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#08 その「主体性」、ひとりで背負ってませんか ―― 主体性・自主性・エージェンシー
2026-07-03 18:11

#08 その「主体性」、ひとりで背負ってませんか ―― 主体性・自主性・エージェンシー

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「ふつうの先生の、ふつうじゃない話を聴いていく番組」
ホストは、高知の現役教員で「会いに行けるセンセイ」という活動をする「のざたん」

第8回は、前回「教える」に正解はない、と話した最後に、ちらっと触れた「主体性」——今回はそこを正面から扱います。
「これからは主体性だ」と号令は降ってくる。でも、何が主体性かは曖昧なまま、育てて、しかも評価しろと言われる。曖昧なものを育てて値踏みするんだから、教員も保護者も、すり減らないわけがない。
——そもそも、「主体的に学べ」の"主体"って、誰のこと?
今回は、自主性・エージェンシー・共同エージェンシーを手がかりに、「主体性は、誰かが一人で持つものでも、こちらが育ててやるものでもない。関係の中で、一緒に育つ」という話をします。

▼ この回で話したこと
・「主体性を育てろ」——でも何が主体性かは曖昧なまま、育てて評価しろと言われる。しんどくないわけがない
・主体性と自主性は、実は別物。自主性は「決められた枠を、進んでやる」/主体性は「何をやるかから、自分で選ぶ」
・指導要領の「主体的に学習に取り組む態度」は、粘り強さと自己調整。でも"何を学ぶか"は決まっている——それ、実は自主性に近いのでは?
・元をたどると、OECDの「エージェンシー」=自分の人生や世界に、目標を立てて働きかける力。日本の「主体性」より、ずっと大きい
・エージェンシー→主体性→主体的な態度→自主性。訳して降りていくたびに、「世界へ」「共に」「自分で決める」が、ぽろぽろ削れていく
・でも、エージェンシーには相棒がいた——「共同エージェンシー」。一人で持つものじゃなく、関係の中で一緒に育つ
・力んで「やらせよう」とするのをやめ、彼らのレベルに合わせて環境を整えたら、スルスル始まった。放置じゃなく、隣にいる。育てた、んじゃなくて、一緒に育った
・主体性は、一人で背負わなくていい。それは、教員のゆとりの話でもある

🎙 Voicy「学びのセカンドオピニオン」 → https://voicy.jp/channel/3708
📝 note(ゆとり教育者マガジン) → https://note.com/nozkoh

感想

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00:00
リスナーのみなさん、こんばんは。ゆとり教育者ラジオへようこそ。パーソナリティーののざたんです。
今回の放送で8回目なんですね。で、前回は、「教えるって正解ないよね?」みたいな。
まあ、毎回問いなすことだよね、という話をしたんですけども、あの声の最後の方でちょっと主体性って言葉に触れたんですよね。
主体性だからって手放しでやらせるのとはちょっと違うよね、みたいな話をしてて。
で、喋った後にやっぱりね、気になっていて。何かというとですね、主体性って何だっけ?みたいな。
学校にいると本当にですね、最近よく聞くんですよ。主体性だ、みたいなとか、主体的対話的で深い学びだ、みたいな。
これまあ、学習指導より書かれている言葉なんですけども、主体性を育むにはどうしたらいいんだっけなー、みたいな。
これを評価しろとも言われたりして、でもなんかこれ、そもそも僕らよくわかってないんじゃないかな、みたいな。
大人の側がこの主体性という言葉を意外とわかりきれてないのかもなーと思って。
で、ちょっと今日はこのですね、主体性というものを、こんがらがってそうなので、一回こうね、いろいろとほどいてみたいなと思ってるんですね。
これね、まず似た言葉と混ざってる気がするんですよね。主体性に似た言葉で自主性みたいな。
なんとなく違うし、なんとなく同じだし、みたいな。
なんだこれ、みたいな。違いを具体的に言いなさいって言われると非常に難しいんですけど、
なんか自主性って言うと、例えばなんか宿題やりなさいって言われる前に自分からやるみたいな。
あるじゃないですか。もうやることは決まってんだって。で、それをやるかやらんかを決めるのであるみたいなね。
自習練なんかそうですね。練習することは決まってんだけど、するかしないかみたいな。
内容は決まってます?やります?やりません?どっち?みたいな。そんなことかなーと思っていて。
一方でこの主体性っていうのは、そもそも何やるかまで自分で決めることなんじゃないかなと思うんですね。
だから、ことが始まる前から自分で選んでる感じがするわけです。
で、と思ったのが、学習指導要領に言うこの主体性っていう、正確には主体的に学習に取り組む態度なんですけども、これは
主体的に学習に取り組む態度ということは、中身は決まってるってことかな?みたいな。
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これは教員サイドにも問われる気がするんですけども、何を学ぶかは指導要領が決めていっているんだっけな、
その中で決めれることはあるんだっけな、までを実は意識しなきゃいけないのかなと。
範囲はある程度決まってるのはしょうがないとして、その中で調整を一律でやってはいないかな。
自分でそこを決めるってやってたかな、みたいな。
で、これって結局先生がこれをやりましょうね、主体的に取り組んでねってやると、それは先ほど言った実性なんじゃないの?とも思っちゃうわけです。
なんかちょっと小難しい話になりつつあるんですけど、これ実習性なの?主体性じゃないの?みたいな、どっち?みたいなのをもう少し調べてみて、
ちょっと気になったなぁと思ったのが、そもそもなんで急にこの主体性、主体性って言われるようになったんだろうなぁと思いまして。
これをもっとたどるとどうやらですね、OECDという経済協力開発機構ですね。
世界のグリグリが集まっていろいろ言ってるところで、そこも教育のことはよく言うわけです。
そこが出している言葉の中にエージェンシーという言葉があって、ここにどうも行き着いているっぽいですね。エージェンシー。エージェンシー。聞き慣れないですよね。
そこには僕も最初なんだそれと思ったんですけど、このエージェンシーって何かっていうと、自分の人生とか周りの世界に対して良い影響を与えていくために、
自分で目標を立てて振り返って責任を持って行動する力みたいな。めっちゃデカいですよね。
もう一回見ましょうか。自分の人生とか周りの人生…違う違う違う違う。自分の人生とか周りの世界に対して良い影響を与えていくために、
自分で目標を立てて、さらに振り返って責任を持って行動する力みたいな。ね?
これってスケールの大きい話だなと思うし、これは大切だなと思うわけです。
なんだけれども、日本で主体性って言うとやっぱりちょっと違うなという気もしていてですね。
だから日本の主体性って結構その子自身に依存すると言いますか、その子が持ってるかどうかみたいな話になりがちなんですよね。
A君は主体性あるよね〜みたいな。B君はどうだろう〜みたいな、その個人の資質っていうんですかね。
これね、自分もなんかやってしまっている気もして。個人個人で何か持ってる持ってないみたいなのかなと思っちゃうんですけど、
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多分ね、エージェンシーっていうのはそういうことじゃなくて、周りとの関係性を大切にしましょうねみたいな。
もちろん自分のことはそうなんだけども、それだけじゃなくて社会を理解するとか、
自分がやるべきことに気がついて、自分ができることに気がついて世界に働きかけていくみたいな、そこまで含んでいるのがエージェンシーという言葉なのかなと思ったんですよね。
なんかこのエージェンシーという言葉が日本に入っていって、主体性って訳されちゃった時点でなんかちょっとそがれちゃってません?みたいなことが起きてる気がしてるんですよね。
なんか世界に働きかけましょうねとか、周りと一緒に。ここなんか大きいですよね。周りと一緒にみたいなところがボロンって落ちちゃってる気もしてて。
それが学校の主体的に学習に取り組む態度ってなると、自分でゴールを決めてみたいな。
自分で決められたゴールに向かって頑張るみたいな。決めるところまでやれてたらちょっと主体性に繋がる部分。
自分で選択するみたいなところが入ってくるとそこは主体性に繋がっていくのかなとも思いつつも、
でも学校現場だとだいたいゴール決まってるからそれは自主性に近いんじゃないかなみたいな。
なんかこの辺りのモヤモヤ感は残っているのかなと思ってですね。
大切なのはやっぱり人口が減少していくフェーズになっていくじゃないですか。
爆発的に人口が増えていくわけではなくて、減っていくことが起きる中で、やっぱり協力みたいなものが必要で、
これをみんなで変えていくにはどうしたらいいのかなとか、できること、それぞれにできることってあるよねみたいなところが大切なのかなと思うんですけども、
気がついたときに当たられた課題を一人で成績のためにちゃんとやるみたいになっちゃうから危ないなという気もしてて。
なんかこの辺難しいですよね。
これは本当に学校現場はまだまだそこに行けてない気もするっちゃするんですけれども、
ここからちょっと話したいことがあるんですけども、このエージェンシーという言葉なんかね、実はもう一つセットになる言葉があって、
共同エージェンシーという言葉があるんですよね。コエージェンシー、COエージェンシーって書くんですけど。
これ何かっていうとエージェンシーって一人で持つもんじゃないんですよねっていう。
結局仲間とか教員とか家族とか地域とかみんなそれぞれエージェンシーを持っていてさ、みんなそれぞれ主体性を持っていて、
それらの影響がありながら一緒に育っていくみたいな、そういった関係のことを共同エージェンシーって言うらしいんですよね。
だからこれをと思って。さっきまでの話だと主体性ってその子が持ってるかどうかで完結しちゃうんですけども、
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そういうことじゃなくて、みんなで育むものだみたいな。この集団の中で育んでいくものなのでございますよということですよ。
だから教員一人でやる必要がないというか、言い方強めに言ってますけど、一人で背負うものではないんだなというところですよね。
そういやそうだなと思って、これ生徒に授業でこういう課題をやらせたいなみたいなのを持って力入って、
頑張ろうってやらせてみようみたいな、主体的にやって欲しいのだみたいになっている時があるんだけど、
こっちに前のめりでできないとはみたいになって、それを主体性がないのかみたいになるのでやっぱりちょっと違うなと思ってて。
力づくで引き出すものではなさそうだなと思って、ちょっと力抜いて彼らのレベル感に合わせるように働きかけてみて、彼らのできるギリギリを目指すというか、
このキワの段階は簡単すぎず難しすぎずみたいなものを提供して、ちょっとチャレンジングなことをみんなでそれぞれでやっていって協力し合ってねみたいなことをやっていくと、
なんかスルスル始まるんですよね。あれ?勝手に動き始めたなみたいな。
これ大事なのは放置すればいいんじゃないことなんですよ。これ前回も言ったんですけど、放置しちゃうときは無責任なんですよね。
結局野沢氏になっちゃうというか、何していいかわからない状態になるな。
そうじゃなくて、環境を整えるということなのかなと。
この言葉は前々から聞いてはいたんですけど、やっとしっくりきたなという。
彼らが動きやすいように場を整えて、しかも放置するんじゃなくて、観察はしているみたいな。
一緒にその場にはいるみたいな。
そこがすごく大事なんです。その練習をする場みたいな感じですね。
授業というのは、教える場じゃなくて、一緒に練習しとく場みたいな。
取り組むに対して、それぞれがコンセントレートって言ったりするか集中するみたいな感じで、
みんなお互いやってるんだけど、困ったときには隣の人と助け合ったりするとか。
そういう環境設計がすごく大事なのかなっていう。
12:00
これは僕一人がどうこうじゃなくて、なんとなく周りの雰囲気からみんなが一緒にいて、一緒に取り組んで育まれたみたいな。
勝手に育ったみたいな感じかなと思っているんですよね。
前回も教えるっていうのは、毎回取り直すことだっていう話をしたんですけども、多分こういうことなんだろうなと思って。
背負い込むとか、教育者側が全部やるんだとか引き出すんだではなくて、
子供との関係性の中で僕自身も育てられていって、一緒に考えていくと上手くするといくよねみたいな。
そうやって思えるとすごくゆったりでいくのかなと思ったんですよね。
ただちょっと耳の痛い話というか、聞きたくない話もあるんですけども、
学校ってどうしても自分でちゃんと調整して頑張る子を評価しがちじゃないですか。
よくできたね、一人でできるねみたいな、主体的だねみたいに言っちゃうんですけど、これ、危ない縁もあるよねみたいな。
一方で、これはなんで勉強するんですか?みたいな。
これも聞くのもいろんなノードがあると思うんですけど、
そう聞いといたら逃げれるっていう聞き方の子もいるなと思うんですけど、本当に心の底からこれなんで勉強してんだっけみたいな。
これ何かの社会の役に立つんだっけなみたいなところはすごく大事なことかなと思っていて、
ここの方がエージェンシーありそうじゃないですか。
そもそもこれなんでやってるんですか?みたいな。
ちょっとそこから考えたいんですけど、みたいな。
でもなんかこれ下手すると態度悪いなみたいな。
なんか言うこと聞かないなみたいになりがちなのかなと。
これもったいないと思うんですよね。
そもそもの問いみたいな。
これなんでやってるんだっけ?みたいな。
これ気をつけなきゃいけないのが、やりたくないから言ってるじゃなくて本当に問いを聞いてる子もいるわけですよね。
だからそこに対して、一人一人が持ってもらって、その問いを持ってもらって、みんなでちょっと考えていく。
自分もそこに含まれていくというかね。
いいからやんなさいよっていうのも、そこでもないのかなと。
とはいって全部うのみにする必要もないなと思っていて。
やりながらその問いに答えていくのもいいんじゃないかなと。
今なんでやってるのかよくわかんないよね。
ちょっとでも多分まだ何もやってないからわかんないからさ。
ちょっとやってみてからまた振り返って考えてみない?これなんでやってるんだっけなーって。
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だからそういうように、一緒に考えていくが大事なのかなと思っていて。
長い一人で背負い込む必要はないんでしょうね。
先生じゃないや。保護者の方から先生、子供がなんで勉強しなきゃいけないんですか?みたいなことを聞いてくるんですけど、どう答えたらいいですか?
どう答えたいですかね?
うるさい!黙れ!やるんだ! じゃあやらないですよね。
でもこれといった答えって持ってます?って思ってないですよね。
だいたいの大人には持ってないんですよね。
だからその時にやっぱり一緒に考えようかねーとか言われてみたらそうだよねーみたいな。
でもなんか役には立ったんだよなーとかあるじゃないですか。
ちょっとでも今の君たちの状況がわかんないからさ。
一旦やりながら考えないぐらいが丁度いいかなと思って。
だからこれをね、こうしたらなんか自分で一人で何とかしようと思わなくていいじゃないですか。
子供とあなたたちと一緒に考えたいのですよ。
いうような感じでちょっと荷物を一人で背負うんじゃなくて、ちょっと隣に置いて一緒に考えようっていう。
そういうふうにするとですね、いいのかなーと。
これって結局、先生のゆとりというか教育者のゆとりってなんだろうっていうことに対して、
彼らが主体標を持って一人で頑張るのだ、みたいなとか、私がやんなきゃーみたいな重たい責任を一人で背負ってしまっているというか、
それをやめることっていうんですかね。
それ自身がすごくエージェンシーな気がしてきたんですよね。
これが一つゆとりの形なのかもしれないなと。
ゆとりになることによってエージェンシーが生まれて、それからお互いにエージェンシーが生まれるので共同エージェンシーが発生して、
温かい環境ができたりコミュニティができたりするのかなと思ったんですよ。
それを学校の中だけじゃなくて、学校の外側にももちろんエージェンシーを持っている人がいるから一緒にやりませんかねとか、
一緒に考えてくれませんかねをやっていくうちに、こうやって子どもたちの育つ環境というのが広がっていって、
一緒に育つ相手というのがいて、広がりを持ってくるんじゃないかなとか、
その学校というものの価値の最低限もできるんじゃないかなと思ったんですよね。
そんな話を今度ちょっとしてみたいなとも思っておりますが、今日は以上のところで終わりにしたいと思っております。
というわけで、今日の講座は以上となります。また来週お聞きください。ゆったり教育者ラジオのざたんでした。
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