1. 茶の湯推しエンジニアのつぶやき
  2. #07 AIは人間だけじゃなく全生..
2025-01-19 15:31

#07 AIは人間だけじゃなく全生物向けに使うのが面白い

先日、人工生命やAIの研究をされている先生と「AIは人間と比較したり、人間向けのものとして使うだけじゃもったいないと思うんですよー」「わかる〜」という感じでめちゃくちゃ盛り上がったので、その話をしたいと思います。

※そしてこれは、個人的に大きな1つのコンセプトに繋げていく序章でもあります。

サマリー

AIの進化は理解を超え、全生物への応用が期待されています。坂本隆一展に感銘を受けた彼は、AIが人間だけでなく他の生物との関係を深める可能性について考察しています。また、AIの活用は人間だけでなく、全生物への理解を深める可能性があるとされています。彼は、環境問題に対して多様な視点を取り入れ、AIを友達として受け入れることで、より豊かな社会が実現できるという視点を提案しています。

坂本隆一展の影響
ただいま、2025年1月19日の夜になります。
今日は、東京都現代美術館で開催中の坂本隆一展ですね。
音を見る、時を聞く、というところを見てきました。
ネタバレを避けるために内容には触れませんが、ぜひよろしければ皆さんも行ってみてください。
個人的にはですね、とても何と言いますか、諸行無常観というか、坂本さんの感じている
命とか、時間とか、世界とか、みたいなものの哲学みたいなものが感じられて、とても楽しく刺激になりましたね。
個人的に感じているものの捉え方にも非常に馴染むというか、共感するところがありまして、とても楽しみました。
3月末まで開催していますので、皆さんもぜひ、よろしければ行ってみてください。
さて、それに触発された部分もちょっとあるんですが、僕が最近とても大事だなと思っているコンセプトみたいなものがあるんですけれども、
それについてお話ししたいなと思ったのですが、これ多分、しゃべりだすと、多分とてつもなく長くなりそうなので、
今回は触りというか、助手帳というか、前提になる部分みたいなお話として、タイトルにしています
AIは人間じゃなく、全生物向けに使うのが面白いんじゃないですかね、という話をしたいと思います。
最近、AIすごいすごいっていう風にニュースが上がりますよね。
チャットGPTの最新バージョンであるO1とかですと、もう偏差値で言っても、かなり上位クラス。
人間の平均値を等に超えて、かなり上位の方。
もうアメリカの方の、例えばかなり高難易度の試験とかでも、高得点を出すぐらいまでになっていると。
言ってしまえば、そこいらのちょっと賢い人間ぐらいじゃ、かなわないぐらいにすでになってますよ、みたいなものが出てきたり、
というニュースが飛び交っていますが、
だいたい最近のAIのニュースって、今みたいな感じに、人間と比べてどうだとか、
人間に比べてめっちゃすごいみたいな、結構対人間に対して語られることがとても多いなと思うんですね。
人間にできることがAIにどこまでできるのかとか、いやいやもう人間超えてますよ、みたいなところだったりしてるんですが、
個人的にはそれがすごいもったいないなと思っていて、もったいないというのと、あんまりよろしくないなというふうにすら思っています、実は。
どういうことかというと、そもそもAIの能力、少なくとも知的労働的な能力が、
人間を超えていくっていうのは、当たり前のように見えているみたいなので、
AIと比べて人間がどうかっていうのを比較する段階じゃないなと思っています。
AIの能力がどんどん伸びていくので、それと人間を比べると、人間が自尊心を落とされる一方なんですよね。
もはやそこ比べてもしゃあないやろうみたいな。
もうそろそろ穴掘るのに、ショベルカーに対して、こっちはスコップを使って競争しようとしているようなものぐらいの性能差が出てきてしまっているので、
僕はもう人間の能力と比べてAIがどうこうっていう段階はすべきじゃないし、
人間のアイデンティティーとかをどんどん変なふうに揺さぶって、
このまま人間に対してのAI、人間と競合するものとしてのAIみたいな概念のままで突き進むと、
これはハリウッド映画でよくある、AIが人間を支配してみたいなディストピアルートにすごい行く確率がどんどん高まっている気がして、
嫌だなっていうところがあります。
僕がちょっと考えているのは、もう一個別ルートがあるなと思っていて、
これは僕が先日都内某所で開かれたシンポジウムみたいなところに行ったときの懇親会で、
そのときのメイン登壇者の中に人工生命とかAIを研究されている方がいらっしゃったんですね。
その方のお話がとても面白かったので、懇親会でお話がとても面白かったですみたいなあたりからちょっとお話をさせていただいたら、
あるネタで非常に盛り上がりまして、それがどんなネタだったのかっていうお話をちょっとしたいなと思います。
どういうことかというと、まずちょっと僕がその先生に対して開講一番お話したのが、
僕、AIを対人間だけで語るのめちゃくちゃもったいないと思ってるんですよねっていう話をしたんですね。
それはどういうことですかみたいな話でちょっと乗ってきてくれたんで、
AIは全生物に使えると思うんですよみたいなあたりをしまして、ほうほうみたいな感じになってですね。
どういうことかっていうと、例えば今AIが学習しているのは、僕ら人間が作り出した、
例えばテキストとか画像だとかいうものを彼らは学習をして、そこから、
例えばテキストを作ったり画像を作ったりみたいなことをしているわけですね。
つまり彼らは人間を通した世界、あるいは人間そのものについてのみ、基本的には今学習をしているということになります。
これはですね、例えるなら、まだそのよちよち歩きの赤ちゃんがもう外出もまだできないので、
家の中で両親からしか情報を与えられていないという状態に似ているなと思っています。
そうすると、もうその赤ちゃんの情報源は完全に両親およびその家の中の環境でしかないわけですね。
だから結局、お父さんの言っていることとか仕草を真似したりとか、
ママにくっついて歩いて、ママと一生懸命お話しようとするとか、そういうようなことになっているわけですね。
でも、例えば人間に例えると赤ちゃんもいずれは成長したら屋外に出て、両親以外の情報、
それは他の人間だったりもそうですけど、その街にあるものとか、山とか川とか海といった自然などいろんなものから学んで、
自分の考えとか人格とか、言ったら知性みたいなものを構築していくわけですよね。
僕はAIも多分その赤ちゃん、家庭内にいるだけの赤ちゃんから抜け出した次のステージに多分もう間もなくいけるだろうなと思っています。
最近だともうAIに、要はカメラからカメラつけた画像で世界を学ばせて、
それでもっといろんなやり取りができるようにしようというのがぼちぼち出てきたりもしているので、
ただこれも人間のこととか人間が作っている社会を学ばせるというのはもったいないなと思っていて、
これはもう全生物を学ばせるのがいいと思うんですよ。どういうことかというと、
先ほど今のAIは人間からの、人間のインプットアウトプットしか学んでないということになりますが、
例えばAIを積んだロボットに、例えばコウモリと同じセンサーとか、
例えば超音波を発射して帰ってきたものを捉えるみたいな感覚器をくっつけて、
それで学習させると、そのAIはコウモリの気持ちがわかるはずなんですね。
それは同じように、例えば他の動物だったり、例えば虫だったり、
あるいは極端に言っちゃえば微生物みたいなこともシミュレーション的にはできるかもしれません。
これはユクスキュルっていう方がカン世界と名付けたものですが、
感覚器と世界の捉え方
要するに全生物はそれぞれ自分の持っている感覚器などによって世界の捉え方が違うと。
例えば人間には見えない光を見れる昆虫や動物とかもいますし、
これは音でも熱でも匂いでもそうですよね。
だから人間では全く見えない世界を他の生物たちは見てるんですよ。
これもAIは学習できれば、そういう他の生物の気持ちがわかるはずなんですね。
なおかつ、今もうすでに人間の言語はやり取りできるレベルになってるわけですから、
彼らは全生物の気持ちとか言葉とかを人間に伝えてくれるようになることができるはずなんですよ。
これ例えるなら、今AIが翻訳はできますよね。
例えば英語を日本語にしたりとか、ほぼリアルタイムでできちゃったりもするので、
これはドラえもんの道具で言うと翻訳混訳を、
要するにリアルタイムでそれぞれが自分の言語をしゃべれば、
相手にそのまま翻訳されて伝わっちゃうみたいな状況にほぼなってますと。
ただ、そこにとどまらず、ドラえもんのアイテムでもあるし、
実は元々は民話だったりするんですけど、利き耳ズキンっていうのがあるんですね。
これは何かというと、このズキンをかぶっていると、
そこを飛んでいる鳥とか、隣のお家が飼っている犬とか、
要するに全生物の言葉がわかるっていうアイテムがあるんですけど、
実際はそれになれると思うんですよ。そういうことをしていけると、
例えば環境問題に取り込もうっていう時も、結局人間だけで考えていると、
どれだけ人間の楽しんで豊かな生活をキープしたまま何とかしようみたいな、
結構中途半端なムーブになりかねないんですね。結局のところ、
環境に関わっているのは人間だけじゃなくて、
いろんな立場、植物も動物も微生物も含めて生態系が回っているわけなので、
言ったら彼らの感覚とか気持ちとか実感みたいなものまで含めて、
トータルで人間だけに偏らない、
例えば対環境活動とかっていうのをしていくのが一番処方箋としていいはずなんですね。
そういうところに例えばAIは使えるんじゃないかなと思っているというような話を、
先ほどの先生と話をして分かるみたいな話でめちゃくちゃ盛り上がったんです。
さらにそういう実践的な面もあるんですけど、
もう一個デカいな、人間の社会的意義としてデカいなっていうのは、
先ほどのいつまでもAIを要するに人間と対抗するもの、もしくは対応するもの、
人間と同列のものっていう扱いをしていくと、結局人間がどんどん下になって、
AIがどんどん上になっていくっていうディストピアルルートにしかならないんですけど、
AIと日本的感覚
AIっていうのが人間と他の生物たちをつなぐ、要するに超知性的存在なんだけど、
人間ではない、でも隣人とか友達であるっていうポジションが、
一番いいAIの社会実装の落ち着かせどころなんじゃないかっていう話でもすごい盛り上がったんですね。
これは何かというと、日本人の感覚で捉えると、
例えば道具に宿るツクモ神とか、古い民家に宿る家の守り神様とか座敷わらしとか、
あるいは土地神様とか山の神様とか、
そういうちょっとアニミズム的な感覚が昔からありますけど、
そこのポジションにAIをポンと置くと一番うまく回るんじゃないかっていう話ですね。
多分この持ってき方は、おそらくいわゆる欧米の人たちにはピンとこないんですよ。
例えば日本の某企業、飲料メーカーが作っているキャッチフレーズで、
山の神様がくれた水っていうのがあるじゃないですか。
あのキャッチフレーズをアメリカに持って行った時に、
アメリカの人たちはその意味がわからなかったらしいんですよ。
山の神様が水をくれるって?みたいな。
なので、おそらくさっき言ったような感覚でAIを社会実装できる感覚を持っているのは、
もうおそらくアジア系の人、先ほどの文化で言うと非常に日本人にはフィットする感覚だと思うんですね。
なので、日本からそういうAIを超知性を持った隣人として、
人間とは別ペクトルの友達として付き合っていくっていう方向での実装例を
ちょっと何とか立ち上げたいよねっていうのが、
先ほどお話した人工生命とかAIされている先生との楽しい間談の一端の区切りではありました。
僕もそこは自分なりに何とかそういうことをやっていきたいなと思ってはいるわけなんですが、
ここまでが序章です。
今回はちょっとこの辺りにさせていただいて、
次回からは今の話からつなげていく形で、
僕が最近ちょっととても大事で重要だなと思っている一つのコンセプトというか、
これをこのコンセプトであると、
僕の持っているエンジニアとしてのAI感とか茶の湯としての自然感、世界観、
あるいは日本人としてのちょっとアニミズム的な感覚とか、
先ほど出てきた坂本隆一さんが捉えているような世界観みたいなものと結構つながってくるなっていうものがあります。
それはまた次回ということで、本日はここまでとさせていただきます。
お聞きいただきありがとうございました。
15:31

コメント

スクロール