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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この配信では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育について、ゆるっと配信しています。
今日は、羅生門の私の授業作りの最終回ですね、第3回、最終回となります。
前回までは、導入部分、展開部分についてお話をしてきました。
今日は、まとめの部分と、対話を多くする工夫について語りたいと思います。
前回、展開は構造的版書によるファシリテーションを行うというふうにお話ししましたが、
毎回毎回、各授業の終わりには、気づきや感想を小さな記述用紙に書いてもらって、
それを次の時間にフィードバックするというふうにやっていましたので、
生徒の書いた文章が次の時間に読まれまして、また多様な意見に触れて、
だんだんと自分の認識が厚くなっていくような、そういうふうな工夫をしております。
おまけに、こうやって毎時間毎時間書かせて、それをフィードバックすると、
生徒は友達の意見に刺激を受けまして、非常に学習に前のめりになっていくんですよね。
次こそは自分も先生に選ばれたいとか、友達はこんなふうな深い考えを持っているのか、
自分もうかうかしていられないなというような刺激を受けて、
毎時間毎時間の感想というのはとても有効だと思います。
今はICTで簡単に意見が回収できるので、本当にいい授業ができるようになりましたよね。
ということで、そういう集めた授業の中には、こんなふうな意見もありました。
第四段落では、正義の下人と悪の老婆という対照的な状態になっている。
このように、下人がまだ若いので感情の移り変わりが激しいということを使って、
次の段落の伏線としていると考えると、とても読者を引き込むための工夫がされた小説だなと思った。
というようなところまで読んでいるわけですよね。
それから、下人の気持ちの変化の勢いがすごい早いなと思いました。
日和大野の着物と紺色で対比させているのだとわかりました。
深く考えずに流しているところでも、深く読み取ると、
紺赤で対比させていたり、男女で対比させていたり、老人若者で対比させていたりと、
小説にはとても細かい工夫で表現されているのだなと思いました。
そういった継承読みがとても効いていて、
すごい説得力を持って読んでいこうという雰囲気になっていったので、
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この毎時間の感想によって、かなり生徒は深まっていったんじゃないかなと思います。
最終的には、生徒にいろんな、最後にこの作品は何を描こうとした作品かというのを書いてもらって、
終了というふうになるんですけれど、
例えば、今までにやってきたことすべてが詰まったラストシーンは、とても奥が深いと思いました。
ニキビから何から何まですべて意味があり、ここに繋がっていたんだと思うと、とても素晴らしい小説だと感じました。
ずっと前、この羅生門を読み進めた時には、本当に何か難しいなと思っていたけど、今ではすべてが理解できました。
というようなまとめをしてくれている子がいました。
すべてが理解できたというのはちょっと大げさですけど、
かなり読み解くことができて、手応えを感じたんだなと思います。
それから別の生徒は、ラストシーンはこのように表現することによって読者の想像力を働かせて、より面白くするためだと考えました。
そして老婆が門の下を覗き込むという表現から、老婆の不気味さが増して、イメージが湧くと思いました。
というように、より小説世界を想像している様子が伺えますよね。
それから別のコメントでは、正当化を逆用された老婆は、体を起こした後、どのように思ったか、悪いことをしたと悔やんだのか、老婆の心情を知りたいと思ったし、最後の教科書の書き方は下人の行く末を色々と連想させられてしまうと思いました。
というように、最後のシーンは、読手がどんどん想像を広げていって深めていくところなんだというようなところも理解できたんじゃないかなと思います。
その他にも印象的な読みがいっぱいあったんですけど、私自身の感想は、読み取りは深まった。
本当にイラショウ文について、もやーとしか捉えていなかった生徒も、次第に解像度が上がってきて、だんだんと自分自身、この作品はこんなところに工夫があって、こういうふうに読み取れて、自分自身はこういうふうな思いを受け取った、あるいは認識を新たにしたということが、結構はっきり出てきたなって思うんですね。
それぞれ個人個人の読みも確立できたし、ある程度表現に根拠にした読みになったので、詩的な読みにはならなかったので、大変良かったなと思う反面ですね。
やっぱり、今一つ自分ごととして捉え切れてないなって、自分の中の暗部とか、自分の中の醜い部分とか、そういうところをきちっと見据えるところまでにはなってなかったなという反省があるんですね。
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目標は達成されたんですよ。人間の暗部を見つめ直して深まったっていうのは、深まったんだけど、自分ごととして捉え切れたかというとそうじゃないっていうのがあって、これは欲張りすぎなのかもしれないけど、最後にダメをしてとして、
あなたの中に下人は住んでいますか?とかいう感じでね、問いかけて書かせたら良かったかなっていう反省はありますね。ここら辺は次回、多書門を扱う機会があったら、あなたの中に下人は住んでいますか?っていうようなので、ちょっと問いかけてみたいなと思います。
私があんまりやらなかったのは、根弱物語の読み比べっていうことを、さっきの配信で言ったんですけど、もう一つやらなかった取り組みに、多書門のその後を書かすとか、あるいは老婆の視点や下人の視点でリライトしようっていうのは、あんまりやってないですね、過去ね。
他者の視点から、多書門を捉え直すっていうことについては、とても良いことだと思うし、やりがいもあるだろうし、本当に読みが深まると思っています。ただね、やっぱり生徒の実態によってこれ躊躇してたんで、機会があったらぜひやってみたいなと思いますね。
特に、読書量の少ない生徒たちにとって、リライトっていうのは、あんまりうまく機能しなかったっていう経験があるんですよね。やっぱりいろんな小説を読んでいると、いろんな想像を働かせて、下人や老婆の立場になってリライトもできると思うんだけど、読書量の少ない生徒にとっては、ただのちょっとしたお話、適当に創作して終了みたいなことにもなりかねないので、
この辺の扱いは、私はちょっとまだまだね、ラショウモンのその後と、それからリライトっていうのは足を踏み出してないところなので、どのような工夫をすればうまくいくのかっていうことは、ぜひぜひ、もしよければメッセージを寄せくださればとてもありがたいです。よろしくお願いします。
ということで、ラショウモンの取り組みは、一応目標達成で終了したんですけど、そこに至るまでに、私が工夫した対話を多くする工夫っていうことについてお話ししたいと思います。
まずですね、ラショウモンに至るまでの、そこまでの普段の授業で、日常的に隣近所の人とペチャクチャ話す、ペチャクチャタイムっていうのを取るっていうことをやってました。
40秒でちょっと情報交換してっていう感じでやるんですね。最初は慣れないんだけど、だんだん短時間でもぎゅっと濃密な話ができるようになっていきます。
なので、ペチャクチャタイム、共有タイムを40秒とか1分とか決めて、生徒の様子によって時間を塩梅すればいいと思うんですけど、これやる前からペチャクチャタイムの練習をしてました。
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それから、授業への反応を良くするために、時々、それではここでアンケートですとか言って、手を挙げさせて、例えば発問するんだけど、いまいち反応がね、いい反応が出そうにないなって、シーンとしてるなと思ったら、アンケートですっていう風にやって、
全くわからない人、なんとなく答えがモヤモヤする人、紙が降りた人って言ったらここで笑いが起きるわけですけど、選択肢を設けて拒否させる。
モヤモヤした人をちょろっと当ててみたりすると面白かったりしますね。あと、紙が降りたっていうのであげる子っていうのはお調子者もいるんだけれど、大概やっぱりハッとした子なんで、その子にも当てたりしますね。
ということで、時々アンケートをやっております。それから、対話を多くする工夫としての3つ目としては、生徒が何か言ったときにどう反応するかっていうことなんですけど、私はとりあえず正解ですっていうのは言わなくて、合ってるなと思っても、なるほどーとか、面白いねーとか、
ちょっとなんかね、突拍子もない答えをしたりなんかしたら、そう来たかーすごいねーとかつって、ちょっとね、ちょっと突拍子もない答えはね、ギャラリーもみんなもえ?って思ってるわけですよ。そこで、そう来たかーって言うと、面白いね、なんとかくならではのユニークな発想だねって言ったら、雰囲気も和みますよね。
その他には、それこそ、あーなるほどー、なんでそう思ったの?まあ当たり前にこれは言うんですけど、その他は、え、もっと他にはないかねーとか、もっと付け足しがないかねーとか、もっと違う方向から攻めたらどうなるかねーっていう感じで、多様な意見を集めるようにしています。
結構ね、これなんかこう連発してると、結構面白い意見が集まってきて深まったりなんかするんで、ファシリテーションの取り掛かりとしてはこういう投げかけはいいかなーと思いますね。
それから、対話を修練させたいとき、そういうときどういうことをするかっていうと、あれこれ制度に意見を言わせるんですね。必ず根拠をつけるように、なんでそう思ったの?って言って、そこで正解っぽいのが出ても適当に反応して、なるほど、それもあるねとか言いながら正解側を封印します。
私も結構顔色に出るタイプなんだけど、一生懸命正解側を封印して、生徒はいろんな意見を聞きながら、無駄なものを判断したり、有効なものを採用したりするんですよね。そこでまあいろんな意見出たけど、じゃあ隣近所で話し合ってみようって言うと、だんだんね、さらに深まっていくんですよね。
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その後、ペアやグループでどういう話が出た?とか、今まで出てきたことであなた自身いいなって思うのは何?とか、そんな風に問うと、だんだんいい感じに答えが修練していくわけですよね。
ということで、対話を修練させたい時の方法についてお話ししましたけど、このことについてはフィッシュの解釈共同体っていうね、そういう考え方で裏打ちされていて、いろんな意見が出て、時々突飛な解釈とか、とんでもない意見が出るんだけど、それはまともな意見をすごく引き立てるんだそうです。
そういう変化とか差異によって、だんだんと解釈が修練されていくんだそうです。
そういうふうな働きがあるので、突飛な意見大歓迎っていうような雰囲気を作った方が解釈が深まるかなと思いますね。
ということで、他にも短時間でインプットアウトプットを繰り返す方法っていうのが、私もいろいろ思っているわけですけど、本当に大前提として、対話を多くする工夫っていうのは、まず4月当初から授業規律を整えて、ちゃんと聞くっていう姿勢を作らないといけないっていうのが大前提ですね。
それからやっぱり安心・安全な場を作るということで、考えたことを気軽に話し合って発表することがとてもいいことで、先生もすごく評価してくれるし、雰囲気が良くなる。
面白いユニークなことを先生が言って、場を沸かせてくれる。僕は何言っても安心なんだ。
ちょっと変わった意見出ても先生が面白く褒めてくれるので、自分も安心して面白い意見を言える。
それを仲間が認めてくれるっていうような雰囲気を作るのが、対話を多くする工夫としての大前提になりますね。
というのを本当にひしひしと痛感しておりますので、これは本当に、鍛錬、鍛錬、鍛錬を繰り返さないとこういうことはできなかったなぁと、長い教員生活を振り返りながら、
本当に鍛錬の日々だったなと、失敗と試行錯誤の連続だったなぁと、遠い目をしながら思い出しておりますがね。
ということで、今日は羅正門についてのまとめ方と対話を多くする工夫についてお話をしました。
羅正門は本当に奥が深い小説で、これからもどうやったらより良く生徒が自分ごと、自分の課題として捉えるようになるかっていう大きな課題が残っておりますが、
またまたね、羅正門を授業でする機会があったら是非チャレンジしていきたいと思っています。
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それでは聞いてくださりありがとうございました。今日はこの辺で。またお会いいたしましょう。