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みなさんこんにちは、CAM Radioへようこそ。
CAM Radioは、コーチングスクールCAMの代表やスタッフが、社会で活躍するプロフェッショナルとともに、葛藤や生き方について考えていく番組です。
今回は、先日行われたイベント、学校教育と企業研修、2つのプロの視点からひも解く予測困難な時代を生き抜くスキルとマインドとはの後半戦になります。
前半戦は1個前にあるので、そちらも聞いていただけたらなと思いつつ、改めて、こちらではコーチングスクール代表の本木さんとティーチフォージャパンの松尾さんのお二人で深めてもらっています。
それでは早速聞いていきましょう。
はい、じゃあ2回目のセッションと言いますか、次のところ話していきたいなというふうに思うんですけれども、
今はこの時代において、最近すごく大切にされていることとして、自分らしさであったりとか、そういう部分も入りつつ、メタ認知、自己需要、また自己表現とかある中で、
もう一つのトピックとして、どのように今教育というものに、みんなで関わっていくかとか、どういう関わり方を求められているかというか。
よく僕は学校教育に関わっていないので、そこに関わっていないものから、でもちょっと関わりがある、学校の先生たちもよくコーチングを学びに来てくれたり、教育委員会とか入っていく人たちも学びに来てくださったりしている中で、
やっぱり学校教育というものは、ちょっと社会から少し離れていたり、学校の先生もあまり社会経験がない方が多くて、教育という箱の中で表現される方もいらっしゃって、その中で結構逆に外の学校教育の外の人たちでも教育に強く思いがあるんですって人たち結構話聞くんですよね。
思いが両方ありながら、街でとかそういういろんな言葉も聞くようになる中で、教育にどうこれから向き合っていくっていうのが、これから求められているものなのかっていうところはちょっと問いとしてまず出しつつ考えていきたいなと思うんですけど、松尾さんこれ聞きつつどんなふうに今思われますか。
そうですね、例えば教育をする場所って本当に学校だけじゃなくてめちゃくちゃたくさんあると思って、そこもなんかそれこそ社会全体で変わる。
フォーマルな学びの場としては学校、いわゆる義務教育とかいうのはあるけど、本来の学習って本当はインフォーマルな学びの場の方がめちゃくちゃたくさんあるわけですよね。
例えば教育であったり学ぶ場所は学校しかないみたいなところが前提として、それこそ大人側も変わっていくのがすごく重要だなと今の話を聞きながら、教育する場所は学校しかないわけじゃ全然ないし、
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例えば公園の遊びの中でも学ぶこととかめちゃくちゃあるわけじゃないですか。そういったことも学びと捉えて、人が学ぶっていうことに従事する。本当にどんな家庭であれ道の中で出会った子供であれと思ったら、
そういうふうに全員が学びに携わっていったり、自分の学びを作り出せるみたいなところに行くと、実際にどうすればいいみたいな悩みは少しずつ減っていくのかなみたいな話を聞きながら思ったところでしたね。
学ぶことみたいな捉え自体が変わる必要があったりするのかなと思いました。
自分でどんなことを学びたいかとか、学びというところ、教育というところは、いろんな方向性や接点も広がっていくような学校教育という中だけじゃなくて、
今の聞きつつ、もう一個手前に、何のために学ぶんだろうかと言いますが、学びの目的や終着点って何かというところは問いとしてあって、
背景として、例えば障害者、障害を持っていらっしゃる方々の就労支援の事業所とかでも、コミュニケーション講座とかをやらせていただくときに、
そういう、発達障害とかを持っていらっしゃる方々は、この発達障害というラベリングがされてしまうというところは、
この社会のある意味、普通と言われると言いますか、この社会が作った普通の枠に収まりきらなかったり、ちょっとそこに難しさ、
でも、それを認識としてある意味、個性として捉えるであったり、違いとして認識し、でも違いとして認識する中でも、
普通というところからは逸脱、社会が作った普通から逸脱してしまった故に、そういう表現をされるというところがあって、
それにもすごく、それはどうしたものかと言いますか、
汎用性、個性みたいなのがある中で、そういうものがあることが頭の横に浮かびつつ、
学ぶというところは、今、僕らからふわっと出てくるのは、この社会の中で生きていくために必要な糧を得るというか、教養を得る、
いわゆる社会の普通にフィットするための、そういうところがニュアンスとして、僕の印象としてはふわっと出てくる印象があって、
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普通って何だろう、そういうところを含め、でも何のための学びかというと、どんなものが松浦さんが言っていますかね。
松浦さん、何のための学びかと言ったら、それこそ人って何もせずとも学びたくなるというか、できるようになりたいとか、知りたいとかなるって、
何もせずとも、例えばある実験の中で、人は何もしなくていいですと言ったとしても、何かをしようとするような、
学びたくなる、まさにその生理的要求なものから起因したとしても、やっぱり学びたくなるとしたら、そこにフォーカスをするならば、
学ばなければならないということで、多分日本の旧来の教育って、やらなければいけない、学ばなければならないものとしてあるのが、
やっぱり学校教育自体とか社会自体が学ぶっていうことは、みんなが自然と欲するものであって、そこに向かって学ぶということが、
真の学びとして位置づけられていることが大事なのかなと思いますね。
じゃあ、学ぶという目的があるのではなく、学びたいという願いが起点となり、そこに対して道を用意しといてあげて、
学びたいと思った時にそこに、じゃあこういうことできるよっていうのがあるみたいな、
本人のその欲求、願ったところや学ぶ楽しさとかも含めかと思うんですが、
そこに対する自発的な、じゃないですけども、そこがポイント。
そうですね、大人も子どもも、例えばより良くありたいとか、自分がよくありたいとか、
より良くしたいと思って、やっぱりみんな社会で生きる中では出てくるものとして、そこが起点となって学ぶという行為が発生するじゃないですか、
例えば、さもしないと学ばないといけないみたいな、例えば受験勉強もしないといけないみたいなところが、
やっぱり強調されるのならば、やっぱり子どもたちの学びというのは、やっぱりまずは子どもたちが学びたいという思いだったり、
そういった他の職場でも学びたいという思うか、
なりたいとかできるようになりたいから、やっぱりこの学びというものが生まれていく世の中で、
あるのが社会全体として必要だなと思いますね。
社会全体としてというところが、それこそ家庭内でも、職場でも、また学校教育やまたその地域でもみたいなところで、
一人一人の自発的な願いや、そういうものがいろんなところで生まれていて、
そういう、ある意味一つの、教育と言いますか、文化や思考の作られる過程の中で、
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やっぱりどこを見ても同じような価値観やマインドセットが周りにある、同じ文化の中に生きるときに、
どんな社会領域に行っても共通した価値観みたいなのがあって、
そういうものが自然と人に刷り込まれていきながら、その国の文化や人の価値観みたいなのが出来上がっていくというのもあるかと思うんですが、
そういう意味で、社会の役割、教育に関わる社会の枠割といったら、極論一人一人が自分の大切にしたいものを、
自発的に大人もそう生きていたり、近くの八百屋に行っても八百屋のおじいちゃんがそんな感じだったりとか、
そういうものが根底に一人一人が自分らしく生きるみたいな社会があって、
初めて教育の中での学ぶというところにおいて、
人の楽しさをやっているのを見て、自分は何が楽しいと感じるんだろう、何を学びたいと感じるんだろうという探求に行くきっかけが、
またああいうの素敵だな、自分の好きなことを持っているの素敵だな、自分は何が好きなんだろうって気になってくるみたいな、
そういうものがあるのかなと今聞きつつイメージが浮かんでいたんですけど。
まさにそうじゃない、学校も社会の一部なわけですよね。
社会の中に学校もあるはずなわけなので、だとしたらやっぱりそういう位置づけとして学校が機能していったりだとか、
やっぱりでも学校だけが例えば子どもたちの学びにすごくフォーカスした学びを作りました、はいじゃあ学校を卒業しました、
いやダメですそんなの、こっちの言う通りにしてくださいみたいなおかしな話なわけなので、やっぱりそれって学校だけではなく社会全体が、
別にどちらかというとニワトリ卵じゃないですけど、やっていくっていうのがすごく重要なんだろうな、
学習っていうもの自体の感じ方とか考え方自体が変容していく必要がすごくあるんだなと思いますね。
今の聞きつつ、僕たちはよく企業研修でやらせていただいて、どのようにそういう自発的な競争的なコラボレーションが生まれる競争的な文化やチームを作るか、
みたいなところで、やっぱりそのリーダーがどれだけそれこそ探求的な問いをまた関わり方を人としているかって言って、
一人で探求するのではなくて、その周りの人たち自分のチームたちにも問いを投げながら、
フラットにみんなの視点や意見を出して引き出していきながら、一緒に探求していく、そういう集合的探求をどう導けるかみたいなところで、
その文化が変わっていく。リーダーが今まではビジョンを掲げて、これが大切なんだ、ついてこいじゃないですけど、
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これをできるようになって指導するよ、みたいな形だったところ、どちらかというと今、探求的なあり方を自分も体現しつつ、
自分だけじゃなく集合的な探求をどう導けるかっていうところで、その技量が、資質が求められているんですけれども、
今の聞きつつ、そのように、例えば学校現場であれば、自分も探求的な、自分らしくというところの中で教員の方でありつつ、
また集合的探求、他の人たちの探求のプロセスに刺激を受けて、文化ができていって、
じゃあ自分は何だろうと、一人一人が自分のタイミングで考えたいときに考え始め、みたいなのが広がっていくイメージを聞いてて受かりましたね。
そうですよね。まさに学校現場でオフィシャルな言葉で言えば、主体的で対話的な司会を学び、表現されたりもするので、
まさに子どもたちが自分たちで主体性を発揮しながら、まさにでも、いわゆる対話、協調的に学んでいくっていうのは、
たぶん学校現場で目指されていたり、私たちの研修の中でもすごく大事にしているところで、まさにそのときに大事になる。
先ほど本木さんも言ったように、問いってたぶんめちゃくちゃ大事だよねって話は、
研修だとか授業をデザインする上では、たぶんすごく話題になることもですね、どういう問いを立てて子どもたちが学びに向かうのかとか、
それこそ私たちの研修自体も、どういう問いだと、この研修の場で皆さんがこれを主体的に学んで、
対話的な学びになって最終的に深まるのかみたいなのは、問いってたぶん学ぶ上ではすごく重要な言葉ですよね。
先ほどのコメントでまた僕たちも拾っていた、この時代に必要な新しいコミュニケーションというところでは、
やっぱり問いってコミュニケーションであったり、問いって信頼関係を築くものであって、
問いって一緒に人を認めるプロセスであったりとか、問いをないかけるということは、相手の思いに価値があることを認めている関わり方、
あなたの意見、あなたの思い、あなたの願い、それって価値あるんだよと相手に伝えるプロセスも、
その問いっていうものの中には含まれていて、そういう意味での新しいコミュニケーションや、
この新たな時代というところで、社会や教育、社会がどう教育に関わっていくか、
これ今本当におっしゃってくださった、問いやその対話をし続けていきながら、
その世代を越えてともにフラットに考えられる、そういう視点や関わり方ができる人たちが増えていくことが、
これからの新しいコミュニケーションであったり、これからの時代に必要であったり、
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先ほどその看護師の方が、部下がどんな仕事内容にワクワクしたり、スキルアップしたいと思っているのかとか、
緊張感を与えずにというところも、そこを相手の、よくコーチの中でよく言うのは、
その人のテーマを解決、悩みを解決するんじゃなくて、問題に焦点を当てるんじゃなくて、
その人に焦点を当てましょう。問題がこれをどうしたらいいか、これをこうすればいいんじゃないかじゃなくて、
あなたはこれに対してどう感じていて、あなたはこの仕事を通して、仕事の中でどんなところに価値を感じていて、
どこに願いがあって、それこそ何にワクワクしていてとか、何を一番しんどいと感じて、
その人に焦点を当てるという時に、問題解決にもつながっていったり、というところがよくあったりするんですが、
今の新たなコミュニケーション、これからのGR、先ほど出てきたキーワードをいろいろといろいつつ、
そのような関わり方みたいな、そこがすごく重要なのかなって、今感じたところでしたね。
本当そうですよね。私たちの研修団とか、これから授業館とか学習館とか、教育現場で言われていることで、
やっぱりでも学習というものがどういうものであるかとか、まさにでも子どもたちが学校現場として主役なので、
やっぱり教員の思いは大事、先ほどビジョンって自分らしくて、いつつも学ぶ主体は子どもたちなので、
やっぱり子どもたちが協調的に学ぶ、例えば教員も含めて協調的に学んでいくというのが、やっぱりすごく学校現場としては重要なんじゃないかな。
今までは多分、こういう社会に合う子どもを育む、みたいな思考で実施されてきた時もあれば、
でもやっぱりそうじゃなくて、今は子どもたちが自分らしくならば、やっぱり学校現場の主体が子どもたちになって、
教員は思いはありつつ、やっぱり子どもたちに目線を向けて、子どもたちがどうなりたいのか、子どもたちがどうなっていくと思うのかを中心に考えられるのはやっぱり、
先ほどあなたはそのことをどう考えるのってのは、やっぱりでも学校現場でもすごく大事なアプローチだなと思いますね。
やっぱり子どもたちが主役なのは間違いないので。
今の話を聞きつつ、あの伏線回収のように戻ってきたなーって感じるのが、一番最初に松尾さんが最近考えているトピックなんですが、
信頼、信じるということ。じゃあ競争的なことであって、問いを投げるということは、相手にちょっと、
主体性やその人に権限を渡したり、信じるとか、なんかそういうプロセスも入ってくる中で、そこについてどうかみたいな。
これは話し始めたらもうね、ぐるぐるいっちゃうけれども、なんか一瞬回ってきた気がしてます。
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結局僕個人として、信じたいとか信じるっていう判断をしてしまうっていうのがいつもなんですけどね。
悩んでますって言ったんですが、信じちゃうし、信じたいと思ってるんですよ。
自分が大切にしたやり方と、また状況化とか、それを通して生まれることによっての葛藤みたいな、アウトプットの葛藤みたいなところも含めても、
自分が大切にしたいところっていうのはしっくりきてるみたいな、そんな感じですけどね。
まさにその通り、結局ははい、僕は信じる道を行きますって思いつつ、ふーんって思っちゃう。
いいですね。ふーんにすごく色々込められてますね。
ありがとうございます。
あっという間に。
時間経ちつつ。
ここから、それこそ今日この次のところで、2回目のところで話してきたのは、それこそこの社会、教育っていうところにどう人々が関われるかっていうことであったり、
これからの時代に必要とされるようなコミュニケーションあり方みたいなところで、
色んな話をしつつ、終着点としては、人と競争的な、また問いを通して、
共に考えていったりとか、そういう関わり方、人と巻き込んでいきながらみんなで考える。
また社会全体で一人一人が自分が大切にしていきたいものを主体的に学んでいったり、大人になっても主体的に学んでいったり、
何か追い求めていくような、自分の願いや大切にしていることを体現していくような、
そんな生き方をしている人たちはこの社会に広がっていく。
一人でも増えていけば、相対的にその教育や文化が変わっていって、
そうすると子どもの教育、子どもが受け取っていくものといいますか、
価値観の中に育まれていくものが、色んな多角的なポイントで変わってきていくんじゃないかみたいな、
そんなところもすごくメッセージとしてあったかなというふうに思う、そんな時間でした。
松浦さんありがとうございました。
松浦さんよろしくまとめていただきありがとうございます。
CAMは2005年にアメリカにて設立され、3000人以上のプロコーチを輩出してきたICF認定コーチングスクールです。
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それではまた次回お会いしましょう。