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2026-02-12 11:02

406_どんな学習指導要領の改編があっても(前編)~コンピテンシーベースに落とし穴はないのか?~

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学習指導要領のコンピテンシーベース化には賛成ですが、指導案の目標設定には疑問です。「羅生門」を例に、コンテンツベースとの違いを解説。コンピテンシーベースの目標が生徒の学ぶ意欲や主体性を損なう「落とし穴」になりかねないと警鐘を鳴らします。生徒の心に学ぶ意欲を生み出す目標こそが重要だと訴えたいです。


#学習指導要領 #コンピテンシーベース #教育 #国語教育 #学ぶ意欲
 

 

サマリー

今回のエピソードでは、学習指導要領の改定について、特にコンピテンシーベース教育の導入とそのメリット・デメリットを考察しています。具体的には、コンテンツベースからコンピテンシーベースへの転換の過程や、教員の目標設定が生徒の学びに与える影響について議論しています。

学習指導要領の改定
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は406回、どんな学習指導要領の改編があっても)~コンピテンシーベースに落とし穴はないのかというタイトルでお届けしたいと思います。
私は結構、学習指導要領批判の配信してるなって、今更ながら振り返って思うんだけども、やっぱり私が通った中学校・高等学校がですね、批判的思考力をめちゃくちゃ爆押しする先生がたくさんおりまして、やっぱりお前たち先生の言うことなんか信じるな。批判的であれ。
権力のある人たちの言うことをそのまま鵜呑みにするな。常に疑えとかって言いながら育ってきたもので、どう考えてもね、ついついちょっと批判的に考えてしまう癖がついてしまいまして、いいことなのかもしれませんけれども、こんな感じの配信になってしまいましたけれど、ちょっと考えながら配信したいと思います。
皆さんご存知の通り、今回の学習指導要領の改定における最大の柱は、コンテンツベース、何を教えるかからコンピテンシーベース、何ができるようになるかということへの転換だと言われています。
これは、例えば、作品の知識、書かれてあることを理解するといったことに留まらず、実社会で生きて働く力を育成しようということになります。これは私も大賛成なんですね。
その他に大きな改定として、3つの柱、知識、技能、思考力、判断力、表現力、学びに向かう力、人間性というのは皆さんもご存知だと思います。
それから、教材の中に図表グラフという、そういった非連続テキストを組み合わせて、複数の資料やデータから読み解く力、これを育成しましょうというふうなことが謳われるようになりました。
あと、高等学校では大きく論理国語と文学国語というものに分かれて、生徒の興味関心進路に合わせて深めるといったことにもなりました。
あとは言語活動の充実ですね。これはでもずっと前から言われてたから、今さら取って出すわけではないんだけれども、特に言語文化では書くこと、話すこと、聞くこと、アウトプットが非常に強調されているというのが特徴で、
合わせて主体的対話的で深い学び、それから共同的な学びというのも充実していきましょうというようなそういう流れになっています。
ということで、全体としてはやっぱりさっきの冒頭にも言いましたように、社会を生き抜くための生きて働く力を身につけようといったようなこと、つまりコンピテンシーベースへの学びへ大きく転換したというのが今回の学習指導要領の目玉というか、大転換だというふうに言われています。
従来型からの転換
そこで私は、この流れには賛成なんですけれども、ちょっと疑問に思うことがたくさんありまして、それをこれからお話ししたいと思います。
コンテンツベースからコンピテンシーベースへの転換ということを、ラショウモンという作品を例にしてお話ししたいと思います。
コンテンツベースの従来型の指導では、ラショウモンというものは、内容を正しく理解することというのがゴールでした。
例えば、登場人物の真理とか、それから描かれているテーマとか、そういったことを時系列で追いながら分析していき、老婆の論理を読み取って、それから表現上の特徴を、これを理解する中でさらに読みを深めていきましょうと。
そういった内容になっていって、ラショウモンという作品をみんなで考察し分析するということがコンテンツベースの学びということになります。
それに対してコンピテンシーベースの学びというのは、ラショウモンというものを通じて、汎用的な力を身につけましょうということになって、
例えば目標は、情報を批判的に読み解く力、多面的に議論する力、自分の考えを論理的に構築する力をつけましょう、というようなスキル的な目標が掲げられるという特徴があります。
それからあとは、よくあるパフォーマンス課題としましては、もし自分が警察あるいは検察官だったら、下人の罪をどういうふうに論じますか、とか、それからラショウモンの出来事を新聞記者になったつもりで一記事にしましょうとか、
それから生きるための悪という老婆の論理は、現代の格差社会やSNSの誹謗中傷問題とどうつながるかというような問いを立てるとか、そういった形で今に通じるパフォーマンス課題を設定するというのがコンピテンシーベースの学びの特徴になります。
いわばお魚を与えるのではなくて、魚の釣り方を与えるということに近い、この比喩が適しているかどうかわからないんですけれども、そういうコンテンツベースからコンピテンシーベースへの学びというのはそういったことになります。
指導目標の重要性
ここまで分析したんですけれども、私としてはこのコンピテンシーベースの学びというものに大変に違和感と疑問がありまして、方向性に関しては賛成なんですけれども、コンピテンシーベースということが先行してしまっている、そういった指導案とかを見るとおかしいなって思うことが結構増えてきました。
例えば、パフォーマンス課題、最初から生きるための悪という老婆の論理は、現代の格差社会やSNSの誹謗中傷問題とどうつながるのかを考えようみたいな、そういった目標を掲げられると、もはや目標の時点からネタバレになっているという、そういった格好になっているような指導案を見ることがあります。
最初から本当にコンピテンシーを育成するための目標が掲げられている、生徒の主体的な疑問とか、それから学びとか、そういったことをちょっと隣に置いておいて、本当にコンピテンシーを育成するということが先行にした作りの学習指導案が多くなってきたなというふうに思います。
そればかりではなく、目標自体が、情報を批判的に読み解く力、多面的に議論する力、自分の考えを論理的に構築する力を身につけようというような、そういったものになっている指導案が多く見られるようになってきて、これって指導者の目標なんじゃないかと、こういうふうに思うような指導案が増えてきました。
生徒に、この羅生門というものを通じて批判的読解力、多面的に議論する力、論理的に表現する力を身につけようというふうに掲げて、生徒が本気になるというふうにはとても私には思えないわけなんですけれども、
コンピテンシーベースに転換したんだから、この目標、つまりコンピテンシーを育成するということが中心でなければならないというふうに思われていて、生徒の主体性というものがどこかに行ってしまっているような、そういった学習指導案が多く見られるようになったというのが、私の非常に残念に思っている点です。
今、私が読んでいる本に、「学び方を学ぶ授業」というナンバシュン先生の本があるんですけど、この冒頭にもはや書かれてありました。
やっぱりね、これだなというふうに思うんだけれども、まず私たちが注力すべきは、学ぶ意欲を子どもたちの心の中に生み出すことというふうに冒頭部分に書かれていて、本当にその通りだなと思うんだけれども、やっぱり目標は指導目標なのか、学習目標なのかをちゃんと見分けて、
生徒に与える目標、つまり学習目標は学ぶ意欲をかきたてるような目標じゃないといけないと思うんですよね。
先生の目標はコンピテンシーベースでいいと思います。けれども、生徒に与える目標はコンピテンシーベースの目標を与えると、生徒は果たして主体的になるのか、意欲をかきたてられるのか。
もう一度指導案を書く際に考えていただきたいと思います。
私が長い長い教員生活の中で、コンピテンシーベースの目標を学習目標にして学ぶことに一生懸命になる生徒はごくごく少数でした。
大半の生徒がそういうコンピテンシーベースの目標を掲げて本気になる生徒ではなかったです。
ということで前半部分はここまでにしまして、コンピテンシーベースを掲げた途端に学習指導案が落とし穴にはまるのではないかというお話をしました。
次回後編に続きたいと思います。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
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