今回は前回に引き続き、編集者の首藤さん、そして今回はもう一人、C&S音楽学院の創設者、毛利直幸さんに来ていただきました。
お二人ともどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
毛利直幸さん、初めましてでして、自己紹介を簡単にお願いできますか?
私は福岡県の筑豊の方で生まれ育ちました。大学で福岡に出てきました。
当時の福岡って、ライブハウスの昭和が全国的に有名になって盛り上がっていて、出身者に開演隊、開板堂、井上陽水、チューリップなんかがヒットチャートを独占しているような時代だったんですよ。
ちなみに毛利直幸さん、おいくつですか?
今、69歳です。
若いね。開演隊が現役だったって、おいくつかなと一瞬思いながら。
大学1年の時に、1年間だけそこで歌ったんですけど、でもその頃はまだ趣味程度でやってたんですけど、またそのまま大学生活に戻って卒業して、就職先は外資系の保険会社に。
こう言うと優秀な、聞こえるでしょ?違うんですよ。全く違って、ほとんど大学行ってなくて、5年かかりました卒業前には。
エリートコースじゃない、代理店育成のための営業専門職として入ったんですね。
でも一生懸命働きまして、成績も良くて、そこそこ収入もあったんですけど、だからだろうと思うんですよ。
考えたんです、その時。このまま働いていって、結婚して、子供が生まれたとしようと。
大学までその2人の子供をやって、それで家の一軒でも建てようものならと考えたら、私がローン払い終える頃にはもう65か70になるんですね。
はい、そうです。
ほぼ私の人生はそれで終わるなと思って、そんな一生は嫌だなと思ったんですよ。
せっかく生まれてきたんやから、本当に心から楽しめる、納得できる人生を送りたいと思いまして。
それで会社辞めて、歌い始めたんですね。
ほぼ、チューリップやカイエンタイヤ、あと出してみました。
チューリップ、カイエンタイヤ、カイバンド。
カイバンド。
イノウエヨス。
イノウエヨスですね。
なるほど、あいつらのように。
そうですよ、後に長渕剛も入ってきましたよね。
また再びオーディションを受けて、マネージャーから言われました。
ここで25歳まで歌ってサラリーマンになっていった人はたくさん見てきたけど、25歳でサラリーマン辞めて歌い始めるの、君が初めてだったんですね。
なるほど。
15歳から25歳で、なかなか夢に追いつかずにという方が多いよと。
25歳から立ち上がるわけですよ、私は。
で、福岡で5年間アマチュア生活をしまして、東京で一生事務所に入って職業歌詞ですね、プロのシンガーとして5年過ごしたんですけどね。
結局でもレコードデビューの話も折り合いが行きつかったんですけど、結局最終的に折り合いがつかずにですね、あっという間に東京で5年が過ぎて私35歳になったんです。
で、やっぱり35ってのはちょっと答える年代で、これ以上続けても新しい展開も望めそうもないかなということで福岡に戻ってまいりまして。
だから私は結局挫折をしたんですね、そこでですね。
で、その夢を叶えることができなかった悔しさっていうのは正直今でも残ってるなっていうのは自分でも思うんですけど、でも夢がここで叶わなかったから私は学校を作ったんだなと思うんですよ。
これ多分僕がミュージシャンで成功してたら人にも音楽を教えようなんて思わなかったと思うし、まして学校を作ることにもならなかっただろうな。
で、私はその学校を作ったおかげで今その講演会に呼ばれたり、今回こうやって本を出させてもらったりですね。
なんかこうささやかなりとも誰かのためになってるというか誰かのお役に立ててる気がするんですよね。
だからやっぱこんな人生はなかっただろうなって、こんな幸せな人生はなかっただろうなっていうことで今は良かったなと思って幸せを噛み締めております。
なるほど、ありがとうございます。
で、それこそ今チラチラと出てきました音楽学校という話なんですけど、
野守さんが作られた音楽学校を舞台にした本を今回サムネイル、YouTube見てらっしゃる方は背景画像にもなってますけども、
もし君が君を信じられなくなっても不登校生徒が集まる音楽学校というタイトルで出版をされたということなんですが、
引き続きでそれこそどんな学校を作られたんですかってことですよね。
そうですね。学校を作るきっかけは福岡にあるプロダクションの社長さんからですね、
うちの事務所に所属してデビューを目指している優秀な子たちがいるからこの子たちに歌を教えてもらえないかっていう話がありまして、
私は九州に戻ってそんな子たちに歌を教え始めたんですね。
私はその歌手を目指す子たちにどうしても伝えたいことは、それは結局自分でもやってきましたから、
痩せた土地からはですね、痩せた作物しか取れないんですよ。
だから本当に豊かな音楽を奏でたいと願うんであれば、自分の心の大地を耕していくしかないんですね。
だからそんな子たちに日々自らを磨き高めていけっていう話をするわけですよ。技術トレーニングと合わせて。
中にも昨日まで小学生だったみたいな子もいます。
そんな子たちにそんな話をして日々自らを高めていく努力をしようとかって普通は聞いてもらえないですよね。
でもやっぱ歌手になりたいという夢目標を持った子どもたちは真剣に私の話を聞いてくれるんです。
ある時レッスンが終わったら一人女の子が前にやってきました。
見ると目にいっぱい涙を溜めてどうしたって聞いたら先生の言う通りだと思う。
実は私は自分の中にとっても嫌なところがあるんです。
この嫌なところをなくそうと思って一生懸命頑張ってみたけどなくなりません。
自分の中にある嫌なところをなくす方法があったら教えてくださいと言ってボロボロと涙をこぼしたんですね。
その私の言葉を真剣に受け止めてくれる。
その表情を見た時にこんな学校を作りたいという思いが突き上げてきたんですね。
音楽を通して人間としてお互いが磨き合い高め合っていけるような。
いやそんな学校は作れるぞと思って。
ちょうどそんなことがあった時にプロダクションの社長さんから生徒も少しずつ増えていって。
生徒も増えたからそろそろ学校作り考えませんかとか言われて。
僕はその辺にある音楽学校ってあんまり興味はないけど実はこんな学校だったら作ってみたいんですって言って先ほどの女の子の話をしたんですね。
その社長さんは私の話を最後まで聞いてくださって。
森さんの理想の学校を作ってくださいと。
必要なお金は全部私が用意しますって言っていただいて。
その方の全面的資金援助を得てですね学校が開校するんですね。
そうなんですね。
僕はまず最初はプロを育成する学校を作りたかったんです。
なぜかというとやっぱり音楽を通してお互い人間性まで迫っていくっていうのは相手につまり生徒側にプロになるっていうぐらいの強烈なモチベーションが多分必要だろうと思ってます。
だからプロを育成するための学校を作ろうって。
当時ロックとかポップスは専門学校だったんですよね。
やっぱりどうしても集中的に教えられるって。
でも専門学校って高校を卒業した後に行くところなんですよね。
そこから始めてプロを目指すっていうのはちょっと遅いだろうと思って。
だから中学からいける専門学校を作ろうと思って。
でもどんなに優秀な講師を集めても全員が全員プロデビューできるわけじゃないんで。
だったらせめて高校の卒業資格を取れるようにしてやらないといけないということで通信制高校と連携して高校の卒業資格が取れる音楽学校として開校したんですね。
なるほど。
ところがだから僕にしてみれば高校卒業資格ってのはおまけだったんですよ。
はい。そうですよね。今の話からいくと。
そうなんですよ。
ところがそのおまけに不登校だったとか引きこもってましたとか発達障害とかですね。
当時はヤンキーとかですね。
学校に行けなかった子たちが音楽が大好きだからやってきたんですよ。
保護者の方々はもううちの子は普通の高校はいけんやろうけど音楽大好きやからここやったら通えるんじゃないかいなと。
ここやったら高校の卒業資格は取れるんじゃないかいなと。
そのすがるような思いで子どもたちを送り出してたんですね。
そうなんですね。
で今お話ししたみたいに僕音楽しかやってないじゃないですか。
それがいきなりその。
高校の先生はしたことない。
したことないし働いたこともない。
バイトもしたことない。
当時それまで僕校長室って叱られに行く場所でしたから。
それがいきなり高校の校長先生になってしまったわけです。
もうどうしていいかわからなかったんです。
で中学生の時に学校でいじめがあってそのいじめをアオイちゃんが注意したところ翌日からそのいじめの穂先は全部自分の方に来た。
で彼女は学校に行くことをやめるんですね。
で毎日自分の部屋に閉じこもって何をしてたかというとですね。
毎日大好きなディズニーとかスタジオジブリの映画をずっと見てたらしいんですよ。
だからまさか数年後に自分がそのジブリの映画の主題歌をするなんてですね。
ゲドセイジンキー?
そうです。
そんなもう信じない奇跡みたいなですね。
多分ディズニー映画の魔法使いでも考えつかないような奇跡のドラマを彼女は演じたんですよね。
ああそうなんですね。
ただ彼女はやっぱ中学校の時にいじめにあって不動工になって。
それこそ高校ではいわゆるC&S音楽学院に入学されて。
そこから先ほど説明されたような感じで少しずつ変わっていって。
そうですねそうですね。
ただ歌声はですね最初からあのままなんですね。
持って生まれたものなんで。
抜群だったってことですね。
なかなか歌えなかったんですけど人前で。
ある日入学から3ヶ月ぐらい経った時に初めて歌ったんですよ。
たまたま僕その教室にいたんですけど。
歌うために生まれてくる人間って本当におるんやなと思いました。
うちのプロデューサーはなんかもう吐く息がもう音楽になってるって言ってましたね。
それぐらい素晴らしい。
なんかこう深みのある歌声っていうか。
繊細さと意志の強さをしっかりそこに合わせ持ってる。
素晴らしい歌声をしてましたね。
そこで本読ませていただいた中でもう一人ですね。
ぜひお聞きしたいというかご紹介したい方がおられて。
親も変わったっていうタイトルっていうか名前がついてた子なんですけど。
その子はデザイン、絵画描くのが好きで。
イラストレーター、デザイナーになりたいと言ってた親は。
僕も高校生の娘がいるんでわかるんですけど。
絵画じゃくれないよっていうような言い方をするわけですよね。
お前には敵わないって言っちゃうんですよね。
悪気はないと思いますよ、お父さんが。
でも彼女は結果としてデザインの仕事を始めるんですよ。
その後が僕ちょっとグッときてですね。
父ちゃんがサラリーマン辞めて、俺も夢をって言ってトラックの運転手さんになられる。
そうですね。
なんかね、父ちゃんが僕に跳ね返ってきて。
なんだろうな、すげえな。
なんて言ったらいいのか、すげえなっていうのは正しい感想なのかわかんないんですけど。
なんかね、引き込まれるものがありました。
やっぱり親御子さんとしては娘のことは心配だからですね。
やっぱり自立してもらわないといけないから
音楽とか絵とかいうのは趣味にしとけとか。
そういう感じになるんですよね。
だから彼女が学校に行かずに一日中ずっと家で絵を描くんですけど。
やっぱり親は絵とか音楽ってのは娯楽なんだ。
お前は学校にも行かず、やるべきこともやらずに絵に逃げてる。
ダメな奴なんだって否定するわけですよね。
でも彼女は今イラストレーターになって今言うんですけど、絵とか音楽は娯楽じゃなかった。
私が自分らしく生きていく上での武器だったっていうふうに答えたんですよ。
そしたら父ちゃんがそこに反応するんですよね。
俺ここかな。
お父さんもきっと俺もそんな生き方がしたかったんだってことだと思うんですよね。
そうだと思うんですよ。
今僕新聞社何も不満ないですけど。
でも何かで刺さるものというか。
娘が変わっていく姿で親も変わっていくっていうか。
それこそ首都さんの出番なんですけども。
話が変わって。
その学校を首都さんは1年間1人の男子生徒を追いかけて。
今回教長という学校で首都さんの書かれたページもあるんですけども。
1人の男の子を追いかけてるんですよね。
この男の子というのは私の幼馴染の息子さん。
本の中ではSという名前で登場してるんですけども。
彼は高校に行った地元の公立高校に入って。
その半年後に高校に行けなくなってしまった。
その原因は本人もよくわからない。
いくつかあげればあるんですけど。
それは後付けの理由で当時はわからない。
行かないと宣言したその日にトイレに入って。
親が出勤するのを見計らって首を吊ろうとした。
というところから始まったんですね。
それから数ヶ月後に父親、私の幼馴染から電話があって。
実はそういう状況なんだと。
私はその当時C&S音楽学院の取材をした経験があったので。
面白い学校がある。
実は私も高校時代に不登校を経験したので。
高校だったらこういう学校に行きたかったという話をして。
そこで父親を経由して本人に話をしたら。
なかなか一筋の幅が行かなかったんですけど。
最終的には音楽も好きだし行くと。
森さんの話も聞いて行ってみたいという話になったので。
ちょうどこの本の話も出ていたタイミングでしたし。
ちょっと1年間追ってみようと。
追ってみようというのはただ話を作りたいからではなくて。
たぶんどこか警戒というか疑問に思っているところがあったんですよね。
そんなに通販のようにビフォーアフターのような上手い話があるのかと。
そんな学校に入れば不登校が解消しますというような。
何かうさんくささというか。そこにちょっと引っかかるのがあったので。
ここは1年間追って細かく描写してみようというのが発端でした。
本人も結局入学したのが18歳。
だから同級生は高校卒業する年だったんですね。
その年に本人は高校に入り直すという形になって。
2度目の高校生を始めることになったんです。
親元を離れる。
大分から高校に。
やはり怖いし。
そもそもそんなにコミュニケーションが上手な子ではないので。
1人の時間がどうしてもできてしまう。
といった時に地下との公園に夜に出かけて行って。
海が見える公園だったんですけど。
その波を見ながら自分の心の揺れとシンクロして。
そこから少しずつ詩を作り始めたんですよね。
近くにカラスがそれを聞いているのか何かが目に入ると。
社会の片隅で生きているカラスと自分を重ね合わせたり。
ということをしながら言葉がちょっとずつ出てきて。
それを書き留めていったんです。
それを私にLINEで送ってくるようになったので。
それを足掛かりにして。
じゃあ次それに曲をつけてみたらというような話から。
ステージでそれを披露するという流れが始まったんです。
そうするとさっき森さんがおっしゃったような。
今まで自分にとってマイナスだったこと。
マイナスだと思ったから隠してたことがステージの上で発散されると。
みんな拍手をしてくれる。
プラスになって自分に返ってくる。
という経験がそこから積み重なっていって。
今まで人に見せたくないと思ったものを見せたい。
どんどんそれを周りの人に褒めてもらいたい。
ということからずたつただった自尊心というか自己肯定感が。
どんどん立ち直っていくというか。
どんどん積み重なっていくように私はずっとウォッチしてた。
学校はそれを先導しないんですよね。
ずっと側で周りを並走してるというスタンスだったので。
何をしたかと言ったら別に何をしてるわけでもないんだけど。
だけど外に絶対並走してるんですよね。
森さんみたいな中である種の昔というところの金髪先生じゃないけど。
カリスマ先生がいてその子たちが導いていくっていう世界とはまた違う?
違いますね。逆ですね。
逆ですか?
やっぱり本人たちはすごく中に渦巻いてるものがあるんですよね。
それは言葉にもできないし。
どういう形で外にそもそも出しちゃいけないと思ってるような熱量があって。
それを音楽が何か着火剤のような形になって外に出ると。
出たらみんなが喜んでくれたという、
多分本人が一番びっくりするような興奮する瞬間が
その子たちを何か変えていくんだなというのを感じました。
僕のスタンス的には音楽と生徒の間には立たないようにしてたんですよ。
必要なことは全部音楽が直接教えてくれるんですね。
なんで人には優しくしないといけないのかとか、
なんで自分自身を大切にしないといけないのかとか、