リスナーのみなさん、こんにちは。ゆとり教育者ラジオへようこそ。 パーソナリティののざたんです。
ゆとり教育者ラジオ、今回で7回目となりました。 前回、前々回とですね、2回にわたって、そもそも学校とか教育とか、
そもそも学ぶってなんだっけ?という話をしてきたんですけれども、 今回はですね、その学ぶの逆になる言葉になるんですかね。
教えるということについて少し考えていきたいんですよね。 教えるっていうことは、まあ誰もが体験しているんじゃないかなとかね。
まあまあその教育者だけじゃなくても、 社会人で後輩がいたりすると何か教えるとか、
学校の中でも先輩後輩関係で先輩から何かを教えるみたいなところがあって、 いろいろこうなんだろうな。
経験上は経験しているからさ。
こういうふうにやろうぜ、みたいなのがあふれてきているのかなと思っていて。
やばいね、今見ていれば見るほど、 学校界隈では主体性に任せろとかね、
いやいや、ちゃんと一から教えるのだとか、 コーチングが大事なんだとかね、ティーチングが大事だみたいな。
まあ情報があふれていて、 教育界隈にいるとですね、結局どれが正解なの?みたいなのを、
教員もそうですけど、保護者もすり減っているんじゃないかなとか、 あっちの情報がいい、こっちの情報がいい、みたいになっていて、
そもそも教えるがよくわからない状態になっていて、 なんかみんな混乱しているというか、
あっち行ったりこっち行ったりしてるんじゃないかなというふうに感じているんですね。 そこについてちょっと触れたいんです。
そもそもですね、教えるの語源って何だろうなというか、 まあそうですね、エデュケーションという言葉がありますよね。教育の英語ですかね。
このエデュケーション、動詞がエデュケイトって言って、 これの語源をたどっていくと、
エキスディケアという言葉があって、外へ導くとか引き出すみたいな言葉で、 教育だというのがあったりするんですよね。
他にもエデュカーレですかね、という言葉があって、 これは養うとか育むみたいな別の言葉も同居していて、
この辺りが語源になっている。エデュケイトの語源になっているのかなと。 このエデュケイトという言葉が、引き出すとか育てるという両方があって、
そういった形の言葉なんだろうなと。そこから教育という言葉と当てはめて、 日本では教育エデュケーションみたいになってきた。
教育という言葉ができたんでしょうねという風になってくるんですよね。 結局、そのエデュケイトという言葉には引き出すもあれば育てるもあって、
高校生だったらこの引き出しは多分開けたことあるはずだから、引っ張り出さなくてよくて、
そこに何かあったんじゃない?みたいな声掛けでいいんじゃないかなと。
そういったことになってきて。
やっぱりバランスというか関与度みたいなものの塩梅がすごく大事で、
やりすぎてしまうとですね、要するに冷蔵敷きすぎてしまうと、
それはもうこの道路を綺麗に行きましょうね、みたいな。
この施設で行きましょうね、というはみ出ることを許さないような感じになるんですけれども、
一方で全部任せてしまうとやっぱり何もできないというか、
制限がないとやっぱりアイデアが生み出されないんですよね。
ある程度制限をかけた中で選択肢が…
逆に言うと選択肢が限られてしまうような状況を作った中で、
自由度を発揮するというのも一つの方法かなと思うし。
何て言うのかな?
でもそれでもやったことないものってやっぱり出てこないんですよね。
何だろう…書いたことない…例えば筆を使ったことがないという時に、
頑張れ!みたいな声掛けしてもしょうがないんじゃないですか。
筆っていうのはこういう風に使うんだよ、みたいな。
ああいうパターンもこういうパターンも、
Aパターン、Bパターン、Cパターンみたいなものがあるよって伝えておけば、
その範囲の中でやって、そこからだったらはみ出せるというかね。
そんなことができたりするんじゃないかなという風に思うんです。
だから放置しすぎるとやっぱり変だし、もちろん過剰なルールですね。
こういう使い方じゃなきゃダメなんだみたいなことをやると、
それはそれで何か言える苦しいなと思うわけです。
例えばそうですね。
もうちょっとじゃあ学習寄りにというか教科寄りにしていった時に、
数学の話です。二次方程式みたいなのあったでしょ?
それに解の公式なんてあったじゃないですか。
あれをじゃあ1から、1からというかゼロから、子供の中からですよ。
解の公式を生み出しなさい!みたいな。
無理っしょか。
それはさすがに厳しいわけですよ。
だから一旦こういう方法があるんだよみたいなののやり方を伝えてあげてですね。
じゃあここからどうしたらいいんだろうねみたいな。
こういうやり方があったよねみたいなところでやれていくのもいいのかなと思っていて。
それだけじゃなくても実はできるねっていうのに気づくかもしれないし。
これを使うといいんじゃないとか、これが使えるんだったよねみたいな話っていうのは大事かもしれないし、
それを伝えるために1回やってみようかみたいなのも大事だったりして。