はじめに:互いに愛し合うことと迫害の予告
ヨハネの福音書、十五章十七節から二十七節をお読みします。
あなた方が互いに愛し合うこと、私はこれをあなた方にいのちじます。
与があなた方を憎むなら、あなた方よりも先に私を憎んだことを知っておきなさい。
もし、あなた方がこの世のものであったら、与は自分のものを愛したでしょう。
しかし、あなた方は世のものではありません。
私が与からあなた方を選び出したのです。
そのため、与はあなた方を憎むのです。
下辺は主人に勝るものではない、と私があなた方に言った言葉を覚えておきなさい。
人々が私を迫害したのであれば、あなた方も迫害します。
彼らが私の言葉を守ったのであれば、あなた方の言葉をも守ります。
しかし、彼らはこれらのことをすべて、私の名のゆえにあなた方に対して行います。
私を使わされた方を知らないからです。
もし私が来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったでしょう。
けれども今では彼らの罪について弁解の余地はありません。
私を憎んでいる者は、私の父をも憎んでいます。
もし私が他の誰も行ったことのない業を彼らの間で行わなかったなら、彼らには、彼らに罪はなかったでしょう。
けれども今や彼らはその業を見て、その上で私と私の父を憎みました。
これは、彼らはゆえもなく私を憎んだと彼らの律法に書かれている言葉が成就するためです。
私が父のもとから使わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来る時、その方が私について証ししてくださいます。
あなた方も証しします。始めから私と一緒にいたからです。
以上です。今日はこのところから、迫害と証しと題して御言葉からお話をいたします。
皆様、おはようございます。
今日は4月最後の日曜日です。
日本ではゴールデンウィークが始まるというか、長い人は12連休になるんですか?
ラジオのアナウンサーがね、12連休なんてなったら私はもう仕事に戻れませんなんて言ってましたけども、いろんな休みの方もいれば休みじゃない方もいらっしゃると思いますし、
そんな中ですけど、今日は晴れやかな朝ともに礼拝できること、御言葉から見れることを感謝しております。
さて、今日の箇所、冒頭ですね、17節を読みました。
あなた方が互いに愛し合うこと、私はこれをあなた方にいのちじます。
実はですね、この箇所を、今私たちが使っている新海薬聖書第2017年版ではですね、前の段落の最後になっていますよね。
実は。そして、実は他の聖書では、ここから新しい段落が始まるんです。
で、実はなぜこんなことが起こるかと言いますと、ここの前に提示しました、これギリシャ語の写本です。
当時、紙は貴重でしたね。今みたいにトイレットペーパーなんて持ってるのか。
だから、羊の皮とかパピルスを使った高級品だったので、スペースを詰めるために、ぎっしり書いたんです。
そしてですね、全部大文字で書いてあります。
何を言いたいかというと、いわゆる今の聖書のような、何章何節という数字は、ご存知かもしれませんが、元の写本には決してないんです。ありません。
それはフランスだったかな。
ギリシャ語の写本を本にするときに、おそらくフランスだったと思いますけれども、便宜上、何章何節というのを後から付けたんです。
だからそういう意味で、どこから段落が始まるか、章が始まるかということを、学者たちは真面目に議論しています。
私はたまたまちょっと、始めにしましたね。
終わりと考える人は、今まで話したことのまとめとして、このおさらいとしてイエス様がこの言葉を話したという説がありますが、
今日のお話は、これが冒頭ですね、これからの話との枕として語られたという立場でお話しします。
なぜかというと、これから見ていくんですけど、
今日は迫害という、信仰の反対というテーマがあるので、そういうことが起こるからこそ、あなた方は互いに愛し合いなさいという、そういう冒頭の言葉として言われているという、
別に大きなことじゃないんですけど、そういう立場で、今日は冒頭この言葉を紹介しました。
それでは3つのことを見ていきますが、一番最初はですね、
第一:イエスと父なる神を憎む者
1番目、先にイエスとミチチを憎んでいるということを見ていきましょう。
15章の18節、28節それぞれを続けて引用しました。
23節読んでみましょうか。
これまでお話ししてきたように、これはイエス様の弟子たちへの国別説教でしたね。
そして先週から見ていますように、話があかし、弟子たちのあかしの話に移っています。
そしてその中で、あかしをしていく中で、あなた方は憎まれますよということが冒頭言われています。
当然覚悟しなさいと言わんがばかりですね。
あなた方が憎まれる理由は、ここで読んで字のごとくですね。
弟子たちよりもまずあなた方を憎む人々は、このイエス様を憎んだ。
そして当然と言いますかですね、私を使わせた父なる神をも憎んでいる。
なぜこの意味があるかというと、これは差別の理由にしちゃいけませんが、当時イエス様を迫害していたのは神の民のユダヤ人でしたよね。
イエス様を彼らは神から使わせたものと認めなかったと同時に、実は彼らは彼らが信じていると従っていると思っている父なる神のことさえ憎んでいるんですよ。
そういう皮肉と言いますかですね、彼らの問題の大きさということを指摘しています。
だからイエス様、父を表したイエス様を憎み、そして実際イエス様が代表としている、彼らが信じていると言っている父なる神様を憎んでいますよ。
その結果イエス様の弟子であるあなた方は憎まれます、という論理になっているわけですね。
まあお気づきのようにですね、聖書の神様のことを信じない憎んでいる人、そしてイエス様のことを信じない憎んでいる人、そういう人たちがクリスチャンのことを受け入れないというのが至極真っ当なことと言われているんですね。
これね、よく日本のタブーで政治と宗教と野球の話題は気をつけてって言うわけですよね。どれも争いになる。
最近はこの野球、巨人大砲卵焼きなんて言ってましたけどね、余談ですけど、
明物さんが言ってたのはね、今はね、巨人大砲卵焼きじゃなくて、ホークス、明物、ハンバーガーだって言ってましたけどね。
まあそれは別に話です。とにかくこれはまあ、野球はどのチームか、今サッカーもそうかもしれませんね。
そういうことで不安同士で争いが起こる。政治も何の神道の正当かということで、今なおさらちょっとタブーですし、宗教も。
まあこういうことは、私もちょっとエチケット本なんか読んだら、この話は普通タブーなんですよ。タクシーの運転手もしないですよって言ってます。
そんなことがあるように、実は何気ない会話の中で、私たちがですね、普段、皆さんもそうかと思います。
日常生活の中で、キリスト教信仰があるなしと関わりなく人と付き合ってますよね。お友達とか仕事の同僚とか。
でも、何かのきっかけで何気ない会話の中で、ふとキリスト教信仰の話題が出た時に、相手が拒否的な態度を示したり。
人によってはですね、私も思い出せませんけどあるのは、思った以上に強い拒否反応を示す方もいらっしゃるんですよね。それでびっくりすることがあります。
まあ、そういうのが日本のもしかしたら常なのかもしれませんけども。
まあ、こういうのが私たちの周りにもあり得ることとして紹介しますが、
イエス様の今日の弟子たちへの警告の言葉をですね、分かりやすく言い換えるとこんな風に言えるんじゃないでしょうかね。
聖書や聖書の神様に対する考え方とか、あるいはイエス様に対する好感度というものがですね、その相手の。
それが私たちのクリスチャン信仰、私たちがクリスチャンであるということへの反応や態度と関係しているんですよ。
このレジュメに書いてあるものをそのまま読むと、聖書の神様やイエス様に対する相手の好感度と、その人の私たちのキリスト教信仰への反応には関連性があるということですね。
今日の言葉から改めて思い知ることができ、思い至ることができるわけです。
実はですね、私たちは周りの人にですね、好かれたいという思いを強く抱えてしまうことがあるかもしれないですよね。
人に嫌われたいなんて、望んでる人なんて滅多にいないと思うんです。あんまり無邪気でなければ。
特に自分が良いことをしたときには、周りからそのためにですね、励ましや賞賛を受けたいと望んでしまいがちなのではないでしょうか。
でもその願いはですね、未熟な態度と言えるのかもしれません。
イエス様の時代から今に至るまで、イエス様を賞賛しない喜ばない人々は必ず存在していましたね。
あるならば、私たちがイエス様に従うときに、そしてそれによって良いことをしたときに、褒め添えをされるということを期待してはならないということなんですね。
私たちにとって必要なのは、この世からクリスチャンとして認められることではなくて、私たちは神から選ばれているそこに祝福があるということを理解しなければならないということなんですね。
今日、特に引用しませんでしたが、イエス様は何度も今日の言葉で言っているのは、弟子たちはあなた方はこの世のものではないと言っているんです。
ヨハネの文章を見ると、この世というのはイエス様に敵対する人々を言っていますね。
あなた方を私はこの世から選び出した。この世の人ではないから、あなた方をこの世の人々は憎むとイエス様はおっしゃっているんですね。
今日、冒頭で時に忘れがちなことを思い出していければと思います。
もしかしたらこのゴールデンウィークに何か友達に会ったり、あるいは何か親戚に会う中でそういうことがあるかもしれませんけれども、
今日の言葉から少し思い至ることができればと思って引用いたしました。
第二:迫害の予告と歴史的背景
2番目、もう少し厳しい現状をイエス様は語っています。2番目は迫害の予告と現状です。
今度はイエス様ご自身と弟子の関わりからイエス様は弟子への迫害について語っています。
15章の20節と21節ですね。
しもべは主人に勝るものではないと私があなた方に言った言葉を覚えておきなさい。
人々が私を迫害したのであれば、あなた方も迫害します。
彼らが私の言葉を守ったのであれば、あなた方の言葉も守ります。
しかし彼らはこれらのことを全て私の名のゆえに、あなた方に対して行います。
私を使わされた方を知らないからです。
今日の歌詞は、実は大事な思想というか心情が何度も繰り返されていますけれども、
ここでもイエス様やその御父を知らない人が弟子たちを憎む、迫害するということが語られています。
そして少し迫害ということをなかなか普段見ないので、御言葉をきっかけに考えていきたいと思います。
ご存知のようにこれはイエス様が弟子たちに将来起こることとして語りました。
何が起こるかというと、弟子たちがこの後、いわゆるペンテコステの時に政令を受けて証しをしていく。
そしてその中で迫害を受けるということを予告しています。
使徒の働きを読むとそういうことがわかっていますよね。
皆さん、この人誰かわかりますか。
ザビエルですよね。
本当に皆さんちょっと気分転換で言うんですけど、あるバラエティ番組でね。
ザビエルの髭を切ったら、剃ったら誰に見えるかっていうのをやってたんですね。
知ってる方いるかな。
お笑い芸人のクリームシチューの有田っていう人に、髭を剃ったら似てますってことをやってました。
すいません。
これザビエル。
ザビエルは日本に1549年にキリスト教を布教した人として有名ですけど、もう一人大事な人はルイス・フロイスという人です。
実は今大河ドラマやってますけど、彼が書いた信長についての物語を元に大河ドラマが何年か前に書かれましたが、
今ルイス・フロイスが書いた日本二十六聖人巡教記といって、この皆さんご存知の世界遺産にも登録されましたですね。
潜伏キリシタンの中の長崎で26人のキリシタンの人たちが巡教しましたよね。
そのことを彼が当時の母国ポルトガルの宗師長という人に書いた二十六聖人の記録が今でも日本語の本で読むことができます。
ルイス・フロイスはこのことを今でも読むことができるんですけども、冒頭の序文にこの宗長、ポルトガルのエイズ・スカイのトップの人でしょうかね、
冒頭でこういう紹介してるんですね、序文の中で。
日本での実態が成功して順調に進んでいると思われている時、突然嵐や予期せぬ試練によって動かされ、今新たに迫害が起こっていたのです。
あらかじめ心配されていたこの迫害党国王太子秀吉のいのち令で、張り付けの刑にされた光栄ある26人の死について述べましたが、彼らのうちのある者は神の教えを述べたので、また他の者は信者であったが故に殺されました。
先ほどのイエス様に対する態度が、クリシアンに対する態度とその人が関連してあると言いましたけど、キリスト教を擁護したのは将軍、誰でしたっけ、ご存知ですよね、信長ですよね、カステラ食べたりポンペト食べたり。
その時は本当にキリスト教が順調に進みましたが、おそらく最初に迫害を始めた将軍は秀吉でしたよね。
この秀吉によって処刑された26成人のことを彼は書いた。これ本当に歴史上、26成人についての権威的な記録であると学者が言うぐらいのものですけど。
とにかく序文を読んでも、中身を読んだらもっと壮絶なことがあって引用しませんけれども、そういうことが書かれています。
そしてこの時迫害された26人なんですけれども、年齢の内訳、一番上の年齢が私と近い64歳、最年長。一番下が12歳です。
12歳の子供が2人いて、12歳から14歳の子供が全部で4人いたそうです。
そういうことでですね、京都から引き回しに遭いましたよね。ただその本にも書いてありますけれども、馬鹿にする人もいればですね、彼らの立派な振る舞いを見て信じる人とか。
もっとすごいのはですね、処刑時に血を流された血をですね、水からかけてですね、彼らにあやかりたいという人まで出てきた。
そういう非合の人ともに立派な順境をですね、成し遂げた26成人の記録があります。
私たちですね、その後ですね、皆さんご存知の通り、幕府が起こって、江戸時代ずっとキリシタンが迫害されて、明治のキリスト教禁制の時に解かれた。有名な話ですよね。
ご存知のように私たちのこのクリスチャン信仰の中にはですね、このような尊い土台があったということを、その上にも築き上げられているということにも思いを馳せることができればと思います。
もう一つですね、今、実は私たちは普通に今のところキリスト教信仰を表明できますけれども、世界で迫害が起こっています。
おおよそキリスト教人口の7分の1のクリスチャンが迫害家にあるそうです。中でもアジアではその比率が5分の2のクリスチャンがアジアにおいて迫害されているんですね。
そして最も迫害の激しい国は、もうずっと前から言っています。北朝鮮です。そして10カ国迫害が厳しい国がある中で、アジアの国とアフリカの国々が5カ国ずつ入っています。
そして今話題のイランはですね、その中でも10位、キリスト教徒の苦しい立場の10位に入っているわけです。もちろんね、絶対やっちゃいけないのは、こういうキリスト教徒を救出するために戦争を起こすんだということは全体あってはいけないわけですね。
でも今このような現状が世界で迫害として、迫害の現状があるということを覚えておく、祈りに覚えていければと思います。
今日はちょっとイエス様の言葉からそんなことも考えてみました。最後では少し私たちと関わることも見ていきましょう。
第三:聖霊と弟子による証し
3番目、聖霊と弟子による証ですね。
15章の26、27節。私が父のもとから使わず助け主、すなわち父から来る真理の御霊が来るとき、その方が私について証してくださいます。最後だけ読んでみましょうか。
あなた方も証します。はじめから私と一緒にいたからです。
先ほど言いましたが、この聖霊を受けたイエス様の弟子たち、その時12人になりましたけれども、そして70人でしょうか、人の日常にあるように、彼らは聖霊を受けて証していく。
この間まで聖霊が真理の御霊と言われていましたが、その真理の御霊の役割は、信じる人たちの心に働くという意味でしたよね。弟子たちや私たちにイエス様のことをよく分からせるためという側面でしたけど、内側に向かう聖霊の働きから今度は外に向かっていく聖霊の働きがイエス様によって語られているということなんですね。
皆さんお察しの通り、これは私たちが語るよりも、聖霊がイエス様について証しするという、聖霊が証しすると直接書かれている、非常に注目すべき力強い言葉なんですね。
このように、聖霊が証しするという約束と同時に皆さんが気づいたように、じゃあ聖霊はどうやって証しするんですかと言ったら、実際は弟子たちの言葉を通して証しする、共同作業のような部分があるということです。
弟子たちが聖霊を通して語る、もう一回言い換えると、聖霊が弟子たちを通して語ることについて、イエス様は別の箇所でこのような約束を語っていますね。
人々があなた方を捉えて引き渡す時、何を話そうかと前もって心配するのはやめなさい。国連で言いましょうか。ただその時、あなた方に与えられることを話しなさい。話すのはあなた方ではなく、聖霊です。
マルコ13章11章、こうやってペテロがですね、やがてサンヘイドリに捉えられたりしていきます。そんなことを予告しながらイエス様はペテロや弟子たちにこういう約束を語られました。お気づきになったと思いますけれども、話しなさいと弟子に言っているんです、与えられること。でも話しなさいと言いながら、話すのはあなた方ではなく、聖霊です。よく読むと不思議な言葉です。
繰り返しますが、これは彼らが迫害され、審判、裁きの場に直面するということを想定してイエス様が語った言葉です。しかしご察しの通り、私たちキリスト者が、たとえ迫害の中にいなかったとしても、一般的にイエス様について証しする時に、この約束が当てはまる。
私たちが、いとしようが姉妹がイエス様について証しする時に、私たちも話すけれども、私たちの中におられる聖霊がイエス様について証ししてくださるし、その言葉も聖霊によって導かれますよという、そういう約束なんですね。
先ほど長崎の二十六聖事の話をしましたが、私たちはそういう厳しい迫害、あるいは親しい人との関係が壊れるんじゃないかというときに、キリスト教信仰を大胆に語れるか、表明できるかというと不安になるかもしれませんね。
もちろん、自分のいのちを賭して証しができるのかと言われたら、それは自信がないということもあるかもしれません。
しかし、何を言おうかと考えていくことも必要ですね。常に証しできるように準備している方もいらっしゃるようですけれども、それも大事です。
しかし、大事なことはですね、私たちが普段からイエス様を救い主として信じている、そしてイエス様が救い主であるということを経験している、そして誠の神だと信じているならば、おそらく自然にですね、その言葉が出てくるんじゃないか、必要なときに出てくるんじゃないかと思うわけです。
そしてなおさら、それができるように、聖霊が私たちを通して語ってくださるのではないか、そんなことを信じることができるわけです。
実はそのような、今日の箇所と関連した祈りですね。私たちの証しについての祈りについてある牧師・信学者が、こんな祈りを提案しているんですね。そういうことを覚えておくのもいいかもしれません。
めぐみ深い神よ、ありのままの私を用いてくださり、私が一人前のクリスチャンになるまで待つことなく、あなたのご臨在と主見を証しするものとして立たせてくださることを感謝します。どうか誰かをあなたへと導く言葉と行いに、いつでも備えさせてください。イエスによってアーメン。
いろんなレジュメにも書いてあるので後で読み返していただきたいんですけれども、いろんなことを思うかもしれませんが、一人前のクリスチャンになるまで待たなくてよい、ありのままの私を神が用いてくださる、そのことを感謝するということですよね。
そのように、聖霊に頼りながらイエス様を証しさせていただくお互いであり、教会でありたいと思います。お祈りしましょう。
そして、聖霊が今授けられていることを感謝いたします。
どうぞ私たちを通して、あなたが備えたときに、あなたのことを、あなたの救いを、あなたご自身を証しすることができますように、どうか導いてください。
その時が訪れたとき、どうぞ私たちがその時、機会を知ることができますように。
願わくはどうか、その時私たちに言葉を与え、聖霊によって私たちを導き用いてください。
願わくはそれによって、イエス様を求める人、イエス様を信じる方々が起こされますように。
どうぞ、あなたの御言葉通りになりますよう、私たちを導いてください。教会を導いてください。
お願いと感謝を、私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
それでは、1分ほど御言葉に応えて、黙祷する時間を持ちましょう。