感想の概念に囚われる
こんばんは、二次創作メンタルサポーターのほうりです。よろしくお願いいたします。
今日は何話そうかって全然決まってないんですけども、感想が来ないのが感想だっていう風に昨日お話ししたんですけども、
まず皆さん、感想っていう概念に縛られすぎてるんじゃないかなってことについて、気がついたんでお話していこうと思います。
感想っていうと、真っ先に思い浮かぶのって、よかったなとか、これ最高ですみたいな作品に対しての感想っていうのは、ある意味での褒め言葉オンリーじゃないですか、感想っていうと。
でも本来感想っていうのは、自分の感じたままのことを想像するっていうか、感想ってそういう字がきますよね。
感じたものを想像したりとかするっていう意味だと思うんですけども、感想って感じたままを思うんだったら別に他人からじゃなくてもいいわけじゃないですか。
自分で自分の話を読んで、私こう感じて思ってたんだなみたいな、そういう気づきを感じたんだったら、自分で自分に感想を送っても私は全然いいなって思うんですよね。
昨日、おととい前回の放送で感想が来ないのが感想だっていうのは、脳がそういうふうに漠然とした願いを処理するのが苦手だっていうような話をしたんですけども、それも脳の特性の一つなんですけども、
皆さん、感想っていう概念に囚われすぎてるから、他人からもらわなければ感想じゃないっていうふうに思い込んでる人、相当数いると思うんですよね。
感想っていうよりも、おそらく皆さんは辛口の感想よりも、むしろねぎらってほしいっていう気持ちの方が大きいんじゃないかなって思います。
そのねぎらいっていうのは別に他人からじゃなくても自分でもねぎらうことってできますよね。
本当によく頑張った私お疲れ様みたいな感じ。
自己認識の重要性
他人からとか、他人からもらわないといけないっていうか、感想は他人からもらってなんぼだっていうふうに思い込んでるのって、やっぱり長いこと私たちが受けてきた教育のせいもあると思うんですよね。
感想とか褒め言葉とか、他人に認められてたなんぼっていう風潮ってまだ残ってるわけじゃないですか。
今でこそ心理学や農科学が表だったになってきて、それで自分で自分を認めてあげたら、自ずと思考が変わってきて、行動も変わって人生も変わるなんて言われてますけども、
それをやっぱり実行できるだけっていうかな、即効性がないから信じられないんですよね、なかなかね。
その即効性が感じられないっていうのも、やっぱり長年地表のように積み上がってきてる、生きていく中で取り入れていった、周囲からの吸い込まれた常識とか価値観とか信念とか思い込みを、
それを自分のものだっていうふうに錯覚されるように私たちって育ってきてるから、なかなかそういう思い込みっていうのはしつこくしつこく繰り返されるものなんですよね。
だから自分で自分を認めてあげるって言って、よしやるよっていうふうになっても、その価値観や思い込みが生きてる年月分積み重なってるから、1ヶ月や2ヶ月だとちょっと効果が出てないなっていうのはすごくあるんですよね。
だからこれはもう長く積み上がってきた、固くなった地表とか、そうした土の塊に一滴一滴水を一点集中で染み込ませていく作業だと思っていただければいいなと思います。
そうしてるうちに、一滴一滴水を染み込ませていくと、時間はかかるんですけども、ある日突然やっぱり負に落ちる時があるんですよ。
あ、そっかって、感想って別に他人からもらわなくてもいいんだよねっていうふうに。
そういうふうに他人から感想を求めてるってことは、今自分がどこかで満たされてないっていうことなんだっていうふうに、ある日突然本当に負に落ちる時が来るんですよ。
だから、負に落ちる時が来るってことを信じて、とにかく実行っていうのかな、継続することがやっぱり大事なんですよね。
継続するって言っても身に構えちゃう人も多いかもしれませんけども、それもやっぱり自分の中の本能的な部分が、今までそうやって他人から感想をもらってナボとか、他人から感想をもらえない自分なんてゴミだっていうような信念や価値観に使ってる自分の方が心地がいいっていうふうに脳みそが判断してくれる。
そういうふうに、うってめんどくさいってなるとなると、その自分の快適な空間、コンフォートゾーンからずれると、自分が命の危機に瀕するじゃないかっていうふうに脳が歩法を鳴らしてる状態なんですよね。
頭の中ではさ、やっぱり自分自身で他人に感想とかそういうのを委ねちゃうよりも、自分で自分を認めて、自分でご機嫌を取って感想も自分で書いて、いついかなる時も機嫌をコントロールする方がいいっていうふうに思うんですけども、でもいざ行動しようとすると、ちょっと待ってよっていうふうに脳が引き止めにかかるんですよ。
あんたのいる場所は他人に感想を委ねて、自分なんか感想こない、自分なんかゴミだっていうふうに思い込んでる方が心地がいい空間だったはずでしょっていうふうに息戻しにかかって、それでなんかそういう行動に対しての面倒臭さだとか無気力感とかそんな行動したって、所詮耳障りの生きれい事だっていうふうなアラが出てきちゃうわけなんですよね。
大抵そういうふうに新しいことをやろうと思って、そうしたアラが出てきたり、無気力感とか面倒臭さが勝るっていうのは、自分が今以上にいい方向に行くための、裏を返せばね、今以上に自分が高みに臨むためのステップだっていうふうに、ある程度の目安だっていうふうに思えておけば、これもまた今の状況から一歩踏み出そうとしてるのを、一歩上に行こうとしてるのを、
本能が邪魔してるだけなんだな、邪魔っていうか本能が引き止めてくれてるだけなんだなっていうふうに思うようになって、行動のハードルっていうのは下がっていくんじゃないかなって思います。
自分の感想を書く実践
なので、感想に対しての思い込みを取っ払って、自分で自分の感想を書けるようになって、そうするうちに自分で自分の金が取れるようになるっていう第一歩としては、まず一行だけでも自分の過去作に対しての感想を書いてあげたりとか、
あとは、あまりオススメはしないけども、ピクシブとか福岡作ってスタンプポントしたりとか、ポエピクとかだったら、あれ本当に完全に匿名だし、私も試しにちょっとやってみたことあるんだけども、自分で自分の作品にスタンプっていうのかな、絵文字って送れるんですよ。
誰それが送ってきましたっていうような告知も来ないんで、無料の場合だったら、あれスタンプっていうのかな、絵文字は10個ぐらい送れるから、そういうふうに感想を自分で書くハードルとしては、ポエピクに投稿して、絵文字を10連発、10連発もちょっとハードル高かったら1個でもいいから送ってみるっていうことで、慣れていけばいいんじゃないかなってそういうふうに思いました。
今回ちょっと何も話すことがないとか言いながら、いろいろとこうやって話しましたけども、こんなふうにこのチャンネルでは、脳科学や心理学を応用して、二次創作で多いお悩みを軽くしたり手放したりする情報やヒントを発信しています。
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