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#353 一致は真正な証し 26/6/26
2026-06-28 23:48

#353 一致は真正な証し 26/6/26

ヨハネ-26からの礼拝メッセージ。2026年6月28日録音。

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サマリー

本メッセージは、ヨハネ17章20-26節に基づき、イエス様が弟子たちの、そして彼らを通して信じる全ての人々の「一致」のために祈られた内容を解説しています。一致とは、単に皆が同じになること(ユニフォミティ)ではなく、異なる人々が同じ目的のために調和すること(ユニティ)であり、それは神なる救い主キリストと、父なる神と子なるイエス様との間の計り知れない愛を世に証しする力となります。この一致を通して、人々はイエス様が神から遣わされた救い主であることを信じるようになり、また、クリスチャン同士の愛に満ちた交わりが、神の愛が確かに働いていることの最も力強い証拠となると語られています。

イエス様の弟子たちのための祈り
ヨハネの福音書十七章二十節から二十六節をお読みします。
私はただこの人々のためだけでなく、彼らの言葉によって私を信じる人々のためにもお願いします。
父よ、あなたが私のうちにおられ、私があなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。
彼らを私たちのうちにいるようにしてください。 あなた方が私を使わされたことを、世が信じるようになるためです。
また私は、あなたがくださった栄光を彼らに与えました。 私たちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
私は彼らのうちにいて、あなたは私のうちにおられます。 彼らが完全に一つになるためです。
また、あなたが私を使わされたことと、私を愛されたように、彼らも愛されたことを世が知るためです。
父よ、私にくださったものについてお願いします。 私がいるところに、彼らも私とともにいるようにしてください。
私の栄光を彼らが見るためです。 世界の基が据えられる前から、私を愛されたゆえに、あなたが私にくださった栄光を。
正しい父よ、この世はあなたを知りませんが、私はあなたを知っています。 また、この人々は、あなたが私を使わされたことを知っています。
私は彼らに、あなたの御名を知らせました。 また、これからも知らせます。
あなたが私を愛してくださった愛が、彼らのうちにあり、私も彼らのうちにいるようにするためです。
以上です。
一致は神なる救い主キリストを明かしする
今日はこのところから、一知は真正の証、一知は誠の証と題して、御子様からお話しいたします。
みなさん、おはようございます。
それでは、今日は13章から見てきたイエス様の国別説教、そしてその後のイエス様の弟子たちのための祈りの最後の部分を見ています。
よく、弱音の福音書の特徴で、同じことを繰り返したり、言ったり来たりしながら、言葉が行き交うので難しい点があるんですけれども、
今日のところは、まとめますと、イエス様が祈っている。何を祈っているかというと、弟子たちが互いに一つとなるように、そしてその一知が完成に近づくということを願っている。
完成しますようにということだけ祈るだけじゃなくて、その祈りが弟子たちの一知だけに留まらずに、弟子たちの先、彼らの証を通して信じる人々のためにも、イエス様は一つになるように、また彼らの存在が、私たちの存在が世に証になるようにと祈っている。
そんなところを見ていきます。この祈りは、弟子たちとその先の弟子を想定して祈っているので、私たちのためにイエス様が祈っているという、そういう前提で話していきます。
そのことを覚えておいてください。弟子たちイコール私たち、今ここにいらっしゃるクリスチャン一人一人、またこの教会のために、今のクリスチャンのために祈っているという前提でお話ししていきますので、そのつもりでお聞きください。
3つの点からお話ししますが、まず最初、日治は神なる救い主、キリストを証しするということになっています。
17章23節が、今日の主に取り上げる政府ですが、読んでいます。
私は彼らのうちにいて、あなたは私のうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。ここからやめる人読んでみましょうか。
また、あなたが私を使わされたことと、私を愛されたように、彼らも愛されたことを世が知るためです。
イエス様は私たちが一つになるように祈りました。
その目的は何かというと2つあって、その1つ目は、私たちの一致が完全に一つになる、完成に近づくときに、その姿そのものが、
あなたが私を世に使わされたことを世が知るためです。すなわち一致が、イエス様こそ神のまことの現れであるということを、この世の人々に強く示すことになる。
そのように祈ったんですね。
ある学者によると、この教えは、思わず私たちの心が揺さぶられるほどの衝撃的な教えだと言うんです。
私たち教会がクリスチャンが一つになるときに、この世の人たちは、イエス様が本当に神から使わされた救い主だということを認めざるを得ない、そういう力強い証になるということを、イエス様は思い祈っている。
繰り返しますけれども、つまり私たちが心を合わせて歩むとき、一致して生きていくときに、イエス様こそ神なら救い主であるということを、世に力強く証しすることになる。
ただですね、ここで大事なことがあるんですね。
英語がわかる人はですね、ユニティとユニフォミティというのが違うんですね。
ユニフォミティというのは、ユニフォームってね。
みんな今ね、ワールドカップとか野球注目してるでしょ。ライオンズが1位とかね、日本が今度ブラジルとか。ユニフォームはみんな同じ服着てますから、ユニフォミティっていうのは全く同じになることです。
でもユニティっていうのは、違った人たちが同じ目的や同じ方向いている。
ユニティっていうのは違った人たちが一致している状況なんですね。
一致とはみんなが同じものになることではないんですね。違ったものが調和している状態が一致。
たまたま今日の午後ですね、ハーモニー・グレースというね、賛美の集いを試しにやっていますね。
まさにハーモニーがそうでしょ。4つのパートに分かれて違って歌いますけれども、心一つに合わせて歌うから美しい歌になるわけですよね。
この4人が勝手に好きなように歌ったら、歌が上手な人も上手な人もいますけども、むちゃくちゃになるわけですよね。
まったく同じ、ユニゾンもかっこいいですけども、やっぱりゴスティベラーズとかね、リトル・グリーモンスターとかね、
ああいうハーモニーがある方が違って調和して美しくなる。
そのことがイエス様が言っている一致なんですね。
そしてこの私たちの一致や調和の原動力がこの世の人が見たときに、それはイエス様なんだということを知ると、
そのことを通してこの世の人々は、イエス様はこんな違った人を一つにすることができる。
まさに神なら救い主であるんだと認めざるを得ない。知るようになるということなんですね。
そしてそれを知った中から弟子たちのように、このイエス様を私も信じたいという人が起こってくる。
それが最初の点です。
一致というのは神なり救い主キリストを証しするということを覚えておきましょう。
一致は神の圧倒的な愛を明かしする
2番目、一致は神の圧倒的な愛を証しする。
17章23節、もう1回読んでみますね。
私は彼らのうちにいて、あなたは私のうちにおられます。
彼らが完全に一つになるためです。
ちょっと間を空けましたけど、読んでみましょうか。
また、あなたが私を愛されたように、彼らも愛されたことを世が知るためです。
この一致が完成するようにイエス様が祈りました。
その目指すところは何かというと、まさにこの神の圧倒的な愛が一致によってこの世に証しされるということなんですね。
ちょっと繰り返しになりますけども、この2つ目の結果。
これも心が揺さぶられるような素晴らしい真理だとある学者が言っているんですけども、
繰り返しますが、一致はこの世に対する神の計り知れない愛の証しになるんだ。
このことについて、ある学者はこうやって表現しているんですね。この話を解説しながら。
この一致の中で信者は、クリスチャンは、神の計り知れない愛に巻き込まれている。
その愛とは、父なる神様が、御子イエスを愛する愛である。
この大事なことは、巻き込まれているという言葉なんですね。
巻き込まれているとは一体どういうことか。
それは、自分の意志や力よりも圧倒的に大きな力に引き入れられている。
そして気がついたら、その中にいるという現実ですね。
この圧倒的な現実に包み込むように入っていた。
そういう意味です。
例えばですね、ライブ。野球場とかサッカーの球場に行ったことある人。
あるいはコンサートなんか行ったことある人。
そこの会場に入ると、何か言いようもない雰囲気に包まれますよね。
ワクワクした。
あるいはこの絶景を見るときに感動したり、あるいは穏やかになったりします。
そのように、圧倒的な現実の中で私たちは、言い知れないものに包み込まれてしまう。
それは実は、このようにライブとか風景で感覚として体験しますけれども、
まさにクリスチャン信仰の現実、神の愛を知るときの現実で、
自分の意志や力よりも大きな力や現実に引き寄せられていて、
気がついたら、その中に深く入っている。
繰り返しますが、圧倒的な現実に包み込まれているように入っている。
つまり、自分が圧倒的な神の愛の中に今、巻き込まれているんだということが、
実は一致していく中で起こっているんですね。
このような神の圧倒的な愛に包まれていることについて、
ヒト・パウロがエペソの3章17節でこのように言っているんですね。
愛に根差し、愛に基礎を置いているあなた方が、すべての聖徒たちとともに、
その広さ、長さ、高さ、深さが、どれほどであるかを理解する力を持つようになり、
人知を遥かに超えたキリストの愛を知ることができますように、
そのようにして、神の満ち溢れる豊かさにまであなたが満たされますように。
これね、おかしなことに気がつきました?
矛盾に、人知を遥かに超えたキリストの愛を知ることができますように。
人知を遥かに超えたら、知ることができないじゃないですか。
でも、それを知ることができるようにと祈っているんです。
つまり、神様の圧倒的な愛というのは、私たちの人間的なキャパシティでは知り得ない、想像できないほどの愛だ。
でもそれを、おそらくパウロは、
聖霊によってあなた方がその圧倒的な愛を知ることができますようにと祈っているんですね。
よく、ちょっとなかなかピンとこないかもしれませんけど、
例えば、自分が今、クリスチャンとしてある中で、私の知っている範囲の教会はもちろんのことですね。
実は、私たちのこの交わりというのは、この国の枠を超えて、あるいは時代を超えて繋がっているんですね。
実は、今日、アメリカ人のご夫妻2人いらっしゃってますけど、
明日の夜も、私は別のアメリカ人のご夫妻と突然会うことになりました。
その方はどんな方かというと、私が名古屋に専教師で行っていたときに、上司だった人です。
それでご夫妻なんですけど、もっと素晴らしいことは、
奥様は、私がイエス様を信じるきっかけになった人なんです。
私はあるミッション系の大学の出身なんですね。
今、そこの学長がアサドラのキリスト教の交渉なんかやってる人なんですけども、
その大学で礼拝が入学式なんです。
学校の中に、キリスト教の学校なんでチャペルがあるんですね。
前も話しましたが、私はいろんなことで大学入ったら教会行ってみたいなとか、
大学入っても大きくてですね、嬉しいながらも寂しさがあったんですね。
入学式ですから、礼拝なんですよね。
ハレルヤコーラスとか歌うんですよ。
私、前も言いましたけどね、ひねくれてるから、クリシャンじゃなかったからね。
大雨なのにハレルヤコーラスなんて変なの?とか思ってたんですけど。
でもね、その中でコリントビトの手紙の第1の13章が朗読されたんですね。
初めて聞いた。愛についての言葉です。
まだ裏若い素直な10代の学生でしたからね、感動してですね、やっぱり教会行きたいなと思って、
その後ですね、入学式終わってチャペルの前通ったら、選挙士の人がいてですね、チャペルの前に。
長い話短くしますと、私、教会も行きたいし、英語も勉強したいんですって話しかけた方が、明日会う女性だったんですね。
その方はですね、初めて大学にいる男性の選挙士の方、前言った私を指導してくれた地味なアメリカ人の男性に会うためにね、初めて大学に来たら道に迷っちゃった。
道に迷って、チャペルに行ったら選挙士のことわかるかなと思って、チャペルに行ったら、話をしてたら私が通りかかって、
私、英語勉強したいし、クリスチャーになりたいんですけどって言ってですね、すごいびっくりした。
そういう経験があるんですね。今から40年以上前、ロシアルさんって言うんですけど。
その方とたまたま会うんですけど、それをですね、このメッセージ準備しながら巡らしたときに、本当に神様の愛っていうのは、私の想像を超えたものなんだなと。
まさかまたその方と再会すると思ってませんでしたから、そういうアメリカと日本とか、そしてたかたか40年ですけど、時代を超えてですね、神様は私を愛して、前も言ったチャランポランなね、私の信仰を守ってですね、ここに置いてくださっている。
その中に世界的な、いろんなクリスチャーの教会の交わりの中に、一つの中に私が入れられていて、神の愛に守られて今があるんだってことをですね、実感した次第なんですね。
皆さんも実は非常にいつも通り、このヨハネの言葉って豊かなのでですね、私にとって、教会やクリスチャーの交わりの中で、どうやって神の愛を体験してきたんだろうかってことをですね、おうち帰ってですね、考えてみていただきたいんですね。
一人一人やっぱり経験が違うと思います。その時に、神様は私が思った以上の計画の中で、私を愛してくださったんだなってことがね、分かって圧倒されると思います。そういう人たちが集まっているときにですね、この一人一人がそういう愛を知って、内側から変えられていくんですね。
内側から変えられた人はですね、さっき言った自分と違った人を尊重して、そして自分もいい思いしたいですけれども、相手に仕えていく。あるいはお互いに使い合っていく。そして自分もその群れから良いものを得ていく。
そういう一つの交わりの中で養われていく。そしてそういう姿がですね、この世に対して、この教会やこの群れの中には神の愛が確かにあるんだな。この神の愛っていうのは人間の愛じゃなくて、全能の父なる神様が十字架のイエス様を愛して復活させたような愛なんだな。そういうことがですね、言葉を超えて明かされている。
まさに本当に神の愛が働いているという目に見えない神の愛が、教会のクリスチャンの一致を通してこの世の人に明かされていく。それが二つ目の真理だということで覚えておきましょう。
このように父なる神とイエス様の愛の中に巻き込まれる時、私たちは安心と満たしと深い喜びを経験するのです。この愛が私たちの内側を変え、許し、忍耐、思いやり、使える心が互いの間に生まれてくるからです。
その結果、互いに愛し合う一致となって現れ、この人間の力では生み出せない一致こそが、神の愛が本当に働いている目に見える証拠となり、世に対する最も力強い神の愛の証となるのですということですね。
一致は最も説得力ある証である
最後、3番目、一致は最も説得力ある証である。ちょっと関係しているかもしれませんが、もう少し詳しく見ていきましょう。
17条21でイエス様はこう祈っています。
父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。
彼らも私たちの内にいるようにしてください。あなたが私を使わされたことを、世が信じるようになるためです。
ここも一致を通して、この世がイエス様が神に使わされた救い主だということを信じるようにとイエス様が祈っているんですね。
一致は神の愛についての、そして神の救いについての言葉をこういった証になる。
この神の愛に支えられ、満たされて生きる群れの姿は、どんな福音の言葉よりも力強く福音の真実を世界に示す。
イエス様はこの13章から始まる国別説教の中で、別の有名な言葉で置き換えている。
あるいはこの言葉によって、私たちはこのことの意味をさらに知ることができます。
有名な言葉、ヨハネの13章の34節35節です。読んでみましょうか。
私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによってあなた方が私の弟子であることを全ての人が認めるようになります。
前も言いましたが、イエス様の愛が模範となるという面で新しい今しめでした。
その愛で互いに愛し合うときに、人々が、教会が、私たちがイエス様の弟子であることを認める。
今日このような話になりましたが、私たちの教会やこのクリスチャンの一致、ユニティがどういうものか。
もう一度、一致ということの健全な意味を理解しましょう。
お国柄、全く一つになることが好きな国もありますよね。寸分違わず。
でも一致はユニフォミティではなくユニティ。全く同じになることではなくて、違ったものが調和して存在することが一致だという、もう一度この健全な意味を再確認しましょう。
そして私たちは神様の計り知れない愛によって、そのクリスチャンの一つの交じ合いの中で、神の愛を知って変えられていきます。
その中で互いに使い合っていく。そしてその互いに使い合い、そして愛し合う。
そういう交わりが、存在がこの世に対するイエス様の証になる。
そんなことを主に願いながら、そのようなものとして私たちが教会が用いられることを願って、祈りを使っていく、目指していくお互いでありたいと思います。お祈りしましょう。
私たちの救い主イエス様、あなたの祈りを感謝いたします。あなたは私たちが一つになるようにと祈られました。
私たちは違った存在であり、時に価値観も違うものでございますが、イエス様に信じ従っていくもの。
イエス様に会って、お互い使い合っていく。そのようなものとして、性格を超え、好みを超え、あるいは国を超え、一つになることができますようにどうか導いてください。
どうかあなたの愛によって私たちを変えてくださって、そして私たちがその愛によって結び合わされることによって、この世にイエス様の救いと神の愛を証していくことができますように。
そのように私たちの教会を、またあなたの群れを整え用いてくださいますようにお願いいたします。
この願いと感謝を、私たちの救い主イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
それでは1分ほど、御言葉に応えて黙祷する時間を持ちましょう。
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