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498_一番スムーズだった国立大付属で、私は一番力がつかなかった~グループ学習に取り組んで~前編
2026-09-15 08:50

498_一番スムーズだった国立大付属で、私は一番力がつかなかった~グループ学習に取り組んで~前編

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「一斉授業」についての記事に届いた一言のコメントから、自分のグループ学習指導歴を振り返ります。前編は、授業の規律を立てるだけで精一杯だった厳しい学校と、何もしなくても話し合いが成立してしまった国立大附属の話です。一番楽だった附属で、なぜ私は一番力がつかなかったのか。グループ学習が「できる」ということの意味を問い直します。

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#ポッドキャスト #国語教育 #協働的な学び #グループ学習 #生徒実態

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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道~黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は498回、一番スムーズだった国立大付属で、私は一番力がつかなかった、グループ学習に取り組んで、前編というタイトルでお届けしたいと思います。
今日から2回にわたって、グループ学習・共同的な学びはいかに難しいかというテーマでお話しします。きっかけは、先日書いた一斉授業についてのノート記事でした。
思いのほか反響があったんですけれど、その中に、つまりあなたはグループ学習ができないということですね、というコメントがありました。
おそらくタイトルだけを見て、本筋ではないところで一面的に受け取られてのコメントだったと思うんですが、そうした読まれ方への疑問が、かえって今回の阪神ネタにつながってしまったというわけです。
そこで今日は、前編、グループ学習が成立しなかった学校と、逆に何もしなくても成立してしまった学校の話をしたいと思います。
それでは今日も、国語教育をゆるっと語っていきましょう。
はい、それじゃあ、グループ学習のことについて、私が教員になった頃の話をしたいと思います。
教員になりたての頃は、机をスクール形式に並べた一斉授業が当たり前だったんですが、それでも隣同士のペアワークで話をさせて、温めてから発表させるという体のことは時々やっていました。
ただ、初任の学校は生徒実態が非常に厳しくて、まずは授業の規律を守るというところから、かなりの試行錯誤を重ねるということになっていました。
自分のやり方が確立するまでは、相当な時間がかかったなと思います。
厳しい学校に経験した、ご経験のある方はお分かりになると思うんですけれども、4月、5月、6月は文字通りカオスとなります。
というのも、版書のために黒板に向かって生徒に背を向けたら、後ろで何が起きるかわからないという感じになるからで、つまり黒板に字を書くことすらなかなか難しいという状態がありました。
その上、おしゃべりがやまないというのは当たり前で、突然出たり入ったりする生徒がいたり、音楽を鳴らす生徒がいたり、果ては無断でどこかへ行ってしまうような生徒がいて、それを追いかけたりというような日々が続きます。
どうにかこうにか夏休みまでたどり着いてほっと一息つくんですが、9月になってもだらどるとした感じを引きずって、カオスはなお続きました。
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そもそも授業をひっかき回す生徒というのは、不本意なまま入学してきて、自己肯定感が得られずに先生の指導を聞かないということで、自分の方が先生より上だというふうに示して、そうやって自己の優位性を保とうとしていたんだと思います。
けれどもその生徒たちも次第に、やっぱり学校面白くないなとか、ここでは自分が生き生きできないとか、どうせ単位も取れないしというふうに感じるようになって、9月下旬あたりから進路変更を決断して学校を去っていく生徒が増え始めました。
そして10月頃からようやく少し落ち着き始め、やっと普通に授業が少しはできるかなというふうに思うんですが、それも日によってはわちゃわちゃになります。
こんなふうな1年間を過ごしていると、グループ活動というレベルまでは到底いきませんね。
今何人がちゃんと学習できているのか、そのために何を準備してどういうふうに聞かせて少しはこちらの方に引き付けることができるのか、聞いて考えて書くという癖をどうやってつけようか、こういうことを考えるだけで精一杯の日々でした。
しかも試しにグループ学習にしてみると、その途端、人間関係のいざこざやトゲトゲしさに苛まれて、学校に来たくなくなる生徒が出てきてしまうような感じでした。
さらに、先生の目が届かないということを言うことに、悪さをする生徒、グループの中で自分が発言力をもって上に立てるとわかった途端に、いろんなことを高圧的に言い始める生徒も出てきます。
つまり、グループ学習というのは相当生徒をしつけないとできないものなんですよね。
ですから、この学校に関して言えば、一斉授業の方が心理的安全性を保てたと思うし、はっきり言って一斉授業の方がまだ学力を保証できたと思っています。
その後もいろんな学校を歴任するんですけれども、その中でも一番グループ学習が楽だったのは国立大附属校でした。
事前に準備を特別にやり込まなくても、さあ話し合いましょうと言えば話し合いが始まりますし、グループで発表資料を作りましょうと学習の手引きみたいなものを渡せば、それを読んでちゃんと理解してちゃんと発表資料を作ってきます。
もちろんグループによって多少の能力差はあるんですが、その難しそうな感じのグループでもどうにかこうにかちゃんと形にしてくるという力を持っていました。
ですから、研究授業やるにしても、研究のための実践をやるにしても、グループを組むことにさほど工夫をしなくてもちゃんと進んだなというふうに思います。
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生徒もそれなりに力がありますから、ちゃんとグループ学習みたいな活動が始まると、こちらが求めていることっていうのをきちっと見抜いてやってきますし、
思った通りとは言わないまでも一定の成果が必ず保証されるという生徒実態でした。
最初に国立大附属に赴任してグループ学習をやったときは、自分の授業がこんなふうに跳ね返ってくるんだ、この授業デザインは良かったんだというふうに思ってとても誇らしくなったものです。
でも今にして思えば、それは生徒が優秀なだけだったんだなというふうに思いますね。
むしろ、附属にいたときこそグループ学習がしやすくなる工夫とか、さらに深められるような私の見取り・介入、そこに至るまでの段取りとか、
それから生徒自身を育成するということをもう少し取り組むことができたんじゃないかなって思います。
でもほぼ何もしなくてもある程度のことはちゃんとやってくれてしまうので、結果としてグループ学習を私自身が育成していく力っていうのはあんまりつかなかったんじゃないかなととても反省していますね。
その上厄介なことに、この成功体験が自分の力だとある程度勘違いしたまんま、私は次の学校へ移動することになります。
はい、ここまで振り返ると、グループ学習が成立するかどうかは、教師の指導技術というよりも、まず生徒実態と学校の条件というものに大きく左右されるというふうに言えるんじゃないかなと思います。
なので、グループ学習ができるという言葉は、その学校で何が保障されているのかということを抜きにしては語れないものがあるなというふうに今更ながら思います。
それでは次の後編、次回の配信では、付属での勘違いを持ち込んだ次の学校ではどうなったのかというのをお話ししたいと思います。
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それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
ありがとうございました。
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