずにそれをやるって、だいぶ長期作戦な感じがしますけど。
だから本人悪気ない、でも本人ほっといたら、
周りから嫌がられるとかね、
そういうことを本人に言ってあげるっていうその愛情ですよね。
だからそれを愛情って言えるのか修正できるのか、
ここなんかはものすごい不見えですよね、一つの。
不見えやし、それこそこの経典の話に少し立ち返ると、
やっぱもう見返り求めへんほうがいいよなって感じします。
今すぐだけの話したら、もしかしたらこれを言うと、
相手にもうそっぽ向かれるかもしれないけど、
その子のことを考えたら、そっぽ向いてどっか行ったとしても、
どっかで口臭いって言われないようにするためにはっていう愛情があったほうが、
失敗を恐れない心
一、自分の人生の中長期に見たときには、その愛情のほうが大事。
人を思いやる心のほうが大事。
だから先に与えるっていうの?
循環の思想っていうのは、ギブ、最初に自分が与える。
それからじゃないと始まらない。
与えた結果、「もう!」って怒られたらすみません。
与え存ですよね。与え存を恐れないこと。
そこはかなり練習がいるし、自分の中での犠牲がいるというか。
だからそれを恐れない。
いつも同情勢に言うんですけど、人生で野球を知ってる人だけにしか言いませんけど、
3割バッターってすごいんですよね。
打率3割ってよく言う気がいますけど。
10回たって3回ヒットを打てる人はすごいと。
じゃあそれ以外の7回はどうしてるのと。
結局三振したりファール打ったりとかでアウトになってるわけじゃないですか。
人生をそのレベルで考えろよと。
人と出会う。みんな良い人だと思うなよと。
自分がどんどん奉仕したとする。
でも7人くらいはアカンやつかもしれんよと。
そのマインド大事やな。
3割なんか大当たりやでと。
だからいろんなセミナーとか人に会うとか恐れずに行きなさいよ。
今行ったセミナーしょうもなかったからもう行けへんねん。
じゃなくて人を変わるじゃん。
主催者変わるじゃん。恐れんと行きな。
そうですね。
だからその話でいくと、僕も比較的行く方ではあるんですけど、
なんかこう、いろんな、全然1回行ったやつが身内すぎて嫌やったえーん。
だからもう行かへんっていう友達がこの前いて。
確かにそれ聞いた時に、身内っぽいのは俺もめちゃくちゃ嫌やーって。
要はその7人に入るやつやなと今の話でいくと。
でも別にそういう交流会みたいなんていうのはいくらでも他にあるから、
そこで3人を見つけれたらいいんじゃないのってことですね。
初っ端の相手に先に与えるってあったじゃないですか。ご飯ね。
一緒なんですよ。恐れずに先に提供する。
全部が繋がってるんですよ。循環、ギブに。
先にご飯与えた。あー美味しかったよって。
いなくなるかもしれないけど、それが嫌やからってその行動せえへんかったら始まらんと。
そうですね。自分が食えへんくなるから。地獄において。
だからそれを恐れずにギブしなさいよ。自分から動きなさいよ。
それが循環だよ。100%帰ってくるなと思うなよと。
そのマインド大事やな。
自分にも言い聞かせつつですけど、やっぱり失敗が怖いからやらないことの方が。
過去回でもお話いただいてるような、思いか思いやりか。
要はやるかやらんかみたいな。
やらない理由っていうのが失敗を想像しちゃうというか。
やっぱりやっといたほうが結果良いほどの方が多そうですね。
そりゃそう。超有名な言葉ですけど、死ぬ時に後悔するのはやらなかったこと。
やって失敗したことは、やっちまったって笑い話なんですけど、やらなかったことは本当の後悔になるんでね。
だって、やったから川田さんの訳のわからん世論との話がいっぱいあるわけで。
それも別に、当時は失敗やったかもしれんけど、笑い話にして教訓みたいなことになるわけですもんね。
年数が経って笑える話は良い話ですから。
本当にそう。僕もそれは、自分の失敗談は人への笑い話っていうのをすごく思ってて。
最高ですよ。
それはすごい大事だなと個人的にも思います。
はい、というわけで本日のテーマその5、地獄の食卓にはとても長い橋が置いてある。いかがでしたでしょうか。
面白かったですね。
はい。
ナンバー2道場は京都で開催している経営塾です。定期的にイベントも開催していますので、ご興味ご関心のある方はぜひ一度ご参加ください。
またナンバー2道場はノートも配信しております。こちらも併せてどうぞ。
詳しくは番組概要欄に記載しているウェブサイトからご確認ください。
というわけで以上、ナンバー2道場ポッドキャストでした。また次回お会いしましょう。ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
20:01

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