二次創作の影響要因
おはようございます。二次創作メンタルサポーターのほうりです。よろしくお願いいたします。
今日は、二次創作活動を楽しむかどうかは、〝勘違い〟にかかっているということをテーマにしてお話ししようと思います。
そもそも、二次創作活動というのは、自分の文章力とか、画力以外でも、
例えば、作品のバズり具合とか、対放送とか、そういうのにもすごく左右される趣味なわけなんですよ。
画力一本、文章力一本で唸らされるっていうのは、完全なるオリジナルだったら、そういうふうに完全な実力主義ですから、
そういう感じで、一概にも言えないかもしれないんだけども、自分の画力、文章力がものを言う世界である色は濃いと思うんですけども、
二次創作って、どうしても下敷きに元のジャンルの知名度とか人気とか、そういうのが影響し合っているわけじゃないですか。
それで、世の中のそうした流行りにも関係してくるわけですよね。
例えば、今だったらすごく当たり前になったツンデレですか。
なんかツンケンしてるけど、二人きりの時にデレデレになるみたいな。
そういう性格も、私が知る限りだと、2000年に入ってから爆発的に伸びてきたかなという感じなんですよね。
そういうふうに考えたら、やっぱりヘタレ×ツンデレっていうカップリングが人気であるっていうのは、それもある意味の属性っていうのかな。
そういう属性があるキャラクター、二人が絡み合っていると、ヘタレ系のキャラクターとかツンデレ系のキャラクターがヘタレ攻め、ツンデレ受けみたいな、そういうふうに人気を博すってわけで。
逆になっちゃうと、ツンデレ攻めとかヘタレ受けとかってなると、やっぱり人気がちょっとヘタレ×ツンデレよりもツンデレ×ヘタレのほうが人気がちょっと下回っているのかなっていうのが、
30年間同人活動を続けていた私の考え方なんですけども、こういうふうに、やっぱりその二次創作ってその人の持つ文章力とか、
画力とか、そういうの以外でもすごく左右されるから、やっぱりいい意味でも悪い意味でも勘違いしやすいんですよね。
そこそこ文章力があって、ジャンルがリバイバルブームで爆発的に流行ってて、
この二人なんかいいなっていうふうに、このキャラクターメインの話が放送されて、なんかこのキャラクターとあのキャラクターの絡みがいいなと思ったら、
やっぱり探す人が増えるわけじゃないですか。そこに乗っかってSNSで、実はこれ過去作なんですけどっていうふうにお出ししたら、いいじゃんみたいな感じで、
くらいについてくれる人は平素よりもすごく増えるわけですよね。そこで、やっぱり私すごいいい感じじゃんみたいな感じで、
勘違いできるかどうかがやっぱり肝だと思うんですよね。そういうふうに、勘違いっていうとすごく悪い意味で捉えやすい人がいるかもしれないんですけども、
世の中ってだいたい勘違いでできてるわけなんですよ。自分すげえじゃんって思って、本当に自分こういうところすげえじゃんって思って生きてたら、
なんか自分すげえじゃんっていうふうに思うような出来事が、脳は見つけ出してというか、そういった情報とかを集めてくれるっていう特性があるわけなんですけども、
そういうふうに自分、たとえジャンルの力だとしても、こういうふうに事例に乗っかかって過去作を掲載するタイミングを測れた自分すごいじゃんっていうふうに、
思い込むっていうのかな、勘違いっていうとちょっと私もあんまりちょっといい気持ちしないから、思い込むと本当にそうした事例を読む目が養われていって、
すごく二次創作以外でも自信を持てるような出来事っていうのはどんどんどんどん増えていくわけなんですよ。
逆に、そうした二次創作の人気が出る理由っていうのが、自分の文章力や画力以外にも左右されるっていうことをちょっと失念していて、
せっかく書いたのに誰も読んでもらえないっていうふうに落ち込んでるっていうのは、やっぱり悪い意味での勘違いをしているのかもしれませんよね。
環境との合致
例えば私はマイナーなジャンルでもメジャーなジャンルでもそこそこやってきたんですけども、
そのヘタレツンデレが5000あるとしたら、うちのツンデレヘタレカッピングはせいぜい500ぐらいしかないっていうようなちょっと例えなんですけども、
そんな中でもやっぱりブクマ数をその逆カップと逆カップが100集めてるとして、
じゃあこっちも100集めるよってなっても、文法数がまず違うから、それって前提条件からしてスタート地点からしてはるか遠いっていう感じなので、
埋まらないんですよね、どうしてもその差っていうのは。だからその部分を割り切れるかどうかなんですよ。
私は昔そこの部分を割り切れなくて、なんであんなふうに私の推しをあんなふうに解約してるね、クソ野郎どもがって感じで怒りに燃えて、
どうして私の作品にはブクマとか反応がつかないんだってふうに生き通ってたんですけども、それも文法数がまず10倍ぐらい違うから、
スタート地点からしても違うっていうことを全く持って失念してて、で勘違いしちゃってたわけなんですよね。
私には実力がないっていうふうに。だけども二次創作は本当に何回も言うけども、自分の画力とか文章力以外にも左右される要素っていうのはたくさんあります。
やっぱりジャンルの知名度とか、そうした人気カップリングの属性とか、あとは今映画化されてたりリバイバルされてるかどうかといった、
そういうブームみたいな、そういうのにもすごく左右されるわけなんで、平素でいくら頑張っても見られないっていうことは、
そうした実力以外の要素があるっていうことを覚えておけば、そうしたマイナスな勘違いに囚われなくて済むわけなんですよね。
大体こういうマイナス方面の勘違いっていうのは、二次創作以外でもすごく至るところで発揮できるわけで、
例えば自分がどうしても頑張ってるのに、仕事でも頑張ってるのに成果が出ないっていうふうになっちゃって、
自分は何も価値がないっていうふうに落ち込むかもしれないんですけども、それだって自分に向いてない仕事で頑張ったって、
それじゃ成果が出るのは遅いですし、一生成果は出ないかもしれませんよね。
私もこれ仕事の方ではすごく柔らかしてたというか、すごく恵まれない環境に身を置いてて、
何かしても自分に合わない環境でもがいてたけども、結局10年は続けてたんだけども、やめちゃったんですよね。
どうしてももうこれ無理だなって思って、私はその時に接客だったんですけども、
私はどうしたって接客には向いてないっていうことをうすうす勘づいてたけども、
その時はお金のためだから仕方なくっていうふうに、お金がないんだからっていうふうに贅沢なんか言ってられないよっていうふうに働いてたわけなんですけども、
ものの見事にメンタル面でやられて、10年続けてたけどやめちゃったわけなんですけども、
その10年っていうのも毎日、春夏秋冬、1年中2年ってわけじゃなくて、季節労働だったわけなんですよ。
だから耐えられたんですよね。耐えられなかったら、私はとっくに2年でやめてたと思うんですけども、
そういうふうに消去資とか、本当にたかが1年のうちの半年ぐらいの勤務だからっていうことで割り切ってたけども、
やっぱりね、合わない環境っていうかそういうふうに自分に適さない環境で働いてても、無理なものは無理だっていうふうに今はすごく悟っているので、
それで無理なものは無理だし、そうした環境でもがいてもやっぱり報われることっていうのが少ないから、
さっさとその環境には合わないっていうことを認めて移ったほうがいいよっていうふうに今だったら思うんですけども、
やっぱりそのことを知らなかった私は本当に自分には何の仕事も何もできないし、もう世の中に引き継いだされてないんじゃないかっていうふうに勘違いをしてたわけなんですけども、
そういうふうに合う合わないっていうか、自分以外でも合う合わない環境っていうのは誰しもあるっていうことを私は知らなかったから、
その知識をインストールしただけでもすごくもう気持ちが楽になったんですよ。
だからマイナスの勘違いをする人っていうと自分が生きてきた、受けてきた教育の中での、
そうしたある種の価値観に縛られ続けているっていう性もあるかもしれませんよね。
日本の教育のそういうふうな例ですよね。
苦労は勝ってでも死とうとか努力は必ず報われるとかって言うけどさ、苦労って言ったって、苦労って言うとどうしたって自分のものにはできないとか、
自分がやってて苦痛なものを何とか克服するっていう、そういう意味でしか、そういう意味の色合いのほうが濃いじゃないですか。
だったら最初から自分と向き合い直して、自分の好きな部分というか自分が得意な分野を伸ばしたほうが、苦労を送ろうと思わないでどんどんどんどん上達していくんだから、
そういう意味での苦労じゃなくて、自分に向き合って自分の好きな部分というか得意な部分を見つけて、
それをどんどん伸ばしましょうって言ったほうが、今よりもずっと生きやすくなると思いますよ。
二次創作活動と誤解
今有名な例で言えば、例えば大谷翔平選手とかプロ野球選手とかだって、一組集まれから見たらすごいね、尋常じゃないほどの量の練習を行わせてますけども、
当事者にしてみれば、好きで好きで仕方がないからもうやってるだけで、もうその人たちはもう苦労だなんて思ってないんですよ、大谷選手とか野球選手たちは。
私だってね、よく言われますよ、よくそんなに1日1万歩以上も歩いて筋トレなんかできるよねってすごい頑張ってるよねみたいな感じだけども、私はそれ全く苦労だと思ってませんよ。
97キロ時代の私だったら、それは本当にそれをやるのはすごい苦労だと思ったけども、今はマインドっていうかな脳の設定を変えて、
もう痩せて自分だったら普通になんか無理しないでやってるよねとか、運動や筋トレも必要だからね、自分にとって必要だからやってるし、無理してやる必要はないんだよって思ってるから、
これは苦労でもなんでもなくて自分にとって必要だからやってることであって、全く全く苦労じゃないわけなんですよ。
努力は報われるって言うんですけども、努力っていうのも苦手な部分を克服するための手段という意味で用いられることが多いから、
別に努力も自分の得意分野じゃないこと以外はもう切り捨てちゃって、そっちの方を伸ばすための、
努力っていうのかな、そっちの方を伸ばすために腕を磨いた方が私はいいんじゃないかなと思うんですよね。
ちょっと話逸れましたけども、やっぱりね、二次創作活動はあらゆる意味でも特にマイナスな勘違いに陥りやすいので、
自分の画力とか文章力以外の要素にも左右されるっていうことを覚えておいてほしいんですよね。
そんなの言い訳だとか甘えだっていうふうに自分の中でどんどんどんどん自分を責めて、
努力が足りない、苦労が足りないっていうふうに自分を責めてメンタル面で追い詰められて、
生きるか死ぬかの瀬戸際に行くよりも、そっちの方がよっぽど私は気が楽になると思いますよ。
なんでこれ言えるかって言ったら、私がまさにそうだったからですよ。
自分の二次創作の自分の実力が足りないから逆カップにいいようにされるんだっていうふうに、
何でもかんでも自分の努力不足だ、自分が根性がないからだ、自分が余ったれてるからだっていうふうに思い詰めて、
そういうふうに思い詰めて思い詰めてやってても、もうどんどんどんどん二次創作が楽しくなくなってて、
最終的には私は生きるか死ぬかまで追い詰められましたから、だからそういうふうにはなってほしくないんですよね。
だからある程度は、二次創作はそういうものだって割り切って、自分の実力も文章力もそこそこあるんだからって、
それはもう外部的要因のね、外部的要因に今は恵まれてないだけだっていうふうに思っちゃっていいと思います。
それでその外部的要因、例えば作品が映画界になったとか、再放送されたとか、リメイク作品が出たっていうときに、
よっしゃチャンスだと思ってSNSに思い切って流す覚悟を決めて流していけば、
そうした明らかにそういうふうに閉鎖よりも見てもらえる人の、見てもらえて興味を持ってもらえる人が格段に増えてるわけだから、
あなたの作品は目に留まりやすいわけだから、そこでもう評価を得られたら、それはあなたの実力だっていうことで、
もうそういうふうに信じちゃって勘違いしちゃっていいと思います。
一番大事なのは、あなたが楽しく二次創作を続けられることで、あなたを追い詰めるものをさらに追い詰めないようにっていうふうに、
追い詰めるあなたが悪いんだっていうことを言いたいわけじゃないですから。
楽しく二次創作をできるために私はね、こうしてメンタルサポーターとして発信を続けてるわけですから、
サポートの重要性
勘違いするんだったらさ、いい方向に勘違いしようよっていうような、今回そんなお話でした。
こんなふうに、このチャンネルでは、脳科学や心理学を応用して、
二次創作で抱くお悩みを解放したり軽くしたりする情報やヒントを発信しています。
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