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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
免許更新の体験
今日は私は、創立記念日で学校がお休みになりまして、本当に貴重な平日休みに免許更新に行ってきました。
私はゴールド免許なので、5年に1回免許センターに行きまして、免許更新をしております。
私は何十年もゴールド免許だったと思うんですけど、5年に1回しか免許センターに行かないわけですよね。
免許センターがわかりにくくて、いつも迷っちゃうので、今日は気合を入れて、ナビに誘導して向かうことにしました。
お化粧を念入りにして行ったために、免許を写真撮るじゃないですか。
5年間も変な顔を見るのは嫌なので、お化粧を念入りにして行って、ちょっと遅刻気味、受付時間ギリギリという感じで家を出まして、そして発信しました。
ナビの誘導で警戒に行ってたんですけど、ちょっとナビが変な案内になりまして、周辺をぐるぐる回るような、そしてなかなかつかないような誘導になってしまって、
時間に遅れそうになって半泣きになりながら、もうナビ切って自分の感覚に任せていきまして、
何とか無事に到着して、受付時間にも間に合って、無事に免許更新を終えて帰ってまいりました。
これならナビを入れなきゃよかったと思いまして、もう野生の感というか、自分の身体感覚に任せたりしていけばよかったと思って、
もう最近はナビも高性能になったんで、ナビがあるからと思って全然道順を覚えなくなりましたね。
こんな痛い目にあったわけですけれど、やっぱりほとんど道順を覚えないっていうことが続きすぎたんで、
私の中のあんまりない方向感覚がますます退化してしまいまして、それでこんな雨になったんだなと思って、
もうちょっと自分はナビに頼らないで運転をするっていうことを務めてやるとかですね、
頭の中に地図を入れて、北とか南とか、そういうのをちゃんと方向感覚を持って運転したらいいんじゃないかなと思う、
今日の1日の反省でした。
やっぱりナビに頼るっていう、そういう便利なものに頼るっていうのは最近本当にありますよね。
インターネットで便利になりましたんで、何でもかんでも調べるときは検索すればOKで、
もう覚えるっていうことよりも検索すれば大丈夫だから覚えなくてもいいやって思ってしまう自分がいます。
本当に覚えなくなっちゃったな、ブックマークすらも最近はしてなくて、だってブックマークしなくても検索すれば出るんですよね。
なのでそういう情報を整理するっていうこと自体も、もうインターネットとかAIとかに任せてしまってるなと思います。
AIの活用
そしてやっぱりさらに特に最近は便利なAIの登場で、考えるっていうことをお任せしてしまうシーンが多くなってきました。
例えば先日学校説明会っていう、やっぱり生徒獲得のためのイベントがあったわけですけど、
その司会原稿をね、私司会することになってたんで、司会原稿をChatGPTにお任せして出してもらいました。
まあやっぱり多少の手直しは必要なんですけれど、一から考えるよりは遥かに効率的で時間短縮になりました。
それから国語の授業作りでは、ちょっと難しい評論文なんかを、
要点を太郎さんと、それから花子さんの対話集でまとめてもらって、
その穴埋め問題を生徒にやらせて、概要をつかませるっていうことをやる時の対話集をAIで作ってもらったりしてました。
AIがなかった時代、私はやっぱりね、ようやくを自分でやって、それで穴埋め問題作ってたような気がします。
ということで自分が頭を働かせるシーンっていうのが、AIの登場によってだいぶ少なくなってきたんじゃないかなと思いますね。
それでも国語の授業作りは頭を働かせる分野が多くて、やっぱり導入何にしようとか、授業展開はどういうふうにしよう、パフォーマンス課題は何を入れよう、
それからプリントを作る順番はこういうふうにしたらいいな、発問はどうしよう、すごい頭を働かせる、そういうところだらけなので、
おそらく一般の人よりは頭を働かせる場面が多いとは思うんですけれども、
それでもAIによってずいぶんと頭を働かせるシーンが少なくなってきたと思います。
でもね、私はAIの書く文章が綺麗で平易で非常に簡潔でわかりやすいんだけれども、
どうしてもね、読んでると個性を感じなくて面白みがない、雑味がないなっていう感じで、いまいち味わえないタイプなんですよね。
その原因は何だろうっていろいろ昨今考えてるわけですけれど、先日読み始めた本にそのヒントが出てました。
それはネットとリアルの間っていう西垣徹さんっていう情報学者の方が書いた本ですね。
ちくまプリマー新書です。この方はいろんな新書で出しておられるので耳にした方もいらっしゃるんじゃないかと思うんですけど、
ネットとリアルの間に書かれてたのは、そういうコンピューターとかAIの出す文章っていうのは身体性が欠如している、そういう情報なんだそうです。
だから言葉っていうのは身体性を伴って、体からの情報を伴って情報として伝達されるもので、
言葉っていう文字情報以外に身体性っていうのがある。身体性って何なのかって言うとやっぱり身振り手振りとか表情とか目つきとか、
そういったものになるとは思うんですけれど、その身体性というものがAIにはない。
情報としては欠如したものを我々は受け取っていることになるというようなことが、ちょっとこれうろ覚えで不確実かもしれないですけど、
そんなことは書いてあったんですよね。それで私は、私はAIの言葉がなかなか染みてこないのはそういうことが原因だったのかと思ってちょっと納得できました。
確かに書くっていう動作自体にとっても、言葉以外にですね、紙とそれから鉛筆が摩擦する、その摩擦する振動を手で感じながら、感覚で感じながら言葉っていうのを認識してるし、
それからこうやって喋ってる、声にする、音声にしているっていうこの肉声自体もこうやって空気を震わせて肌で感じたりとか、そういった身体性っていうものが伴っているなぁと思うんですよ。
なので、この間の生徒と漢詩を一緒に朗読したんですけど、その音読はやっぱりね、生徒と一緒に同じ教室空間で空気を震わせてやる音読が気持ちよかったんですよね。
そういう身体性っていうのが伴って言葉っていうのは本当に立体的になると言いますか、意味のあるものになると言いますか、理解が本当に脳まで染み込むものになるんじゃないかなというような印象をこのネットとリアルの間っていう本から受け取りました。
確かにね、赤ちゃんがお腹にいるときはお母さんが大量の音声を発して、体内の子どももその音を聞いているわけですよ。
そのことによって脳が刺激されて、認識が深まったり脳が成長したりすると思うんですよね。
それで子どもが育つということもあると思うんで、身体性っていうのは非常に大事だなと思いました。
『プルート』の考察
でもね、AIには身体性がないっていうふうに思いながらの、最近読んだプルートっていう漫画をまたここで関連付けて思い出しました。
プルートっていう漫画は浦沢直樹っていう有名な漫画家さんがいらっしゃるんですけど、浦沢直樹さんが手塚治虫さんの鉄腕アトムをトリビュートする。
尊敬して作るっていう意味なんですけど、トリビュート作品なんですよね。
概要は人工知能を備えたロボットが人間社会をいろいろと助けたりサポートしたり活躍して人間を守ってくれるために開発されたロボットが登場するんですけど、
極めて成功な人工知能で作られているので、人間より人間らしい、そういう働きをするんですよね。
例えば、悪を憎んで善を実行するとか、忠実に任務を全うするとか、そういった本当に誠実で真面目で勤勉で実直なAIロボットが登場するわけですけれど、
非常に賢いし、高性能であるがゆえに人間に近づいていくんだけど、人間に近づけば近づくほど、人間との差とか、自分たちは人間を理解できてないのではないかっていうそういう気持ちで苦悩をするわけですよね。
人間と一緒に暮らしていながら、人間との断絶を感じてしまいロボットとしての存在に苦悩するっていうような非常に人間らしいロボットの話が描かれてて、
AIが発達して、どんどん進化したらこんな風になるんじゃないかなと思ってしまったところで、
AIが人の形を持ってしまったら、それって身体性って言えるんだろうかって思い始めました。
もし目線とか音声とかを発して、それで人間の感覚を揺るがすんだとしたら、
AIも身体性を伴った形を持てば、これは違った情報伝達、音声だけじゃないもの、身体性を伴った情報伝達ができていくんじゃないかと思いましたね。
だからAIが人型になってしまったらどうなるのかなと考えてきたところに、
今度は石黒博士さんっていうロボット工学者が抱き枕型通信メディア、Hugbeeっていうのを開発したっていう話をもう十何年か前に聞きまして、
そのHugbeeっていうのを持ったご老人がその孫想定でそのHugbeeに話しかけて、
しまいには孫同然のように思うみたいな報告がしてあったんですけれど、
やっぱり形を伴ったロボットとかAIっていうのは、それこそ身体性を伴って私たちを非常に揺さぶるんじゃないかなと思いましたね。
そう繋がってからの今度は中学校2年生でやろうと思っているのが菊地館の形っていう小説なんで、
形が中身を決めるのか中身が形を決めるのか分かりませんが、菊地館の形っていう小説にもつながりそうな気がして、
そういう繋がり探しでワクワクしている私でした。
こんな風に全然関わりのないものを結びつけて新しい価値を生み出すっていうのが人間の創造性なんじゃないかなと私自身は思っているので、
AIが全然関係ないものを結びつけてAIがここを越える日もあるかもしれないんだけれど、
全く関係のないもの、入力されていないものを結びつけて、いろいろ新しいものを創造できるのを鍛えていきたいなと思いました。
それでは聞いてくださりありがとうございました。
今日はこの辺でまたお会いいたしましょう。